「keniti3545」since73:8月7日17℃「東日本大震災」「311フクシマ」881日 今日の一題「”8月6日”昨日に次ぐ 核廃絶の願い ”その2”」
*朝トレ:気持ちいい朝〜!、晴れた空〜、2倍気持ちいい朝〜! 朝トレ後シャワーに玉子掛けご飯、そして「お袋デート」に出かけます!気張った一日をスタートしま〜す! (今日の手みやげはスイカにしよう!)
*「東日本大震災」「311フクシマ」881日
*今日の一題 「”8月6日”昨日に次ぐ 核廃絶の願い ”その2”」
「この時期だけ声大きくして、”核廃絶を謳うマスコミに問う”」
「原爆と原発・広島長崎と福島」・ 「核兵器に関する非人道性を大きく訴え続けた文壇(文学):それに引き替え”書く・話す”を主戦場のマスコミが果たした貢献は如何ほどか? ”何時も一過性” ”何時も自分のエゴを通す身勝手”さが(利益の追求に軸足がある、政府よりに)大きかったのではないか」?!
今は自身の使命を思い起こして『原発推進に待ったを掛ける気概を持ってはもらえまいか?! 日本を蘇らせる先鞭を付ける力を発揮してはもらえまいか?! 日本を救う ”一大プロパガンダ”を打てないものか?! もしそれが叶わないのなら大手新聞は、せめて国民の ”誤先導”をしないためにも「一斉廃刊・若しくは休刊」をしていただけませんかね』。
そうしてくれれば国民が「自分のことを自分で確り考えられる」ようになるでしょうから。その結果は、どうあろうと最早だれも「あなた方の」せいにはしませんよ。そうお願いしたいぐらい「今のマスコミは害毒しか流していない」んですよ。 (keniti3545)
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朝日新聞社説 2013.8.6
(社説)広島・長崎と福島 凶暴な原子の力、直視を
核兵器と原発は長年、切り離して扱われることが多かった。それは正しかったのだろうか。
68年前の広島、長崎の原爆被害に続き、福島でも核エネルギーによる途方もない被害を生じさせてしまった。
核が抱える想像を絶するリスクに正面から向き合うことが、もはや待ったなしの時代だ。
■「核の飢餓」の恐れ
核兵器の非人道性に焦点を当てて禁止につなげよう――。今年4月、ジュネーブで開かれた核不拡散条約(NPT)準備委員会に提出された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」は、外交交渉での原点回帰の動きを示すものだ。
非人道性を憎み、化学兵器や生物兵器だけでなく、クラスター爆弾や対人地雷も禁止条約ができているのに、核兵器が禁止されていないのは道理に合わないのではないか。国際NGOの力強い主張が近年、多くの政府に浸透し、外交の表舞台でも共有されるようになってきた。
80カ国が賛同した「共同声明」は、核兵器が使用された場合の制御不能な破壊力、無差別な惨害の非人道性を指摘する。
パウエル元米国務長官が朝日新聞の取材に「極めてむごい兵器で、軍事的には無用」と発言するなど、かつて核保有国で安全保障政策を担った重鎮が次々と核廃絶論を公言している。保有国は「共同声明」に賛同していないが、核はますます「使えない兵器」と化している。
「共同声明」は、核戦争が国境を越えて環境を破壊し、次世代から健康、食料、水などを奪うとも主張する。
米ロの全面核戦争では、舞い上がったすすや粉じんで「核の冬」が訪れるとされてきた。
アラン・ロボック米ラトガーズ大教授(環境科学)らの最新研究は、インドとパキスタンがそれぞれの保有量の約半分の広島型原爆50発を使う地域核戦争(世界の核兵器爆発力の0・03%)が起きると、すす・粉じんによる気温低下やオゾン層の破壊による紫外線増加で、世界は「核の飢餓」に直面する恐れがあると指摘する。
私たちはいまも、核戦争による破滅の縁にいるのである。
■核拡散の60年
原子力にはそもそも核兵器への悪用、つまり核拡散のリスクがある。
60年前、アイゼンハワー米大統領が国連総会で「平和のための原子力」演説をしたことが原発利用拡大のきっかけとなった。大統領は核物質と核技術の国際管理を提案し、軍事から民生利用への転換を促した。
演説のあと、国際原子力機関(IAEA)とNPTが生まれた。しかし、国際管理は実現せず、拡散が進んだ。米ロ英仏中に加え、インドとパキスタン、北朝鮮が核実験。イスラエルも核保有が確実視され、イランの開発疑惑も続いている。
今後、途上国での原発急増が予想されるが、核兵器用の高濃縮ウランやプルトニウムを入手する隠れみのになりかねない。
原発経由の核拡散リスクをどう考えるべきか。
