「keniti3545」since74 小さな窓:2015.01月05日晴れ−3℃「東日本大震災」「311フクシマ」1397日 今日の一題「どうする・私たちの国 行く先は?」

*「東日本大震災」「311フクシマ」1397日


*線量測定日 2015年1月05日


 データ 「グループ1」

先ず前回「12月22日」の測定値を示す

東:0.14 0.10μSv/h 西:0.14 0.12μSv/h 南:0.32 0.31μSv/h 北:0.12 0.12μSv/h

M :0.52 0.48μSv/h


全体のMaxは0.52μSv/h


   5点の総平均値=0.19μSv/h

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本日「01月05日」の測定値

東:0.12 0.12μSv/h 西:0.14 0.12μSv/h 南:0.61 0.56μSv/h 北:0.12 0.12μSv/h

M :0.61 0.57μSv/h


全体のMaxは0.61μSv/h


   5点の総平均値=0.24μSv/h


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 データ 「グループ2」 <児童公園の測定 「5点」:各定点の平均値>   


 各定点 6回測定の平均 単位はμsv/h (01月/05日 月曜日)  


東辺:公園内、外周東辺 楓根元 0.16  

南辺:公園内、外周西辺 楓根元 0.61(maxは0.77μSv/h)

西辺:公園内、外周西辺 樹木根元 0.26

北辺:公園内、外周北辺 樹木根元 0.10

E :児童公園(グランド中央部) 0.11


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 データ 「グループ 2」

先ず前週12月22日の測定値を示す

 東:0.14 0.12μSv/h 西:0.37 0.37μSv/h 南:0.85 0.79μsv/h 北:0.12 0.12μsv/h

中央:0.12 0.12μsv/h


全体のMaxは0.85μSv/h


  5点の総平均値=0.28μSv/h


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 本日01月05日の測定値

東:0.23 0.18μSv/h 西:0.34 0.32μSv/h 南:0.77 0.66μsv/h 北:0.13 0.13μsv/h

中央:0.14 0.13μsv/h


全体のMaxは0.77μSv/h

  5点の総平均値=0.25μSv/h


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*今日の一題「どうする・私たちの国 行き先は!?」

 やっぱり日本政府はウソを付く?!  それとも勉強不足? だったら尚更恥ずかしい事ですね〜?!

政府は云う(平気でこんなウソを言う)



「A」.原発止めれば電力不足が起きる。

 と政府は言う だから原発は止められないと。


「B」.二酸化炭素が増え続け2020年までに削減目標をクリヤー出来ない。 (言い訳にして、目標値さえ決めてない体たらくだ

 と政府は言う だから原発は止められないと。



ドイツは違うね! 「A」も「B」も 自分たちが決めたんだから両方ともクリヤーしましょう!と言ってます!

(ドイツからの風にのって)http://midori1kwh.de/
 ドイツ在住の日本人魔女さん達が教えてくれました。

こちゃん さんの記事です」 / 2014年12月14日

「A」の施策は.ドイツ電力最大手エーオン、原発火力発電から撤退?

 ドイツ電力4大手中の最大手エーオン(E.ON)が、このほど画期的な発表をして人々を驚かせた大型発電所で発電される多量の電力が市場を席巻していた時代は終わりを告げ、これからは、あちこちで発電される(比較的少量の)電力を無駄なく利用して電力需要を賄うようにしていく時代が来るという前提にたった、大決断をしたからだ。ーー後略

全文 是非読んで下さい!http://midori1kwh.de/2014/12/14/6321

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「B」の施策とは.ドイツの二酸化炭素排出量削減、高い目標値を再確認
「同じく、こちゃん さんの記事です」 / 2014年12月28日

ドイツ政府が二酸化炭素の排出量を2020年までに1990年比で40%削減することを再確認した2007年に決めたこの目標値の達成は危ぶまれていたが、このほど種々の方策を閣議決定環境保護リーダー国としての位置を守る意向だ。個別では火力発電が最大の削減量を担う。ーー後略

↓全文 重くありません是非読んで下さい
http://midori1kwh.de/2014/12/28/6336


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↑↓日本人が日本の総理を笑っちゃいけないかも知れないけど笑っちゃうより他に「リアクションの取りようがない」よな〜?!


