e「keniti3545」since74 小さな窓:2015.01月13日曇り-7℃「東日本大震災」「311フクシマ」1405日 今日の一題「どうする・原発!」

*「東日本大震災」「311フクシマ」1405日

 データ 「グループ1」

先ず前回「01月05日」の測定値を示す

東:0.12 0.12μSv/h 西:0.14 0.12μSv/h 南:0.61 0.56μSv/h 北:0.12 0.12μSv/h

M :0.61 0.57μSv/h


全体のMaxは0.61μSv/h

   5点の総平均値=0.24μSv/h




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本日「01月13日」の測定値

東:0.14 0.12μSv/h 西:0.16 0.14μSv/h 南:0.54 0.37μSv/h 北:0.13 0.12μSv/h

M :0.66 0.66μSv/h


全体のMaxは0.66μSv/h


   5点の総平均値=0.23μSv/h


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 データ 「グループ2」 <児童公園の測定 「5点」:各定点の平均値>   


 各定点 6回測定の平均 単位はμsv/h (01月/03日 火曜日)  


東辺:公園内、外周東辺 楓根元 0.13  

南辺:公園内、外周西辺 楓根元 0.68(maxは0.94μSv/h)

西辺:公園内、外周西辺 樹木根元 0.24

北辺:公園内、外周北辺 樹木根元 0.12

E :児童公園(グランド中央部) 0.11


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 データ 「グループ 2」

先ず前週01月05日の測定値を示す

東:0.23 0.18μSv/h 西:0.34 0.32μSv/h 南:0.77 0.66μsv/h 北:0.13 0.13μsv/h

中央:0.14 0.13μsv/h


全体のMaxは0.77μSv/h


  5点の総平均値=0.25μSv/h



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 本日01月13日の測定値

東:0.25 0.14μSv/h 西:0.32 0.25μSv/h 南:0.94 0.88μsv/h 北:0.19 0.14μsv/h

中央:0.14 0.12μsv/h


全体のMaxは0.94μSv/h


  5点の総平均値=0.26μSv/h

◎.勿論、まだまだ一喜一憂出来る段階にないが、今日は0.08μSv/hというデータが五個も出た。しかし、この行政貸し出しの線量計取説には「0.01μSv/h」まで測定可能とありと言う事なのでまだまだ、ま〜だです「311」以前の関東地方空間線量は「0.03μSv/h」以下だったと言う事みんな知ってますもんね〜! ところで「出典、出所由緒正しきデータ」で有りながら、なかなか我々には探しにくいものを提示してくれていたブログ 「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」さんのブログが削除(?)されてしまったらしいです?! 今日は、そこで紹介のあったデータを写させてもらいましたが転写できるかここえも遣ってみましたが×でした。(出典は、文部科学省)ですので後で挑戦してみます。(keniti3545)




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*今日の一題「どうする・原発 311福島の事故責任を問い質す」が先だろう! 

    風化の話は100年早い政府のプロパガンダに乗せられるな!


原発撤退が相次ぐアメリカ なぜ簡単に原発からの撤退を決められるのか

ニュースの教科書 | 執筆者: ニュースの教科書編集部

投稿日: 2013年08月29日 12時48分 JST 更新: 2013年08月29日 18時57分 JST


コスト高から原発撤退が相次ぐ米国。簡単に原発からの撤退を決められるのはナゼ?
米国で原子力発電からの撤退が相次いでいる理由は安全性への懸念ではなくコストシェールガス革命の影響で原発の発電コストの高さが際立つようになってきた。また米国は日本と異なり、核燃料サイクルを構築しないシンプルなワンスルー方式を採用している放射性廃棄物の再処理問題がなく、原子力産業が身軽という点も大きく影響している。また電力が自由化されており、電力会社が地域独占ではない点も、意思決定のスピードを速くしている

米電力会社エンタジーは8月27日バーモント州のヤンキー原発を閉鎖すると発表した。閉鎖の理由は原発の発電コスト。

米国では安価なシェールガスの開発が進んでおり、近い将来エネルギーのほとんどを国内の石油や天然ガスで賄うことが可能とみられている。米国ではエネルギー価格の下落が進んでおり、試算方法にもよるが原発のコストは天然ガスの2倍近くにもなっている

