「keniti3545」since73:9月14日れ21℃「東日本大震災」「311フクシマ」919日 今日の一題「廃炉時代はやって来る」!
*朝トレ: 玄関ポーチ6時30分、21℃夏が戻ったような感覚の朝。でも気持ちいいよ! 朝〜、気持ちいい朝〜! 今朝は「コースin」でススキの隊列から「露玉」を浴びた、シャツ濡れても気にならぬ温度だ。 良し、寝不足も吹っ飛んだぞ!気持ちいい朝〜!でした。
*「東日本大震災」「311フクシマ」916日
*今日の一題 「阿倍さん原発売る騒ぎじゃないですよ」! 「廃炉時代はやって来る」 今、たとえ原発止まらなくても廃炉技術は直ぐにでも必要なのだ! 「廃炉産業立ち上げ」でも目論んで下さいよ、貴方はオリンピック「招致成功の総理」で終われるでしょうがその後の不景気に何か技術を持つ算段もしておいて下さいよ!
明日大飯原発4号機も定期点検で止まりますよ〜! そしてこのままずっ〜と「原発0」の日が永遠に続くといいな〜! 原発要らな〜い! 再稼働はんた〜い! 原発売るな〜! です。
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朝日新聞デジタル【国末憲人】
(核リポート)閉鎖原発はまだ生きていた
■廃炉への旅:1
「廃炉」という言葉を、日々のニュースで頻繁に耳にするようになった。その大きな理由は、言うまでもなく福島第一原発事故だ。
「廃炉に何年かかるのか」
「その費用は」
被災地以外の場所で記憶が薄れ始めているとはいえ、事故の処理は市民の大きな関心事であり続ける。
また、事故をきっかけに国内各地の原発の安全性が問い直され、不安が残る原発の「廃炉」も取りざたされるようにもなった。
ただ、振り返ってみると、福島第一原発に限らず、わが国の原発は年老いている。1970年代に運転を始めた相当数に、寿命が次第に近づいている。あと何年かすると、いくつかの原発で廃炉のプロセスを具体的に考える必要が出てくるだろう。福島第一原発事故がたとえなかったとしても、あるいはその原発が活断層の上に建てられていなかったとしても、いったん原発を持った以上、廃炉は避けて通れない過程だ。
迫り来る「廃炉の時代」を前に、世界で何が起きているのか。私たちは何ができて、何ができていないのか。これから何が必要なのか。
そのような問題を、廃炉の過程を追うことによって考えてみたいと思った。主な内容は、朝日新聞の日曜版「GLOBE」の特集「廃炉の時代」(7月21日付)で報告したが、その取材過程も含めた記録の一部をここで紹介したい。
■警戒感ありあり
廃炉はいわば、原発の葬式だ。厳粛に、淡々と、しかし周囲に迷惑をかけることなく、ハプニングを起こさないよう、執りおこなう必要がある。重要だが、面倒で、地味な営みだ。特段関係のある人以外はあまり関心を持たない種類の営みかも知れない。
しかし、すべてを葬儀屋に任せきりにしてしまうと、とんでもない費用を請求されるかもしれない。生前にご恩を受けてきた親族や知人と、専門知識を持つ葬儀屋とが協力してこそ、葬儀はスムーズに進められる。廃炉にもまた、専門知識を持つ運営主体と同時に、電気を享受してきた市民自身もかかわる姿勢が欠かせない。
まず国内の現場を見ようと考えた。国内で現在、廃炉(廃止措置)にかかっている原発は4基。日本原電東海発電所(茨城県東海村)、日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」(福井県敦賀市)、中部電力浜岡原発1、2号機(いずれも静岡県御前崎市)だ。ちなみに福島第一原発は、俗に「廃炉」と呼ぶものの、実際の廃炉の過程にはほど遠い段階にある。廃炉までに越えなければならない課題が山積しているからだ。
