「keniti3545」since72:11月13日(火)晴れ4℃「東日本大震災」「311フクシマ」614日 今日の一題「脱原発:井戸弁護士歓迎!」

*朝トレ:12時〜13時 線量測定後の昼時散歩となってしまいました。それでも曇り空の下、体は喜んでいます。実は昨日もこの時間に確り時間取れたんです。今日は肌寒くどんよりした空模様でしたが、昨日はえらいプレゼントがありました四方の山裾から霧が上がっていく時間帯に、虹でした。大谷川をまたいで南北に虹の架け橋!我れはいつものように東エンドから西エンドまで100メートルのコース取り20往復で4キロメートル。

 何時も速度を記すと自分でも笑ってしまうので・・・、とにかく調子よければ「10本の走入り」でも狙いは4キロの距離確保とストレッチで「どれだけ体のきしみを強要」出来たか?だ、ん「マゾっ気」?ない、ない! 何でしだっけ?

 きれいな虹のお話でした。単調なダッシュ&インターバルの繰り返しに毎朝の「発声」が入ります朝〜じゃない(今日も「昼」〜か)?、そこへ虹は場違いだけどきれいだったな〜、未だあるんですよ、途中何本目かの下り勾配で目に映ったのは「虹の架け橋の上」を悠然とトンビ(我の望める舞台に登場する主役はこんなもの、そう、「カラス」か「トンビ」間違って「スタイル抜群のアオサギ」がゲスト出演するのが精一杯)が飛び交う、1、2、3、・・・都合6羽、結構絵になる。

 虹の上を滑るように一羽・羽を一度も動かさずに虹をくぐり抜ける2羽、暫く遊んでる。我はノルマ消化に上り勾配では背を向けなければならないが、又何本か往復する間に、ん、北の山裾から虹の橋が消えてゆく、ゆっくりと目で追っていると残像が目にあり消えて行く気配が感じられない。しかしトンビの動きに目が吊られ、目線が戻った時はまた少し虹の橋が少し短くなっている。

 この繰り返し、東コースエンドでのUターンに少し時間を掛けてトンビと虹を見比べる。彼らも虹の様子を意識して遊んでるみたいだ。とうとう消えた〜、目の奥に残像虹の色もなくなった。 今我が立って居る位置は毎朝日溜まりの暖かさを楽しむUターンヶ所だ。今日は曇っていて日溜まりもないが四方の山並みを改めて眺めると紅葉が未だきれいだ〜、強い赤こそ目立たないけどエンジ系でもきれいだ一人目立ちの赤ではなく「黄〜赤への変幻」度合いに、「針葉樹の彩り」も添えて・・・・今日は得したな〜。 え、これ昨日のお話。 今日はカラスも来ませんでした。




*「東日本大震災」「311フクシマ」614日


*線量測定日(毎週火曜日)  



◎.全てのデータ (原則)地表2cmの測定とする1点6回の測定:高順位値2点の記録  


東:自宅外(から)距離 30m 堤防上



北:自宅外(裏)空き地、雑草有り、西北に防風林有り、



南:自宅敷地内ベランダ(ブロック塀あり)



西:自宅敷地内雨樋下



M:細尾町モデルセンター庭



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 (11月06日)前週の測定値  

東:0.34 0.30μSv/h 西:0.34 0.29μSv/h 南:0.79 0.68μSv/h 北:0.34 0.29μSv/h 

M:0.36 0.32μSv/h

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↓ (2012.11.13)

11月13日 本日の測定10時00分〜11時00分   

東:0.32 0.28μSv/h 西:0.27 0.23μSv/h 南:0.57 0.54μSv/h 北:0.23 0.21μSv/h 

M:0.37 0.30μSv/h

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今回の条件、天候(曇り)(風微)気温11℃  

◎.ホットスポットは今回も、南:max=0.57μSv/h  



◎.測定ポイント5点:各々平均値の、『平均値』= 0.26μSv/h   



◎.『測定開始日&測定値=2011.11.22 [0.19μSv/h]』



『前8週との平均値比較』 

単位:μSv/h

日付2012・11月・06日   

9/18   9/25   10/02   10/09   10/16   10/23   10/30  11/06  11/13    

8週前  7週前   6週前   5週前  4週前  3週前  2週前  1週前  本日

0.31   0.26   0.27     0.26     0.29    0.25   0.27   0.32   0.26
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 「今回の 特記」

◎.前週の高値から、「max」、「平均値」共に前週以前の数値へ戻った。 ホットスポットのmax=0.57μSv/h 、5点平均値の平均値は0.26Sv/h。但し、国の外部被爆年間「1ミリシーベルト」未満という基準から見れば「0.23μSv/h」以上の除染区域ととなる。 やはり科学者・医者言うように降雨・強風は要注意、マスクを用意する習慣等必要かも。(我れの測定位置は地表2センチメートルは既報の通り)


◎.最近は低線量被爆に関する事例も報告されており、また低線量被爆に於いて閾値はなく目安とする体外排出の時間を経過しても体内循環が起きる可能性があるとも言われている外的条件も決して大幅に好転することは望めないので特に子供さんに対してはご両親を初めお爺ちゃんお婆ちゃんが率先して注意喚起を促せるように正しい情報の共有に心がけて欲しいと思います 



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今日の一題  原発0社会に向けて」私たちはまた、”強い味方”を得た!

