「keniti3545」since72:1月21日(月)晴れ−2℃「東日本大震災」「311フクシマ」683日 今日の一題「阿倍さん核兵器持ちたいの?」
*朝トレ:12時30分〜13時30分 久々、雪の本コースへ出た。奇特な方が車跡(車輪跡)を付けてくれたおかげで歩行可能だ。勿論愛犬の散歩にも大助かりだろう。我れも最近は「走」なしメニューが大半なのでこの道幅があれば充分だった。 「キュッキュッ」と雪音も聞きたいし、今朝は特に・・・、昨日の多くの新聞に「大鵬逝くの弔文」が目立ったが、寂しい限りだ。我れには縁の思い出がある・・・・。
大鵬本人は「巨人・大鵬・卵焼き」と言う言葉が好きではなかったと聞くが、理由は巨人を代表する天才プレーヤーの長島さんと比較されるのがいやだったそうだ 「天才長島」対して此方は新弟子からコツコツと「努力を積重ね」稀代の横綱に上り詰めた自分とはその華やかさも、生い立ちも雲泥の差、「天才長島さん」にも失礼だし、 「自分へ評価としても十分ではないと言うことらしい」 ところで我れにとってはこの伝説の登場人物に加えたいもう一人 「プラス1」が居るのだ。
少しばかり手前味噌な話になるが、 「往年のアイスホッケー強豪チーム」の「古河電工」。昭和34年にはスコーバレーの「冬季オリンピックに9名の選手」を送り込んだ。試合にはベンチ入りの出来る選手数は22名(当時)、その約半数の主力を引き抜かれた上で国内の「全日本選手権」で「古河電工」が何と「優勝」してしまうのだ。
当時の「NHK教育放送」で決勝戦がTV放映されたが、岩倉組を破って古河電工が優勝した瞬間、アナウンサーが発した言葉が今も我れの耳に残る。我がチームメイトの「大柿」の名を大声で叫び、 「巨人・大鵬・卵焼き」今年は「此処に並ぶヒーローが一人誕生した」ようですね!と言うような言葉を発したのです。(常勝の古河も今年ばかりはどうにもなるまいとの下馬評、しかし昨年現役勇退した門司新監督は若ごまを使って意欲は満々だったのです)。
我れも古河優勝、の、この瞬間は自分の怪我の悔しさよりも 「大柿」を・勿論「我が古河電工」を「祝福する気持ちの方が勝り」ました。心からの「バンザーイ」でした! え、ん我れの「この瞬間にいた場所は東京の厚生年金外科病棟」でした。ま、スポーツ選手には付きものですが、 「青森国体、実業団、最終が九州での全日本選手権」と強行軍の遠征。に出発する前日合宿中の、朝練で「右足踝と、腓骨」の複雑骨折。 「第一フォワード.ライトウイング」に大きな穴を開けてのシーズンリタイヤとなってしまいました。
後の「名監督と呼ばれる門司さんもこの時は新人監督です」を、初めチームメイトに合わせる顔無しの大失態でした。このバカを乗り越えての優勝は暫く語りぐさになりました。だから、それからの我れには「巨人・大鵬・卵焼き」には何時も思うは「プラス1」の「大柿」でした。今度の「大鵬逝くは悲しい出来事」ですが、実は我の「ポン友」でもあった「大柿」も数年前に亡くなっていたのです。
今でも「厚焼き玉子」をもらうときにはいつも「4つに切って」もらうか」出来合いなら「4枚もらっ」て 『「巨人」、「大鵬」、「卵焼き」、「プラス1」は大柿さ』、と言いながら食べていました。この儀式も終わりだな〜。 ただ、我の独房には、金メダル1959年、金1960年(門司監督がベンチ入り出来なかった我も登録病院へそっと届けてくれた)、1961年は銀メダル、1962に再びチャンピオンシップ獲得の金メダル このメダル達だけは埃をかぶった書架の棚に今でも載っている。何時か「孫達に自慢」したい。 「大柿は孫見ずに逝ったらしいから誰かが思い出して時々見てくれている事を祈る」。 「合掌」 今日の朝トレ評価なし、電工チームの合宿の朝を思い出した大柿の顔も。 何時になく寒い朝だ。 追記:エピソードにソースが一つ抜け落ちました。 大鵬(関)・プラス1の大柿選手・ついでに我れも昭和15年生まれでした。
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*東日本大震災「311フクシマ」「311フクシマ」683 日
今日の一題 「核兵器なんか持ったって抑止力にはならないよ〜」
(2013年01月18日NuclearF.C原発のウソ)より
小出裕章講演会 「未来は創れる!!今できることを〜原発と福井・若狭のこれからの時代〜」
日時:2013年1月13日
2時間以上ですのでお時間の許すときにじっくり見て下さい。(質疑応答部分だけをみても内容は濃いです)
⇒http://www.youtube.com/watch?v=Arb5jlUDL0k&feature=player_embedded