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衆議院選挙結果に対するドイツ語圏のメディアの論調

「じゅんさんの記事です」 / 2014年12月21日

今回の日本の衆議院選挙結果についてドイツ語圏のメディアは、12月15日、それぞれかなり大きく報道した「奇異な選挙の勝利者「選択肢のない選挙」「日本のパラドックスといった見出しが並ぶが、選挙結果だけではなく日本の政治や社会の現状を批判的に取り上げるものが目立った。


「『原子力の大好きな』安倍首相、(放射能に)輝く勝利者」という見出しで伝えたのは雑誌「シュピーゲル(Spiegel)」のオンライン版だ。ドイツ語のstrahlendが輝くという意味であると同時に放射線を放出するという意味もあるため、これは両方をかけたタイトルなのである。ーー後略


↓ 全文 あまり重くありませんから是非読んで下さい
http://midori1kwh.de/2014/12/21/6345


◎.ドイツで暮らす魔女さん達はさぞ恥ずかしい事でしょうね?! 日本にいる我々も大いに(?)恥ずかしく思っています! (keniti3545)


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「プラス1」

「あいば達也さんのブログ記事です」
世相を斬る あいば達也 2015.01.02

●戦後日本には 悲劇共有のプラットフォームがあった

 日経ビジネスが、小生と意図とは異なる意味で、三人の戦後リーダーをチョイスして、「遺言」的アドバイスをインタビュー記事で掲載している。個々人には、夫々の苦しみを乗り越えた貴重な体験が数限りなくあるだろうから、話の内容を読み聞く価値は十二分にある。ただ、小生が、簡単に此処に登場する、歴史にも名を残すであろう人々の経営スパイスや、人生観のようなものには、その時代背景が大きく影響すると同時に、戦後の50年近くの間には、日本人の社会全体に「共通のプラットフォーム」があり得た時代だったという、意識の共通認識と云う援護があったことも忘れずに読んでみたいと思う。

 日本人が共通の概念でプラットフォームを形成できる時には、なぜか、そのプラットフォーム形成に、最も影響を及ぼしているのが「悲劇の共有」という悲しいような原因によって「空気」が醸成されるしかないという事実でもある明治維新時代の共通の意識の共有は文明社会ではなかったことを知った衝撃第一次大戦終了後は、列強の列に入れたという高揚感と、意識の共有。そして、勝って兜の緒を絞めようという共通認識。第二次大戦終了後は「敗戦と悲劇」という意識の共有今日紹介されている人々は、この最後の意識の共有が、社会的プラットホームを「空気」として共感的に仲間意志にの中にあった時代背景を重ね合わせて読んでおきたいとも思う「遺言」である

 残念というか、情けないことだが、時代の流れを論理的に読み解き、将来のリスク予想で、意識の共有化が出来るのが理想だが、大きな組織や共同体を纏める場合、協力し合える場合には、多くの場合は「悲劇の共有」が社会的プラットフォームになりやすい311程度の悲劇の共有では、社会全体の共同体形成のプラットフォームにはなり得ないということなのだ。誰だ!人間は考える葦であると言ったのは(笑)。

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(keniti3545)
あいばさんの記事は通じるところ大きく、時々拡散させてもらっていますがが今日の論評には一言有りですこれは許される発言ではないと思いますが?・・・?<311程度の悲劇の共有では、社会全体の共同体形成のプラットフォームにはなり得ない> とは何事ぞ!と思ってしまいました! ホントにそう思うのでしょうか?

