「keniti3545」since72:2月9日(土)晴れ−10℃「東日本大震災」「311フクシマ」702日 今日の一題「正念場だ!異議申し立ての出来る国民になろう!」

*朝トレ:7時玄関新聞取りに出て「−10℃」今シーズン多分2回目の二桁だ! お袋さん、やっぱりこの「間言われた通りですよ! 「おさおさ怠りなく」水道も凍らせなくて済んだよ〜 (帯ヒータ付けていても夜半から8時までは水をチョロチョロ出しておかなければ凍ってしまいます褒めてやってちょうだ〜い) 「笑ってる笑ってる」11日に行くからね〜!
と言うことで、今朝も「朝トレはダメ」出し。昼時散歩で、コース雪確認明日も第二のコースの方が無難だな〜。



東日本大震災「311フクシマ」702日



*今日の一題

2013年02月08日12:27 原子力規制委員会東京(中日)新聞

原子力規制委が新基準】原発  机上の「安全」 避難、医療 危うく


原発が備えるべき新たな安全設備、地震津波対策、住民を守る地域防災−。原子力規制委員会による三つの基準・指針案が六日、出そろった。東京電力福島第一原発事故の教訓を踏まえ、規制が強まった点は確かに多い

だが、運用次第では基準が骨抜きになる恐れもある自治体がまとめる防災計画にしても、重大事故が起きた際、机上の計画通りに物事が進むはずもない。基準や指針は、これで安全ではなく、最低限の備えにすぎない

 原発にどんな設備を付け加えれば安全性が向上するのか。その骨子案が固まる直前の一月二十五日の専門家会合は、さながら電力会社による安全設備の「値切り交渉」の場になっていた

 例えば、原子炉に確実に注水し、冷却するため、原発一基につきポンプ車を四台用意するよう求めるよう基準案に書き込まれた。

 東京電力福島第一原発では、電源にしても原子炉の冷却設備にしても多重化はしていたものの、電源が水没して冷却設備がコントロールできなくなり大事故につながった。その教訓を反映した

 防潮堤、放射性物質を千分の一程度に減らすフィルター付きのベント(排気)設備、事故時の最前線基地となる作業拠点…どれも苦い教訓から必要と判断されたものだ

 座長で規制委の更田(ふけた)豊志委員は「基準案には、今考え得る対策を全て入れたつもり」と話すが、それでも穴はあるかもしれない

 それなのに電力会社の側は「混乱するし、冗長(無駄)だ」と反論した。ポンプ車やその要員を余分に確保したくない意図がありありだった。
 会合では「発生頻度だけでリスク(危険)を評価すべきだ」と、またもや「想定外」招きかねない発言も聞かれた。

巨額投資

 新規制基準案で求められる内容を全て満たすためには、巨額の投資が必要となる。
 先月中旬、関西電力九州電力は新年度からの三年間で原発への新たな対策にそれぞれ千九百五十億円、千二百八十三億円が必要と発表した。これから検討する対策もあり、金額はさらに膨らむ。

 「どこまでやれば再稼働させてもらえるのか…先が見えない」。ある東京電力の中堅社員は嘆いた。

 だが、原発事故が起きれば広範囲に重大な被害が及び、長期にわたる。どこまで対策をすれば安全になるというものではない。

 「なぜ、原発のためにここまでやらねばならないのかと思う」専門家会合で、明治大の勝田忠広准教授(原子力政策)はこう指摘したがまさに原発の抱える限界だ

 資金面の問題もさることながら、電力会社が新基準を実施するためには、相当の年月がかかりそうだ

 「電力会社が改修計画を立案→規制委による審査→改修工事→規制委による審査」というステップを踏み、ようやく原発再稼働の最低条件にたどり着くことになる。
 ところが、規制委そのものが対応は手探り状態。新基準では、原発ごとに最大級の津波を想定し、防潮堤などの整備を求める。ただし、その想定が正しいかどうか審査する手順や判断基準すら決まっていない

 新設備の中には時間的な猶予が与えられるものもあるが、規制委が猶予を乱発すれば、またも国民不信が高まる結果にもなる




地域は難航
 では、原発の周辺住民の安全面は改善されるのだろうか

 防災指針を受け、自治体は新たな地域防災計画づくりを進めているが作業は難航している。三月十八日が計画づくりの期限だが、市町村では五月くらいまでずれ込む見通しになっている

