「keniti3545」since73:10月13日れ8℃「東日本大震災」「311フクシマ」948日 今日の一題「記憶から消そうとするな・放射線汚染!」

*朝トレ:「気持ち良い朝〜!」われの朝〜!が、秋の朝〜!に、成って戻ってきた。指先が冷たい秋の朝〜!「気持ち良い朝〜」。 日曜日にしても、8時前コースへ入って来るのは珍しい「シン君」倉井さん家の双子の兄弟「兄貴」のシン君「お早う御座います」はっきり澄んだ声で挨拶は相変わらず礼儀正しい此方もオーム返しに「お早う御座いま〜す」!どちらも立ち止まらずすれ違いシン君は東コースエンドで何やら拾い上げている

 あの位置は「クリ」だ、もう少し西へ戻るとドングリの木の枝が伸びているわれブログお休み前に拾い上げた「ドングリ」と「クリ」はキッチンの西窓辺、飾りかごの中に転がっているのを思い浮かべた。 お、「シン・リュウ君」のお婆ちゃんが「弥七」を連れて西コースエンドに立った

 われの本数は残「3本」と数えたところだったが、「西へ向かう上り勾配中程で挨拶交わした」「気持ちいいですね〜」「本当に!」で、すれ違った暫く以前にやはりシン君に行き会った時、「いや待てよ、違ったなシン君が左手指を骨折してたんだ」。 その時は「お爺ちゃんとリュウ君の組み合わせで行き会った」んだ。 友麻・昂佑の来る2、3日前だったな、「盆様終えて帰京だった」から2ヶ月前になるんだな〜!

 ”いやいや”この日記を書くようになって「2、3ヶ月以前の出来事を記憶出来るように成ってるようだ」われも90才までは恍惚の人ではなく少し動作の「のろい(遅い)」爺さんで居たいな〜と思っていたが、少々自信が涌いてきたぞ。 西空仰いで胸張ってみたが「カラス」は電線に居なかった。気持ちいい朝〜! いつもの一日に戻ったぞ〜。 



*「東日本大震災」「311フクシマ」948日


*今日の一題 「栃木県:那須・日光」小さなるつぼにも日本の「放射能汚染」が「写って見える」


(2013年10月13日08:55 原発のウソさん)カテゴリ除染関連東京・中日新聞


食のイベント 会場 除染後も不安 栃木・那須


東京電力福島第一原発事故後、高い空間放射線量が測定されてきた栃木県那須塩原市の公園で13、14両日、風評被害の払拭(ふっしょく)を目指した食のイベントが開かれる

主催する県は、除染で安全な水準になったとするが、住民団体の調査では、今も国の基準値を上回る場所が点在していることが分かった。県の意識の甘さが問われそうだ。(石井紀代美)


放射線量 国基準値以上が点在


イベントは、県内各地のご当地グルメ34点が集まる「とちぎ元気グルメまつり」。第一回の昨年は宇都宮市で開催、県内外から約12万人が訪れた

今年は、原発事故で特に打撃を受けた県北地域に観光客を呼び戻すきっかけにしようと、JR那須塩原駅の約6キロ西にある県営「那須野が原(なすのがはら)公園」(那須塩原市千本松)を会場とした


この公園で県が昨年夏、計107地点の放射線量を測定した結果、平均値は毎時0.70マイクロシーベルト(地上50センチ)と国基準の毎時0.23マイクロシーベルトを上回り、県内でも高い数値だった


県は、芝生を深く刈り込み、土を覆いかぶせる方法で除染を実施。県の計測では先月26日現在、公園内の平均値は0.21マイクロシーベルト。福田富一知事は「除染も順調に進んでおり、安心な環境をつくった上で来場者を迎えたい」とした


しかし、地元の住民団体那須野が原放射能汚染を考える住民の会」の西川峰城(みねき)代表らが今月8日、本紙記者とともに会場で、ベンチ周辺や木陰など来場者が休憩しそうな23地点を計測。22地点で国基準以上となり、最高は0.46マイクロシーベルトあった西川さんは「除染の効果は出ているが、まだ線量が高い」と指摘する


公園を所管する県都市整備課によると、測定は公園内7地点、イベント会場内では2地点だけだった。担当者は「公園の主な地点を測った」と説明する


それでも県観光交流課は「会場全体を平均すれば国基準以下」と主張する一方で、イベントを前に会場の線量の再測定を実施し、高い場所に花の鉢植えを置くなどして「それとなく人が近づけないよう対策を講じたい」と話した


2013年10月12日 東京新聞 2面より



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「keniti3545」

◎.行政の姿勢は国の方針を受けた上での措置? 当然ですよね? 下に抜き出した「東京新聞の記事の文言に聞き覚えあるお仲間もおいでかと思います」が、そして「チョット、チョット」本当にそれで良いのですか? と疑問符を付ける方が多いのではないかとも思います。

 記事内容の地区を生活圏内に抱える住民の皆さんは、難しい立場にあることがよく解るだけに「意見を口にすることを躊躇する気持ちも」あります。しかし、最早関東一円では一次、二次的な除染の終了宣言が行われたとしても、後々引きずる問題なので良く認識しておかなければ成らないことでもあります。


