「keniti3545」since73:2014.3月11日曇り-8℃「東日本大震災」「311フクシマ」1097日 今日の一題「311 3年追って地方紙巡り」

*朝トレ:ーーー 火曜日の線量計測も雪30センチのままでは、不可。児童公園のホットスポット楓根本も公園に入れず。データ1グループの南:Max0.56μシーベルト モデルセンター(M)Max0.68μシーベルト は記録できたが他のポイントは雪上地上30センチメートルでは何所もおしなべてそれでも0.10μシーベルト前後の数値しか掴めないのでデータ扱いはしない。



*「東日本震災」「311フクシマ」1097日


*今日の一題 「地方紙 各社:本日3月11日の社説巡り


福島民友 社説

3.11から3年/復興への歩み確かなものに(3月11日付)

 東日本大震災東京電力福島第1原発事故の発生から3年が過ぎた。「もう3年」「まだ3年」。捉え方はさまざまだが、3年の月日が流れてなお約14万人の県民が避難生活を続けている現実をしっかり見つめ、復興への歩みを確かなものにしていきたい。

 政府は復興期間を10年間とし、そのうち前半の5年間を「集中復興期間」と位置付けている。同期間は残りあと2年ということになる。「福島の再生なくして日本の再生なし」というのであれば、安倍政権は覚悟を新たにし、さらに実効性のある施策を講じてもらいたい。

 覚悟が必要なのは県も同じだ。県は新年度予算案で、医療機器の安全性評価や除染技術の研究拠点など新たな施設の整備に巨額を割いた。「目に見える復興」の具現化と受け取ることもできるが、県の再生は中身が伴わなければ進まないことを肝に銘じ、県民の視点に立った施策を推進してほしい。ーーー略


http://www.minyu-net.com/shasetsu/syasetu/140311s.html


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 福島民報論説 阿武隈

【きょう震災3年】復興へ思いつなぐ(3月11日)
 あの日、東日本を襲った巨大地震から、きょう11日で3年が経過する。本県は地震津波で多くの命が奪われた。さらに、東京電力福島第一原発事故の強制避難による、原発事故(震災)関連死が増え続けている。家族や古里を思い、志半ばで亡くなった人たち。私たちは、あなたたちを忘れることはない。尊い命は「復興の源」として受け継がれるだろう。ーーー


http://www.minpo.jp/news/detail/2014031114421

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北海道新聞社説

<大震災3年>下 住民の命を守る もっと危機意識を持って(3月11日) 東日本大震災の発生からきょうで3年を迎えた

 マグニチュード(M)9・0の巨大地震が東北地方の沿岸部を襲い、続く津波で集落が次々と崩壊していく惨状がいま、あらためてよみがえる。

 ひとたび大地震が起これば、長い海岸線を持つ北海道にも同様の惨事が襲いかかるのは自明の理である。

 大震災では道内も、死者を含む大きな被害に直面したことを思い起こさなければならない。

 だが、この3年間の道や自治体の取り組みは果たして万全だったといえるだろうか。道の被害想定が震災前から見直されていない現状が危機感の欠如を物語る。

 立ち止まることは許されない。道民一人一人が防災意識を高めたい。備えに一刻の猶予もない。ーーー略

↓全文
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/526279.html


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(青森) 東奥日報社

絆をもう一度強く、固く/大震災から3年

 いいことなんて何も起きなくていい。ただ平穏で、無事な暮らしが続くことが、何よりも尊いことだから−。多くの人が、そんな思いを新たにするであろう日がまた、巡ってきた。

 3月は、近づく春の足音が聞こえてくる月。とりわけ北国、東北地方で暮らす私たちには、屋根の雪が解け、地面に落ちる滴の一つにも、喜びを感じる時期だったはずだ。だが、東日本大震災が起きた2011年3月11日以来、この日が巡ってくるたびに、春への希望とは裏腹に、さまざまな思いを、何度も心の中でかみしめるようになった。

 突然奪われた多くの命への鎮魂と、永遠に癒えぬ悲しみとともにある遺族や、いまだ不自由な避難生活を余儀なくされている方々への思い。そして、収束の見えない原発事故への怒りと、思うように進まない復興へのいら立ちと。