 原発から五〜三十キロ圏では毎時〇・五ミリシーベルト(五〇〇マイクロシーベルト)を計測すれば避難を始めることになっているが、年間の被ばく線量限度にたった二時間で達する極めて高い値だ

 「それまでの間は屋内にいれば大丈夫」と言われても、じっと耐えられる住民がいるのだろうか

 避難となった時に、住民をいかに避難先に運ぶか、輸送手段の確保も大きな問題。真っ先に放射線の計測に当たるのは自治体職員だが、測定器の数も操作できる職員も不足している。

 原発事故で避難した住民たちの被ばく医療にしても、地域の医療機関が担い手となることが指針案に書かれているが、そもそも地域医療が崩壊しつつあるのが実情だ

  「防災対策ができていない段階で、原発を動かすという判断はしない」。昨年九月に規制委が発足した際、田中俊一委員長はこう明言した

 ただ、ここでいう防災対策が、実際に機能するのかどうか訓練などで検証していない単なる机上の計画では、住民を原発事故のリスクにさらすだけだ


 [図解]原発の安全対策 予想されるこの後の動き




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 本紙は、規制委が検討している新基準をこれまで「安全基準」と表記してきましたが、この基準を満たしさえすれば原発が安全となるとは限らないため、「規制基準」と表記します
 この特集は、大村歩、小野沢健太、加藤裕治、山川剛史が担当しました。


東京新聞 2013年2月7日


引用元:大友涼介です。



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このような問題を議論させて下さいよお上に何でも任せきりの国民でした。
鬼蜘蛛おばさんの仰る通り!我々日本の国民は今「あらゆる問題を抱えて正念場」ですね! アベノミクス」だ「ショックドクトリン」だ等と踊らされて居る暇はない!作られた恫喝に踊らされる時でもない!

 当面の課題を確り見据えて、政治屋さんのケツを叩くときです。八割・九割方駄馬かも知れませんが・・・学生への暴力は行けませんが仮にもプロの集団であれば叱咤激励も時には愛の鞭も必要でしょう

 鬼蜘蛛おばさんもいってますよ異議の申し立て・議論をして、意思表示をはっきり、いつでも異議の申し立ての出来る国民になりましょう。 FTA でもまかり間違って阿倍さん暴走でTPP 参加なんて成ったらニッポンは「何でもかんでもの訴訟社会アメリカにどう立ち向かうお積もりですか? 正念場なんです「今のニッポンは右を向いても左を見ても」・・・歌の文句ではありませんよ! (keniti3545)

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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱 2013.02.06

異議申し立てや議論を嫌う人たち
 先日、ある集まりで、若い人たち自然保護団体に入ってこないということが話題になったこれは私が関わっている自然保護団体だけの問題ではない。恐らく全国的な傾向だろう。

 私が学生の頃は、自然保護団体若い人たちが多く活気があった。全国自然保護連合の大会なども若い人たちから年配の人たちまで集って熱い議論が展開された。ところが、今は多くの自然保護団体で高齢化が進んでいる。かつて自然保護団体で頑張っていた若い人たちが、今でもそのまま活動を担っているのだ。だから自然保護団体の中心メンバーは今では50代から70代になっていて、平均年齢が毎年1歳ずつ上がっているといっても過言ではない若い人たちがほとんど育っていない。

 若い人たちは携帯電話やスマートフォンの普及で金銭的にも時間的にも余裕がなくなっているということもあるだろうしかし、若者が自然保護運動に参加しなくなったのはかなり前からのことで、若者の貧困化とは直接関係がなさそうだ

 では、若い人たちは物事に積極的に取り組むことをしなくなったのか? そんなことはない。たとえば札幌で毎年行われている「よさこいソーラン祭り」若い人たちが始めたイベントで、参加者は圧倒的に若い人が多い。しかもすごいエネルギーだ災害復興のボランティアに行く若者もそれなりにいる。ほかにもボランティア活動に参加する若者はある程度いると思う。若者からエネルギーがなくなったわけではないし、社会的活動に無関心というわけでもない。また自然に関心がある若者がいなくなったわけでもない。ところが自然保護団体は若者から敬遠される。なぜなのか?

