「keniti3545」since72:8月17日(金)曇り17℃「東日本大震災」526日 今日の一題「戦争と原発に向き合う」

*朝トレ:「今朝も黙々と一人トレーニング」チビッコギャングは付き合ってくれない! 「昼間エンジン全開で動き続け、夜はママと宿題」ま、しゃ〜ないか! でも今日は、朝から水遊び豪叔父ちゃんがお付き合いだって。な〜んだ! 我れのお付き合い時間割は夜の部「7時〜リュウ・シン君呼んで一緒に花火」のお目付役、だそうです。日光おばあちゃんにも幾つかお仕事言い付かってます。日光おじいちゃんも結構役に立つんですね〜。


*お盆が終わって又金曜日が巡ってきた。




*「東日本大震災」「311フクシマ」526日



今日の一題 「戦争と原発に向き合う」


東京新聞社 2012年08月17日

戦争と原発に向き合う 核時代の新たな不安

 冷戦時代、人類は核戦争の恐怖に直面しました。今は核汚染の怖さが加わります。原発事故はその一つ。核時代の新たな不安の中に私たちはいるのです。

 年配の方なら思い出せるかもしれません。

 広島、長崎に続き、核の恐怖を再び実感として覚えたのは、一九五〇年代の原水爆実験のころではなかったでしょうか。

 米国がブラボーと呼ぶ水爆実験をマーシャル諸島ビキニ環礁で行いました。危険区域外のマグロ漁船第五福竜丸が風向きのせいで死の灰を浴びました。現地の島民は緊急移動させられました。


世界に広がった抗議

 そのニュースは世界を駆けめぐり、人々はあらためて驚いたのでした。島一つを吹き飛ばす爆発規模、また重大な放射能被害。ニューヨークにあてはめるなら、マンハッタン島が消滅し、生き残る者はいない。

 米国では、こんな意見が出てきました。…このような危険なものを将軍や政治家たちに任せておいていいのだろうか。

 脅(おび)えるのではありません。健全な精神の持ち主なら当然もつであろう疑問です。日本では全国に核実験禁止の署名運動が、欧州でも抗議運動が広がりました。

 二度の大戦を経験している、英国の思想家で数学者のバートランド・ラッセルはこう考えた。

 広島原爆はTNT火薬にして二万トンの威力があった。では二万トンの爆弾一個と、五トンの爆弾四千個とはどう違うのか。ビキニの水爆は広島原爆の一千倍もある。

 これはただの恐怖ではない。人類は自らを破滅させる兵器をとうとう手中にした、ということだ。持ってはいけないものを持ってしまったということだ…。


ラッセルの問いかけ

 彼は世界の人々に伝えるべき宣言を起草します。

 <戦慄(せんりつ)すべき、しかし逃れることのできない問いがある。われわれは人類に終止符をうつべきか、それとも戦争を放棄すべきか>

 宣言には、物理学者アルベルト・アインシュタイン湯川秀樹ノーベル賞学者らが署名し、ラッセル・アインシュタイン宣言として世界運動につながってゆく。

 半世紀前、世界の知性が見抜いたのは人類全体の破滅可能性でした。想像力の所産であり、倫理のもつ力でもあります。人々には大戦の悲惨さという実体験、実感が伴ってもいました。

 核実験は縮小に向かったものの一九八六年、人類は新たな核の恐怖にふるえることになりました。当時ソ連チェルノブイリ原発事故です。平和利用のはずの原子力が深刻で広範囲の放射能汚染を招いてしまったのです。

 とりわけ欧州の悩みは深いものでした。米ソ冷戦の前線として核ミサイル配備があり、核の恐怖は潜在していたからです。

 チェルノブイリ事故の教えたことはじつに単純でした。原発は壊れることがあり、ひどい場合には大量の放射能を放出する可能性があるということです。その前の米国スリーマイル島原発事故の被害をはるかに超えていました。

 それは広島、長崎の犠牲で始まった核の時代の新たな不安を示したのでした。核の不安は兵器だけではなかったのです。核と人類は共存できないという至言が思い出されます。私たちは広島、長崎に続き福島という三つ目の悲劇をえてしまったのです。

 福島はチェルノブイリ以上の衝撃を世界に与えました。世界に誇るべき技術と労働資質をもつ国で重大事故が起きたのです。世界には地震国というだけでは片付けられない事故と映ったのではないでしょうか。たとえばドイツは、代替エネルギーがあるのなら原発は不要という明快な結論に早々と達しました。それがたとえ困難な道であろうとも、です。

 しかし、原子力の研究はもちろん続けなければなりません。純粋な科学的知見はより深めねばならず、医療などの民生利用にも必要です。原発廃炉や核廃棄物処理のためにも不可欠です。

人、自然の受ける被害

 福島の事故で放出された放射性物質は、セシウム137(半減期約三十年)換算で広島原爆の一六八・五個分だったといいます。

 この数字をどう考えたらいいのか。原爆では熱線や爆風、中性子線の被害が大きい。その通りでしょう。しかし私たちが今実感しているのは、原発過酷事故が人や社会、また自然に与える影響の途方もない大きさと深刻さなのです。それは世界共通の潜在的な不安だともいえるでしょう。


 私たちは、半世紀前のラッセルに似た問いを発せねばならないのかもしれません。戦争を放棄できるのか、人類は果たして安全でいられるのか、と。

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「プラス1」
Nucler2012年08月17日 より


脱原発NHK8/17 NHK 三重/芦浜」

 
三重/芦浜 模索〜原発ができなかった町で
(NHK 金とく 2012.8.16。)


原発をどうすべきか」という私たちの課題に示唆を与えてくれる地域がある。三重県南伊勢町大紀町にまたがる芦浜だ。

1963年、中部電力原発候補地になり、地元は反対派と推進派に分かれ対立を深めた。2000年、住民の同意が得られないため計画は撤回された。地元の人々は、半世紀にわたり原発を自らの問題として考え続けてきた。いま地元では豊かさとは何かを問う模索が続く。証言で原発ができなかった町を見つめる。(キャスター 黒崎めぐみ


↓動画 43分
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6540022.html

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(keniti3545)

こんな小さな地域でも原発建設を阻止出来た!住民の強い意志・声を上げた者の勝ち・議論のスタートラインで「勝つ意志の強さ」と「バックアップ」 : もし初めから体制に押し切られていれば、(実際には民意の中も真っ二つに割れ、「推進派」と「反原発派」の葛藤が周囲の地域を巻き込み紛争も長引いた、そして県知事の最終判断は)? : しかしここで、一番大切なことは「個」全てが自分の意志を持ったことだ。

 一方「現在の事象」は、国民を組易しと見る政府が見え見えのプロパガンダを駆使・マスコミを盾に「民意を無視した再稼働」を実現してしまった姿が全てだ。 言った者勝ち・声を上げた者勝ちは、「成熟した国に於いても、ルールに則った事実として社会にまかり通ってしまう」のが今の世の中だ。 アメリカの「訴訟社会」はその極限か?


 遅くはない! 覆せるのかこの現状! 『日本の脱原発マグマが「民意発露の原点」に』位置づけられるのはもう遠くはないのかも!!!  (keniti3545)


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