「keniti3545」since72:1月20日(日)晴れ−2℃「東日本大震災」「311フクシマ」682日 今日の一題「原発事故は終わっていない!」


*朝トレ:今日はー2℃「全々平気」ところが朝一マネージャーからのダメ出しで「ストップ.ザ.モーション」ん〜、「近所のおっさん雪道で転倒骨折」とか・・・・。ん〜。 昼時に「ご近所周遊の第三のコース実踏」キビタキ荘〜倉井さん横の青地周回一周2.5km昼時散歩には「用を為せる」見〜つけた。メニューとしての評価無し。


東日本大震災「311フクシマ」682日


*今日の一題 原発事故は終わっていない!」


「復興ニッポン」
仲原正治の「まちある記」2013年01月15日

原発被害の町、楢葉町飯館村を訪ねる  ー6、ー7(UP最終日)


飯舘村」には高齢者しか帰っていない since6


 飯舘村は現在避難指示解除準備区域居住制限区域帰宅困難区域の3つに再編されている。避難指示解除準備区域、居住制限区域では製造業や金融機関、ガソリンスタンドなどの一部の事務所の再開が申請で認められる帰宅困難地区ではその区域に至る6カ所に放射性物資の拡散防止や防犯のためバリケードが設置され、許可された地域住民や警察・消防などしか立ち入ることはできない

 「いいたて活性化センターいちばん館」には年末年始の宿泊実施本部があり、 「いいたて全村見守り隊詰所」が設けられている
近くにいた「いいたて全村見守り隊」の70歳くらいの人に話を聞いた
 「若い人は誰も帰ってこないよ。子供に帰れというのは無理だし、その親たちも放射能値が高いので子供のために帰らないと言っている。結局、年寄りばかりしかこの村には残らない」と語っていた。震災前の2011年3月1日の統計では1716戸、6132人が住んでいた2013年1月1日時点の避難情報では、県外避難者502人、県内は福島市を中心に6066人。飯舘村内が96人、全体で6666人となっている

 「若い人でいるのはゼネコンから派遣された作業員だが、彼らはチェーンソーの使い方もわからないで山に入っている人も多い。除染と言っていても、山ではせいぜい20mの高さくらいまでしか作業していない。下の部分だけを除染しても高い場所や木の上などはもっと放射能値が高い場所もあり、全部除染するのは無理だ。それに、除染しているといっても、いくつかの場所をサンプル的にやっているだけで、全部をやっていないし、行うのも無理自分たちがゼネコンの作業を見守っていかねば、何にもできないし、ゼネコンだけが儲かっているような気がしている」と語っていた。

 現場に入って作業を行っているゼネコン関係者にとっては、未知の場所で未知の仕事をしているため、様々な軋轢があると思う。また、あまりにも広い場所で、何年かかるのかわからない仕事で、自分も被ばくするのではないかという恐れの中で働いていることは理解できる。しかし、地元の人たちと良いコミュニケーションをとりながら仕事をしていかないと、東京から来たゼネコンだけが儲かって良い目を見ていると思われることを肝に銘じておかねばならない新聞報道のように除染の手抜きをして儲けるようなこと、人の苦しみを自分の儲けだけに使うことは絶対に許されない

村役場に近接する場所に掲載されていたラソンコース案内図。震災前ののどかで心豊かな生活を思い起こさせる(写真:仲原正治、撮影2012年12月31日)



(2):(3)

(2)荒れ果てている農地や小高い山がたくさんある飯館村でどこまで除染が可能なのか(写真:仲原正治、撮影2012年12月31日)

(3)飯館村の家はカーテンが引かれていて、住んでいる気配がほとんど感じられない(写真:仲原正治、撮影2012年12月31日)


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国と東電は避難地域の土地を定期借地権で借りるべきだ since7


 飯舘村を訪ねてみると、小高い山がたくさんあり、県道沿いには田んぼや畑があるが、これを全部除染するには、どれくらいの時間と費用がかかるのか想像ができない。田畑は使われなければ荒れるし、農業や林業の従事者には高齢者が多いので、長い時間をかけて除染しても後継ぎがないことも考えられる。生活を支える店舗も閉じられている状況で、若者に帰って来いというのも無理だ。これからの日本は急激に人口が減り、農村部では限界集落と言われる超過疎化が進んでいる。除染後のまちづくりをどうするのか今から真剣に検討しないと、誰も住まない地域になってしまうのではないだろうか

 また、除染ではぎとった土や樹木・葉などの処理は、まだ行先が決まっていない。袋に入れて一定の場所に放置する状況が続いている。早い時期に場所を決めていかなければならないが、どの自治体も受け入れ拒否が続いている

 こうしたことを考えると、土地の除染をし、避難者に対しては補償をするという方法では、将来に向かっての展望は生まれない国と東京電力が土地を自分のものにすることで責任を明確にし、将来構想も地元と協働で立てていく必要がある

 双葉町長は「町と町民のふるさとへの帰還目標を暫定的に30年後とする」と述べている。それならば双葉町の土地と建物をすべて国と東京電力が30年の定期借地権で取得し、責任を持ってその土地を除染する定期借地権に伴う権利譲渡金を一時金として支払い、被災者はそれを仮住まいする場所の資金の一部に充当し、毎年の定期借地権料をもらうという仕組みができないだろうか。 