4基に取材を申し込んだ。「受け入れた例がない」「見せるべきものがない」などと、いくつかはとりつく島もない。原発に対する世論が厳しい昨今、「何か悪口を書かれるのでは」との警戒感がありありだ。最終的には4基すべてを訪問することができたのだが、その中で、訪問依頼後すぐに受け入れの回答をしてきたのが「ふげん」だった。4月半ば、必要な手続きを済ませ、現地に向かった。
■原発はまだ生きている
「ふげん」は福井県嶺南地方、日本海に突き出た敦賀半島の先端近くに、日本原電敦賀発電所1、2号機と隣接して立つ。1978年に運転を開始、2003年に終了し、以後廃炉作業が続く。
岩永茂敏技術主席(59)の案内で、施設内に入る。緩やかな風が外から吹き込んでいるのを感じる。
この風は、原発から放射性物質を外に逃がさないためだ。内部の気圧を少し下げ、風を外から吹き込ませている。中に入った空気の排出口は1カ所に絞り、そこで放射性物質の漏れを監視する。
手袋、白衣、帽子をかぶる。靴下も履き替える。放射性物質が衣類に付着するのを防ぐためだ。線量計を身につけ、専用の靴をはき、ヘルメットをかぶる。
タービン建屋の地下に下りる。ゴーッと音が響く。使用済み燃料プールを冷却するためのポンプの音だという。換気設備や放射線監視装置も、もちろん稼働している。「閉鎖されても、動いている機械はまだたくさんありますよ」と岩永さんが説明する。
原発では、解体が完全に終了するまで維持管理に気を使わなければならない。その間、換気装置や空調をオフにはできない。放射性物質の漏れを防ぐためだ。それが、ビルを壊す作業との大きな違い。原発は最後まで生きているのである。「その間は、定期点検も続けなければなりません」
続く部屋に入ると、真っ暗だった。岩永さんが電気のスイッチを入れる。「不要なところは照明を落としています。経費節減のためです」。まだ生きているとはいえ、発電を終えた原発はもう、何の利益も生み出さない。いかに安く壊すかは、避けられない課題だ。「安く」かつ「安全に」のバランスに、どの原発も苦心しているようだ。
タービン建屋の一階は、まるで航空機の製造工場かと思うほど天井が高い。クレーンが設置されているためだ。一次冷却水が流れていた配管の一部を、作業員が5人がかりでクレーンでつり上げ、移動させる作業の真っ最中。その横には、細断された配管がビニール袋詰めとなり、積み上げられている。「ビニールに入れる程度で大丈夫なほどの汚染の度合いです。タービン周りの汚染は意外に少ないことが、実際に作業を始めてみてわかりました。今後の原発の解体にとって参考となるでしょう」
裁断された配管一つひとつに、データが打ち込まれた管理票がつけられている。配管の材料は何か、系統のどこに配置されていたか、汚染の度合いはどうか、などを示す。このデータをもとにすると、再び原発をつくりなおすのも可能だという。
建屋の中に、ビニールで厳重に覆った一角があった。放射能が強い場所だろうか。そう思っていると「あれは、アスベスト対策ですよ」と岩永さん。そう言われて拍子抜けする。いや、放射能よりもアスベストの方がずっと危険な場合だってあるから、気を抜く場合ではない。実際にここにアスベストが使われているわけではなく、その可能性があるために密閉された空間で作業を進めるのだという。
■研究を兼ねた解体
「ふげん」の廃炉は、単に安く解体するだけが目的ではない。様々な作業方法を試みることによってどの手法が効率的かを調べる研究の意味合いも帯びている。将来日本で相次ぐだろう廃炉に向けて必要なデータを積み重ねるためだ。
「ふげん」の運営主体は、他の原発のような電力会社でなく、独立行政法人の日本原子力研究開発機構。廃炉作業で民間企業に工事を発注する際も、年度ごとに入札を実施するのが原則だ。つまり、昨年度作業を担当した企業が今年度も継続するとは限らない。このため、年度末に機材をいったん全て片付け、また一から始めなければならないという。訪問した4月は、ちょうど年度初めで、新年度の作業もまだ本格化していなかった。