今ここで、「この人災は未だ終わってもいない」し、これからの「負の遺産の膨らみ方」を危惧する、そしてその恐ろしさを共有しなければならない場面を筆者はどう読み解いていると云うのだろうか?「若い多くの命(生体)に起こり得る、精神的なマイナス思考+肉体的欠陥を併せ持つ DNA の新しい継承が始まる」であろう事など無想だにしないと言う事なのでしょうか? 

それともその恐れさえも切り捨てるのか?! そこを足場に、何を得ようとするのか?! 筆者もアベノミクスの行き詰まり・資本主義の行き詰まりは指摘する持論の範疇ではなかったのか?! 戦争も、「311」福島も、とてつもなく巨大な人災なのだ。 この地震列島日本で今後を語るのであれば、この大きな(二つの)人災を先ず繰り返さない事、そして自然災害に先人達の教訓を生かした施策をしっかり施して行く事が大命題ではなかろうか!。

「これこそが」と、一読者が口にするのはおこがましいだろうが今日の問題提起をしてくれている筆者が云わんとするところの <時代の流れを論理的に読み解き、将来のリスク予想で、意識の共有化が出来るのが理想だが、大きな組織や共同体を纏める場合、協力し合える場合には、多くの場合は「悲劇の共有」が社会的プラットフォームになりやすい> であり、肯定せざるを得ない事実だからこそ、拙文前項のごとく反省がが必要なのではないだろうか?! (keniti3545)


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 (間に言葉挟みましたが、続きを読ませてもらいます)。
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 日本の未来へ、受け継ぐべき戦後リーダーの「遺言」

日経ビジネス
 戦後70年──。2015年、私たち日本人は一つの節目を迎える。日経ビジネスは2014年最後の特集に、戦後のリーダーたちの「遺言」を選んだ。焼け野原から輝ける時代を築いた当事者には、若い世代にはない強靱(きょうじん)な視座がある

 今回はスズキ会長兼社長の鈴木修氏、シャープ元副社長の佐々木正氏、脚本家の倉本聰氏の3人の「遺言」を紹介する「結局、人生っちゅうのは『こんちきしょう』しかないんじゃない」 中小企業オヤジのヒーロー 鈴木修(スズキ会長兼社長)

鈴木修(すずき・おさむ)。スズキ2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿。銀行を退社して1958年にスズキに入社し、78年社長就任。軽自動車「アルト」(79 年発売)が大ヒットし、排ガス規制の対応に遅れて経営難に陥っていた同社を再建した。入社時に年商60億円を目指していた同社を、3兆円企業に飛躍させた。会社で一番好きな場所はトイレ。毎日40分、こもって書類や新聞を読む。1930年1月生まれ

 未来への遺言ですか。僕にとっては「会社が潰れないように」。それだけだな(笑)。
 でもね。今回話そうと思ったのは、やっぱり、僕の話がこれからの時代を担う皆さんの参考に少しでもなるのならと思ったからです。
 僕が小さい時は、そういう指針がなかったんですよ。小学校の先生とか町長とかも、話すことは挙国一致とかそういうのだけだった。でも日本が負けてしばらくして、成人式に出た時、町長がこんな話をしたんです。

 「私たちは戦争をやって、日本を焼け野原にしてしまった。だけど、自分は齢(よわい)60を超えて、もう復興を担う力はない。申し訳ないけれど、若い成人に達した皆さん方が頑張ってほしい

 この言葉が、人生のバックボーンになったことは確かですよ

 僕は、戦前、戦中、戦後、そして再建という、日本の縮図を経験してきた。その中で何を考えたかというと「こんちきしょう」とか「やる気を出そう」とか、そういうことに尽きるわけです。 これまで本当に、「こんちきしょう」の連続だった。軽自動車を作ってきた中小企業のスズキにとっては、生命を絶たれる危機が絶えなかったから。文学的には「逆境の歴史」というのだろうけど、ようするに「軽ハラ」。セクハラ、パワハラ、マタハラと同じだよ。

