「keniti3545」since74 小さな窓:2014.8月26日雨18℃「東日本大震災」「311フクシマ」1344日 今日の一題「外国の良いところ(必要なことは)は学ぼう」と思わないのですか?!」

*「東日本大震災」「311フクシマ」1344日


放射線量測定

データ 「グループ1」

先ず前週8月18日の測定値を示す我が家屋敷内と周辺 5点 (此処には毎回高位値2つを提示している)

東:0.16 0.14μSv/h 西:0.20 0.14μSv/h 南:0.46 0.42μsv/h 北:0.14 0.12μsv/h

M :0.48 0.47μsv/h


全体のMaxは0.48μsv/h


   5点の総平均値=0.24μSv/h


(8月25日) 本日の測定値  (ブログupは26日)     

東:0.18 0.14μSv/h 西:0.23 0.18μSv/h 南:0.48 0.47μsv/h 北:0.21 0.16μsv/h

M :0.65 0.54μsv/h


全体のMaxは0.65μsv/h


   5点の総平均値=0.27μSv/h

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 データ 「グループ2」 <児童公園の測定 「5点」:各定点の平均値>  


 各定点 6回測定の平均 単位はμsv/h (8月/25日 月曜日)  


東辺:公園内、外周東辺 楓根元 0.19   

南辺:公園内、外周西辺 楓根元 0.65 (今回のmaxは0.99μSv/h)

「西辺」:公園内、外周西辺 樹木根元 0.36

北辺:公園内、外周北辺 樹木根元 0.23

E :児童公園(グランド中央部) 0.12


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データ 「グループ 2」


8月18日 前週の測定値 (此処には毎回高位値2つを提示している)  

東:0.28 0.26μSv/h 西:0.37 0.36μSv/h 南:1.02 0.97μsv/h 北:0.37 0.36μsv/h

中央:0.16 0.13μsv/h


全体のMaxは1.02μSv/h

  5点の総平均値=0.36μSv/h


8月25日 本日の測定値 (ブログupは26日)
  
東:0.27 0.25μSv/h 西:0.43 0.39μSv/h 南:0.99 0.76μsv/h 北:0.30 0.27μsv/h

中央:0.18 0.12μsv/h


全体のMaxは0.99μSv/h


  5点の総平均値=0.31μSv/h

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◎.児童公園の平均値が(0.36マイクロsv/h)、児童公園内最大値も南楓根元が(1.02マイクロsv/h)、北辺も前回の最高値0.39に近い(0.37マイクロsv/h)も次回へ向けての更なる注目事項だ。← 「本日の特記」 25日の覚え →平均値0.31 最大値0.99 大幅な変動無し 更に注目のようあり

◎.市貸し出しの放射線測定器「型番:JB4020」の計測可能最小値は「0.01マイクロSv/h」に対応となっていることを再確認しました。われの捉えた此処(今日)までの最大値は「1.40マイクロSv/h」 最小値は「0.08マイクロSv/h」


◎.311以前の関東地方線量は「0.03マイクロSv/h」 行政の測定値も記録が残ります地上1メートルの空間線量ですが、
 学校保育所等公共施設・観光地が対象、現在の測定ポイントに「最大値が0.23マイクロsv/hを超えるところはありません。しかし一方では、「最小値は0.06マイクロsv/h(これは数カ所に限られます)です、この数値はわれのデータ(地表)の最小値0.08マイクロsv/hに近い値です。これから先も我々の世代がこの世に生を受けている間には「311」以前の0.03マイクロsv/h以下の数値には戻れないことでしょう
。 ←(前週からの覚え掲載) 



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*今日の一題「外国の良いところ(必要なことは)は学ぼう」と思わないのですか?!


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9.23 NO NUKES DAY 川内原発再稼働するな!  拡散!!