施設内に37分間滞在し、管理区域の出口で被曝(ひばく)線量を図った。「誤差が生じて、時には10マイクロシーベルトの被曝を示すこともある」というが、結果はゼロだった。
「ふげん」廃炉の過程でノウハウが蓄積できれば、その技術を他の原発にも応用できるし、海外の原発の廃炉で活用する可能性も考えられる。「『ふげん』はいわば、廃止措置の時代のフロントランナーだ」と岩永さんは話した。
■つくる時とは違う難しさ
「ふげん」を見学して、少し見えてきたことがあった。一言で「廃炉」と呼ぶものの、その作業が複雑で、時間がかかるということだ。また、原発を壊す際には、原発をつくる際とは違う難しさがありそうだ。単純に言うと、つくる際に放射能はないが、壊す時には放射能がある。その壊す作業には、専門技術を持つ様々な企業がからんでいる。
その現状を海外にも見たいと思った。もっとも、こちらの取材も大いに難航した。英国では在日大使館の協力で原子力研究所への訪問が可能になったものの、原発大国フランスには訪問を断られ、ドイツも協力的とは言い難かった。その中で「受け入れましょう」と回答してきた原発があった。
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くにすえ・のりと GLOBE編集部記者。1987年入社、大阪社会部員、広島支局員、パリ支局長などを経て現職。著書『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)など、共著『原爆ドーム』(朝日新聞社)など。
廃炉の時代[GLOBE]
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「イグナリナ原発」
■廃炉への旅:2
【国末憲人】:
原発の多くは、人里離れた土地や、開発が進まない地域に位置している。バルト三国の一つリトアニアのイグナリナ原発も、ベラルーシ、ラトビアとの国境に近い、深い森の中にあった。
首都ビリニュスから車を借りて、松とシラカバの間の一本道を延々と進む。いくつかの小さな町や村を通り過ぎて2時間あまり。木々の向こうに、赤と白に塗られた2本の煙突が見えてきた。
姿を現した建物は、1号機と2号機の原子炉建屋を横につないで、合わせて全長600メートルに及ぶ威容である。土地代など気にしないソ連ならではの建造物だ。
イグナリナ原発は、ソ連時代の1983年に1号機(150万キロワット)が、87年に2号(同)が、稼働を始めた。しかし、86年に事故を起こしたチェルノブイリ原発と同じ黒鉛減速炉(RBMK)であることから、安全面で不安を抱く欧州連合(EU)は、非公式ながら廃炉を強く要求。政治家や高官が「廃炉にしない限りEU加盟は認めない」との発言を繰り返した。
当時リトアニアは、電力の原発依存度が時に9割にも達しており、原発の存続を求める世論が国内では強かった。しかし、ロシアの影響力を脱するためにもEU加盟を最優先課題と受け止めるリトアニア政府は、最終的に閉鎖を受け入れた。1号機はリトアニアのEU加盟実現と同じ2004年に、2号機は09年に閉鎖された。
以後、EUなどの支援を受けて廃炉作業が続いている。1号機ではすでに、使用済み核燃料の搬出も終わり、発電機の解体が進む。2号機の原子炉と燃料プールにはまだ、核燃料が残っている。核燃料の総計は約2万本に及ぶ。
「廃炉に向けて、少しずつですが、作業は進んでいます」
発電所長顧問のサウルス・ウルボナビチウス氏(58)が迎えてくれた。昨年まで廃炉部長を務め、来日して東海、浜岡両発電所の廃炉状況を視察したこともあるという。
入社したのは、まだイグナリナ原発が稼働する前の1982年。以後一貫して原発の運転にかかわってきた。「自分がいる間に廃炉になって、その作業を担当することになるなんて、思いもしなかったよ」と苦笑いした。
■一本道の迷宮
