「71才の365日」1月9日(月)晴れ−7.5℃「東日本大震災」305日

*朝トレ:7時20分〜8時20分
玄関出、−7.5℃”ちょっといけそうな体感だ”。堰堤上がってフィールドの歩行音「サクサク」少々の湿気ありか枯れ芝に「微細な氷針」見てもきれいだ。昨朝は、コース時間友に変更、メニューにも「走」入らずだった。

反動か、強歩7本目の途中から体が前のめりに走り出した、下半身方がこらえ性ありか。走が23本を数えて1時間を経過、メニュー終了。絶好調だが反省一点、準備運動不足にはならぬよう上半身を諫めよう。強歩7本走24本距離:4.8km
久々にAクラスメニュー完。

走途中、神山さんジャッキー元旦からこっち福島でセシュームの線量が高いそうですよと情報入れると、明日測定してみます、と、あれれ、我も3日の火曜日は役所お休み線量計貸し出し受けるのが明日です。ま、何人計って見ても良いでしょうから。 3分以上の立ち話は出来ません寒くて(?)。帰路行き会い人無し。





*「東日本大震災」305日


今日の一題 原発立地の町長怒った」!

「国民と思っていますか」 双葉町長 首相に怒り 2012年1月9日(東京新聞

 福島市で開かれた原子力災害からの福島復興再生協議会」で八日東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町の井戸川克隆町長は「私たち双葉郡民を日本国民と思っていますか。法の下に平等ですか。憲法で守られていますか」と野田佳彦首相に問い詰めたことを明らかにした。
 終了後、井戸川町長が記者団に語った。首相は「大事な国民である」と答えたという。

 町長は発言について、事故後、双葉町が多くの問題を抱えたままとした上で「あるのは放射能だけ。平等になっていない」と述べた。

 この日、首相が協力を要請した双葉郡内への中間貯蔵施設については「いろんな問題が解決されないのに一方的に話が進むのは納得できない」とあらためて設置反対の意思を示した。



◎「法の下に平等ですか」?!
双葉町長が、町民を代表して叫びたい気持ち痛いほど解ります! 生活していく条件、衣・食・住すべてを奪われ、更には人格さえをねじ曲げられそうな仕打ちだ。自分達には何の非も無いのに、「神事」であり子供達の楽しいイベントでもある ”どんど”焼きの中止 ←→ 放射性物質の飛散の恐れ←誰の責任だ!→ 少なくとも、双葉町町民の責任ではない!

今度は、「放射性物質含む廃棄物の中間貯蔵施設を作らせて欲しいとの要請」原発立地の「恩恵にあずかってきたのだから真っ先に」と言わんばかりの押しつけ姿勢。他市町村が反対するように、恐い物は恐いのだから反対する権利はあるはずだ。当然、同じテーブルに載せた上で議論すべき問題でしょう。 (keniti3545)




「プラス1」
成人の日に考える 前へ、明日へ、未来へ 2012年1月9日

 時代が二つに分かたれました。震災前と震災後。新成人の皆さんは、震災後の希望を担う初めての大人たち。だから、特別におめでとうございます。

 「実感がわきません」。福島県いわき市の避難先のアパートで先々月、二十歳の誕生日を祝うことになってしまった長峰真実さんの本音です。

 自宅は福島第一原発にほど近い浪江町の請戸地区。潮騒の音に親しみ、七キロ先にそびえる原発の夜の明かりを「きれい」と思ったこともありました。

◆振り袖に思いを託し
 その海があの日突然荒れ狂い、集落が丸ごと流されてしまうとは。放射能という見えない壁が、生まれ育ったまちの風景や、お世話になった親しい人を、こんなにも厳しく隔ててしまうとは。

