「keniti3545」since74 小さな窓:2014.11月18日曇り00℃「東日本大震災」「311フクシマ」1436日 今日の一題「どうする・今回の選挙を!ー2」

*「東日本大震災」「311フクシマ」1436日


*線量測定日 本日11月18日(火曜日)

データ 「グループ1」

先ず前週(11月17日)の測定値を示す:我が家屋敷内と周辺 5点 (此処には毎回高位値2つを提示している)

東:0.12 0.12μSv/h 西:0.25 0.14μSv/h 南:0.36 0.34μSv/h 北:0.21 0.19μSv/h

M :0.66 0.61μSv/h


全体のMaxは0.66μSv/h

   5点の総平均値=0.25μSv/h



「本日11月25日」の 測定値      


東:0.37 0.28μSv/h 西:0.16 0.16μSv/h 南:0.34 0.30μSv/h 北:0.18 0.16μSv/h

M :0.72 0.53μSv/h


全体のMaxは0.72μSv/h


   5点の総平均値=0.26μSv/h

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 データ 「グループ2」 <児童公園の測定 「5点」:各定点の平均値>  


 各定点 6回測定の平均 単位はμsv/h (11月/25日 火曜日)  


東辺:公園内、外周東辺 楓根元 0.16  

南辺:公園内、外周西辺 楓根元 0.72(maxは0.92μSv/h)

西辺:公園内、外周西辺 樹木根元 0.29

北辺:公園内、外周北辺 樹木根元 0.16

E :児童公園(グランド中央部) 0.16


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データ 「グループ 2」


11月17日 前週の測定値 (此処には毎回高位順値2つを提示している)  

東:0.27 0.18μSv/h 西:0.52 0.43μSv/h 南:0.83 0.72μsv/h 北:0.14 0.14μsv/h

中央:0.14 0.12μsv/h


全体のMaxは0.83μSv/h

  5点の総平均値=0.29μSv/h


本日11月25日の測定値

東:0.21 0.21μSv/h 西:0.32 0.32μSv/h 南:0.92 0.76μsv/h 北:0.21 0.19μsv/h

中央:0.25 0.23μsv/h


全体のMaxは0.92μSv/h

  5点の総平均値=0.30μSv/h

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9月10月の データをグラフで示す
月毎の集計グラフには載らない、「グループ[1]のホットスポット1と2 」:「グループ[2]のホットスポット3と4」の値とその週の最大値最小値を取り出したデータです

◎.三週続いた下降今度は、二週続いて上昇、そして雨の今日は総平均値も高めです特にデータ2群は平均が0.3マイクロsv/hと言う高値でした。ホットスポット4は「0.92」と、また「1.00マイクロsv/h」という数値が舞い戻ってきそうな気配です総体的にも決して下降線を辿っている状態ではありませんお気づきのように、最小値は判で押した様に0.09止まり(この線量計でも、0.01マイクロsv/hまで確認できますと取説にはあります)でした



*今日の一題「どうする・今回の選挙を!ー2」


11月25日 shuueiの」メモさんより 「永遠にゼロ」


盈進高等学校 二年 川上 明莉


 多くが「感動した」と言う。私はすっきりしない。本のタイトルは『永遠の0』

 「急降下の直前、三人の搭乗員は私に向かって笑顔で敬礼しました」「彼らの笑顔はすがすがしいものでした。死にいく人間の顔とは思えませんでした」(『永遠の0』/百田尚樹講談社文庫/2009年/85頁)。私は瞬間的にその後のことを想像した。極限の恐怖ってどんな感覚なのだろう。遺体は無残で、海をさまよったのではないか。敵艦にも死者がいただろうに。家族や生き残った仲間はその死をどんな思いで受け止め、どのような葛藤のなかで生活してきたのか・・・だが、この本にはわずかな記述しかない

 特攻隊員の遺書を三○編ほど読んだ。圧倒的に両親や家族に心を寄せている。「お父さん、お母さん、大変お世話になりました。もう思い残すことはありません」(『知覧特別攻撃隊』/村永薫編/ジャプランブックス/1989年/52頁)。胸がつまり、涙があふれた。ただ、本当にそうなのだろうかと、悩んだ。

 「そんな時代だった」のである。でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う

 『永遠の0』。「ゼロ」は、「絶対的」という意味であろうと、私は理解する。すなわち、大日本帝国が誇った零戦の「ゼロ」に音を重ね、米軍戦艦に「十死零生」(絶対に死ぬという意味)で体当たりした特攻隊の方々の(絶対的な)無償の愛をテーマにしたのだと思う。

 本はよく売れ、映画もヒットした。私はその状況と、ヘイトスピーチなどの排外的社会現象や集団的自衛権をめぐる政治は無関係ではないと思う。現代社会は戦後六九年にして、凄惨な死を忘れ、単純で美しいものにあこがれているのかもしれない。であるなら、現在はもはや戦後ではなく、すでに「戦前」ではないだろうか

 太平洋戦争におけるアジア各国への加害も含め、亡くなった尊い命の犠牲の上に、私たちは平和憲法を手にし、現在の日常が成り立っている

 「戦争を永久に放棄する」。私はこの永遠の誓いに勇気づけられ、誇りを感じる。しかし今、私たちがこれを放棄するなら、あの尊い命の犠牲は「永遠にゼロ」となろう


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◎.若い人達にもよく考えてもらわなければならない問題が今、ここにもある<若者は云う「そんな時代だった」のである。でも、「そんな時代にしてはならない」と私は思う> と。 しかし、原発問題は、未だ過去形にはなれないのだ、これからまだ一世紀もの間総理大臣はこの様なまっとうな感性を持った若者達、特に未成年と呼ばれるけど「立派な判断力・思考力を持つ」若者達にどう説明するのですか? もう多くを口にするのもおぞましい事ですが今18才から選挙権を与えたらこの国はプラハの春どころではなく「日本の終わらない冬が来る」のではありませんか? もっとも、そういう国が滅びるほどのショック療法がないとこの国の政治は変えられないのかかも知れませんね?! 此処で言葉を切ってはいけないのでしょうが・・・?! (keniti3545)

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