 軽自動車はもともと、敗戦後に「国民車」を作ろうっていう構想から生まれたんですよ。戦後10年にも満たない非常に貧しい時代、誰もが、どんなに小さくてもいいから、雨風をしのぐことができる乗り物が欲しかった。

 でも経済が成長してくると、「軽自動車なんて国策に合わないからやめるべきだ」という声が出てきた。1972年には経済団体のトップが政府に提言したんですよ。軽は燃費が悪くて安全性も確保できない、耐用年数も短いから資源の無駄遣いだと

  それで、(ホンダ創業者の)本田宗一郎さんと一緒になって「ふざけるんじゃねえよ」と激怒したの。スズキは力がないから小型車に進出することはできなかっ た。さりとて、ぺしゃんこに潰されるのは嫌だから、「この野郎」という気持ちで挑戦し続けてきた。まあ、僕は(婿養子の)落下傘だったから、外からの軽ハ ラに加えて内からの「社内ハラ」も大変だったけど(笑)。

 それでも今や、軽自動車が(日本の自動車市場でシェア)40%になった。結局、人生っちゅうのは「こんちきしょう」しかないんじゃないのかな。奇策じゃなしに、誰に何を言われようとも、自分の実力を過信せずに続けることだよ。

■人生には、分かれ道がいっぱいある
 人生には、チャンスをつかむか逸するか、分かれ道がいっぱいある。机の上で評論していちゃダメで、やってみなさい、試してみなさいと。つまり、人間で一番大切なのは、「やる気」なんだ

 スズキのインド進出だってそうだった。実は82年に国民車構想を掲げるインドの調査団が日本に来た時、僕はGM(当時提携していた米ゼネラル・モーターズ)に呼び出されていて、調査団に会えそうになかったんだ。

  でも、ちょっと朝早く家を出て、帝国ホテルに泊まっている調査団を訪ねたんです。ホテルで黒板を借りて、出国ぎりぎりまで話をした。それで帰国したら、一行が待っていた。「ミスタースズキの興味深い話を聞いたから」と言って。あの時、帝国ホテルに行かなかったら、インド進出はなかった。

 2015年は戦後70年ですが、戦争の体験や不幸を後世に伝えるのは無理だと思うんですよ。学徒動員の時はシラミがいっぱいだったとか、芋しか食わなかったとか、今の若い人たちに言ってもダメだよ。時代の「常識」というのは常に変わっていくものでしょう

 だから、伝えたいのは、他人に迷惑をかけないとか、社会に貢献するとか、正しく生きる最低限のモラルを守りながら、「やる気」を発揮してほしいということだけ。極めて平凡だけど、これが若い人たちへの遺言かな


「実験台として、100歳の私を使っていただきたい」 電子立国の父 佐々木正(シャープ元副社長)

佐々木正(ささき・ただし)。台湾で高校まで過ごし、京都大学に進学。シャープ元副社長。トランジスタ電卓を日本で初めて開発し、半導体や液晶、太陽電池 などの技術開発を牽引した。アポロ宇宙船の半導体開発にも関わり、米研究者から「ロケットササキ」と親しまれる。ソフトバンク社長の孫正義氏を創業期に支 援した恩人でもある。現在は新共創産業技術支援機構(NPO法人)の理事長を務める。右ページの背景は本人自筆による「遺稿」。1915年5月生まれ

  もう、これが最後と思って、遺言として皆様に伝えておきたいことをお話しします

 真空管の専門家だった私は戦争中、陸軍の登戸研究所で殺人光線の研究に動員されていました。大本営はマイクロウエーブを人間に向けて照射すれば兵器になると考えたんですね。実際、犬や猿の頭や肛門に寒暖計を刺して、どの温度まで上がったら死ぬかと実験していました。

 終戦間際になって研究所は諏訪に移転しました。大本営からは早く実験を成功させろと急かされており、米国人の囚人を使った実験の計画まで用意されていました。終戦を迎えたのは、その実験をする直前でした。