「311フクシマ」以降脱原発に向かう途上、我々国民の「脱原発70%のコンセンサス」は何としても「0原発達成」を願って「各分野の識者」の力にすがるところが多い。特に放射能被害の真実を知らしめてくれる「真の科学者」との連携、そして法律上で「真の正義を証明してくれる弁護士」団の力、政官財の利権と戦って勝たないと真の脱原発:「0原発社会」の達成は難しい。 そこへ元裁判官の経歴(内容)からも井戸弁護士の登場は100人力の味方を得た思いだ。(keniti3545)


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2012年11月12日脱原発東京新聞

原発を少しでも減らして廃炉に/金沢地裁の元裁判官




脱原発東京新聞11/12 原発を少しでも減らして廃炉に/金沢地裁の元裁判官2006年3月に原発運転の差し止め請求を初めて認める判決を出した金沢地裁の元裁判官井戸謙一さん(58)。

国策に異を唱えることを恐れず、原発政策の矛盾を突いた。退官後は弁護士に転身し、第二の福島事故を起こさせないために、若狭湾にある原発の運転差し止め訴訟4件で弁護団の一人として法廷に立っている。(梅田歳晴)

── 北陸電力志賀原発2号機の運転差し止め訴訟で判決文を書き上げたときの気持ちは。

ほっとした。これでいける、自分なりに満足いく作品が出来上がったと思った。人が判決文を読んで「なるほど。その考え方はあり得る」という判決文を書かなければいけなかった。自分の力を全部出し尽くし、どこに出しても恥ずかしくない判決だった。爽快感や満足感があった


── 国策に反する内容の判決を出すことに重圧はなかったですか


実は06年の1、2月くらいには判決の結論は決まっていたが、まだ判決文が書けるかは分からなかった。その段階まではプレッシャーがあったが、判決文が「書ける」と分かってからは気持ちが落ち着いた。どんな批判攻撃をされても大丈夫だと自信があった。

その前に住民基本台帳ネットワークをめぐる訴訟で金沢地裁裁判長として違憲判決(05年5月)を出していたこともあって、今後の自分の処遇に影響があるかもしれないという思いはあった。しかし裁判官をクビになるわけではないし、どこへ行っても裁判の仕事はできるわけだから。「上からにらまれる」とか、そういうことはあるかもしれないとは思ったけれど、小さいこと。命がなくなるわけではないし、今後の生活が成り立たなくなるわけでもない。自分が思った通りの判決を言い渡すことに比べたら小さいことです。

あの判決の中で耐震設計審査指針に合理性がないと書いた。そしてその後、原子力安全委員会が新指針に改訂した。安全委員会は、新指針はあくまで念のためで、今までの旧指針でも問題がないということも公表したが、判決が新指針改訂に影響を与えたとは思っている。

── 退官後、原発訴訟に関わる考えはもともとあったのですか。

退官を決めたのは福島原発事故の起きる前年の秋ごろ。一般の民事訴訟を扱って「町医者」的な弁護士になって、よろず相談所のようなことができればいいと考えていた。3人の子どもがいるが、一番下の子どもも就職したし、ほそぼそと地方都市で弁護士をやろうかと思っていた。でも、何の因果か全然違うことになった


昨年5月くらいに滋賀県内を中心に活動する弁護士から誘われた。志賀原発運転差し止め訴訟が地震の問題が中心だっただけに、地震や耐震設計審査指針の基本的知識はあった。若狭湾原発を取り上げるときに耐震問題は非常に大きな柱になる。自分の知識が役に立つだろうと思った。

── これからは、何を目標に原発訴訟に関わっていかれますか。

一つは、第二の福島事故を絶対に起こさせないこと。福島事故のようなことがもう一度起きたら日本は本当にだめになる。二つ目は少なくとも子どもはできるだけ早く福島から逃がす必要があると思っている。今後、福島の人たちの健康被害が出てくるんじゃないかと思う。子どもたちの甲状腺に何かしら異常を来していることは明らかなのに放置していいわけがない。

原発裁判をやりたくて裁判官、弁護士になったわけではない。金沢地裁に行けと言われて行ったら、たまたま差し止め訴訟が待っていた。つらつらと考えてみると、私が生まれた1954年はビキニ環礁の水爆実験、裁判官になった79年には米スリーマイル島原発事故があった。福島原発事故のあった年に退官し、弁護士になった。運命は偶然の積み重ね。おもしろいものだと思う。

