「keniti3545」since73:2014.3月13日曇り+3℃「東日本大震災」「311フクシマ」1099日 今日の一題「復興とは?人の扱いは事物と同じではいけない!」
*朝トレ:ーーー思い曇り空、雨になる予報だ。 今日は少々の外回りがある(予定)、何処かにお爺さん散歩ぐらい入るだろうか?
*「東日本大震災」「311フクシマ」1099日
*今日の一題「復興とは?人の扱いは事物と同じではいけない!」
昨12日の東京新聞でも、分析しているが、避難生活者の多いフクシマの被災者、そして「原発関連死と呼ぶべき犠牲者」の数が地震、津波による犠牲者の数を超えたという事実も加わった。その方々の今日に至る避難経路、受け入れ先の状態も整わない時間も長かったための、体力の消耗等も大きく起因するところではあるが、復興のかけ声だけ優先の感強く被災者置き去りの支援策も指摘される面もなきにしもあらずの現状が、かいま見える。
「復興と言う言葉」には全てを包括した「機械的で義務的な冷たい響き」を強く感じる。 「人」も含めた復興と言う言葉はどうしてもわれには受け容れがたい。「人の扱い」は、もっと「人間味のある」言葉と「行為」をもって、携わる行いであるべきだ。
「物、建造物」「自然の事物」の復興を早くと促すのは当然のこと、1日も早い復興が望まれのも当たり前なことだ。この点からしても「人」を「復興」という言葉の中には入れ込むべきではないだろう。「人には心がある」物と一緒の扱いはしてはならない事だろう。誰が死と直面するか解らない局面では、「早く」は第一義的な必要且つ有効手段であろう、しかし其処でもあくまでも命を救うが為の手段としての「早」くだ。
今、この時期だから言えるのは「命がけで」助けた「命に心配りを忘れないで貰いたい」と言うことだ。少なくても相当な修羅場をくぐり抜けた命だ、「先行きの不安を人一倍感じる身の上」、せめて心の通った支援を、東京新聞社説も結びにこう言っている。<生きる希望をつなぐ支援でなければならない> と。
↓
・・・・・・・・・・
【社説】東京新聞2014年3月12日
震災関連死 早い復興こそ最大支援
東日本大震災で被災した人の震災関連死が増え続けている。避難生活や原発事故のダメージが原因で、高齢者や弱者が犠牲になっている。住宅や医療、保健福祉など生活支援を充実すべきだ。
震災関連死は十都県で三千人となった。避難生活者二十七万人のうち十四万人を占める福島は、千六百七十一人と突出し全体の半数以上を占める。地震や津波による死者数千六百三人を超えた。
原発事故という特殊事情による。本紙調査では原発からの避難生活や事故に起因した「原発関連死」は少なくとも六割を占める。この十カ月の認定数は岩手、宮城の合計数の五倍近くに上る。
原発に近い町の高齢者施設では利用者八十八人の四割超に当たる三十六人が震災から一年半余りで亡くなった。原発事故後、利用者は受け入れ先が決まらないまま転々とし、体育館など寒い場所で疲労や心労を重ねた。固く冷たい食べ物や、薬不足などで持病を悪化させ、衰弱していった。
他の病院ではバスに長時間乗せられた高齢患者が、避難所に到着するまでに大勢亡くなった。
自力で体調管理が難しい障害者も無理な避難を重ねて命を落とした。死亡率は健常者に比べて高かったとも指摘される。原発事故さえなければ失われなかった命だ。
震災から三年が過ぎるころ、心の問題はさらに深刻になると、かつての大震災は物語る。
地域コミュニティーから切り離された仮設住宅では孤立して引きこもりがちになり、アルコール依存やうつ、認知症の症状を見せる人が増えている。生活再建は個人の資力によっても差が開く。
深刻なのは震災関連死の認定をめぐり、被災三県で差が出ていることだ。認定されると五百万円を上限に見舞金が支給されるが、申請を却下されるケースが相次ぐ。
認定率の最も高い福島が84%、宮城75%、岩手が最低の57%。死亡が震災から六カ月を超えた場合の認定率は福島38%、岩手12%、宮城4%。時間の壁は、新潟県中越地震後に「六カ月以上たてば関連死でないと推定する」とした長岡基準の影響とみられるが、実態に合わない。
震災を生き延びた人が苦境に追い込まれて亡くなるのは痛ましすぎる。災害住宅の建設を公共事業の何よりも優先し、医師や保健師を増やして健診機会を増やすことも必要だ。「復興優先」がかけ声倒れにならない、生きる希望をつなぐ支援でなければならない。
================
朝一新聞に目を遣ったら飛び込んだのは、今日も東京新聞の記事だった
仕組だ連作?確り今日へ繋いでいました東京新聞 生きる希望を繋ぐ支援とは決して行政の手を待つことだけではない。 昨日の文章にも出て来てる「津波てんでんこ」とは、周りの人をかまうより前に、真っ先に逃げろ。大震災であらためて注目された三陸地方の言い伝え。
なるべく多くの命を救うための苦い歴史が生んだ知恵であるこの心構えのある人達だからこそ、「日ごろ蓄えた共助力が災害弱者の命運」を左右することも実感しているのだ。 下段にコピペ端折りましたが是非全文読んで下さい。(keniti3545)
【社説】東京新聞2014年3月13日
災害弱者の支援 地域の備え抜かりなく
思い返そう。東日本大震災での犠牲者の約六割は六十五歳以上だった。障害者の死亡率は被災住民全体の約二倍に上った。高齢化が進み、災害弱者は増えている。避難の手助けに抜かりはないか。
津波はあっという間に押し寄せてくる。周りの人をかまうより前に、真っ先に逃げろ。
「津波てんでんこ」。大震災であらためて注目された三陸地方の言い伝え。なるべく多くの命を救うための苦い歴史が生んだ知恵である。
しかし他方、この言葉に複雑な思いを抱く人たちがいることもまた忘れるべきではない。自力での避難が難しい障害者や高齢者、妊産婦、乳幼児、外国人といった災害時の要援護者と呼ばれる人たちだ。
津波に限らず、大規模な地震や風水害からの素早い避難をどう手助けするのか。警察や消防、自衛隊などの公助頼みでは明らかに限界がある。大震災の教訓だ。
いざという時に備え、地域ぐるみで避難支援態勢を整えておくことが肝要だ。日ごろ蓄えた共助力が災害弱者の命運を左右する。ーーー後略
↓全文です
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014031302000162.html
===================