「keniti3545」since72:8月20日(月)晴れ18℃「東日本大震災」529日 今日の一題「総理大臣除染の意味解っています?」

*朝トレ:朝〜、未だ夏の朝だ〜、気持ち良い! あいつ等殆ど付き合ってくれなかったがパパと一緒に美味しい空気は「腹一杯食べて行った」ろう! 良しとしよう!カラスも頷いてくれた?? 走五本入りC級メニュー完、でした。




*「東日本大震災」「311フクシマ」529日


今日の一題 「総理大臣殿除染の意味噛みしめて下さい」!



生き生き箕面通信1350(120820)



放射能汚染土すら解決できない野田政権に原発再稼働の資格なし


 野田政権は昨日8月19日に、除染汚染土を保管する中間貯蔵施設の具体的な12候補地を地元自治体に示しました。しかし、招集された福島県知事と双葉、大熊、楢葉の3町長の中には強い抵抗を示すところもあり、当然のことながら難航です。まして最終処分地の選定作業はまったく進んでおらず、政府の原発再稼働だけが突出する形となっています。


 処分が必要な汚染土や焼却灰は、最大で東京ドーム23杯分になるとの試算があります。この汚染土の処分が進まなければ復興も進めにくい関係にあります。しかし、政府は原発事故から1年半にもなろうというのにこれまで「先送り」してきました。もうこれ以上先延ばしはできない限界になって、地元自治体との調整も不十分なまま、いわば「見切り発車」で候補地を示すということになりました。


 汚染土は、どの自治体にしても「迷惑土」です。どこも引き受けたくない。しかし、それでも処分地を見いださなければならない。最終処分地は、使用済み核燃料の処分地と同じような「嫌われ地」になります。中間処分地にしても、それがあるだけで、避難者は「もう家に戻れない」という気持ちになってしまいます。


 こうしたむずかしい問題に対し、朝日と読売はどんな紙面を作ったか。本日の朝刊で、朝日は1面と2面を大きく割いて、比較的丁寧に問題点を指摘していました。「先送り政府」の怠慢と、無責任さにも触れていました。


 しかし、読売は、「政府が方針を示し、地元側は『預かって検討する』と返答した」と、昨日の事実経過を伝えただけでした。地元自治体の反応には、一応触れていますが、「地元の調整は難航も予想される」と指摘しただけでした。そのあっさりした書きぶりからすれば、汚染土問題自体は大して重要ではない印象です。読売は、原発に絡むやっかいな問題は、できるだけ小さく見せようと意図的です。大きな問題を小さく見せて時の政権の片棒を担ぐなら、その立場を明確にしてから主張すべきです。それをあたかも「中立」であるかのように装って、自説を通そうとするのは「サギ」だと断定できます。読売は少なくとも、使用済み核燃料の最終処分についても、自社の見解を明確に表明すべきです。



 私たちは、「先送り・無責任政府」が稚拙な統治を行い、それをインチキ・ジャーナリズムが支えるような構図です。こうした状況が「日本沈没」を現実のものにしつつあります。私たちは次の世代、次の次の世代にも責任があります。


================

(keniti3545)

 ◎.全く持って政府は大変な無駄遣いをしようとしていますね!  京都大学助教小出裕章先生が初めから声を大にして言って来ました。  『『放射線量に関しては「除染」と言う言葉も作業も成り立たない』何故なら、放射性物質から放射線を人為的に取り除く知恵を人間は持ち合わせていないのだから、捕まえて・隔離(保管)して・(逃がさない・漏れ出さないように)管理して行くだけしか方法はない。「これは除染とは言えず移動させるだけだ」 最早空気中の埃を手でつかみ取ろうとするような状態で途轍もない効率の悪い作業に成らざるを得ないだろう』』 と。  


 勿論効率がどんなに悪かろうと、少しでも多くの放射性物質を捕まえる努力は国民の被爆を少しでも少なくしようとする行為としては必要だ。 問題は此処からだ、国が広げた除染の風呂敷は大きい「8県102市町村」費用は原則国が負担 細則も体を成している。加えて各地域市町村にあってもおらが市町村は独自の方法も採り入れて「出来るだけきれいに除染しよう」と言うかけ声宜しくスタートした。

 未だ本題に入っていない。本当にここからが問題だ! 一例として我が日光市も先ずは子供優先小中学校のホットスポットと称される「1μSV/h」以上のヶ所を土砂等の剥ぎ取りから始めた。多分全国共通であろう作業だ。測定方法・その他にも細心の注意が払われている様子も伺える。

 が、肝心の特に校庭の土砂その他の捕獲した物質の置き場が用意されてない。公共物にあっては原則としてその敷地内に保管管理するとなっている。今後いつから始まるか尻ばかり切られて未だ始まってないのに何時までに終えると吹聴する。この作業はケツを切れる性質のものではないはず! 先ずその前に肝心要の要件を反芻しなければならない。

 小出先生が危惧する問題を行政が、特に市町村など落とした先端現場では疑心暗鬼だ。捕獲した放射性物質を含む土砂その他を敷地内にどう保管してどう管理するか(記録等も大切だが)入れ物は、外傷など付けぬ方法は、誰がどのように監視するのか? 少しも見えてこない。 「この捕まえたつもり」の「放射性物質」を「逃がして」しまっては除染どころか「拡散作業をさせているようなもの」である。

 公共施設では比較的、保管スペースは確保しやすいかも知れないが、個人宅などに除染活動が進めば屋敷内に容易く「デッドスペース」的な場所の確保をし、そのうえ子供達に気を遣いながらの管理など容易なことではない。「除染作業を各戸で行うはやぶさかでない」にしろ「保管に責任」など持てるはずもない。1年2年ではなく30年、代をまたいでまでもお守りしなければならないのだ。

 此処でも「蹴散らし家から追い出して拡散させ」住民均等に分け合って被爆させるつもりなのか政府は、行政は!?

