「72才の日記ー14」4月30日(月)曇り11℃「東日本大震災」417日

*朝トレ:6時40分〜7時40分

曇り11℃、今日はようやっと、走が入ったメニューの復活。

 筋肉の緊張も感じた、雨休みも入れると一週間以上の「走ブランクメニュー」だったろうか。側から見ていれば、我れの「走無し朝トレ等は」お爺さん散歩にしか見えないだろう。ん、これ拘るんですよね、我れは未だ「散歩族のお爺さん」じゃないんだよと。 

 じゃ、「何族のお爺ちゃんなの」? 「意地悪質問は昂佑か?友麻か」? 今日は少々息も上がってテロップも回り出しそうな気配。だが、B下クラスメニューの完了だ。遠目、「神山さん体を折ってお早うのご挨拶」ジャッキーの姿もある。お早うございま〜す!でした。



*「東日本大震災」417日

今日の一題 「どうしても原子力か・それでも原発


【2012年4月30日 東京新聞社説】

 週のはじめに考える それでも原子力 


 どうしても原子力か、という問いがかつて発せられていました。ある物理学者の問いです。今もなお、それでも原子力か、とやはり問わねばなりません。

 手元に一冊の本がある。


 武谷三男(たけたにみつお)編「原子力発電」(岩波新書)で、一九七六(昭和五十一)年第一刷発行。日本の商業用原子炉が本格稼働し始めたころで、経済的な軽水炉時代の幕開けといわれたものです。

 編者の武谷は福岡県出身、京大物理学科卒の一物理学者です。素粒子モデルで世界的に知られる坂田昌一らと研究し、それと同時にビキニ水爆死の灰事件や原子力について発言してきました。


物理学者武谷の警告

 本を開くと、被爆国日本の物理学者が研究に誇りをもちつつも、いかに悩んできたのかがわかります。武谷は広島で被爆者への聞き取りを重ねています。科学の現実を知ろうとする学者なのです。

 本は原子炉の仕組みに始まり、続けて、その無数の配管が高温高圧の蒸気に耐えられず肉厚が薄くなることや、腐食、疲労の危険性を指摘します。

 人間のミスも取り上げている。例えば試運転中の玄海原発1号機で放射能レベルが上がった。調べたら、炉内に鋼鉄製巻き尺の置き忘れがあり、それが蒸気発生器の細管を傷付けていた。だがそれはむしろ幸運な方で、もし炉心側に飛び込んでいたら大事故になっただろう、と述べている。

 人間の不注意を責めているのではありません。原発ではささいなミスがとんでもない惨事に結びつきかねないと言っているのです。

 原発の立地集中化についても当時から心配していました。日本では人口密度が高く適地がなかなか見つからない。とはいえ、日本ほどの集中例は少なく、地域住民にとってこれほどひどいことはない、とも述べています。

昔も今も変わらない

 さらに大物の学者が原子力推進計画に乗って、政府から多額の研究費を得ようとしたという、学者の弱みも明かしています。

 四十年近くも前の、今と何と似ていることでしょう。何だ変わっていないじゃないかというのが大方の実感ではないでしょうか。

 それらを列挙したうえで、武谷は「どうしても原子力か」という力を込めた問いを発しています。

 彼はノーベル賞物理学者朝永振一郎らとともに、公開・民主・自主の三原則を原発の条件としています。 公開とは地元住民らによく分かる説明をすること。民主とは原発に懐疑的な学者を審査に参加させること。自主はアメリカ主導でなく日本の自主開発であることです。それらの不十分さは福島の事故前はもちろん、事故後の今ですらそう思わざるをえないことが残念ながら多いのです。


 加えて今は地震の知見が増えました。危険性は明らかです。

 本は二十刷をこえています。しずかに、しかしよく読み継がれてきたというところでしょうか。

 ではその長い年月の間、日本はどう変わってきたのか。世界を驚かせるほどの経済成長を遂げたけれど、中身はどうだったか。


 欧州では、持続可能性という新しい概念が提出されました。資源と消費の均衡、また環境という新しい価値に目を向けたのです。大きな工場は暮らしを豊かにしたけれど、排出する汚染物質は酸性雨となり、森を枯らし、川の魚を死なせたのです。


 放射能の恐怖もありました。東西冷戦で核搭載型ミサイルが配備され、チェルノブイリ原発のちりは現実に降ってきたのです。


 欧州人同様、私たち日本人ももちろん考えてきました。  (??!)