フクシマを忘れない! さようなら原発☆全国大集会&大行進


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「みどりの1kwh 〜ドイツからの風に乗って」

時々紹介させて頂いているドイツ在住日本人魔女達の脱原発をテーマに掲げるブログからです

経済大国世界一を目指していた日本丸のペンキがはげていく一方ドイツでは、福島の事故を最後の警告だと悟り、脱原発を決めた


サイト紹介の一節です

ーー 私たちが住むベルリンでは、脱原発をどう達成するかと、様々な議論が交わされている
情報の多様性と独自の主張に富むドイツのメディアに触れられることのありがたさ。この特権をどうすれば分かち合えるか。身の回りにもアイディアが溢れている。インターネットを使えば簡単に声が届くかもしれない。こちらの状況を書いて伝えたい。そんな思いから、私たちは集まった

ジャーナリスト、物書き、建築家など、何十年もドイツで生活している者が多い。 話題はあちこち飛ぶ
しかしどのテーマもどこかでエネルギーと関連している

キロワットはエネルギーの単位。話の種からみどりの1kWhが芽生えた>。

ブログ記事全般です
http://midori1kwh.de/


 ◆ ◇ 

ドイツ国民は、他国(チェルノブイリ)からのもらい火(放射能被爆被害)に28年間対応し続け、今も苦しんでいるいるそして「更なる対岸の火事(”311”フクシマ)にも自国と自分たちを守るため」に反応して・「政治を動かした」! 日本は中央集権に拘り中枢にお馬鹿さん、と一握りの金持ち政治屋(そうなりたい予備軍も含めて)さんが集まってしまったこの図式は解体して描き直しが必須の条件なのに、国民がその気にならない! 脱原発問題が明確な方向性を打ち出して歩き始めなければ今の日本は何を画策してもうまくいかないよ! これ以上「アベノミクスなる仮面をかぶった化け物の暴走」が続けば日本沈没はさけられないのにな〜! (keniti3545)



ドイツの緑の風に乗って」  さざえ / 2014年8月3日


ふくもと まさお著『ドイツ・低線量被爆から28年−チェルノブイリはおわっていない』を読んで



私は、この本に出会って、一言でいえば、「救われた!」思いだった。日本を外から眺めている者にとって、恒例となった反原発デモへの参加や、福島の被災者への僅かなカンパだけでは「靴の上から足を掻いている」ようで気持ちがおさまらない。


またフクシマに関するサイトやブログまたは本/雑誌類を通じてさまざまな情報を得ても、ただただ気が滅入るのみ。そこに書かれていることはまさに「そのとおり」なのだ。救いのない日本の政治状況、それに絡む経済界やマスメディアの堕落に加え、選挙民の無気力などが「これでもか、これでもか」と迫ってくる。気がつくと、いつしか私は暗い出口のないアナに落ちている


ふくもと氏はドイツ語のAngstとFurchtという二つの言葉を使って、今私が落ち込んでいる心理状態を次のように説明する。それを、ここで引用させてもらうと、両方とも「心配、不安」を示すドイツ語で、前者「Angst」は不安が漠然として羅針盤を失ったように彷徨い、どうしていいかわからない状態。私の例だが、この書名タイトルの低線量って何だ、高線量とは? この二つの言葉の意味がはっきりすると、今まで訳も分からず漠然と怖がっていた放射線も、それに関する知識が増え、放射線のリスクが具体化されて不安の実態が見えるようになる。そうなると、どうすればいいのか自分で判断できるようになり、不安な気持ちが安定してくるのではないかとふくもと氏は「Furcht」を説明している


ところで、私はアナから抜け出せたかというと、大変こころもとない

チェルノブイリ事故以後、ドイツでなりふり構わず生きてきた外国人の自分に、汚染されていないミルクを求めて買い回る母親たちの姿を見ても、”おひとりサマ”の自分には「アー大変だな!」という思いはすれども、それ以上の突き詰めた感情は起きなかったしかしフクシマ事故以来の今日、自分が歳を重ねてきたせいか、日本で起きた原発事故だからか、私にはとても辛い。しかしこの辛さは、今まで心の奥深く隠してきた想いがふくもと氏の本との出会いで吹き出し、なぜか胸の内が軽くなったようだ。これもFurcht状態に入ったせいか。


著者ふくもと氏は、1985年に渡独。現在はフリージャーナリスト、ライター。ドイツ・ベルリン在住

ドイツがチェルノブイリ原発事故によって汚染されていたことは、日本にあまり知られていないと、ふくもと氏は書いているドイツの放射能汚染は、日本のそれと比べると、かなり低い。にもかかわらず事故28年後の今日でも健康被害が起きている。チェルノブイリ原発事故後に、ドイツでは国や自治体がどう対応し、市民の反応はどうだったかに著者は迫る。