 自然保護活動というのは開発行為の事業主体である行政機関や企業との交渉、話し合い、要請行動などが必須だつまり、理論でぶつかり合うことが避けられないし、それが運動の中心とならざるを得ない仲良しクラブ的な感覚ではできない。しかし、今の若者はそのようなことに関わることを好まない。「よさこいソーラン祭り」もボランティア活動も、そこには「ぶつかり合い」「行政などとの対峙」がない。今の若者は「異議申し立て」することを敬遠しているとしか思えない

 若者を見ていれば、それは自ずと納得がいく。つまり、若者たちは「周りの人の話しに合わせて浮かないようにする」「空気を読んで、その場を乱すようなことは言わない」「声の大きい人に合わせてふるまう」ということを徹底的に身につけているのだそうしなければいじめにあう。だから、たとえ心の中で「おかしい」と思うことがあっても、口には出さない。また自分が他者からどのように評価されるかをとても気にしている人が多いだから意見を言うのが苦手だし、本音を隠すこともある。子どものころから、そうした感覚がしみついている。理不尽なことがあっても、なかなか「異議申し立てをする」という行動をとらず、ストレスを抱えて引きこもってしまうこともある

 このような感覚の人たちは「異議申し立て」をすることがメインの自然保護活動は、とても馴染めないに違いない。もちろんこういった活動は楽しくもないし、理詰めの議論を要求される

 ある教員退職者は、若者が異議申し立てをしなくなっているのは教育の影響だという教育現場においても、異議申し立てをするような姿勢を避ける教育がなされてきたという。ここ数十年でその傾向が非常に強くなっているそうだ

 もっとも、こうしたことを敬遠するのは、若い人に限ったことではない。異議申し立てをしない、議論を避けるという行動パターンは、私と同世代の人たちにも広く浸透してきている波風を立てることを嫌うのだ。だからこそ、子どもたちにもそういう影響が色濃く出る。近年、それは一段と強まっているように思う

 仲間内のメーリングなどでの議論を嫌う人も多い。たとえば自分たちのグループの運営問題ですら、議論による意思決定を敬遠する傾向がある。意見を求められても沈黙して意思表示を避けてしまう人も多い。運営について意見を述べたり議論することが「活動の足を引っ張る」「建設的ではない」と捉え、批判する人もいる。その結果、声の大きな人に従うようになってしまい対等な関係が損なわれる。議論を避けてしまえば、民主的な組織運営から遠ざかってしまう。どこかおかしくはないか

 おそらく、ここ数十年のあいだに、教育現場も含め社会全体にそういう意識が蔓延してきているのではなかろうか。論理的に物事を考えることをやめ、体制に従ってしまうという空気が日本全体に漂っている学校でも「考える力」を身につける教育はせず、テストの点数に重点が置かれた教育しかしない。これでは批判的な思考力が育つわけがない国民を意のままに操りたい政府にとって「おとなしい国民」は思う壺に違いない議論や異議申し立てをしない人たちは、権力者に支配されるしかない

 原発事故で多くの人が安全神話に騙されていたことに目が覚めた原子力ムラの嘘と隠蔽に大半の国民が怒り、全国で脱原発デモ、集会、電力会社への抗議行動などを繰り広げた脱原発を求める人たちが代々木公園を埋め尽くした光景は、今までなら考えられないことだった原発事故を契機に「異議申し立て」をする国民へと意識が変わりつつあるのだろうか?

 たしかに、あの事故で目覚めた人はそれなりにいるだろう。しかし、私には大半の人が根本的な意識変革には至っていないと思えてならないもう原発事故のことなど忘れてしまったような人があまりに多いように見えて仕方ないからだ

 アメリカ人にとって、はっきりと意思表示をしない日本人と話しても面白くない、という話しを聞いたことがある日本人は逆で、協調性を重視し、議論をふっかけたり異議を唱える人を敬遠する>。「議論」や「異議申し立て」をもっと前向きに捉えていく必要があるのではなかろうか


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◎.鬼蜘蛛おばさんは自然保護団体を例にとってお話ししてくれてますので少し、偏りのあるお話にも聞こえますが、「今の世の中・社会情勢の総論」として捉えると本当に当てはまることばかりです。これは「大きな、大きな」「問題提起」です。 (keniti3545)


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