小出裕章講演会
「未来は創れる!!今できることを〜原発と福井・若狭のこれからの時代〜」
日時:2013年1月13日
場所:福井県敦賀市「きらめきみなと館」
主催:小出裕章さんの講演会をやろう実行委員会
呼びかけ団体:福井ピースアクション
小出さん自身「特殊な機会」と呼んだ立地地元敦賀での講演会。600名の来場者に原発のこと、若狭のこれからのことを語りました。丁寧に答えた質疑応答も収録。来場者全員が「ふるさと」を合唱し、幕を下ろしました。
【内容】 正確な書きお越しではなく概要を読み取って欲しいと思い書いてみました。(keniti3545)
0:00〜 小出裕章講演
01:34:58〜 質疑応答:再生可能エネルギーについて
再生可能エネとは太陽が地球に与えてくれるもの、これは広く浅く与えられ人間だけが使い切っていい物ではない。水力も風力も元は太陽からのエネルギーから変換されたものだ。水力発電なども広く地域分散型地域で使う小規模が望ましい、大型のダムなどは勧められない。そして、エネルギー使用に当たっては先ず省エネを一番先に考え実行して行かなければならない。
01:37:32〜 質疑応答:福島第一原発事故について(地震の要因、3号機の核爆発説)
政府は津波が原因と言い切るが、理由としては地震も原因となると安全対策の費用が膨大な物になるから。しかしこの考えが先ず間違っているし、今真の原因究明が出来ないということは現場を見ることが出来ない(放射能で近寄れない)そして、何が原因であれ機械は故障することがある・事故は必ず起こるものと思わなければならない(テクニカルな問題で片が付くことではない)。3号機の爆発は、核爆発ではなく水素爆発であった可能性の方が高いと思われる。
01:43:06〜 質疑応答:原発と核抑止力について(地元の人間は声を上げにくい状況だ)
原子力発電を止められない理由の一つに「日本が核兵器を持ちたい」と思っている人達が居る(政府としても)。これは、国策放映所とも言うべきNHKが1960年代の外交文書からNHKスペシャルと言う番組で取り上げた。かなり迫力のある番組でこの事実は明らかになった。
ならばどうしたらそれを阻止出来るのか?と言う問いには、残念ながら解りませんとこたえるしかない。解っていれば私がやります。私は遣ることは全てやってきましたが、止めることが出来ず今日に至っています。しかし、今日私は嬉しい思いが強いです。
原発立地の地で、若い人からお年寄りまでこの場所に集まりどうしたらいいのか話し合いが出来ること、私が自分の力のなさ、悔しさ悲しさをこらえて40年原発を止めようとして遣ってきたことを此処に集まった人と思いを同じくする人々がどんな小さな事でも一つずつ積み重ねていけばきっと実現出来ると思います。
01:50:11〜 質疑応答:使用済み核燃料の管理について
どうすれば良いのか完全な対処方法はない、放射能を無毒化する方法がないからだ。だから、隔離をするしかないのだが候補地を政府が20年探していても見つからない、引き受けるところはない。当初地層処分をと言っていたが、学術委員会から100年単位で100万年もを保証出来る地層はない、 「目の届く形で貯蔵所を作って管理」すべきとの提案があった。もっともだと思うが、反面、 「お主等は責任ある立場に有りながら何で今日まで黙っていたんだ」と腹も立つ。
120万発の「広島原爆」に相当する量を100万年どうやって管理していくのか?国は、これから原発止めて交付金が手に入らないのだから使用済み核燃料をお前達の土地に預かってくれたら交付金を払うぞ。等と必ず責めてくるが、その手に乗ってはダメだ。東京、大阪など大都市の人間は電気の恩恵を人一倍受けているのだから、貯蔵所は東京なら、東電の地下に作れと私は言っている。
どうにも出来ないゴミを出す原発は止めるべき。出たゴミをモンゴルへ等とも考えている。恥ずかしい限りだ、日本人であることが恥ずかしい。核燃料廃棄物の貯蔵所は作らなければならないそして100万年のお守りもしなければならない。日本人の責任に於いて。
01:58:06〜 来場者「ふるさと」合唱 で終わりました。
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◎.これだけの内容を知ってもらえれば、何処に、どんなしがらみのある人でも脱原発の必要性を解ってもらえると思います。拡散にどんな手段があるか考えるべきだと思いますが・・・・・。
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「プラス1」