 実際に人体実験をしていたら、軍法会議にかけられていたかもしれません玉音放送を聞いた時に真っ先に思ったことは、軍法会議にかけられないように、生き延びなければということでした。諏訪湖に実験設備を捨てて逃げたことを覚えています。

  軍法会議を免れた私は、その後、半導体の研究に身を投じました。ノーベル賞を受賞したことでも知られるベル研究所(米国)のジョン・バーディーンら3人と は、同じ分野の研究者として終戦前から文通していましてね。終戦後、アメリカで再会した時、戦争中にどんな研究をしていたのかといった思い出話をしている と、バーディーンは「不思議な石を見つけた」と言います。これが後に世界最初のトランジスタに使われるゲルマニウムでした

 それは面白いな、我々もやらないかんと、検討が始まりました。当時、私が働いていた神戸工業(現富士通テン)には、後にノーベル賞を受賞する江崎玲於奈くんもいて、神戸工業は日本で最初にトランジスタを生産した会社となりました。

 その後シャープに転職し、新たなMOS(金属酸化膜半導体)と呼ばれる半導体を設計しました。MOSの特徴は、大幅な小型化が可能なことです

  ただ、日本メーカーに製造をお願いしても、歩留まりが不安定だと言ってどこも見向きもしてくれない。そこで米国に渡って協力メーカーを探しましたが、米国でも理解されない。辞表を出すことを覚悟して帰国の飛行機に乗ろうとした時、空港の館内放送で私の名前が呼ばれたんです。

 一度は私の提案を断ったロックウェルの社長が、土壇場で考え直してくれた。シャープが1964年に発売した世界初のトランジスタ電卓は、このロックウェルが生産したLSI(大規模集積回路)を使ったものです。

 ロックウェルは当時、アポロ宇宙船のコンピューターを開発していました。宇宙船の安全性を向上するには2人乗りにすることが必要で、船内のスペースを確保するためにLSIの小型化が不可欠でした。月着陸船の第1号は、我々が協力してできたんですよ。

 後にロックウェルとの共同開発は日本で波紋を広げました。日本は国策で半導体産業を育成しようとしており、アメリカ企業と手を組んだ私は、一時、国賊とも呼ばれてしまいました

■「地球生命を考え、地球を救う会」を作ろうと思っています
 振り返れば私は、真空管半導体、液晶、太陽電池と、一貫して「エレクトロン(電子)」の世界に身を置いてきました。幸いにも、こうして数えで100歳まで生きてこられたわけですが、死ぬまでにこれまで生かしてくれた恩に報いたいと思っています

  それは、老化の原因である細胞の「酸化」を食い止める「還元」の技術を確立するための活動を支援することです。酸化という現象は、細胞の外に「電子」が出 てしまうことで起こります。それなら、「電子」を再び細胞の中に入れることができれば、酸化の進行は止めることが理論上はできるはずです。

 今、地球上では2万種以上の生物が「絶滅危惧種」に分類されているといいます太陽系の惑星で唯一、生物がいる地球はこの先どうなるのか。そこで生きている人間はどうなるのか。私たちの子孫はどうなるのか。この大問題を解いていかなければなりません

 生命の寿命を延ばす可能性を秘める還元の技術は、その解の一つになるのではないでしょうか。その技術を使えば、人間は130歳、140歳まで寿命を延ばせるのではないかと思っています。その実験台として、100歳の私を使っていただきたい

  生命が生き延びる「場」さえ維持できれば、そこで世の中を良くするイノベーションは必ず生まれます。私が台湾にいた学生時代、不可能と思われた北国のリンゴと南国のマンゴーの接ぎ木に成功し、リンゴマンゴーという新種を生み出しました。それと同じように、多様性のある場があれば、そこで異質の才能がぶつか り合う「共創」によるイノベーションを起こすことができる。