 勤め先のコンビニエンスストアから同僚の車で逃れ、翌日、高台の避難所でようやく両親や弟たちに会えたときのことを思うと、今でも涙が止まりません。

 被災後、二本松市の体育館で二十日間、新潟県南魚沼市の旅館で四カ月近くを過ごし、いわき市の借り上げ住宅に移ったのが七月末。帰る土地があるのに帰れない。体の中で余震が続いているように、なかなか心が定まりません。

 そんな真実さんが先月、成人式の振り袖をインターネットで予約しました。赤地の裾に花を散らした古典柄。浪江町役場の仮庁舎がある二本松市で、昨日、ふるさとの成人式が開かれました。ちりぢりになった旧友たちと、あらためて無事を喜び合いました。再会のための晴れ着です。

 大人になって何をすべきか、自分に何ができるのか、未来はかすんで見えません。でも震災の次の年、この新しい年に成人の日を迎えることが、何やら特別な巡り合わせに思えてなりません。真実さんは、決めました。

 「成人の日を区切りにし、一歩、前に踏み出します」

 自動車の運転免許を取得して、就活を始めよう。幼いころの夢だったパティシエにも挑んでみよう。今日は、自分のための自分の中の区切りの日。自分に向き合い、自分で何かを決めてみる。成人の日とは本来、そういうものなのかもしれません。

 失った大きな家は十年前、建築業三代目の父、勝さん(53)が自ら手がけた家でした。

 「それなら、おれももう一度、もっとすごい家を建ててやる」

 家族にとっても、特別な日になりそうですが。

◆自分自身が動かねば
 宮城県気仙沼市の佐々木志保さんは、五月に二十歳になりました。震災後洋菓子店を解雇され、七月から気仙沼復興協会の福祉部に勤めています。

 市内の仮設住宅を巡回し、炊き出しの手伝いをしたり、お茶会を開いて住人とコミュニケーションをとるのが仕事です。

 「震災があって二十歳になるのと、なくて二十歳になるのとでは、大人としての自覚がまったく違っていたはずです」と、志保さんは考えます。

 志保さんも被災者です。しかし、家も家族も無事でした。はじめは恐る恐る仮設住宅の扉をたたき、住人と言葉を交わし、打ち解け、やがて「ありがとう」の言葉を聞くようになり、志保さんは自分が少しずつ、大人になっていくように感じています。

 志保さんは今、「自分自身が動かなければ、結局何も変わらない。がれきの山も片づかない。でも動けば動いた分だけ、まちは変わる。良くなっていく」と信じています。

 今この国の冬空を、もしかすると、被災地のそれより、もっと大きな閉塞(へいそく)感が覆っています。

 新成人の皆さん。経済の力におぼれ、科学の威力を過信して、ふるさとの森を枯らし、川や海を荒らしてきたのは、皆さんではありません。

 地震列島を原発だらけにした揚げ句、爆発事故を起こさせたのも、雇用と保障を奪っていくのも、一千兆円にも届く途方もない借金をこしらえたのも、皆さんではありません。私たちはその責任から逃れるつもりはありません。

 それでも、時代を変える力を持つのは常に若い人たちです。老いた常識よりはるかに強く、新しい海へ乗り出す新しい船を、操ることができる人たちです。

◆新しい春への足跡を
 雪に埋もれた桜の中で、新しい春が育ち始めているように、小さくていい、維新とか、大転換でなくていい、今日から一歩前へ出よう。自分の力で大人になろう。自分を大人にしていこう。

 新成人、前へ。若い世代よ、前へ。被災地もそうでないまちも、それぞれ一歩ずつ前へ。私たちも、負けずに前へ踏み出します。(東京新聞社説)



◎総理が盛んに言いますが、次世代に負の遺産を残さないように。これは本当に大切なこと、しかし今のドジョウさんは、苦し紛れにこの語句を引用・乱発してるだけ、やろうとする本音は「自分の予算の足らず枚に付け焼き刃的ばらまきを企んでの消費税値上げ」、これでは式を挙げた新成人に足下見られるだけですよ! (keniti3545)