チェルノブイリで起こった原発事故は、ヨーロッパ大陸に大きな影響を与えた。放射性物質を含んだ雲が強い風に乗って西に向かい、ドイツの南部上空に達し雨が降った黒い雲に含まれていた放射性物質が地上に落下する。ドイツ南部のバイエルン州が最も汚染された。原発事故2日後の夕方、ソ連の国営タス通信チェルノブイリ原発事故があったと配信したその数日後、西ドイツのテレビニュースで、ソ連原子力発電所で事故があったことが報道された。しかし、事故がどの程度のものか全くわからず、市民の不安は高まるばかりだった。事故が報道されても詳しい情報が伝えられないので、社会全体がパニックに近い状態に陥った


西ドイツ政府の放射線防護委員会は5月2日、事故による放射線量は自然放射線量に比べ低いので、健康被害が起こる心配はないと発表していた当時はまだ、放射能汚染の上限を規定する規制値がなく、チェルノブイリ事故の実態はわからず、正確な情報がないまま政府はさまざまな勧告を出していたドイツは地方分権の国。州と自治体が独自に指標値を規定したり、いろいろな勧告を出したりしていたが、こうした対応の違いはむしろ逆効果をもたらす。市民は混乱するばかりだった。一方でメディアがテレビや新聞でさまざまな報道をし、それが市民をより不安に、感情的にさせていった小さな子供を持つ親などの間には、パニック状態になって外国に避難した人もいた


こうした不安と混乱の中で当時の西ドイツ市民は、国が情報を隠蔽しているのではないかと思うようになり市民自らが食品の放射能汚染を測定しようとする動きが国中に広がっていった。その中心になったのは、子育て中の母親たちと学生時代、物理学などを専攻したインテリ層だった


ところで、西ドイツの食品生産者は放射能汚染にどう対応していたのか。ふくもと氏は、西ドイツ最大の農業団体である農民連盟(DBV)で当時汚染対策の責任者だった人物から、以下の話を聞く。「まず数種の農産物の出荷を停止させた。そして政府主要機関に次のような要求をした。『我々は、一部の農産物の出荷を一時停止し廃棄する用意がある。その代りに生産者に対して補償をしてほしい』」。「農業団体の幹部らが、なぜ事故約一週間後の早い段階でこのような決定をしたのか」という問いには、「それは原発事故による風評被害を一番恐れていたから」という答えがあった。この生産者側の迅速な決断が国を動かした。生産者は自己申告の形で、栽培面積と廃棄処分証明さえ提示すれば、補償を申請することができることになったのだ


しかし、数年後に汚染濃度も下がると、放射能汚染に敏感ではなくなるチェルノブイリ原発事故により西ヨーロッパの中でも、最も汚染されてしまったドイツでは、自ら食品の放射能汚染測定に立ち上がった市民たちがいたしかし、西ドイツには40か所もあった測定所のうち、現在もなお活動を続けているのは、ミュンヘン環境研究所1か所だけとなった


しかし、チェルノブイリ原発事故から28年後になるドイツでは、いまだに放射能に汚染された食品が検出されている。今の日本と比べるとかなり低いが、それでも内部被曝により健康被害が起きている


日本では今フクシマ原発事故の健康への影響について語る時、ウクライナベラルーシでの健康影響がよく引き合いに出される。そして低線量被曝の影響が否定される傾向にあるが、ドイツでチェルノブイリ原発事故以後に起こっている健康被害は低線量被曝によるもので、今日でもダウン症、乳児死亡率、流産/死産、などの先天異常が増加しているとふくもと氏は数々の例をあげる。ちなみに、それらに関するグラフ、表、写真、地図などの貴重な資料が、本書には全部で65点ほど収められている


ドイツで確認された健康被害は、そのほとんどが原発事故後9か月前後に起こっている。ということは事故後初期の段階では通常半減期の短い放射性核種セシウム131によって汚染濃度が高くなる。その状況が過ぎると、次はセシウム137など半減期の長い放射性核種の影響が強くなり、僅かな量の放射線でも染色体異常をより助長し、ダウン症等発生の原因となる