今年に入って米国ではヤンキー原発以外にも3つの原発が閉鎖を決定している。7月には米国の原子力発電事業に進出していたフランス電力公社が、原発の採算が合わなくなっていることを理由に米国市場からの撤退を決めた

米国の電力会社がコストが高くなったからといって容易に原発から撤退できるのは、米国がワンスルー方式と呼ばれるシンプルな原子力政策を採用している点が大きい

日本やフランスは原発の使用済み燃料を再処理し、その中からプルトニウムを抽出、再度原発で燃料として使用する「核燃料サイクル」の構築を目指している。このため、核燃料の再処理工場や高速増殖炉など、様々な付帯設備を開発する必要がある

だがプルトニウムの取り扱いや高速増殖炉の運転には危険が伴うため商業ベースに乗せるためには相当の技術開発を重ねる必要がある現在、日本では青森県六ヶ所村に再処理施設を建設中だが相次ぐトラブルで操業開始が延期となっているほか、高速増殖炉もんじゅは運転を停止したままとなっている。再処理後に出てくる高レベル放射性廃棄物の最終処分場もまだ決まっていない

これらの開発には何兆円もの国費が投入されており、簡単には撤退できない状況に追い込まれている。日本の原子力業界が何としても再稼働を急ぎたい背景にはこのような事情もある

一方、米国はウランを原子炉で燃やした後は再処理せず、そのまま廃棄するワンスルー方式を採用している危険な核燃料サイクル施設を建設する必要がなく、コストも安い。原発からの撤退は、単純に発電所の採算だけを考えればよいため、意思決定が容易だ

米国における原子力開発に対する考え方はシンプルだ。核戦略上、原子力開発そのものは必須と考えておりこの分野からの撤退はまったく考えていないだが商用ベースの発電所については、民間ベースで純粋に経済合理性だけで判断すればよいというものである

だが日本の場合、原子力開発については、建前上、核開発の技術蓄積のためとは公言できない事情があったこのためあくまで商業用原発を普及させることが主目的とされたさらに原子力開発が推進された当時、エネルギーのほとんどを石油の輸入に依存していることについて、かなりの危機感があった。このため何が何でも核燃料サイクルを確立しなければならないという雰囲気が強く、米国ようなシンプルな方式はあまり検討されなかった

原発問題には安全保障(核戦略エネルギー自給、コスト、危険性という4つのファクターが存在しており、その他の発電技術とは大きく異なっている原子力開発の是非について議論するためには、この4つのファクターのどれも欠かすことはできない。日本の原子力開発が迷走しているのは、この4つについて真正面から議論してこなかったツケといえるだろう

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(keniti3545)
◎.今更隠し仰せる事ではなかろう! 知らない人などいないだろう! 原発存続のの最大の狙いは何時でも「核兵器の作れる体制を維持する」事にあるんですよね! 日米安全保障条約なんてとんでもない取り決めを未だ踏襲している日本は戦後70年の節目と言いながら自国の空をアメリカの軍用機が何の制約も無し(?)に飛び回れる占領地のままなんですよね?

 (誰に問いかけているのか自分でもよく分かりませんがあとの3つのファクターなど 言い訳・お体裁用の、「お供え」でしかありませんね。エネルギーの自給ー どこが自給?燃料のウランは、他の化石燃料と同じくよその国から買うんですよ。 コスト、石炭や油に比べてもやすくなんかありません、使用済み燃料の処理費などをシビアに計算すればとんでもない額になるのは我々素人にも察しが付きます。 危険性に関しては対費用の「金目」では計る事の出来ないリスクは未だ数値に表せないところでしょう