 個宅の除染を本気で進めるつもりなら仮置き場でも良い、行政が管理する汚染物置き場を早急に造る必要がある。 


 大金を費やし、眠っている放射性物質まで呼び起こし地域均等に拡散させる一大キャンペーンを張り数値だけを見せ合って「これだけ除染効果」が出ましたなんぞは国民にとっては「入らぬお世話」だ。 


 我々住民は、行政が「置き場」を造って・「保管管理態勢」を整えるまで除染は「NO」と言うべきなのかも知れない!! (keniti3545)


================



「プラス1」 武田邦彦先生 ブログ から


100年後まで「新エネルギー」は無関係・・・技術の本質とはなにか?


日本人の多くが「新しいエネルギーが必要」と信じている。実は今から30年前の私も同じで、「石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料」がそのうち無くなると錯覚していたからだ。

私がエネルギー分野の研究をするようになって、化石燃料が数100年でなくなることはなく、人間が使うエネルギーというのは1000年と言わず、300年ぐらいでガラッと変わるので、現在の知識で余り考える必要が無いことが分かったのは、30年前だった。

どんなに悲観的に見ても(世界の鉱山の常識と各国政府の政策から見ても同じだが)、化石燃料は数100年はある。もちろん、生活の中で普通に使えるような値段で得られるもので、2009年から本格的に掘り出したシェールガス(本当の意味の天然ガス)などは寿命数1000年、値段3分の1と予想されている。

値段が上がらず、数100年は持つ化石燃料があるのに、世界で日本だけが省エネ、節電、それに新エネルギーに熱心だ。世界の情報から隔絶された日本を感じる。世界の石油系の企業は「メジャー」、「スーパーメジャー」と呼ばれるぐらいの大きな会社で資本力もある。もし、石油系の燃料が短期になくなるのだったら、これほど悠々としているだろうか?

アメリカや中国の政府もそうだ。あれほど大きな国だから、エネルギー政策やもし温暖化などが大変だったら、国はつぶれてしまうだろう.それなのに、形式的には少しやったり発言したりしているが、本格的に代換えエネルギーの政策を進めたり、ましてCO2を減らしたりしていない。

これに対して日本の識者は「それはメジャーも、アメリカや中国もバカだから」と言うけれど、本当にそんなに簡単な結論を出して良いのだろうか?

40年前は原子力発電は実質的になかった。100年前にやっと石油を使い始めた。石炭を燃料に使ったのは200年前だ。だから、安い化石燃料が200年持てば、エネルギー資源のことは専門家に任せておいて、普通の人は生活をエンジョイすればよい。まして「足りない」と言われる税金を使って新エネルギーとか太陽光発電にお金を投じる必要は無い。

技術にはある経験則がある。基礎的な研究を始めて40年経っても実用化(既存の技術を凌駕するような状態)にならないものは有望ではないということだが、太陽光発電は基礎研究は長く、今から40年前にサンシャイン計画という膨大な税金を投入して国家プロジェクトを始めている。

だから、今更、太陽光発電がキロワット時で42円もするなら、技術として成功する見込みが少ない。でも技術のことだから思わぬブレークスルー(新たな着想による画期的技術の出現)があるかも知れない。でも、それは国家のお金を投じればできるというのではなく、むしろ、お金を投じると新しい技術は誕生しない。

技術の本質、世界の動向、人間の進歩など大きい目で一つ一つのことを判断するのも大切なように思う。
平成24年8月18日)


=====================

(keniti3545)
◎.武田邦彦(中部大学)先生からは色々教えて頂いていますが、1つ、2つ、質問です。 「宛先無し、我れの覚え書き」として書いておきたい。

(1)どんな状況下に於かれても必要ないと思われる「省エネ・節約」の類は悪ですか?経済学の先生方は確かに必要以上の節約を煽れば消費が落ち込んで経済が冷え込むと言う。しかし、無駄遣い(過剰な消費)も「良し」とか「正」とか表現しますかね。

(2)「新エネルギーは100年ぐらい考える必要も無い」?本当に、ですか?。 その時になってから考えては遅いから「官・民・科学者」は考えている。(財界は黙ってお金出していれば良いのに、一番余計な口出しする)今の科学の力では考えてもムダ? 先生ももっと知恵出して下さいよ。

(3)シェールガスの評価肩入れ高く聞こえますが今の段階では偏りは危うくありませんか、例えば「メタンハイドレート」等は「国家秘密的扱い」・「はたまたガセネタ的扱い」? 先生には是非解説と見通しをお聞かせ頂きたいと思っているのですが叶わぬ願い覚えに止め起きましょう。 (keniti3545)


===================