「keniti3545」since73:2014.3月1日曇り+5℃「東日本大震災」「311フクシマ」1098日 今日の一題「人災の罪思い知るべし・311フクシマ」!
*朝トレ:道ばた、両サイド30センチの残雪を睨みながら細尾ドームリンク往復&ストレッチ・強歩をリンク駐車場で30分。今日は暖かかった、一瞬の春? まだ三寒四温とはなりそうもないな〜!
*「東日本大震災」「311フクシマ」1098日
*今日の一題「人災の罪思い知るべし!311フクシマ!」
自然災害と、放射能(被爆)災害との違いは多くの項目があろうが、今は次の二点に絞り考えてみる。
(1)一つには、「被災時状況の違い」
(2)二つ目に、「復興と言う言葉の内容の違い」
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(1)「被災時の状況」
自然災害時は「視聴覚」からの即時データによって、行動を起こす事も出来る、また行動の方向性も具体的に判断できる。 放射能被爆の際はどうか? 遠い漠然とした(自分の身に起こるかも知れない被災状況を直ぐにはイメージできない)様子を、TV.ラジオ等の二次的伝搬による「知・見」から行動の判断を起こす。ここには、大きな差があることに気付きます。
(イ)自然災害の避難態勢は、具体的に緊迫感を持った避難訓練も出来る
自治体の防災訓練などでもこんな言葉が聞ける
*紀伊半島の南端に近い串本町姫には津波が短時間で襲来すると予測され、揺れが収まるのを待って行動したのでは、津波にのみ込まれてしまう心配がある。地元の自主防災会長は、大きな揺れがあったらすぐに逃げようと強調した。
*東日本大震災で注目された言葉がヒントになる。「津波てんでんこ」。津波が来たら、各自がてんでばらばらに高台に逃げろという意味だ。自分の命は自分で守れという教えでもある。
*言うまでもなく実態を「視聴」で捉えられず一方的な避難指示に従うことが最善とされるだろう。
*(イ)の昔からの知恵と教えからの「津波てんでんこ」は、放射能被災事故にも当てはまるとは言い切れないだろう。危険が迫る緊迫感も持てないのではないだろうか?
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(2)被災後の「復興」(と言う言葉に)ついて
(イ)自然災害後の復興(と言う言葉)
こんな記事と写真を引用させて貰ったが、相手が自然災害であれば、どんな大きな傷跡でも「形ある物」であれば使用不可になったものでも、消滅してしまった物でも復元出来る技術が現代にはある。願う事あらば、元の位置に寸分違わぬ形で復活することも出来る。 「物を相手の、もの言いならば完璧に近い状態の復興が可能」であろう。
(ケンプラッツ記事から)
3年目の被災地(1)気仙沼に現れ出した防潮堤
2014/03/10
東日本大震災から3年がたち、復旧から復興の過程に移行しようとしている。日経コンストラクション3月10日号では被災地の現状を追った記事を特集やズームアップで掲載している。ここでは誌面に掲載できなかった写真をメーンに各被災地の現状を3回に分けてお伝えする。第1回は宮城県気仙沼市の市街地だ。
宮城県気仙沼市にある野々下海岸。海抜9.8mの直立型重力式防潮堤の建設工事が進む。2014年2月6日撮影(写真:日経コンストラクション)
同じく津波に流され横転した建物も、いずれ建て直して復元(復興・復活)されることだろう。
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放射線被曝後の復興とは、「形ある物」の場合形・機能の不具合は生じなくても一定の規準値越えの被爆あれば(線量が検出されれば)使用不可と判断される。それが、我が家でも・家具でも悲しいことにペットも一緒に生活は出来なくなる。福島の被爆された皆さんの悲惨な思いはこの時点で始まっている。
外観に異常のない物も使えず、新筑間もない家にも住めない事態が起きるのだ。自分の土地・田畑も使えない状態も当然起きる。この状態からこれらの「物」が使用可となるには10年20年半世紀と言うような時間が掛かる。このショックは、津波に何もかも飲み込まれて無一物になった被災者よりも更に大きい物であることも推察出来る。
1日も早く立ち直ろうと行動を起こしたくても対象物がないのだ。目の前にある「物体」は動かすことも出来ない「放射能汚染物」なのだ。そしてこのおぞましい情景を描いたのは、人間の恐れる神仏の怒りでもなく・自然の災いでもない。人間の強欲が引き起こした「人災」だと気付かされた被災者の感情はどんなものか!
「少々の備えはある、思いは強い、何か手を付けたい」そう思っても現場を(自分の家も)見に行けない。 同じ無一物になった自然災害被災者と放射能被爆者も当然避難生活を強いられる。しかし、大きな違いがもう一つ、「自身の体と被爆線量・家族の被爆線量」これは「復興」という言葉を当てはめることの出来ない言葉ではないのか。と、なれば、「我が家族・孫・子の体も将来に亘って心配」だ。
この問題「 ”命”に言及する」時、15,884人(2014.03.10警察庁調べ)の死者を出した東日本大震災ですが、その多くは「津波被害に奪われたかけがえの命」であったことが私たち国民にも知らされています。
しかし、その悲劇にも負けじと立ち上がりの姿勢をいち早く見せたのは津波という「自然災害の痛手を負った多くの遺族」であったと言われます。 一方で、は今も全体でで26万人を超すと言われる避難者の皆さんですが。その中でも、放射能被災被害の皆さんの「萎えてしまった精神状態には計り知れない重さ」を感じます。
前述もしましたが、「神仏の怒りでもなく・自然の災いでもない、放射能被爆被害という人災」は人の体は勿論のこと人の心までボロボロににしてしまいます。 私たちはこの同胞の少しでも元の精神状態に近いところまでの立ち直りを「手助けしなければならない責任」と・この「人災を再び起こさない覚悟」をしなければならない時が来ているものと思います。
それは、原発の稼働を永遠に止めることです。原発被災者の皆さんもそれを一番に望んでいることも我々国民の70%以上は知っているはずです。 「原発からの被災」は本当に人災であることを認識し合う場を増やしたいですね。
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