 災禍の記憶、被災地への関心は、薄れかけていないか。絆をもう一度強く、固く結び直そう。直接、何かはできなくても、被災地を思う心だけは忘れまい。

 岩手日報の投書欄に、「支援者は生きる希望の支え」という70代女性の文章が載っていた。支援の手を、見守りの目を、途切れさせるわけにいかない。ーーー略

↓web東奥 ページの「社説」をクリックして下さい
http://www.toonippo.co.jp/


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岩手日報論説

<大震災3年>二極化 「幸いの種」は見えるか

 半世紀をかけた方言研究の原稿がすべて整ったのは、3年前のあの日だった。東日本大震災。高台にあった自宅は無事だったが、肉親や親戚、多くの知人を失った。

 宮古市の元教育委員長坂口忠さん(85)は、一時は出版を諦めた。だが、周囲で頑張っている人たちの姿が背中を押してくれた。震災翌年に刊行にこぎつけた書名は「ことばのおくら」。「宮古方言の蔵」の意味だ。

 全面的に改めた刊行の言葉にこう書いた。「『宮古方言』はあくまで『生きるための言葉』であり…『宮古方言』なくして、宮古の『復興』はない」。懸命に震災を乗り越えようとしている被災地への思いだった。

 きょう11日で東日本大震災から3年。被災地では工事用車両が走り、重機がうなる。防潮堤が再建され、道路が延びる。復興は順調に進んでいるように見える。

 しかし、その陰で3年前から時が止まったままの人も多い。本紙が実施した遺族へのアンケートでは、かけがえのない家族を失った深い悲しみが長く続いていることが分かった。

 それを助長するのは、暮らしをなかなか取り戻せないことだ。ーーー略

↓全文
http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2014/m03/r0311.htm

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さきがけon the wev 秋田のニュース

社説:[大震災3年]進む風化 教訓を将来に引き継げ
 3年前のことを思い起こしてみたい。大津波の被害の甚大さに目を覆い、原発事故の恐怖におののいた。「日本はどうなるのだろうか」。そんな思いまで抱いたのではなかったか。

 東日本大震災発生から3年を迎えたいま、それがどうだろう。被災地の復興は進まず、いまだにあまたの人々が不自由な避難生活を送る。東京電力福島第1原発事故は収束に程遠い。それ以上に気掛かりなのは、経済成長優先、原発再稼働容認など、まるで大震災がなかったような風潮が広がっていることだ。大震災、原発事故の教訓を風化させてはならない。

 大震災では死者・行方不明者は1万8500人を超し、体調悪化などによる震災関連死も約3千人に達する。仮設住宅などに暮らす岩手、宮城、福島3県の避難者はいまだに26万7千人と膨大な数に上る。ーーー略

↓ 全文
http://www.sakigake.jp/p/akita/editorial.jsp?kc=20140311az


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宮城河北新報社

尽きぬ思い、刻む日 東日本大震災3年 各地で遺族ら祈り3月11日

朝早くから慰霊塔を訪れ、手を合わせる人たち=11日午前6時20分、仙台市若林区荒浜地区 東日本大震災の被災地は3度目の「3・11」を迎えた。宮城県内では早朝から、遺族らが慰霊塔や墓前で手を合わせた。あの日、巨大津波が押し寄せ、掛け替えのない家族や友人、平穏な暮らしが奪われた。津波の爪跡が残る被災地は、鎮魂と復興への祈りに包まれた。

 岩手、宮城、福島の各県警によると、3県の10日現在の死者は震災関連死も含めて1万8810人。行方不明者は依然として2631人に上る。各県警や海上保安部は11日朝、沿岸部で行方不明者の大規模な捜索をした。
 仙台市若林区の荒浜地区では早朝、小雪がちらつく中、遺族や友人らが慰霊塔などを訪れた。
 親類と友人を亡くした若林区の会社員高橋健太さん(33)は慰霊塔に線香を手向けた。「3年は早かった。復興は徐々に進みつつあるが、心の整理がまだできていない」と語った。
 11日は、宮城県が条例で定めてから初めての「みやぎ鎮魂の日」。県内では各地に献花所が設けられた。
 県内の沿岸14市町は11日午後、各地で慰霊祭を実施。地震発生の午後2時46分に合わせ、黙とうした。