むろん、お盆や正月、墓参りなどに帰省したい時には認めることと、除染後の土地の利用についても国、自治体が責任を持って考えていくのが条件になる。被災者は30年後には自分の土地が戻ってくるという安心感を持てるとともに、除染後の土地の活用について、地域で一緒に考えていくことができるようになる。莫大な費用が掛かることは承知だが、こうした思い切った制度を採り入れないと、除染すれば良いという安易な事業に終わってしまい、除染後は誰も住まない場所になってしまうのではないだろうか

 今回の震災は、今までの震災とはまったく背景が違っている1960年のチリ津波被害の時は日本の人口も増え続けていて、地方でも産業があり、従前の状態に戻すということで復興してきたしかし、今回は、放射能という何年かかるのか見えない物質との戦いである。これに加えて、日本の人口は2060年には8600万人余(65歳以上が約40%)になり、都市部への人口流動は止まらず農漁村は急速に過疎化することが予想される。こうした背景下で被災地を再生させるためには、土地を元の状態に戻すだけという公共事業ではまずい若者の生き方や生活の豊かさの見直しを含め、地域の再生をどのようにするのか総合的に考えて、まちづくり、むらおこしをしていく必要があるのではないか


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仲原正治(なかはら・まさはる):著者(現地写真も)
クリエイティブ・ディレクター
1949年東京生まれ。1974年東北大学法学部卒業。横浜市職員として福祉、都市再開発、横浜美術館、赤レンガ倉庫の開発(みなとみらい21)に従事し、2004年からはクリエイティブシティの専門家として中心的な役割を担ってきた。2012年5月に横浜市を退職し、クリエイティブ・ディレクターとして独立。文化芸術によるまちづくりの支援や創造都市のネットワークを活用した仕事を進めている。現在、赤煉瓦ネットワーク運営委員、石巻「日和アートセンター」運営アドバイザー、MZ arts顧問(陶磁器・現代アートギャラリー)。

*「311フクシマ」から2年間故郷へ足を踏み入れられ無かった心境は察して余りあるところだ。(keniti3545)


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◎.仲原正治氏のひょうひょうとした文中に、身に詰まされる我々の日常を振り返り、この「故郷記」を読んだお仲間ブロガーの残してくれたコメントを載せ「全文転載の結び」とします。 (keniti3545)

『官邸前で福島から台湾へ避難したという19歳の女の子が『私たちはまったくもとの生活に戻れないのに、再稼動なんてどういうつもり?』とスピーチしていました。

『保護衣着用必要バスというものを初めて見ました。私たちの生活はすっかりもとに戻っています。電気の使い方が緩くなっています。出来ること一つでも意識をもって、ですね』



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「プラス1」
(1月20日下野新聞雷鳴抄 朝刊)


 
 大寒

 20日二十四節気の一つ「大寒」。 俳人長谷川櫂さんは「日本の歳時記」 (小学館)で大寒は冬のいちばん奥。凍り付くような日がしばらく続くが、その先はない。2月4日は立春だ」と書いている。それにしても毎日が寒い


我の父母は、よく言いました日光は2月になってから一番寒い日があるんだと・・・お袋に聞いて見よう keniti3545)


夏は酷暑冬は酷寒というのは極端に過ぎる。しかも一昨年の東日本大震災福島第一原発が大事故を起こして以降、冷暖房は節約状態が続いている。大勢の犠牲者を出した歴史的震災と津波の破壊跡は容易に元に戻らない県内にも震災の爪跡は残り、観光地は放射能風評被害に苦しむ直撃を受けた東北では家族、仕事、家を失った人々が懸命に復興を目指している。仮設住宅で故郷に戻る日を待ち続けるお年寄りもいれば、食うために県外に出て不慣れな仕事に就いている人も少なくない

あの2011年の3・11以降、被災者の心は一気に「大寒」に逆戻りし、春の桜もうつろに映ったことだろう

▼政権は民主党から自民党へ移った。安倍内閣は震災復興を最重要政策の一つとした。スピード感を持って強靱な国土づくりをするという。異論はない。 「冬来たりなば春遠からじ」か

▼そういえば昨朝、布団の中でウグイスの声を聞いた。今度こそ本当の春が来るという知らせか。寝起きの空耳でなければいいのだが・・・・



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◎.四季のある美しい日本人間の強欲がこれを壊し季節感の欠片も感じられずの「一年中防護服着用の図」など思っただけでも身の毛がよだつ思いだ。 「グローバリゼイション」て何ですか?何のために? 先進国の成長の時代は終わろうとしているそうですいいじゃありませんか!

 「もっと遠くへ、もっと早く、」所詮世の中が豊かになったとて本当にその豊かな生活を享受出来るのは「15%」止まり。 「そんな世の中作るためにあくせく」うごめき周り、「自然を破壊するお先棒を担ぐ」より、 「万人に恵みをもたらす自然を大切に共有」し合い、「大昔の低所得時代」を見習い

 「江戸時代・元禄時代を参考」に、 「武士は喰わねど高楊枝」と時に見栄を切り空腹にも耐えて 「花を愛で風情を味わう生活を享受」するこんな道も選択しに入れておかなければ「不況の風を恐れ、時勢を恨む」ばかりの人生ではつまらないだろう。 放射能被爆からの恐怖から解き放たれるにはそれこそ半世紀もかかる」だろうこの間に今を生きる人間は核の廃棄物をどう処理していくのか?の、道筋だけは付けなければならないのだ。  政府のお偉いさん達、「素直に考えを正しましょう」(笑い) (keniti3545)


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