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(keniti3545)
* 問題は、ここからだ「不純な思考が錯綜した原発誘致の動機・手を抜いた安全施策とムラ神話の流布」 結果は出ている! 政策の誤りと言わざるを得ないだろうしかし政治はここまでではない。「ここからどうするかが最重要課題」だ。いつまでもほおかぶりしてるだけでは世界のエネルギー対策の本流に乗り遅れる。そして、この件に関する「ここからの政策」は単にエネルギーに限ることなく、「国の将来を大きく左右する事は必至」だ環境問題、国の安全、国民の安全と健康、と、原発の稼働は国民の生活権の全てに亘り「(核燃料)物質の利用に対するリスク」と言うよりは“リスクそのものの存在”でしかない。 政治家の「個としての理念」と「数の力学への対応能力」に少なからずの疑念と大きな失望を感じます。(keniti3545) 

“未だこの言葉がまかり通る世の中”?   <数の論理(かずのろんり)とは、政治用語の一つで少数派との対話を重視せず、意見の集約を行わないまま単純な多数決で結論を導こうとする姿勢であるとされる田中角栄の言葉「政治は数であり、数は力、力は金だ」に由来する>wikiより))



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(日刊スポーツのインタビュー記事 1月3日 書き写し keniti3545)

原発事故風化許されないから取り組んだ 倉本聰氏新舞台

 脚本家倉本聰氏(80歳)が作・演出する舞台「夜想曲ノクターン」が10日の北海道・富良野を皮切りに、東京(2月4〜8日、新国立劇場)などで全国公演を行う。福島原発事故の問題に真っ正面から取り組んだ作品で「風化は許されない」と言葉に力を込めた


福島の反応が一番怖い

<100万人を感動させても、一人を傷つけたら作品は発表しちゃいけませんから


10日から全国公演

 「激しい怒り、悲しみ」

倉本氏は嘆く

「震災後の日本は、ますます奇妙な国になった。震災の被害に全ての日本人が心を痛め、『自分に何かできる事はないか』と立ち上がった。しかし世界を震撼させた原発事故に対しては当事国である日本で早くも風化の様相を見せている。こんなに早く、こんなにももろく風化している事に、激しい怒り、悲しみ、いらだちを感じます」

'11年3月11日の震災以降、何度も被災地に足を運び、福島第一原発にも入った。

'12年に閉塾した『富良野塾』の元塾生の何人かが被災した。彼らの悲しみが重なった場所を、自分の目で確かめないわけにはいかなかった。原発では汚染水のタンクが並ぶ光景は異様だった。元塾生も一人働いているけれど、原発の中には15分しか入れない。過酷な労働環境だった」

 講演会で「70年代の生活に戻れば、電気使用量は2/5で済み、原発は必要なくなる。生活は不便になるが、原発があるのとないのとどちらを選ぶか」と質問した事がある。1階席は一般人で、2階席は高校生の団体、1階の大半が昔に戻る方に手を挙げたが、高校生の7割が原発存続に手を挙げた

 「便利な暮らししか知らない若い人には、携帯電話もコンビニもない生活など想像できないのでしょう。仕方のない事かも知れない。ただ、便利さを求め続けた事の代償が大きい事に気づかなければいけない。インターネットやメールは便利だけれど、コミュニケーション能力を奪い、家族のつながりを希薄なものに変えた」

 今月10日、富良野演劇工場で幕を開ける「夜想曲」の舞台は、原発事故避難区域にある彫刻家のアトリエ。登場人物は福島の取材で得たエピソードをもとに作り上げた。1人は新聞記者だった

 新聞記者中年の男

「その記者は津波から逃げる人の姿をカメラで撮ろうとしたけれど、シャッターチャンスを待って取る事は出来なかった。直後に別の場所で後輩記者が人命を救うため避難誘導して津波でなくなった事を知る。写真を撮る事より人命をすく事を優先した後輩記者が亡くなったことにショックを受けた苦悩、トラウマも描いた」