↓全文
http://www.kahoku.co.jp/#column

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栃木下野新聞 雷鳴抄

風化させてはならぬ 3月11日 05:00

 あの3・11直後、宇都宮市内の企業経営者一家が知人らに声を掛け、独自に被災地救援を始めた。救援先は3県のうち宇都宮市から最も遠い岩手県釜石市。目指したのはボランティアの姿が見えない地域だ▼「マスコミが取り上げた被害地にはボランティアが大勢いるが、私らのところには誰も来ない」と地元住民は嘆いた。ニュースに出ない「救援の孤島」。救援物資は瞬く間に消えたという▼救援活動の第一次報告会。「私たちは5年でも10年でも支援を続ける」と社長は宣言した。本気なのか、と耳を疑った。本気だった▼社長は間もなく自社工場に隣接する荒れ地を借り受け、ボランティアとともに開墾し、40種もの野菜の種をまいた。草むしりや収穫作業に携わったボランティアは延べ4500人。その野菜を積んだワゴン車が被災地に向かった回数は既に81回。今月も出掛ける▼「まだやっているの」と聞かれるたび、社長は震災の風化に胸を痛める。昨年3月、約2700人を数えた震災関連死はこの1年で3千人を超えた。災害公営住宅の建設も遅々として進まない。大震災はまだ進行中なのだ▼わが家の庭で紅梅が三分咲きとなった。近寄ると春の匂いがする。しかし被災者には春3月は忌むべき地獄の季節だろう。私たちと同じ気分で梅の開花を喜ぶのはいつの日か。

↑↓ 全文です
http://www.shimotsuke.co.jp/special/raimei/201403/1530952

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【社説】東京新聞

3・11から3年 死者の声に耳傾けよ 2014年3月11日

 津波の国に住みながら、われわれは、先人の経験を風化させてはいなかったか。大震災の悲しみを忘れず、未来に向けて死者の声に耳を傾けたい。

 故・吉村昭さんの著書「三陸海岸津波」(文春文庫)に、印象に残る一節がある。

 三陸海岸の羅賀(らが)(岩手県田野畑村)での出来事である。

 はるか眼下に海を望む丘の中腹に立つ民家。一八九六年の明治三陸津波を知る当時八十五歳の古老は、家の中に漂流物があふれていた、と振り返った。ーーー略


↓ 全文 是非全文読んで下さい!
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014031102000161.html


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長野日報社

特集 : 大震災から3年 つなぐ思い(下)
更新:2014-3-11 6:01

 宮城県東松島市石巻西高校校長の齋藤幸男さん(60)は、諏訪市など各地から交流事業などに訪れる子どもたちを迎えている。被災当時は同高の教頭だった。学校は1カ月半、地域の避難所となり、校舎一部は遺体安置所に。そこで、避難所を運営する教職員の陣頭指揮を執った。隣接する石巻市で児童や教職員の多くが津波の犠牲となった大川小学校の先生の中には、教え子もいた。

 大震災の経験から、教訓を「命の教育」とし、その視点で現地と各地の、子どもたち同士の交流の大切さを指摘する。子どもたちは、子どもたち同士でこそ高め合い、支え合うと考えているからだ。

 被災地の子どもたちにとって大事なのは、身近な友人には、気遣いもあって自分の体験を話すことができないが、全国から足を運んで来る同年代の児童、生徒たちになら、話すことができるということ。「話すことが、子どもの心に残るとげを、抜いてあげることにつながる」。ーーー略

↓全文
http://www.nagano-np.co.jp/


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石川県北国新聞社説 

違和感を覚えながら読みました(keniti3545)

東日本大震災3年 現実路線で復興の加速を  東日本大震災の発生から丸3年を経て、被災地の復興事業は決してはかばかしくはない。この間、民主党から自民党への政権交代もあり、自治体などに戸惑いもみられたが、安倍政権は昨年後半から、東電福島第1原発事故対応を中心に国の関与を強めている。現実をより重視し、政府主導で復興事業を加速させようという姿勢は妥当であろう。展望のない時間の経過は被災住民の焦りや諦めを生み、自治体の復興計画の妨げにもなっている。「東北再生」を停滞させてはならない。

実際に即した除染指針

 福島県内の昨年の首長選で、現職が相次いで落選した。避難区域などの除染や帰還事業が思うように進まないことへの住民の不満の表れといえる。が、除染については、年間被ばく線量1ミリシーベルト以下という目標値に縛られすぎた面が否めない。この基準値はあくまで長期目標で、事故後の国際標準は1〜20ミリシーベルトが許容範囲である