 私は残された時間を使って、「地球生命を考え、地球を救う会」を作ろうと思っています。そして、皆さんの奮起とその成果を期待しつつ、この世を去っていきたい


「日本は、リッチではあるけど幸せがなくなっちゃった」 森の時間を描く脚本家 倉本聰
倉本聰(くらもと・そう)。脚本家、劇作家、演出家、愛煙家。1959年ニッポン放送に入社し、脚本家デビュー。63年に独立し、77年に北海道・富良野 に移住。その後は、富良野を舞台にした家族ドラマ「北の国から」など、多数の作品を手がける。俳優や脚本家を養成する私塾「富良野塾」を主宰2015年 1月から新作「ノクターン夜想曲」を公演。自然を感じるため最近はローソクの灯りで風呂に入る。1935年1月生まれ

  富良野に移住したのは1977年のこと。豊かさに対する不安があったからですちょうどバブルが始まる頃で、テレビの仕事をしていたかな。生活が豊かになるのはうれしいけど、こんなに豊かになっちゃっていいんだろうかという不安感がすごくあってね

 戦争を通して貧しい思いもしたから、戦後、日本が多少豊かになった頃は良かったと思いましたよ。60〜70年くらいかな。その頃が一番、精神的にも物質的にも満たされていた

 「豊か」という言葉を辞書で引くと「リッチにして幸せなこと」とある。幸せというのは今に満ち足りていることです。日本は、リッチではあるけど幸せがなくなっちゃった。

  今くらい豊かになっても、経済界では常に右肩上がりを求めるでしょ。だけど、我々は物を食って生きている。IT(情報技術)とか金融で飯は作れません。食 べ物というのは全部自然から作られる。そして自然界に右肩上がりのものはないんです。それなのに世の中の人たちは、もっと良くしろと年がら年中言ってい る

前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがある
 僕はね、前年比という言葉が分からないんです。みんな前年より伸びないとダメと言うけど、前年と同じでいいじゃない。今の日本の「前年比感覚」は、自然と矛盾している気がするんですよ

 2015年1月から公演する舞台「ノクターン夜想曲」で描いたのは、原発に巻き込まれた人々の悲劇です前年以上の成長を求めて日本は原発を造った。そして庶民が事故に巻き込まれた

  今回の作品に出てくる夜ノ森という町を訪れたんですね。桜の名所でね今は入れないけれど、人家は全部残っている。中をのぞくと、新しい家にベビー用品が あったりする。この家は最近子供ができたんだ、新築だから夫婦が夢を語って建てたんだろうなと。空想力を働かせれば、その家に住めない悲しみが分かるで しょう。成長ばかり追い求めた揚げ句、庶民のささやかな幸せが壊された

 前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがあるはずです。 日経ビジネス編集部) 日経ビジネス 2014年12月29日号の記事を基に再構成]  (あいば達也さん)

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(keniti3545 の付け足しですが・・・)

3日の「日刊スポーツ」に、倉本聰の本気の怒り日本人を怒るインタビューがあった。今日はその核心に迫るイントロを写し取って起きましたので転写させてもらい、あいばさんの記事に添わせて頂きます

原発事故風化許されないから取り組んだ 倉本聰氏新舞台
 脚本家倉本聰氏(80歳)が作・演出する舞台「夜想曲ノクターン」が10日の北海道・富良野を皮切りに、東京(2月4〜8日、新国立劇場)などで全国公演を行う福島原発事故の問題に真っ正面から取り組んだ作品で「風化は許されない」と言葉に力を込めた


福島の反応が一番怖い
<100万人を感動させても一人を傷つけたら作品は発表しちゃいけませんから>

10日から全国公演

「激しい怒り、悲しみ」
倉本氏は嘆く
「震災後の日本は、ますます奇妙な国になった震災の被害に全ての日本人が心を痛め、『自分に何かできる事はないか』と立ち上がったしかし世界を震撼させた原発事故に対しては当事国である日本で早くも風化の様相を見せているこんなに早く、こんなにももろく風化している事に、激しい怒り、悲しみ、いらだちを感じます」ーー 後略ーー(後日全文書き起こししたいと思っています keniti3545)


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