 もう一人は娘二人を亡くした中年の男で、海岸で1人の男が砂の山を作っている情景に出会ったことがきっかけだった

「何をしているんだろうと思ったら、山を作っているのではなく穴を掘っていたんです。そのあたりで男性の二人の娘が津波に流されたけれど、行方が分からない。それまで立ち入り禁止地区だったのが、当時立ち入り可能になり、そこに埋まっているんじゃないかと。大きながれきが出てくるとそれは建物のがれきだから、その中に紛れ込んでいるかも知れないとどんどん掘っていく。だから、ピラミッドみたいな山がいくつもできたんです」

自分を突き動かしたものに、南相馬市の詩人若松丈太郎さんの詩がある

 「94年に書かれた詩なんですが、原発事故があったチェルノブイリを訪ねて見てきたことを、これが福島で起こったならと双葉町大熊町富岡町楢葉町浪江町と町名を列挙してそれらの町が同じようになってしまうと書いていた。17年後に正にそのまま状況なったわけで、予言詩なんです。読んでびっくりしました

風化する現状、忘れ去られる事の悲しみをショパンの「夜想曲第20番」に託した

ショパンも亡命して、故郷ワルシャワに帰れなかった。この曲を子供達がピアノ演奏します。この連弾がいいんです、泣けますよ」


富良野公演後各地へ

 富良野公演後、各地で上演する。福島の5都市も含まれる。一昨年8月に富良野で最初の発表会を行った後、7回も書き直し推敲を重ねた

「福島の当事者がどういう反応をするのか、それが一番怖い。100万人を感動させても、一人を傷つけたら作品は発表しちゃいけませんから。例えば福島の人はカタカナで「フクシマ」と書かれる事を嫌う。あの「ヒロシマ」、あの「ナガサキ」、あの「フクシマ」というふうにカタカナにされることに抵抗があるんです。自分たちの故郷は『福島』だと。僕は全公演に同行して、『ここをこうすれば、もっと面白くなる』と思えば台本に手を入れます。役者は大変だけどね」


「心の洗濯屋」と自称

脚本を書く自分の仕事を「心の洗濯屋」としょうしている
「今までの洗剤では汚れが落ちなくなっている。昔はせっけんと水でゴシゴシ洗えば、きれいになったけれど今は難しくなった。フランスの劇作家ジャン・ジロドウ待ちを歩いていて、とてもいい顔の人に出会うと『彼はきっと、いい芝居を見た帰りに違いない』と言った話が残っている。それがまさに僕らの仕事。エンターテイメントにしか作り出せない感動があると思っています」 【林尚之】


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◎.自然の風化は100年 1000年 万年単位 なれど人間界の風化はこんな重大事「311」も3年4年で始まってる!?。 放射能被害は100年経っても「0」にはならないのにな〜!! (keniti3545) みんな怒ってるんですね!  今年もまた、「311」は現在進行形!を一人でも多くの人と共有していきたいですね!

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(keniti3545)

現場は(被災地では)未だ現場検証・事故調査の開示されないものまである実情です。「側が、端が、風化の様相を呈している」?! 「同胞の痛みをもう一度確かめてみましょう」!  特に放射能被爆の危険性を押し隠そうとする政府の施策は許されるものではありません、そして原発事故は人災である事を認めながらも一部の調査結果を開示しない:責任の所在を未だはっきりさせていない!のですこんな状態のままで、はや“風化”の様相?!。 「311・ 311福島」を風化させる事は日本人が自分たちの首を絞めるような行為に通じます。私たちは「後世を、自分の孫子をも、思んばかる心を持たない」国民に成り下がるのでしょうか?。

 現状は現地に行けずとも自ら求める情報によって、確かめられます。 <風評って何でしょう? 風化って何でしょう>? どちらも自分が拘わらないと他人事ですまされそうです。例え、拘わっていても他人事にしていませんかね、私たちは? 但し、両者の違いは <風評は、自分で打ち消せます。自分の判断を下さないと(迷いも一種の判断と言っていいでしょう)生活が出来ません(少なくとも相応の支障を来します)> :一方 <風化とは、自分で意識しなければ何の呵責もなく過ぎていく時間と同じです> 。知らない内に自分で目を閉じてしまう人も多いのでしょうね、われはやはり語り部の役割の一端を地道に担っていきたいと思います。どれだけ役に立つ事か自分で計る事は出来なくても良いと思います。 (keniti3545)