ふくもと氏は続ける。日本で蓄積された疫学データは、主に高線量で被曝した広島と長崎の原爆被爆者における影響を評価したものが中心になっている。しかし同じ被爆者の低線量レベルのリスクを示す例は概ね無視されてきた。低線量では健康影響は起こらない、という「教科書どおりの定説」がまかり通っている。この「定説」はどこから出たか


ここで、ふくもと氏は驚くべき事実にふれる広島・長崎における「人体実験」によって得られた放射線の影響。それに関するデータが米国にとって、原子力を「平和」利用する安全性の証明になった。そのためには低線量被曝によって健康影響があってはならず、広島と長崎の低線量被曝の影響は無視されてきた。この構図こそが原子力発電の安全を保障し原子力発電を促進してきたという


チェルノブイリ原発事故は、東ドイツでも政治・社会において新しい転機をもたらしたというのがふくもと氏の意見だ東ドイツ市民がチェルノブイリ事故について少しずつ知るにつれ、彼らの大半が社会主義国家体制に不信をいだくようになった。それが最終的にベルリンの壁崩壊、冷戦の終結へとむかったと、当時東ベルリンに住んでいたふくもと氏は確信している


西ドイツでは、チェルノブイリ原発事故が原子力発電に対する市民の不信感を強めた


ドイツで現在稼働中の原子力発電所は8基ある。住民の反対が強く、新しい原子炉の建設はもうできなくなった2000年に脱原発を決めた。それが2010年に12年延長されたが、その直後に福島第一原子力発電所で大惨事が起こった。ドイツ市民の脳裏にチェルノブイリの悪夢がよみがえる。2週間後には25万人ものドイツ市民が原子力発電反対のデモにでた政治がそれにすぐ反応しメルケル首相は2010年の見直しを撤回し、改めて脱原発を政治決定したチェルノブイリ原発事故から28年となる今日も、ドイツは依然として低線量で被曝している


日本は福島第一原子力発電所で大惨事が起こって3年半になろうとしているこれから日本はどうなるのか。日本でも原発事故後に子供たちを守ろうとする親の会が各地にでき、日本全国で100以上の市民測定所も誕生しているこれらの市民の活動は、日本が変わろうとしている一つの兆しだとふくもと氏は信じている。しかし「現在はまだ社会を変える種がまかれただけの状態で、その種がこれから芽を出して、大きく育っていくかどうかは、自分たち日本の市民の手に委ねられているのだ」と読者に呼びかけている




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「プラス1」


「ペリー」
下野新聞雷鳴抄8月22日 05:00

 <泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず>1853(嘉永6)年、ペリーが黒船(軍艦)4隻を率いて浦賀に現れた時、こんな狂歌が出回った。上喜撰という高級茶と蒸気船、カフェインで眠れないのと不安で眠れないのをかけている。うまい事実、泰平の世は吹っ飛び、ここから幕末の動乱が始まり、ついには明治維新に至る。鎖国の封建国家が近代国家に生まれ代わったもとは、開国を迫るペリーの威圧外交だった

翻って現代、ペリー調査という幼児教育研究が注目されているむろん幕末のペリーとは関係がない1960年代の米国ミシガン州で、低所得層アフリカ系の3歳児約120人を対象に、2年間にわたり優れた幼児教育を施した被験者とそうしなかった非被験者の2グループに分けて、その後を追跡している40歳時点で両者を比較すると、14歳での基本的学習到達度は被験者49%、非被験者15%という大差が出た持ち家率も36%対13%、年収2万ドル以上も60%対40%と被験者の方がかなり優位にある。生活保護受給率も非被験者の半分だった

良質な幼児教育の効果は明らかで、日本も幼児教育にもっとお金と人をつぎ込んではどうか、と促しているように思える▼今度のペリーには軍艦も大砲もない。こんな外圧なら屈してもいいのではないか。



◎.確かにな〜、もう「バカを相手の時じゃない」かも知んないな〜! 世代越えでおバカ加減を払拭した新世代に託す幼児教育も良いかもね? 現代人(自分たち)のバカさ加減に矯正の道はないんでしょうね〜? (keniti3545)


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