 このため、政府は昨年末に決めた原発事故復興指針で、1ミリシーベルト以下が長期目標であることを明確にし、被ばく線量の評価法も、空気中の放射線量から推測する「空間線量」から、個人線量計で一人ひとり測る「個人線量」に変更することにした。これらは実際に即した対応で、決して安全をないがしろにするものではあるまいそのことを住民に十分説明し、理解を得たい。福島県伊達市は独自にこの手法で除染作業を進めている

 もう一つの大きな課題である廃棄物中間貯蔵施設の建設も、そろそろ政府の責任で政治決断をしなければならないときである。ーーーー略


↓全文です 随分と温度差を感じますが・・・読み切ってみて下さい
http://www.hokkoku.co.jp/_syasetu/syasetu.htm

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山形新聞社

震災発生から3年、県の取り組みは― 「卒原発」へ動く2014年03月11日 08:03

 東日本大震災東京電力福島第1原発事故を契機とし、県政の運営方針は大きく転換した。「卒原発」を提唱する吉村美栄子知事の指揮の下で▽県内への避難者支援▽防災体制の見直し▽再生可能エネルギーの導入拡大―といった課題に対応してきた県の3年間の取り組みをまとめた。

■避難者受け入れ
 東日本大震災福島第1原発事故の発生後、約2年4カ月にわたり山形県は全国最多の避難者を受け入れてきた。県内の避難者数は2012年1月の1万3797人をピークに減少しているが、依然として6千人近い避難者が滞在している。住宅問題をはじめ継続的な支援の在り方が課題となっている。

 県復興・避難者支援室によると、6日現在の県内避難者数は5982人。震災から2年が経過した昨年は特に7〜9月に1344人が一気に転出するなど顕著な減少傾向がみられ、7月には東京都の受け入れ数が全国最多となった。

 県は被災各県の要請に基づき、借り上げ住宅の入居期限を毎年1年間ずつ延長してきた。避難者が昨年7〜9月に減少した背景には、借り上げ住宅の更新時期が重なったことや経済的な問題、子どもの進学・進級への配慮といった多様な事情があるとみられる。

 現在、県に対し借り上げ住宅から退去するための手続きを始める動きが目立ってきており、同室は「進学などへの配慮から、この春で帰郷を決断する避難者が相当数いるのではないか」としている。

 避難者との意見交換会、避難者を対象にしたアンケートでは先行きが見えない生活に対する不安の声に加えて▽借り上げ住宅の入居期間延長▽住宅の住み替えが可能な措置―といった支援を求める声が相次いだ。1月23日に山形市内で開かれた意見交換会で、吉村知事は「国への要請を続け、安心して避難生活が送れるようサポートしたい」と強調した

↓全文です
http://yamagata-np.jp/news/201403/11/kj_2014031100208.php

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静岡新聞ニュース
天皇陛下、追悼式で「国民が心を一つに
(2014/3/11 15:08)

天皇陛下東日本大震災3周年追悼式で「国民皆が心を一つにしていくことが大切」と、お言葉


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岐阜新聞web ニュース

ニュース特集「東日本大震災」「復興チョコ」大きな善意 下呂市NPO、5万箱販売2014年 3月 7日

被災地や復興支援イベントで販売されている各種「チョコボ」。パッケージにはボランティア活動の写真が使われている=4日、美濃加茂市蜂屋町、KIプロジェクト事務局
 下呂市NPO法人が企画し、売り上げの一部を東日本大震災の復興支援金に充てるチョコレート菓子「チョコボ」の販売総数が6日までに、被災地を中心に5万箱を超えた。同NPOが「これほど売れると思わなかった」とする人気商品で、支援金の総額は約1700万円に達している。

 復興支援に取り組むNPO法人「KIプロジェクト」が、頭打ちの募金に代わる新たな支援金の捻出策として企画。全国から東北を訪れるボランティアの手軽な土産品を目指した。ーーー略


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三重県伊勢新聞 大観小観

▼まったく、奇妙な選挙になったものだ。橋下徹・前大阪市長は出直し選の第一声で「大阪都構想がだめなら選挙で落としてほしい」と言ったそうだ。三年前にその構想ぐるみ橋下氏に一票を投じた七十五万人は、キツネにつままれたような気になったのではないか

▼自ら辞職し、すなわち、市政運営に行き詰まってその職を投げ出したのに、出直し選にまた立候補する。法が想定していないこんな奇策がはやりだしたのはいつからか。任期途中の首長をその座から引きずり下ろす不信任決議や解職請求の制度の役割まで、出直し選に兼ねさせようとしている気がする