週のはじめに考える 一票は銃弾より強い
(東京新聞社説 2013年1月20日)
参院選の年です。一票の格差是正、選挙制度、定数削減、公選法改正、低投票率対策など民意をもっと反映できる仕組みへの改革を急ぐべきです。
小選挙区比例代表並立制の下で六回目の選挙だった昨年の衆院選結果をあらためて分析して驚いたことがあります。三百小選挙区のうち約百区で二人当選が出ているほか中選挙区かと錯覚する三人当選区が栃木2区、神奈川9区、愛知12区など十区ありました。これは過去最高です(それまでの最高は一九九六年の七区)。
比例代表との重複立候補が認められているので、小選挙区で落選しても「惜敗率」という救済措置で比例から復活できるからです。
さすがに四人当選区はありませんでしたが、 「惜敗率」は小選挙区制導入直後から批判の的でした。首相になる前の小泉純一郎氏は「新選挙制度は憲法違反だ」と主張していました。「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(憲法四三条)に照らして「小選挙区で落選した候補が比例で復活するのは違憲ではないか」というわけです。でも小泉内閣当時の二〇〇五年、郵政改革を争点にした衆院選で自民党は圧勝したのですから皮肉です。
憲法前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とあります。
この表現は「一票の格差」是正要求の根拠にもなっていますが、前記の複数当選区には山梨県(1、2区は二人、3区は三人当選)も含まれています。前国会で成立した定数の「〇増五減」案では山梨県も定員減の対象ですから、選挙結果は格差是正に逆行する事態を招いたといえます。
一方、七月に予定される参院選では「一票の格差」が最大五倍以上になっており、昨年衆院選の最大二・四二倍以上にひどい「違憲状態」です。
◆参院が先行した比例制
このため昨年の国会では「四増四減」法を成立させました。しかし、これも衆院の「〇増五減」と同様に小手先細工で、抜本解決にはほど遠い内容です。
参院では八二年に拘束名簿式比例代表制(後に非拘束式に変更)が導入されました。この背景には「従来の全国区が『銭酷区』といわれるほど選挙運動にカネがかかり過ぎる」「参院は『衆院のカーボンコピー』との批判が強い」などの指摘を踏まえて、初の政党名投票を導入することで参院の独自性を示す狙いもあったのです。だが逆に参院の政党化が進み、現憲法施行後の緑風会といった非政党・良識派の集まりや故市川房枝さんのような理想選挙を追求する議員など「党より人」の参院議員像は姿を消したのです。
九四年、衆院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わったことによって参院の独自性はまた薄れました。いま与野党に求められるのは最高裁の違憲判断をかわすための「一票の格差」是正策に限らず、衆参両院それぞれの独自性を生かす選挙制度を構築することではないでしょうか。最近、衆院に関しては中選挙区制復活論が政界だけでなく経済界、学界からも出ていますが、衆参バラバラの制度論議ではなく一体的に検討してほしいものです。
時代の変化に伴って対応を急がなければならない公選法上の問題も浮上しています。
一つはネット選挙の解禁問題です。お隣の韓国では先の大統領選でツイッターなど交流サイトの活用が選挙戦を盛り上げたと本紙ソウル特派員のリポートにありました。日本では昨年の衆院選で橋下徹日本維新の会代表代行(大阪市長)が公示後のツイッターを更新した問題で公選法の文書図画頒布規定に抵触するのではないかと話題になりました。
緩和策としては選挙管理委員会が提供する公的サーバーの範囲内でネット選挙を認める案も浮上しています。
もう一つは選挙権年齢です。世界的に見ても十八歳が多数派で、日本のような二十歳は少数です。〇七年に公布された国民投票法では投票権を十八歳と規定しています。高齢世代が急増していることから世代的バランスを考えると若い世代の声を政治により反映する必要性を感じます。昨年の衆院選では小選挙区の投票率が59・3%と戦後最低でした。選挙権年齢の引き下げで投票率向上も望めたら一石二鳥ですが。
◆リンカーンの「名言」
「投票用紙は銃弾より強い」という名言があります。米国の第十六代大統領リンカーンの言葉ですが、戦争で明日を決めていた時代より、投票で決める民主主義政治を大事にすべきだという主張です。民意をより反映する選挙制度へ英知を集める時です。
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