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 皆さんこんにちは!新潟県知事の泉田裕彦です
 今回は、臨時号「東京電力社長から新年挨拶の訪問を受けました」をお
届けします。

東京電力社長から新年挨拶の訪問を受けました」

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 1月6日に東京電力の廣瀬社長から新年のご挨拶をいただきました。廣
瀬社長とは約1年ぶりの面談でしたが、福島原発事故については、県技術
委員会の検証でも疑問が残る中
政府事故調による東電関係者の調書の公
開等に否定的で、事故原因の究明に極めて後ろ向きな印象を受けました

今回のメルマガは当日の様子を少しご紹介します。

 冒頭、廣瀬社長からは、新年の挨拶とともに、福島の事故から4回目の
正月を迎えたが、今なお多くの福島の方々に大変不自由な生活を強いてい
ることを大変申し訳なく思っていることや、本県の津南町で土砂崩れを引
き起こした可能性のある中津川第一発電所導水路の溢水の原因究明をして
いること、懸案の柏崎刈羽原子力発電所の6号機、7号機について少しず
つ審査が本格化してきており、県民からも発電所の中の現場を見ていただ
きたいと思っていること、などのお話がありました。

 これに対して私からは、津南町の件に関しては、廣瀬社長がおっしゃっ
たとおり、同じようなことが起きないようにするためには、やはり原因究
明が大事で、それがないとまた水が溢れるのではないかという懸念が消え
ないので、原因究明と再発防止をしっかりやってほしいとお願いしました。
 
 また、福島原発事故も同じことで、原子力規制委員会の田中委員長が言
われているとおり、規制委員会の基準というのは、あくまでも最低限の基
準であり、事故当事者である東京電力が、やはり福島事故の原因究明をし
っかりやることが第一歩だということを先ずお伝えしました。

 その中で、東京電力の関係者が、政府事故調の調書の公開に応じていな
いことや、県の技術委員会での対応を見ても、原因究明に後ろ向きだとい
うこと
を極めて残念に思っていることなどを申し上げました。

 機械設備をいかに備えても、人の問題、組織の問題、規則の問題がクリ
アされなければ、やはりトラブルは起こるわけです。そもそも政府事故調
の調書の公開すらしないという形で検証が進んでいって信頼が得られるの
かという疑問も付け加えました。

 また、例えば、メルトダウン隠蔽の理由についても「空気」という話し
かないのですが、誰かが指示しなければそのようなことが起きるわけがな
いので、やはりこの部分についてもしっかり公表していただかないととて
も信頼できる組織にはならない
と申し上げたほか、まだ事故に対する社内
のけじめをつけていない
ことなどについても指摘させていただきました。

 いくつかの指摘について、廣瀬社長からは、県技術委員会においても、
引き続き、真剣に対応していきたいことや県技術委員会の場で、事故原因
の解明をしていきたいとの考えが示されました。

 最後に、繰り返しになりますが、東京電力からは、まず原因究明をしっ
かりやっていただきたいと思います。今は、福島第一原子力発電所事故の
検証と総括ができていないので、まだ安全性の議論をするためのスタート
ラインに立てない状況にあります

 県民の安全・安心のために、情報が公開され、福島原発事故の原因究明
が進む一年を期待したいと思います

◎.外部からも、中からもプレッシャーは相当なものがあるでしょうがぶれない泉田知事も尊敬に値すると思います。(keniti3545)