入り口で警備員のチェックを受ける。事前に登録しておいたカメラ2台と録音機以外は取り上げられる。暗証番号のついた鉄格子の回転扉を2度通り、着替え室に入る。ウルボナビチウス氏から「全部脱げ」と言われ、2人でパンツ1枚姿になる。まるでサウナにでも入りそうな雰囲気だ。だぶだぶの白衣を着る。
少し進んだところにもう一つの着替え室があり、先ほど着たばかりの白衣を脱いで新たな白衣を着る。靴も取り換える。何度も着替えることで、出る際に付着する放射性物質が減るという。着替えをすること自体は「ふげん」訪問の際と同じだが、こちらの方が手が込んでいる。ヘルメットもかぶり、ようやく構内に入る。
1号機の西端から入り、2号機の東端近くにある原子炉入り口を目指す。建屋を貫く廊下は薄暗く、600メートル先の終点が見えない。狭い廊下を、延々と歩く。午後1時過ぎ。「昼飯の後にちょうどいい運動だよ」とウルボナビチウス氏は再び笑う。「ここにいると、1日のほとんどを歩いて過ごしている」
行き交う人はいない。廊下の両側には重い扉が何十も並ぶ。配電室や研究室だという。地下の秘密通路にでも入り込んだかのような気分になる。
実際、あまりに同じような扉ばかりなので、一本道なのに迷ってしまった。上階の原子炉入り口に至るエレベーターが見つからない。「ええっと、どこだったっけ」とウルボナビチウス氏。あちこち扉を開いてみるが、いずれも中は真っ暗だ。「あった、あった」。ようやく見つけたエレベーターは、しかし4メートル分しか上がらない。「残りの17メートル分は階段だ」。歩き疲れ始めた足を運びつつ、ソ連のアナログ世界を実感する。
■核燃料は入ったまま
原子炉の入り口で係員のチェックを受け、手袋と靴カバーを着ける。扉を三つくぐってさらに階段を上がると、原子炉の真上にいきなり出た。
体育館のように広々とした空間。数字の書かれた、ところどころ色分けされた金属製パネルが床にはめられている。原子炉を覆うカバーだ。「この7メートル下に原子炉があります」。そこにはまだ、核燃料が入ったままだ。
この部屋から壁を一つ隔てた燃料プールには、1号機の核燃料も貯蔵されているという。
天井は高く、クレーンが備え付けられている。「これが、かの有名なRBMKのクレーンですよ」とウルボナビチウス氏。原子炉を停止することなく、運転中のまま燃料交換できるのがRMBKの特徴だ。クレーンはそのためのもの。作業の際には燃料がむき出しになるから、すごい放射線だろう。作業員は立ち退くのか。「当然です。交換の際にここにいたら、大変なことになりますよ」。作業は全部遠隔操作だという。
原子炉周りの解体は、まだめどが立っていない。「核燃料があるうちは、手がつけられませんね」。早く核燃料を搬出して解体に取りかかりたいところだが、核燃料の中間貯蔵施設の建設計画が滞っており、作業開始は来年以降になるという。
原子炉の上を離れる際、被曝(ひばく)線量を図った。ロシア語の表示板に3とか8とかの数字が緑色で現れる。ゼロではないのでちょっとギクッとするが、「大丈夫。緑色だから」とウルボナビチウス氏は平気だった。本当に被曝したら別の色になるという。
■壊せばいいわけじゃない
続いて、2号機の制御室を訪問した。白衣の作業員たちが、所在なさげにパネルを眺めている。稼働中は6人で原子炉を運転をしていたが、現在常時詰めるのは2人だけだ。もっとも、核燃料がまだ中にあるから、監視を怠るわけにはいかない。すでに燃料搬出の終わった1号機の制御室は無人だという。
パネルの一角は、電気が完全に消え、真っ暗になっていた。「この部分は発電機を管理する機器です」。この発電所がすでに発電を終えていることを思い出した。
その左の電子盤は原子炉の制御だ。「まだ燃料が残っているので、万全を期して監視を続けています」
原子炉の建屋とつながったタービン建屋に回る。1号機と2号機のタービンや発電機が並ぶ、とてつもなく巨大な空間だ。雰囲気は「ふげん」とかわらないが、何倍も大きい。薄暗いなか、作業員たちは機器の分解の真っ最中。1号炉の発電機が輪切りにされている。あちこちでクレーンも動く。造船工場か何かのようで、活気にあふれていた。