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県都市整備課によると>測定は公園内7地点、イベント会場内では2地点だけだった。担当者は「公園の主な地点を測った」と説明する

<それでも県観光交流課は> 「会場全体を平均すれば国基準以下」と主張する。一方で、イベントを前に会場の線量の再測定を実施し、高い場所に花の鉢植えを置くなどして「それとなく人が近づけないよう対策を講じたい」と話した (keniti3545)



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(keniti3545)
 われの言いたいこととは、毎回拙ブログ(日記)『火曜日の線量量測定の覚えに残し続けている言葉』ですが


◎.校庭・園庭・各人の家屋敷も、「除染された平面の線量値は当然低く」「立体の人工的造形物、樹木等自然の造形物、静止物、要するに物質の移動に障害となるものがある生活圏は今後も放射能が滞留しやすく、従って線量値は高いと言うことに成る」でしょう。← 考え変わらず。


◎.『行政の、線量値データに騙されないこと』。 「データ数値そのもがインチキ」と言うことではありません計る場所の選択が「故意に一番低い箇所」を測定しているのです。それは、決して「代表値とは言い難い」ことです。これが騙しのテクニックなのでしょうね。← 考え変わらず。

 本当は自分達で何処をどう測定して「自分達のデータとするとか」学校は特に必要な事ではないでしょうか。子ども達の被爆を少しでも少なくするために。 首都圏含めた関東地方はそう言う段階に来ているのだと思います。  (keniti3545) 恐いことですよ!


<それとなく人が近づけないよう対策を講じたい>
 もっとも卑劣な騙しじゃありませんか! 苦しくても知らしめて、知って(逃げる)避けるべきでしょう「風評」とは、事実を隔離(隠そうと)しようとするから起きることですよ!事実を共有することを一番に考えることが本来の姿じゃないんですか? これは、次の場所、「他所多くの地区に起こり得る」ことです。騙していたらきりがない何よりも事実を知らない人達に被爆を押しつけることになる、引いては子ども達の健康を損ねる元凶にも成りかねません

 花を飾って隠す知恵を出すなら「知らしめて共有・国の宝の子ども達を少しでも放射能被爆から守る」観点からの施策を考える(知恵を出す)べきでしょう。「花と一緒にセンスある看板を立てる」方法だってある放射能被爆の心配を、忘れさせようとする「今の日本」は「正常な思考からは、真逆な負の発想」をしているこれからの日本今後すくなくても「30年間」は、放射能被爆の問題を忘れる事があれば「子々孫々に対し、更なる罪を犯すことに成る」でしょう


これ等の問題点は「国指定8県102市町村を初めとする、他の国内どの地域でも起こり得る」ことを頭に置いておく必要があります>。 (keniti3545)



◎.これから7年間、除染も(内容が伴うかどうかが問題ですが)大々的に行われるでしょう、オリンピックを控えて。ここでも我々国民の監視の目は必要です。今此処でその大小の問題を拾い上げればきりがありませんが大きな心配事としては、「効率よく作業の運べる区域を思い切り広大に」除せん(放射性物質を含む土砂その他の集積量に対しての力が注がれることでしょう:只の推測ではなくこれまでの例から見ても)を行い、「対費用は莫大」なものになるでしょう

 しかし、これも第二義的な問題にしか過ぎません。 最大の心配事とは、除染面積・汚染物質を含む集積(物)量、そこからの換算放射性物質量、更には甚大なる「予算の消化額」(対予算の100%超?)。「対費用効果」を推し量る術もなく、費用の「消化額」に対して「捕獲管理出来た放射性物質量(推算)」これらの数値を持って = 東電の現在進行形の事故「福島第一発電所からの汚染水漏水による海洋汚染の否定」をした(アンダーコントロールと言う言葉の使用)如くの軽挙妄動に走られたのでは ”たまったものではない”と言うことだ。 (keniti3545)



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 「プラス1」下野新聞雷鳴抄(2013.10.13)

学力世界

 久しぶりに胸がすくニュースだった。経済協力開発機構OECD)が16〜65歳を対象に初めて実施した国際成人力調査(PIAAC)で、日本は読解力と数的思考力の平均得点が参加24カ国・地域のトップだった

教育最先進国というフィンランドを超えているところがまたうれしい年代別でみると、中高年は他国を大きく上回り、若年層は差が少なかった。戦後世代のオジサン、オバサンは胸を張りたい気分だろう

振り返れば木造校舎の55人学級、脱脂粉乳をミルクと称し、先生のちょっとした体罰は日常的だった。特段、切磋琢磨したとか努力したという覚えもない

今、少人数学級や、おいしそうな給食を目にすると、教育環境は格段に向上しているそれなのに若年層に他国との差が小さかったのはなぜだろう。国際水準以上なのだから、とがめるつもりはないし、教育を受ける側に責任はない

昔と違うところを探すと教える側の余裕だろう担任は休み時間に受け持ちの子どもたちとドッジボールをした。授業に追いつけない子を放課後に残して教え直した。そんなことの積み重ねが子どもの学力を伸ばしたのだろう

最近はそんな光景は見かけない。先生たちにやる気がないのではない。事務仕事に埋まって身動きが取れないのだ



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