「keniti3545」since74 小さな窓:2014.4月29日曇り10℃「東日本大震災」「311フクシマ」1226日 今日の一題 「脱原発の声 地方自治体から何故上がらないのか?!」

*朝トレ:線量測定後の10時40分〜12時堰堤上のmyコースにてたっぷり思いも巡らせた。雨の予測が幾分遅れて夕方まで持ちそうだと言う予報だった。



*「東日本大震災」「311フクシマ」1226日


*毎週火曜日 放射線量測定日 (今日の計測は市役所お休みにつきあるグループの計測器をお借りして測定した値です)


データ一「グループ1」

 先ず、前週4月22日の測定値を示す:我が家屋敷内と周辺 5点 (此処には毎回高位値2つを示している)   

東:0.16 0.16μSv/h 西:0.27 0.23μSv/h 南:0.39 0.39μsv/h北0.14 0.14μsv/h

M :0.45 0.45μsv/h


全体のMaxは0.45Sv/h
   5点の総平均値=0.24μSv/h



 04月29日 本日の測定値     

東:0.16 0.14μSv/h 西:0.23 0.21μSv/h 南:0.41 0.40μsv/h北0.14 0.14μsv/h

M :0.47 0.45μsv/h


全体のMaxは0.47μsv/h

   5点の総平均値=0.25μSv/h




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◎.児童公園のホットスポット(楓根本)は、依然高い値を示している

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 データ グループ「2」 児童公園の測定 定点「5点」

 各定点 6回測定の平均 単位はμsv/h (4月/29日)


東辺:公園内、外周東辺 楓根元 0.30  

南辺:公園内、外周西辺 楓根元 1.00 (今回のmaxは1.17μSv/h)

「西辺」:公園内、外周西辺 樹木根元 0.31

北辺:公園内、外周北辺 樹木根元 0.15

E :児童公園(グランド中央部) 0.12


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データ グループ「2」



  前週(4/22)の測定値 (データグループ1と同様高位値2点を示している)  

東:0.45 0.37μSv/h 西:0.37 0.34μSv/h 南:1.15 1.04μsv/h 北:0.19 0.19μsv/h

中央:0.14 0.14μsv/h


全体のMaxは 1.15μSv/h

  5点の総平均値=0.37μSv/h



4月29日 本日の測定値   

東:0.45 0.38μSv/h 西:0.36 0.35μSv/h 南:1.17 1.04μsv/h 北:0.19 0.16μsv/h

中央:0.18 0.14μsv/h


全体のMaxは1.17μSv/h

  5点の総平均値=0.38μSv/h



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*今日の一題「脱原発の声 地方自治体から何故上がらないのか?!」



原発と安全―知事の疑問が示すもの

2014年4月24日(木)付朝日新聞社説」から思う (keniti3545)

 原発を抱える地元の長が声を振り絞っている、4月17日の拙ブログでも「福島県佐藤知事の復興にかける姿」にも次世代への負の遺産を含むような本筋を外れる対応だけはしてほしくないと ”釈迦に説法”かと、気が引ける思いではあるが、書き残しておいた。悲しいかな元の姿に戻れぬ中での「リーダーの苦闘」であり、住民の苦悩である。

 相手は「国」だ、そしてこの災害を作り出した張本人も国なのだ! この事実が・この現実がどれ程のものなのかを「自身が理解して、国に事実認識をさせる」のは「事故の本質をわきまえる科学者ではなく」やはり「政治家でなければならないのだ」。 今後も、この国・この地震大国日本で「原発の稼働」は災害の種をまき散らすことになるは必定! 作り出してしまった災害からの復興と、二度とこの人災を起こさぬ決意をこの国に迫る指名をも持っているのが地方自治体を預かる行政の長だとは言えないのだろうか?!

 安全神話の崩壊は認めた政府のはずだが、今度は万が一に備えた避難態勢の万全を期すと言い出す始末!まるで子供だましの付け焼き刃的論法だ。原発の立地条件には、はなからそぐわないこと明白なのにもかかわらず活断層か否かの診断をして”怪しきものも罰せず”に、海岸沿いには防波堤を作れば津波は防げる、と・・・。

 しかし、こんなモンで済む訳がない! われは、「泉田知事」がやはり偉いと思うのは、当初政府が「原発再稼働」へ向けての「原子力安全委」の審査開始するに当たり、多くの自治体の長が「審査受け入れ絶対反対」の声を上げる最中「敢えてその声を荒げずに幾つかの問題点をあげた」。その一つ「ベントに関する問題」では、<設備改善がなされていない>・<ベントを行うときは自治体の同意を必ず受けてから行なうこと>。を、約束せよとか。”狙い”と ”願い”は!

どうしても動かされてしまった時には「安全に関する担保を少しでも大きなものにしておきたいという親心」だったのではないかと思うそして、最後の砦を今、「最大の疑義」として訴えているのだ。「この地形でどう避難すればよいのか」? 原発がそこにある限り、「安全対策上でクリヤーできない問題は必ずある」と、政府への訴えと同時に同じ境遇にある「原発立地県(地域)」への心からの訴えでもあると受け取るべき」であると思いますが?・・・・・

 エネルギーの方向転換をすることが今の段階でもすでに「もっとも安全」で、もっとも「安価な方法」であることが証明させているのです。「泉田知事の真意此処にあり」ですね。 朝日新聞の取り上げ方も当を得ていると思います。

朝日新聞記事から抜粋)
ーー 事故対策そのものの甘さも指摘する。すべての冷却材が失われ、生身の人間が危険な高線量下で収束作業をするしかなくなったとき、誰が行くのか。事故の拡大を食い止めるため、電力会社の経営に重大な損害を与える決断が必要になったとき、経営が優先され住民が被害を受けない保証はあるのか。

 いずれも現実の事故で浮き彫りになった課題だが議論は後回しになっている。ーー


◎.だから、ここからが肝心なんですよね! 多くの「地方自治体の長」がフォローし合わないと、国会に巣くう政治屋さんの数に埋没させれないように全国の知事さん区長さんが力を示さないといつまでも国の言うとおりでは地方自治体のの立つ瀬がありませんよ〜!