▼既成政党が出直し選「ノー」を突きつけた。奇策には奇策で、ということか。選挙をすれば結果は分かっている。そうはさせじと、選挙をボイコットする。どこかの紛争国そっくりのことが民主主義国家、日本で行われようとしている。どんな理由があろうと選挙の価値をおとしめることが、この国の民主主義を前進させることになるのか。選挙結果で社会的存在意義のある政党は考えなければなるまい

▼「選挙をやらないという理由が分からない」と橋下氏。その言葉が真実かどうかは知らぬが「反対なら首を取りにこい」というのはその通りだろう。国政を担う四党がそろってしっぽを丸めている図が情けないが、自身は当落圏外のウォームチェアに座り、挑発を繰り返しているように見えるのが橋下氏の言動を釈然とせぬものにさせている

▼まずはどちらも民主主義の制度を自分の理念のため、あるいは党利党略で、あんまりねじまげないでもらいたい。

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京都新聞 凡語 京の避難生活

 風が強くて、灯を吹き消してしまいそうだ。3・11のかたちに並べた竹筒に、集まった人たちが一つ一つ紙を巻き、風よけを応急補強していく。伏見の向島ニュータウン。火をともすと手のひらで包んだように、柔らかな光になった▼キャンドルナイトは福島からの原発事故避難者でつくる「向島笑顔・つながろう会」が中心になって企画した。3年前は支援される側だった人たちが近所の人たちを結び付ける▼点灯前の集いで、西京区に避難中の鈴木絹江さん(63)が講演した。障害があり、福島で介護事業所を運営する支え手でもあった。素早い避難は称賛されるのに、福島の原発事故では「避難が非難される」との言葉にどきりとした▼福島の野山の美しさと庭に咲くスイセンと、明るい陽光を自慢した鈴木さん。京都で洗濯物を干すと、「しんなりとして少し寂しい」と会場を笑わせた▼福島では、まだ外で干すのをためらう人もいる。それでも京都での避難生活に展望が描けず、不安と葛藤を抱えながら、福島へ帰った人もいる▼いっとき冷たい風から小さな火を守る手立てはあっても、息長く、人を支えるのは難しい。全国から救援物資を届けた頃と違う。歳月とともに、暮らしの個別事情が複雑になっていく。だからこそ対話を。顔の見える関係を。

[京都新聞 2014年03月11日掲載

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神戸新聞2014/3/11 17:04


震災3周年追悼式、政府主催 遺族ら1200人参列
 政府主催の東日本大震災3周年追悼式が11日午後、東京都千代田区国立劇場で開かれ、岩手、宮城、福島の3県の遺族をはじめ安倍晋三首相、天皇、皇后両陛下ら約1200人が参列した。震災が起きた午後2時46分に黙とうし、犠牲者の冥福を祈るとともに復興への努力を誓った。

 被災した3県の遺族代表は亡くなった家族への思いを語り、岩手県の遺族代表の浅沼ミキ子さん(50)は「亡くなった方々の無念さと、遺族の悲しみ、悔しさを未来へと語り伝えていかねばならない」と決意を述べた。


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(keniti3545)

自然災害に立ち向かう勇気原発を使わない勇気を持ち合わせる人間でありたい

下記の文章を読み進むと
 自然災害の恐ろしさ、身の毛もよだつような想定場面だ。しかし現実に限りなく近い想定場面であろう。それでもこの話を聞けば、必死に逃げようとする気持ちが沸き起こる。映画(仮想動画)を見ても自分が必至にもがく姿を思い画くのは、我一人ではないだろう

 この様な惨事は、比較も想像もしたくはないが原発事故の放射能汚染が迫り来る時にいち早く避難用のバスが配車されても我先に乗り込もうというような争いも起きないだろうお年寄りや、子供がが今は動きたくないなどと言ったら、手も脱けんばかりの剣幕でバスへ乗り込ませるような場面も見えないのではないか?
 その瞬間を恐いとは思えないんじゃないか? 私たちは、3年前に少なくてもTV画面などでは生々しい現場を見ているのだけれどその時になったらその「緊迫感」も「恐怖」も実感できないのだろう。 それが一番恐いことなのだ!と、後世にどうやって伝えられるだろうか? いや今の自分がその瞬間に火事場の「バカ.力」が出せるだろうか?答えは「ノー」だろう

 自然災害と原発事故による被災はどんな角度から検証してみても異次元に起きる災害としか思えないどうして我々は、自分達が因を成す災害を防ごうとしないのだろうか? 原発を使わなければ先ず当面の大きなリスクを回避できるんですよ直接の因を一つ消すことから先ず始めるべきではありませんか? (keniti3545)


自然災害に立ち向かう勇気はこんなに力強く感じます。 一方、原発は使う事自体が罪悪なのです!