オーストリアはNPT準備委員会で、原発事故や核テロ、核拡散を懸念し、「平和利用という権利を使わない選択をした」と表明した。破滅リスクを避ける脱原発政策は傾聴に値する。
■原発政策も見直せ
日本政府は米国の「核の傘」への影響を考慮して「共同声明」には賛同しなかった。将来の賛同には含みを残した。
だが、核の非人道性を確認するだけでなく、核リスク脱却と逆行する原子力政策の転換にもっと力をこめる必要がある。
安倍政権は原発輸出に前のめりだが、核拡散だけでなく被曝(ひばく)・環境汚染のリスク、放射性廃棄物問題の輸出になりかねない。NPTに背を向けるインドと原子力協定を結べば、NPT空洞化を進めることになる。
日本の余剰プルトニウム保有への世界の厳しい目に対しても、自覚が足りない。安倍政権は明確な削減計画を示さないまま、使用済み燃料からプルトニウムを取り出す事業の継続を表明している。倒錯した政策は一刻も早く放棄すべきだ。
むしろ、リスクを増幅するような甘い核拡散防止体制の改革を主導することこそ、世界が日本に期待するところだろう。
今後、「共同声明」の趣旨を世界の基調にしていくには、発想の切り替えが不可欠である。
広島原爆がテーマの戯曲「父と暮(くら)せば」を書いた井上ひさしは生前、「遅ればせながら『心の被爆者』になろうと思う」と被爆者の手記を読みあさった。
より多くの日本人が被爆地の惨禍をもっと思い起こし、福島の被災者の苦境もきちんと知る。ヒバクによる健康被害の不安や恐怖などを共有し、「心のヒバクシャ」となって、人類と核の間に横たわる矛盾を内外に発信していくべきではないか。
私たちはいま、非核時代へ世界を向けられるかどうかの岐路に立っている。
◎.こう言う朝日さんが、普段原発推進の政府公報的な発信をすることは絶対許されないことですよ! (keniti3545)
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【社説】東京新聞2013.8.6
核の非人間性を広島から世界へ伝えた詩人たち。峠三吉没後六十年。書き継がれ、語り伝えられ、色あせることのない叙事詩。そして今3・11文学へ。
広島市在住の詩人、御庄(みしょう)博実さん(88)は、ゆっくりと、壊れ物でも扱うように、横長の赤い冊子の表紙を開いて見せました。
<贈呈 御庄博実様 風立ちぬ いざ生きめやも 峠三吉 一九五一・九・二三>
か細い青い万年筆の文字。「原爆詩集」の初版です。
もう一枚開きます。
あの有名な「序」は、ガリ版刷りの手書き文字のようでした。
<わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ>
わずか八行、すべて平仮名のそれを目にしたときの衝撃を、御庄さんは今も忘れられません。凝縮された怒りと悲しみが、体中を貫いていくような。
岡山医大生だった御庄さんは肺結核で療養中に、同じ病を養う峠の詩に出会い、魅せられ、峠たちが創刊した反戦詩の同人誌「われらの詩」の編集に三号から参加した。
病状が落ち着いて復学が決まり、広島の峠の家へあいさつに訪れたとき、インクのにおいが立ち上る「原爆詩集」を贈られた。刷り上がって三日目でした。
八歳年上の峠を御庄さんは、兄というより姉のように慕っていたそうです。そう言われれば、「序」に表れた、まっすぐで強い怒りだけではない、全編を貫く<にんげん>へのやさしいまなざしが、詩の言葉に命を注いでいるように思えてなりません。
肺結核は、当時死の病。血を吐きながら詩作に挑む日々。自らの病と命に向き合いながら、峠三吉は、理不尽に命を奪うものへの激しい怒りを、どうやって、やさしさに昇華させたのか。死を凌駕(りょうが)する詩の力というのでしょうか。
◆出版統制かいくぐり
自費出版で五百部だけ印刷された小さな詩集は、連合国軍総司令部(GHQ)が報道や出版を統制したプレスコードの網をかいくぐり、版を重ね、広がった。
<にんげんをかえせ>は一九七八年、ニューヨークの第一回国連軍縮特別総会でも朗読され、その韻律は世界の心を揺さぶった。
「原爆詩集」が贈られたその日、二人は夜を徹して、文学のこと、平和のこと、病気のこと、そして命のことを語り合いました。
御庄さんは、その夜、峠に「叙事詩ヒロシマ」を書いてほしいと迫ったことが、忘れられません。
あの日広島で起こった出来事を、真実を、より具体的に、そして永遠に歴史に刻み込むような壮大な作品を。
峠も興味を示していたそうですが、果たされず、峠三吉は二年後に三十六歳で亡くなりました。
御庄さんは、今も叙事詩を書いています。先月末に出版されたばかりの詩集「川岸の道」。あとがきには、こうあります。