 水俣病をはじめとする公害は国民的自省を求めました。しかし原子力について、私たちは過去あまりにも楽観的で(欧州もまた同様でしたが)警戒心を欠いてきました。放射能汚染はただの公害ではなくて大地を死なせ、人には長い健康不安を与えるのです

 原子力の研究はもちろん必要です。医療やアイソトープ、核物質の扱い方は核廃棄物処理でも必要な知識です。 その半面、核物質が大量に放出されれば、人類を永続的に脅かすのです。

核を制御できるのか

 だからこそ 「どうしても原子力か」 という問いの重さを考え直したいのです。物理学者らには原爆をつくってしまったという倫理的罪悪感があるでしょう。人類が果たして 「核をよく統御、制御できるのか」 という問いもあります。

 被爆国であり技術立国である日本は、その問いにしっかりと答えるべきです。大きく言えば人類の未来にかかわることなのです。新エネルギー開発や暮らしの見直しは、実は歴史を書き換えるような大事業なのです。そういう重大な岐路に私たちはいるのです。

◎.自分達が被害者として被爆の恐ろしさを広島・長崎で体験、その後も今度は「チェルノブイリ」の原発事故、スリーマイル島でも、これらの原発事故を(対岸の火事とは見てなかったのでしょうが)目にしながらも原子力神話にたぶらかされて自国の原発事故など夢想だにもしなかった。 (keniti3545)

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↑過去からの伝承にこんな苦い経験を持ちながら同じ過ちを繰り返し犯そうとする日本なのか?

(keniti3545)

↓「311フクシマ」に立ち会った私たちが、この恐ろしさを再度「認識し直して」でも再稼働は止めなければ」!!

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◎.起こしてしまった「311フクシマ」  これはもう疑う余地もない加害者日本人全てが世界に向けての加害者なのだ既に、死の灰放射性物質は)は遠く「ハワイ」にも「カリフォルニア」さへ届いているという。 事実認識を新にして、政府はバクチを打つような施策は止めにしましょう。 「脱原発は国民のコンセンサス」 素直に受け止めて下さい! (keniti3545)

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「プラス1」 

「再稼働による 『悪魔の連鎖』」!   「本当の怖さ」!! 


Shuueiのメモ
[連載2] ■2号機格納容器破壊 ■4号機の幸運 ■いつも幸運とは限らない


■2号機格納容器破壊

 原子炉圧力容器底部が損傷し、さらに2号機内部では断続的に入る消防用水が高温になった燃料に降りかかり、瞬間的に水が蒸発して「水蒸気爆発」状態になる。圧力容器はその程度の圧力変化にはびくともしないが、逃がし弁開放によって圧力は地下にあるサプレッションチェンバに放出された。この圧力の伝播がサプレッションチェンバまたはそれにつながる配管部分を破壊したと思われる。

 このため2号機内部は全く人が立ち入れない高濃度汚染に晒され、建屋からの撤退を余儀なくされた。格納容器内部は毎時73シーベルト(ミリでは無い!)などという、即死しそうな(JCOで亡くなった作業員の被曝量は7〜10シーベルト放射線が飛び交い、電子機器も役に立たない。もちろんロボットも破壊される高線量地域になってしまった。その状態は1年以上経った今も変わっていない


 そのため2号機については見かけ上破壊は4基の中で最も小さそうに見えて、最も放射能汚染のひどい原子炉になってしまった

 水の投入が十分出来ていれば、少なくても2号機を破壊することは止められた。


■4号機の幸運

 4号機では時を同じくして使用済燃料プール中の1535体の燃料に危機が訪れていた。

 原子炉内の燃料も取り出していたため(槌田敦氏は「燃料体は炉心にあった」という別論を立てているが、ここでは東電シナリオ通りに考える)使用済燃料プールとしては通常の1.5倍もの大量の燃料体が保管されていた。このプールには運転中は480トンほどの水が入っている。しかしこのときは、燃料プールとは原子炉を挟んで反対側にある「機器仮置きプール」にも水が張られていた。また、原子炉は圧力容器の蓋が外されており、その中には水が最上部まで入れられていた。圧力容器よりもさらに上に位置する部分を「原子炉ウエル」と呼ぶ。

 実は、この原発は老朽化してひび割れが発生していたシュラウドの交換工事を行っていたため、放射線防護の目的で通常よりも高い水位まで水が張られていた。この状態で水中溶接機を使って圧力容器の内側にある「シュラウド」と呼ばれるステンレス製内釜の部分を切り出す工事をする予定だった。

 3.11時点では、予定通りならば切断作業が終わり次の工程のために水が通常水位まで抜かれていたはずだった。しかし切断装置のアームの長さを間違えてしまい、作業に4日の遅れが発生しており、まだ原子炉ウエル内には水が張られたままだったという。