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東日本大震災から3年 紀南の巨大地震に備えよう

 東日本大震災から3年。3・11という日は、犠牲者の冥福と被災地の復興を祈るとともに、地元の防災について考える日である

 紀南地方には近い将来、南海トラフ巨大地震が発生することが予測され、県内の死者数は最悪8万人と推計されている一方で適切に避難できれば、うち3万人は助かるともいわれている

 連載特集「いつか来る日 仮想南海トラフ巨大地震」では最悪の被害が予想される「冬の深夜」に巨大地震が発生、大津波が襲ってきたと仮定して、県の想定などを基に、起こり得る被災の様子を描いた

 紀伊半島の南端に近い串本町姫には津波が短時間で襲来すると予測され、揺れが収まるのを待って行動したのでは、津波にのみ込まれてしまう心配がある地元の自主防災会長は、大きな揺れがあったらすぐに逃げようと強調した

 白浜町の海辺に近いホテルには地震発生後14分で高さ10メートルの津波が来る。ホテルの支配人は、宿泊客の避難誘導を課題に挙げ、客を安全な場所に導く手順の徹底を図る

 田辺市の消防幹部は火災現場の消火を優先し、火の手が広がる恐れのある現場に署員を向かわせるという

 県の想定で避難者が最大3万7千人に上る田辺市では、避難所の運営が重要な課題。東日本大震災の被災地を支援した市職員の話を基に、避難者が避難所での役割を分担し、率先して活動する姿を描いた

 最大19メートルの津波が想定されるすさみ町では、町役場が津波被害に遭う恐れがあり、災害対策本部の設置や運営が課題になる

 一連の取材を通して、最も想定しにくかったのは被災者の救助シーンだった救助する側に回れる人がほとんどいないのだ

 自治体の長も自主防災組織の長も、まずは自分の命を守ることが先決になる。繰り返し押し寄せる津波は、収まるまでに何時間もかかる浸水地域で救助作業はできない。地震発生から津波が収まるまでどのように命を守るか

 東日本大震災で注目された言葉がヒントになる。「津波てんでんこ」。津波が来たら、各自がてんでばらばらに高台に逃げろという意味だ。自分の命は自分で守れという教えでもある

 まずは住宅の耐震化や家具の固定を進めたい。高台への避難路を確認することも重要家族の安否が確認できるように避難場所や集合場所を決めておくのも大切だ。家族の次は地域との結びつき、近隣住民との助け合いが大事だ

 沿岸部の自治体は近く、南海トラフ巨大地震を想定した津波ハザードマップを各戸に配る。津波の浸水域や浸水深、到達時間などを示している

 これを参考に津波からの防災について考えたい。まずは家庭で話し合い、町内会、企業、自治体と防災の輪を広げて地域の防災力を高めたい防災対策はまちづくりでもある。 (N)

悲しいかな、放射能被害の後にこの様な立ち上がる力は消え失せてしまう、むしり取られてしまうのです!(keniti3545)


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??脱原発と同等の重要性を認めます。此処にあっておかしくないニュースです。

島根県 山陰中央新報論説 :

武器輸出三原則見直し/是非から検討し直すべき

 安倍内閣は、従来の武器輸出三原則に代わる新たな指針を3月下旬にも閣議決定する方針だ。新たな指針案では、事実上、全面的な輸出禁止と解釈されてきたこれまでの三原則を見直し、国際的な平和や安全の維持を妨げることが明らかな場合などを除いて輸出を認める方向だ。

 日本の「国是」ともいえる平和主義からの転換となる。三原則見直しは一刻を争う課題ではない。月内の閣議決定にとらわれず、いま一度、見直すべきか否かから検討し直すべきだ。ーーー略

↓ 全文
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/

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地域ニュース 山陽新聞webニュース
楽天、倉敷で練習前に黙とう 節目の日、星野監督
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*今日の地方紙巡りは、この辺でお積もり。次回、PCの機嫌の良い時にチャレンジします。 はい未だ新しいPCに移行できていません。(keniti3545)


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