もっとも、その隣にある2号機の発電機の解体はあまり進んでいなかった。タービンも発電機もそのままになっている。「1年半ほど後にもう一度来てみてください。きっと、きれいに片付いていますよ」とウルボナビチウス氏が言った。
廃炉の過程はなかなか複雑だ。単にどんどん壊せばいいというものではない。例えば、発電所が発電を止めてしまったため、従来あった暖房装置も機能しなくなった。廃炉作業に携わる職員が厳しい冬も作業を続けるために、新たに暖房施設を建設する必要が生じたという。
確かに、暖房を供給するための目新しいビルが敷地内に建てられている。何だか、壊しているのかつくっているのか、わからなくなってきた。
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くにすえ・のりと GLOBE編集部記者。1987年入社、大阪社会部員、広島支局員、パリ支局長などを経て現職。著書『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)など、共著『原爆ドーム』(朝日新聞社)など。
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朝日新聞デジタル 2013.09.07(核リポート)
貯蔵施設に絡みつく「政治」
■廃炉への旅:3
【国末憲人】:
2009年末に最終的に運転を停止したリトアニアのイグナリナ原発では、2029年末までに施設全体を解体する廃炉計画が進められている。ただ、まだ始まったばかりの行程はすでに、4年ほどの遅れが出ているという。
遅れの最大の原因は、原発近くに建設される使用済み核燃料の暫定貯蔵施設「B1」の稼働のめどが立たないことだ。2004年に運転を停止した1号機の核燃料は、搬出されたものの、持って行きどころがなく、現在は2号機のプールに入れられたままになっている。核燃料をどこかに持っていかない限り、原発を解体することもできない。維持費もそれだけかさむ。
■「お役所仕事が稼働遅らせた」
貯蔵施設「B1」の建設を請け負ったのは、廃炉事業の経験を持つドイツ系企業「ニューケム技術」だ。リトアニア側は、「B1」稼働の遅れの原因がこのニューケム技術の対応にあるとして、批判している。特に問題視しているのが、ニューケム技術が下請けに用意させた使用済み核燃料の格納容器だ。
リトアニア側はこの容器が十分な安全性を備えていないと見なし、設計をし直すようニューケム技術側に要請。ニューケム技術側は反論し、問題が泥沼化した。リトアニアのメディアが連日取り上げるスキャンダルとなっている。
ちょうど首都ビリニュスに滞在していたニューケム技術のベアテ・シェフラー広報部長に会った。「これは、技術的な問題ではありません。政治的な問題です」。彼女はのっけから、リトアニア側の対応を批判した。
彼女の説明によると>、「B1」自体はすでに2011年の時点で9割ほど完成している。格納容器をリトアニア側が受け入れれば、何の問題もなく稼働するという。
「この格納容器は、イグナリナ原発ですでに20年前から使用されているものです。なぜ今さら、安全性の問題などを持ち出してくるのか、理解できない。物事が進まないのは、リトアニアの官僚主義、お役所仕事のせいです」と話す。
リトアニアの行政能力に様々な疑問が持たれているのは、確かなようだ。手続きが煩雑だったり、行政の書類審査が滞ったり。ソ連から独立してまだ20年あまり。2004年には欧州連合(EU)に加盟したものの、社会主義時代のくせがなかなか抜けず、事務レベルが主要国の水準に達したとは言い難いという。
「官僚主義は、リトアニア全体にはびこるソ連時代の遺産だ」と、地元経済記者もシェフラー部長の見方を裏付けた。
■ロシアの陰謀?
