「keniti3545」since72:1月27日(日)晴れ−6℃「東日本大震災」「311フクシマ」689日 今日の一題「東電へ・アメリカへ身を挺して訴え」続けます!


*朝トレ:昨夜半は雪、朝は止んでいる5センチの積雪だ。
8時そっと抜け出しmyコースへ、冬場は時に古いUPシューズに履き替える。足跡のない雪道サクサクと、やっぱり雪は靴の中へ入ってくるがさほどの量ではなく気にならない。そりゃ少し冷たいです

朝〜気持ちいい朝〜、我れは病人ではないぞ〜!少し歩を緩めると冷気が衣服を突き通す、寒いと言うより冷たい空気だ。マスクを付けて、歩速を上げて、白い雪「やっぱり体を本気で動かすなら朝なんだな〜未だ当分は無理だろうけど」な〜。正味50分の中頃にはマスクも外した。良い気持ちの朝トレは「中の下」評価カラスも居ないし行き会い人無し。



*「東日本大震災」「311フクシマ」689日



*今日の一題 「東電へ・アメリカへ身を挺して訴え」続けます!

一人ハンストフク一事故風化はさせない!」「御万人(うまんちゅ)大行動オスプレイ許すまじ!」
”決意の大迫力”を感じます。 




「一人」の応援はどうしたら良いのでしょう!

東電本店前 椎茸農家がハンスト 、  原発事故の風化」に抗議2013年1月26日 21:18

人見仁さん。身を切るようなビル風にも 「栃木の寒さはこんなもんじゃない」。後ろは東電を守る警察の輸送車。=26日夕、東電前 写真:田中撮影=田中龍作ブログ

 原発事故の風化」に抗議して栃木県の椎茸農家の男性が今夕から東電前で無期限のハンストに入った

 ハンガーストライキを始めたのは、栃木県那須塩原市で原木椎茸を栽培する人見仁さん(43歳)。

 那須塩原の椎茸は東電福島第一原発の爆発事故により放射能汚染されたため、去年2月から出荷停止となっている。人見さんは毎年原木3,000本に椎茸を着床させて栽培していた

 だが栃木県の原木が汚染されたため、人見さんは椎茸栽培自体が出来なくなった

 「東電と補償交渉すると“農協を通して下さい”“自治体を通して下さい”といった趣旨の回答が返ってくるだけ」。人見さんは無念そうに語る。

 だが人見さんが本当に怒っているのは東電に対してではない。行政に対してでもない。人見さんが憂い怒っているのは原発事故の風化だ。

 原発事故への関心はかつての盛り上がりを欠く。ふるさとに帰れない人が
たくさんいる。自らの命を絶った人も」。
このところのマスコミ報道を見る限り、人見さんの言う通りだ。筆者も後ろめたさを禁じ得なかった。

 「僕の(苛酷な)ハンストを通じて、多くの人々が福島の人たちの苦しみに心を寄せてくれれば…」。人見さんはハンストを決行した理由を明かした。

 人見さんは水分も塩分も摂らないつもりだ。深夜は新橋のビルで体を横たえることもある、という。妻と2人の子供(中学3年、小学5年)と母親(80歳)には「東電前で座り込みをしてくる」とだけ告げて出てきた。

「ハンスト, 出荷停止, 原発事故, 東電, 椎茸, 福島.」


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「御万人大行動」の「ど迫力」
(* 「御万人(うまんちゅ)」 とは「世の中の人々、万人、多くの人々」という意味だ)


平和フォーラム、原水禁マガジン第133号

12月23日のオスプレイ配備撤回! 米兵による凶悪事件糾弾! 

怒りの御万人大行動」(宜野湾市

全国参加者を代表して平和フォーラム事務局長の藤本泰成さんは、 ハワイ州ニューメキシコ州では、市民の反対によってオスプレイを飛ばすことがでない。自分の国では飛ばすことができない危険なものを、なぜ人の国で、沖縄県民の頭の上で飛ばすことができるのか。そんな理不尽があってはならない」と訴えました。

↓ 写真集が大きく少々重いですが迫力あります。(内容説明もどうぞ生の文章を読んで下さい)

http://www.peace-forum.com/mnforce/2012/02katudou/121223okinawa/01.htm


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「プラス1」
東京新聞社説 2013年1月27日


週のはじめに考える  「お伊勢さんと持続可能」

 伊勢神宮の「式年遷宮」の年です正殿などを丸ごと造り替え神さまに引っ越し願う二十年に一度の祭典は、私たちの生き方を見直す機会ともなります。

 人びとから親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれる伊勢神宮。全国の神社の“聖地”とされ、正式な名を「神宮」といいます。