生きものは、次の世代を残すために生存しているわけだが、子どもを産めば、それでいいというわけではなく子どもを社会的に一人前になるまで面倒を見なくてはいけない。でも、子育てを終えれば生きものとしての役割が終わっているのに、どういうわけかその後も命がある。


人間の人生は三分されていて、大人になるまでは自分のために生きる大人になったら子どもが成人するまで子どものために生きる子育ての役割が終わったら、これからの世代にいい環境を提供するために、残りの人生を使いたい。最近はそんな感じがしている。できるだけのことをやっていきたい。


── 国策に沿った形で判決を出してきた司法は福島の事故以降、変わっていくのでしょうか。

変わると思う。福島事故の責任の一つが司法にもあるという批判が言われている。国民に信頼されての司法だ国民の期待を裏切る判決もたくさんあるかもしれないが国民意識はどうしても判決に影響するもので、今までのようにはいかないでしょう。どう変わるかは分からないが期待はしている


安全性に関して言えば裁判所が信頼してきた専門家の判断がいかにいいかげんだったかが白日の下にさらされた。その点でも今までと同じような判断はできない。今までのように、 原子力安全委員会が決めた安全設計審査指針に適合しているから大丈夫だ」という理屈は通りようがない。

大飯原発が再稼働しているが、結局、原発事故は起こらないという安全神話がまだあるからこそ再稼働ができる。政府が決めた安全基準すら一部しか満たしていない。免震重要棟や防潮堤ができるまで大地震や大津波が絶対に来ないとの前提がなければ、再稼働の判断なんてできないでもそもそもそんな根拠はないわけだからそれはもう安全神話でしょう逆に安全神話にしないと原発は動かせない。絶対に動かしたいという人がいて動かすためには神話を振りまくしかない


今後、原発を少しでも減らしていくことができればと思うできるだけすみやかに廃炉にするべきです。06年に志賀原発の判決を出したころはそこまで思っていなかった。原発を運転するなら「もう少しまともにやってよね」という感じだったでも福島原発以降、この1年半で変わった。原発がなくてもやっていけるということも感じている。

原発に頼らない社会をつくるためには国民一人一人が賢くなることが必要でしょう原子力ムラにだまされないように情報が氾濫するなかで確かな情報を見に付けることが大切です。

──座右の銘とかは


「たゆまざる 歩み恐ろし かたつむり」。長崎平和記念像を手掛けた彫刻家の故北村西望さんの俳句で、20年くらい前に新聞で読んでいい言葉だと思った。変なおじさんの小さな事件から社会が注目するような大きな事件までいろんな事件があるけれど、裁判官として手を抜かないでコツコツと取り組んで努力していこうとこの言葉は弁護士でもどんな職業にも通じることだと思う



[インタビューを終えて]

「少しでも脱原発に向けて進むのなら」と多忙の合間を縫って今回の取材に快諾してもらった。紡ぐ言葉は極めて論理的。多くの人が抱いている原発に対する言いようのない不安を分かりやすい言葉で代弁しているようにも聞こえた

福島事故後、メディアや反原発派から注目されるが、それは、単に全国で初めて原発の運転差し止め請求を認めた元裁判長だからではないと思う。弁護士の立場から福島の事故に住民の目線で向き合っている。 「第二、第三の福島事故を起こさせない」。何度も口にした強い思い。今後も脱原発の流れの中心にいるべき人だ



【井戸 謙一 いど・けんいち】
1954(昭和29)年堺市生まれ。東京大教育学部卒。司法試験合格後、79年に裁判官任官。88年から92年まで大津地裁彦根支部支部長を務めたことから、滋賀県彦根市に居を構えた。金沢地裁の後、京都地裁、大阪高裁などに転勤し、昨年3月末で依願退官。滋賀弁護士会に弁護士登録した。

関西電力大飯原発福井県おおい町)など若狭湾にある原発運転差し止め請求訴訟の弁護団に名を連ねるほか、福島の子どもたちの「集団疎開」を求める仮処分申請にも関わっている。


2012年11月11日 東京新聞[あの人に迫る]


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(keniti3545)

◎.井戸弁護士に大きく「3つ」期待します。

(1)被災者の、国・東電相手の「訴訟」に大なる力を借して下さい。

(2)再稼働の阻止に法的手段でも勝てる手段をご教示下さい。

(3)核のゴミ戦争でアメリカに先手を打つ構想を練って下さい。

もう一つ一番大事なお願いです!
◎.井戸さん自ら仰っていること、小出裕章助教が一番先に訴えたこと子供を被災地現場から逃がして下さい。法に訴える手段を執ってでも。まだ、誰も手を付けられないでいます。是非良識ある科学者と接点をもって、良識ある道を開いて下さい! (keniti3545)


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