ただ、それ以上にニューケム技術が政治的に動いているのでは、と疑う声も根強い。「ロシアの意向を受けて『B1』の建設をわざと遅らせているのでは」との臆測だ。というのも、ニューケム技術は「B1」建設にかかわるようになって以降の2009年、ロシアの国営原子力企業ロスアトムの子会社に買収されたからだ。
地元経済誌「ベルスロジニオス」のロランダス・バリサス編集長(52)は「多くの市民は、作業の遅れの背後にロシアの策謀を見ている。ロシアがこの廃炉を、地政学上の駆け引きに利用しているのでは、と疑っている」と語る。ニューケム技術を操り、イグナリナ原発の廃炉作業をわざと遅らせることによって、ロシアはリトアニア政府に揺さぶりをかけている、というのである。
1990年に独立回復を宣言したリトアニアは、その電力をイグナリナ原発に依存してきた。原発稼働当時の依存度は時に約90%にも達し、75%程度のフランスを上回って世界一となっていた。国土が平地ばかりで水力発電に期待できず、ガスの供給もほぼ100%をロシアからの輸入に頼る同国にとって、原発は国家のエネルギー安全保障に直結する施設だった。
EU側からの圧力でイグナリナ原発は廃炉とせざるを得なかったものの、リトアニアとしては一刻も早く後片付けを済ませ、新たな原発をバルト三国共同で建設したい。そうでなければ、小国リトアニアのエネルギー確保のめどはたたず、隣接する大国ロシアの言いなりになる恐れが拭えない。
一方ロシアは、ガスや石油の輸出を通じて周辺諸国への影響力を保とうとしている。従って、リトアニアの廃炉の作業が遅れ、新たな原発の建設が滞るほど、ロシアにとっては都合がいい。ロシア企業がニューケム技術を買収したのも、イグナリナ原発の廃炉作業に介入するためだろう??。そのように考える市民は少なくないという。
「ロシアの政治家らの動きを見ていると、帝国主義的な野望を再び抱こうとしているのでは、と感じます」とバリサス編集長は言う。
■「国家の独立」ゆずれない
ニューケム技術がロシア企業に買収されたことで、ロシアの影響力をどれほど受けるのか。ニューケム技術のシェフラー部長は,その影響を否定して「私たちはロシアの企業ではなく、ドイツの企業だ」と臆測を一笑に付した。しかし、市民の疑念は、簡単には拭えない。
リトアニアでは、ソ連とロシアへの不信感が根強い。1940年にソ連に併合されて以降、独立を求めた多くの市民が虐殺されたりシベリアに送られたりした。1990年の独立回復宣言後は、ソ連部隊の攻撃によって多くの犠牲者が出た。
イグナリナ原発を取材しているビリニュスの経済記者ユルギタ・ラピエニートさん(24)は、リトアニアが置かれた状況をこう語る。
「わが国とロシアとの関係が決して悪いわけではありません。いまだロシア語を話す市民は珍しくなく、ロシアに友人を持つ人も多い。一方で、ロシアの言いなりになりたくないとの意識も、私たちには強いのです。だから、イグナリナ原発の廃炉も、経済上の問題としては片付けられない。ロシアからいかに独立を保つかという、政治的問題として受け止めざるを得ないのです」
貯蔵施設建設の遅れという、一見技術的な問題の背後に、様々な思惑が交錯している。それは、原発そのものが単なる技術的、経済的な施設にとどまらず、少なからず政治性を帯びた存在なのだと、物語っているように思えた。(以下続く)
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くにすえ・のりと GLOBE編集部記者。1987年入社、大阪社会部員、広島支局員、パリ支局長などを経て現職。著書『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)など、共著『原爆ドーム』(朝日新聞社)など。
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◎. 廃炉の難しさも当然、しかし本当は核のウンチ(使用済み核燃料その他)処理が出来なければ廃炉作業も進まないはず。記事中にも「核燃料を装着したままの炉をも扱う」ような事が書いてありますが、全くの素人解体屋さんじゃないんですかね? 解体作業こそ国際基準を設けて「IAEA」なりが、確り査察を入れるとかしないとまた大きな事故につながったりしませんかね?? (keniti3545)
◎.政治(経済)の圧力が成せる廃炉、言わば不純な廃炉から→「脱原発の必要性」を説き、その為の協力を出来るのは何処の国なんでしょうか? 日本も自分のケツも拭けない安倍政権ではお話しにもなりませんが「リトアニアみたいな国を脱原発に導ける国」はないのでしょうかね〜。 明日の朝、カラスには「日本の方がよっぽど可哀想」でしょう!と言われそうですが・・・・(keniti3545)
◎.こっち側の危ない国の危ない大統領とも仲良くしようとする阿倍さんには付き合いきれないね! (keniti3545)
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