 さらにずさんなことに、燃料プールと原子炉圧力容器の間に存在していた止水用のゲートに隙間が生じ、ここから水が漏れ出す状態になっていた。原子炉ウエルと燃料プールの水位が同じならば漏えいは起こらないが、相対的に水位が変動した場合、低いところに高いところから流れ出す状態になっていたわけだ。

 それだけではない。原子炉ウエルとともに普段は水が無い「機器仮置きピット」にも水が張られており、圧力容器内から取り出された蒸気乾燥器と汽水分離器が置かれていた。これらは放射能を帯びるため、遮蔽のため水中に保管される。機器仮置きピットは定期検査中のみ水を張っている。


 都合、普段よりも1000トンを超える水が使用済燃料プールの脇に存在していた

 作業工程の遅れが3.11に、このような状態を作り出していた。

 さらに、止水板の緩みは発生原因も分かっていないが、作業ミスによるのだったら、最悪を回避した「幸運の」作業ミスだったことになる。

 通常、止水板は使用済燃料プールからウエル側に漏れ出すのを止めるためにある。今回は使用済燃料プール中の1535体の燃料が冷却不能となり、その結果プールが沸騰状態になってプール側の水位が低下した。水圧はウエル側からプール側に掛かった。そのような圧力は想定されていなかったために外れたのかもしれない。であれば、 設計強度不足 が招いた幸運だったと言うことになる。

 本来は水が落とされていたはずの圧力容器が満水状態だったため、結果的に使用済燃料プールへの「給水」が、漏水という形で確保された。通常の作業工程で進み、圧力容器内が通常水位まで下がっていたら、あるいは止水ゲートがゆるんでいなかったとしたら、その時には冷却水が蒸発して無くなってしまい、格納容器の外で燃料溶融が始まっていたことになる。


 そのデッドラインは6日後。まさしく「悪魔の連鎖の」 「回避は偶然のなせる業」だった。

 そんなずさんな状態であることを知る術のない米国NRC(原子力規制委員会)は、冷却水の投入が出来なくなった使用済燃料プール中の1535体の燃料が溶け出す時間を割り出し、その前に十分余裕を持って避難できるようにするために、「80キロ圏内米国民全員退避」を指示していた。

 愚かな一部の米国議員は「大げさすぎる」あるいは「しなくても良い避難指示」などと政権を批判するが、お門違いだ。偶然が重ならなければ6日後には悪魔の連鎖が80キロ県を超えて放射能汚染をもたらしていた。

 最終的には原子力委員会の近藤俊輔委員長が3月25日に首相に報告した「不測事態シナリオの素描」と題する文書にあるとおり、東京すら超えて250キロ先まで避難をしなければならない事態となった。この影響下には3000万人の人口がいる。いったいこれだけの人間をどうやって避難させるというのだろうか。大混乱になっただろう。ならば、米国政府としてはそれ以前に自国民を比較的混乱の少ない80キロ圏外に一端出すと考えるのは実に利にかなった考え方だった。


■いつも幸運とは限らない

 原発再起動」 を主張する野田首相や地元の町長などに聞きたいが、幸運がいつも続くわけが無いし、そんな幸運を期待して原発を動かし続けるつもりなのだろうか。

 原発がひとたび炉心溶融事故を起こせば、周辺の原子炉を巻き添えにすることは、先の近藤レポートで明らかだ。例えば大飯原発には4基の原子炉がある。そのうちの1基が炉心損傷を起こせば同一敷地内の3基も対処不能となる。時間と共に原子炉の冷却は不可能になり、およそ一週間で炉心損傷に至るだろう。 4基がメルトダウンする事態になれば、そこから放出される放射能は風下地帯に壊滅的影響を与えるが、特に問題となるのは高浜原発だ。十五キロしか離れていない高浜原発は、大飯原発からの放射能の直撃を受ければ運転員も作業員も死に至る被曝を余儀なくされる。残れば全員死亡、撤退すれば高浜4基のメルトダウンという事態になる。

 実は福島第二原発が、その状況に直面していた。距離わずか10キロで福島第一の放射能が降り注ぐ中、賢明に収束作業を行っていたが、実際には避難区域の中に取り残されており、外部からの支援にも支障を来し始めていた。応援要員の派遣さえままならない。もし4号機のプールがメルトダウンし始めていたら、残るか撤退するかを巡って大変なことになっていただろう。残れば死を意味するからだ

(★つづく★ 次日)


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◎. 原発を今再稼働すれば、直ぐにも「第2、第3、の「311フクシマ」が起きるのは誰も否定出来ません。 (keniti3534)