橋下氏も、いつまでももたついてないで 早く本懐遂げて「脱原発路線」をもりあげてくれや! 市長だって言うことは出来るでしょう?(4月24日keniti354の独り言)特区・道州制に向けての頑張りも将来に向けては無駄ではないとも思いますが、先ず原発をやめさせる道筋を付けましょうよ! 誰だって、明日すぐに消しゴムで消せるとは思っていませんから閣議決定にも負けない地方への分権でも勝ち取る方法でも考えて下さいよ!「大阪の目覚め」火を消すな〜! (keniti3545)


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 原発と安全―知事の疑問が示すもの

2014年4月24日朝日新聞社説」 全文

 原発事故の被害者を二度と出さない。原発の再稼働に前のめりな安倍政権に、本当にその覚悟はあるのだろうか

 再稼働をめざす全国の原発で新しい規制基準を満たしているかどうかの審査がすすむ中、東京電力柏崎刈羽原発を抱える新潟県泉田裕彦知事が、たとえ審査を通っても住民の安全は守れないと主張している。

 原発の安全性を高めるには、施設が厳しい規制を満たすだけでなく、万一に備えて避難計画をしっかり立てておくことが欠かせない。この避難計画づくりを担当する自治体トップの発言だけに、政権は真摯(しんし)に耳を傾ける必要がある。

 中越沖地震では柏崎刈羽原発の火災に直面し、福島第一原発の事故では被災者の救助支援を要請された泉田知事の指摘は、いずれも具体的である。

 中越沖地震では道路が寸断され、緊急車両すら動けなくなった。雪が深ければ一段と逃げにくくなる。いくら計画で避難先を決めても絵に描いたモチだ。知事は、各戸に核シェルターを作るしかないかもしれないと危惧するが、国や電力会社にその認識と覚悟はあるか。

 避難が遅れた住民を助けるには放射線量が高い地域にバスの運転手らが入らねばならない。現実には、民間人である運転手も被曝(ひばく)していいように法令を改めないとバスは避難に役立たないが、被曝限度を緩める合意形成をはかれるのか。

 事故対策そのものの甘さも指摘する。すべての冷却材が失われ、生身の人間が危険な高線量下で収束作業をするしかなくなったとき、誰が行くのか。事故の拡大を食い止めるため、電力会社の経営に重大な損害を与える決断が必要になったとき、経営が優先され住民が被害を受けない保証はあるのか。

 いずれも現実の事故で浮き彫りになった課題だが、議論は後回しになっている

 安倍政権は、今の規制基準は「世界一厳しい」と、基準をパスした原発は動かす姿勢だだが知事は「世界標準にも達していない」とし、うそをついてはいけないと批判する指摘は当たらぬというなら、政権は一つ一つ疑問に答える責任がある

 再稼働に期待する地元の中には、すでに避難計画をつくったというところも少なくないが、住民の安全を守る責務を負う自治体として、泉田知事の疑問を吟味し、自らの避難計画が本当に機能するか、つぶさに点検してほしい。事故が起きてから「想定外だった」という言い訳は、もう許されない。


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*.先日中学校時代のミニクラス会に出席したがその続きか?と、見まがうばかりの記事が 昨日の東京新聞コラム欄に「身につまされる世間の声として載っていた」ので覚えとしておく。身につまされる話であっても忘れないように覚え書きが必要なのか?(笑)


筆洗 東京新聞 2014年4月28日

 早いもので四月尽も迫る。齢(よわい)を重ねるほど一日や一年が過ぎるのが早くなる「人の感じる時間の長さはその年齢に反比例する」。「ジャネの法則というそうだ▼年齢による経験で時間の受け止め方が異なるためという。三歳の子にとって一年間は人生全体の三分の一。五十歳の人間には五十分の一。時が軽くなるということか。時の流れを押しとどめたい年齢層には嫌な法則でもある
もっと気の重くなる時間のたとえがある。「人生時間」という。年齢を三で割ってみる。人生を一日間に置き換えた場合、自分が何時にいるのかが分かるそうだ。三十歳なら割る三で十。午前十時。時間は十分にある。六十歳。二十なので午後八時。日没は過ぎたが、まだまだ十分楽しめる時間帯である
認知症の高齢者が行方不明になるケースが増えている。認知症の患者が増加し、しかも自宅介護の場合は介護するのも同じ高齢者。ずっと目を離さぬことは困難で認知症患者は外へ出る▼自分の家はここではない。自宅にいるのにそう思い込む人もいる。自分の家を出て「自宅」へ向かってさまよい歩く。なんとも切ない、無限の旅
人生時間の「深夜」の時間帯を過ごししかも判断力の衰えている人々に安心の灯火を用意するのは当然なのに国の対応は遅い政府の感じる時間と国民の感じる時間。認知症問題ではそれが違いすぎる


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