<「歴史不在」のままに「原子力の平和利用」という言葉に呪縛されつづけて半世紀が過ぎた。僕たちはいま「生命」と「歴史」とに、飾りなく赤裸々に、真正面から向きあわなければならないのだ>
ヒロシマの光景がフクシマのそれに重なって見えるのは、広島の時間が福島のそれに、つながっているからではないのでしょうか。
御庄さんや峠だけではありません。栗原貞子の「生ましめんかな」が命の尊厳をうたい上げ、井伏鱒二や井上ひさしが原爆の罪の深さを告発し、「はだしのゲン」が子どもたちの心に平和の種をまき、「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」を戦争を知らない世代が描き継いで、そして…。
<ヒロシマ文学>はそれ自体、長大な叙事詩なのではないか。だとすれば、ひと続きの歴史を踏まえ、その先に持続可能な未来の光を示すことこそ、このごろ目立って増えてきた<3・11文学>の役割なのかもしれません。
◆想像力を働かせねば
例えば、いとうせいこうさんの「想像ラジオ」が「まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ」と嘆き、想像の翼を広げて、死者の声に耳を澄ませと、訴えているように。
死期を知り、だが書き継がれる未来を信じて峠は、自著の扉に「風立ちぬ…」と書いたのか。
私たち読者も、想像力を働かせねばなりません。ともすれば歴史の底に沈んでしまう声なき声を拾い上げ、命の重さをくみ取って、自分なりの未来を思い描けるように、いざ生きめやも、なのです。
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◎.マスコミ冷静にニュースを伝える使命は大切なこと、しかし国民の生命・この国の正義を語る時の本気度は更に大切なことではありませんか?! 真の「ジャーナリズム」とか、とんと言葉にしないマスコミに「喝」!「カ〜ツ」!です。 (keniti3545)
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「プラス1」消費税の逆進性
「消費税upのタイミングを頻りに気にする阿倍さん」も、「逆進性の突っ込み」を恐れてる?
【逆進性】:それぞれが逆の方向に進む傾向。例えば、消費税率が上がると低所得者ほど収入に対する食料品などの生活必需品購入費の割合が高くなり、高所得者よりも税負担率が大きくなるということ。
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2013.8.6 「Madder cloud」さんのブログから解りやすい説明を頂きました。
「消費税は貧しい人に不利な税」
これを「消費税の逆進性」といいます。
お金持ちと貧乏人が友だち同士だとして*1、小腹がすいてコンビニに入ったとします。
二人とも105円のツナマヨおにぎりを買って食べたとします。
双方とも小腹が満たされました。
お金持ちと貧乏人とはいえ同じ人間であり、体の仕組みは変わらないので、おにぎりを食べて小腹が満たされるのは同様です。
つまり、同じ効用を得ています。
ここで支払っている消費税は二人とも5円です。
が、しかし、お金持ちと貧乏人とでは貯金で持っている財産が違います。
お金持ちが1億円の貯金をもち、貧乏人が17万円の貯金しかない場合、同じ満足を得ていながら、貯金に占める消費税の重さは、貧乏人に圧倒的に強くのしかかります。
お金持ちも貧乏人も、生き物として何を必要とするかは似たようなものなので同じ消費行動をすることがよくありますが、消費税が高くなればなるほど、お金持ちはよりラクラクと、貧乏人はいっそう苦しみながら必要なものを買わなくてはならなくなります。
このように、消費税は非常に不平等性の高い税です。
「財政再建のため」というタテマエのために消費税を上げようという主張をする政治家、役人、識者、マスコミ人が大勢いますが、かれらの共通点は金持ちだということです。
平たく言えば、彼らは自分に有利な税で社会の負担を賄わせようとしているだけなのです。
「財政再建」などといった、公共性の皮をかぶった利己主義にだまされないよう、情報収集はテレビや新聞以外で行いたいものです。
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◎.「Madder cloud」さんも同じく憂いていますね、昨日の日記でわれもそんなに騙してばかりなら、大手新聞さんは暫く休刊か、どうせなら廃刊して下さいと言っておきました!? (keniti3545)
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