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社説東京新聞2015年1月10日】

年のはじめに考える 原発ゼロへの再出発

 3・11以前にも勝る原発過保護が始まったのか。福島の事故など、なかったように。後ろ向きに時代の坂を駆け降りる、そんな新年にしてはいけません


 やっぱりゼロが焦点でしょう


 新年六日、東京電力の広瀬直己社長が新潟県庁を訪れ、泉田裕彦知事と一年ぶりに会いました。


 柏崎刈羽原発の再稼働に理解を求める広瀬社長に、泉田知事は、政府の事故調査・検証委員会による調書のうち、勝俣恒久会長ら当時の東電役員分を公開するよう要求した


 広瀬社長は「同意するかどうかは個人の問題」と、それをはねつけました。

なぜ公開を拒むのか


 勝俣氏らは、なぜ、かたくなに公開を拒むのでしょう。口を閉ざせば閉ざすほど、原発の安全性に疑念が募るというのに、です。


 泉田知事は「それでは、安全性の議論はスタートラインに着けない」と断じています。


 事故のさなかに、東電トップが何を考え、どんな判断を下して、どのような指示を出したか。そんなことも分からないまま、知事として県民に、原発の安全性を説明できるわけがありません。再稼働に同意できるわけがない


 安全性の議論は、まだ始まってもいない−。泉田知事の立ち位置は、新潟県民だけでなく、国民の多くが抱く不安の代弁だと言えるでしょう


 原子力規制委員会は、九州電力川内原発関西電力高浜原発が、3・11後の新たな規制基準に適合するとは言いましたしかし、安全を保証してくれるという人は、まだ誰もいないのです


 政府は原発から三十キロ圏内の自治体に、避難計画を策定するよう義務付けました


 どこへどうやって逃げるのか。ほとんどの市や町が、苦慮していますそもそも、本当に安全なら、どうして避難計画が必要なのか。原発事故は二度と起こしてはならないものではないですか


 昨年夏の電力需要期は、原発なしで支障なく乗り切った。この冬も電気が不足する気配はありません。それなのに、政府と電力業界は、再稼働への道のりをひたすら急ぎます。年末の衆院選の前後から、その足取りは加速しました


 四月に閣議決定された国の新たなエネルギー基本計画は、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた一方で「原発依存については、可能な限り低減させる」と明記しました。将来的には、できるだけゼロに近づけるという意味ではなかったでしょうか

安全配慮というよりは


 ところが自民大勝に終わった衆院選後、「重要なベースロード電源」だけが独り歩きし始めます。原発ゼロをめざすどころか、原発神話の復活と永続を意図したような、政府のあからさまな“原発びいき”が目立ちます


 暮れに開かれた原子力政策の方向性を議論する経済産業省の小委員会では、老朽原発廃炉に導く一方で、敷地内で建て替え(リプレース)を進めるべきだとの意見が多く出ました


 四十年を超えて原発を運転するには、規制委の特別点検を受ける必要があり、安全対策を含めて一基一千億円以上の費用がかかるとされています。電力各社は、日本原電敦賀原発1号機など、五基の廃炉を検討しています。出力三十五万キロワットから五十五万キロワットという小型のものばかりです


 安全配慮というよりは、もうけの少ない小型を整理して、大型に置き換え、効率よく利益を生み出そうとの考え方が基本にあるその先には新増設さえ、見え隠れし始めました。これでは原発依存を解消できるはずがありません


 このほかにも原発の優遇策は、小委員会の話題になりました。たとえば価格保証です


 来年、家庭用電力の小売りが自由化され、原発を擁し、地域独占謳歌(おうか)してきた電力会社も競争にさらされる。原発の電気が消費者に支持されず、市場価格が一定の水準を下回った場合には、差額を補填(ほてん)する仕組みを設けるべきだという原発の運転コストは安いはずではなかったか。なりふり構わぬ原発過保護ではないか


 3・11被災者の悲哀を忘れ福島の事故など初めからなかったかのような原発依存への急旋回は、一体誰のためでしょう

国民的議論がないと


 逆流する時間を止めて、私たちは何をすべきでしょうか


 泉田知事の言うように、まずは事故原因の徹底的な究明です。そして情報公開ですそれに基づく科学的判断と国民的議論です安全か、安全ではないか。最後に決めるのは、私たち国民です


 人は痛みを忘れることで過ちを繰り返す。新しい年を忘却と後戻りの年にしてはなりません

◎.付け足す事何も無し? (空しさと、われの頭が回らないだけ)?(keniti3545)


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