 愛知県春日井市の吉川尚夫さん(73)と、お伊勢さんとの結びつきは、十八年前にさかのぼります。一九九五年一月十八日。阪神大震災が起きた翌日でした

 地元の会合の席で、急に胸が激しく締め付けられ、うずくまってしまった。心筋梗塞でしたが、一命を取り留めました。
 その年から吉川さんの、お伊勢さんへの“お礼参り”が始まったのです。 「おかげさまで」と、一年の無事を報告し、感謝します。毎年、大みそかに家族そろっての参宮を欠かしません。「近くの氏神もだけど、やはり、お伊勢さんにお参りしないことには」と、話してくれました。


古くて、かつ新しい
 先の大みそかは朝六時に自慢の紺色の乗用車で向かい、二時間ほどで着きました。十八年のうちに道路も景色も経済や社会情勢も、めまぐるしく変わりました

 変わらないのは広大な神宮の敷地を覆う森の深緑と、はるか昔の古い様式を保ちながら、それでいて新しさを失うことのない社殿でしょうか。
 人びとには、国土のほぼ真ん中で、文化や食の発達した地だからこそ、伊勢へのお参りと旅は、あこがれだったと考えられます

 北から南から全国の老若男女が伊勢を目指した「おかげ参り」が周期的にはやりました最盛期の文政年間(一八三〇年ごろ)の参詣者は五百万人とも江戸から歩いて十五日はかかったそうです。

 さて、今年で六十二回目となる式年遷宮です。年に千五百もの祭りがある神宮最も重要で、その永続性をも左右する祭りが、二十年に一度の、遷宮なのです

 式年とは「定めの年」という意味。千三百年ほど前、持統天皇の代から続く制度とされます。

 内宮、外宮の社殿をそっくり造り替えて、神さまに東西入れ替えで、お引っ越し願う内宮は、太陽に例えられる天照大神が祭られています。外宮に祭られているのは、米をはじめ衣食住の暮らしをつかさどる豊受大神です。

 神々の服飾品や調度品とされる御装束・神宝もすべて、かつての優れた技術、素材で替えますその数は千六百点余。携わる宮大工や工匠、芸術家らは数え切れないほどの人数に上るでしょう。


そっくり造り替える
 では、なぜ二十年ごとなのか。


 諸説ありますが、今の私たちが置かれた時代状況と重ね合わせると、宮大工などの伝統技術を次代に継承するには二十年周期が適切な区切り、との考え方がとても説得力があるように思われます。

 神が新しい社殿へ遷(うつ)られる、もっとも重要な儀式「遷御の儀」は十月の予定です。お伊勢さんの遷宮は、実に八年前から始まっており、三十二の祭りと行事を重ね、やっと一回果たされるのです。
 書物などに目を通すと、お伊勢さんを訪ねた国内外の人たちの多くが「懐かしさ」を口にしていることがわかります。

 作家のC・W・ニコルさんも二十数年前初めて神宮の森に包まれたとき「生まれる前の感覚になった」と言います。英国ウェールズ生まれですが、ケルト人の血が流れています。宗教は土着信仰のドルイド教です。 「森とか水とか太陽とか、先祖とかの中に神を知覚していた」

 自然との共生こそが神宮の、そして遷宮の基本的姿勢でしょう。 「だから受け入れられる。それが何世代も延々と続く例はそうはない」と、ニコルさんは話します

 社殿は、ヒノキの白木造りで屋根もかやぶきと、いたって簡素な造り。いわば古代のお米の倉の形で、南方に多い高床式です

 内宮、外宮の古い柱は宇治橋の鳥居となり、さらに二十年後には「桑名の七里の渡し」の鳥居に生かされるなど、用材は可能な限り再利用されます。全国の神社などからも引く手あまたです。

 成熟した私たちの社会。別の面から見れば低成長や閉塞(へいそく)感に悩む社会ともいえます次代に、たすきが渡しにくい社会です東日本大震災も手ひどい契機となり私たちは日本人としての生き方、ありようを問い直し始めています。

繰り返す生命の循環
 そんなとき、二十年ごとに繰り返される遷宮から、開けるべき扉の鍵が浮かび上がってくる

 それは、繰り返し、つまり「循環」の大切さであり、循環による「再生」ですその鍵で開ければ社会、経済、環境や、人間自身の「持続可能性」が見えてくるともいえるのではないでしょうか。


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◎.我れも思います。後世になって、「(2013)平成25年」あの年が物を大切に・省エネ・節約 「エネルギーを含めた全ての資源の循環再生」・「持続可能な社会」を目指す元年だった。と言える年にしたいと思います。 これまではそんな世界を目指す時期がいつか来るのだろうな〜。と、

漠然とは思ってきましたが、東北大震災「311フクシマ」の被災者を日本の国民が暖かく包み込み、 「理不尽な処遇には目を光らせて」いくこと。と共に、胆に命じることは、この「自然の驚異」とやってはならない「人的な大きな過ち」の二重苦を決して風化させることのないように先人達の「生活の知恵」を「最大限に活かす取り組み」をしていかなければ成らない時だと思います。 (keniti3545)


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