「keniti3545」since72:8月16日(木)晴れ17℃「東日本大震災」525日 今日の一題「脱原発の願いは絶対に消えない」! 

*朝トレ:パパ東京へ戻ったが、今日も我れにチャンスは巡って来ず!お盆様のお送り、朝一には昂佑・友麻共に先生やクラスメイトの近況報告(この葉書のバックグラウンドは我れの受け持ち足尾銅山跡の見学・大谷川公園でのパークゴルフの写真の貼り付け)そこへ日光デ〜スと報告文を一筆それぞれにこれでも課題の一つをこなしたことになるの?

 お墓参りはきちんと役割をそれぞれがこなした。家から10分の距離、リュウ君シン君、年に2、3度の逢瀬は1分たりともムダには出来ない。お水の汲み上げ・お花の換え作業・お線香のお供え8時30分には子鹿が二頭跳ね飛ぶように一目算、青地の広い遊び場のあるKさんの家へ、10時30分「曾ばあちゃん」に会いに出かけるまで2時間はあっという間だろう。

 それでも予定通り曾ばあちゃんのお宿「かわせみ」へ出発、1時間ともう少し「京子ママ」と「ケン爺」とお茶をして、昂佑がサッカークラブで教えてもらった指圧(手のひらツボへ)を「曾ばあちゃん」にご披露、お小遣いに「+α」をゲット! 12時丁度にかわせみの曾ばあちゃんにさよならして「今市ジャスコ店」へ。

 先ずは「腹ごしらえ」期間限定の「カレー味何とか」言うハンバーグ、昂佑はママがもてあましている大人味の物も半分近くの量を平らげた。

 さて、年に2、3度という「ゲーセン三昧2時間」、此処での友麻は昂佑お兄ちゃんに最大の敬意を払う。チョット高度なゲームらしく1年生の友麻にはゲーム最大の山場にはテクニック不足で「昂佑、やばい、やばい」と助けを呼ぶ、すると昂佑が自分のゲームをさておいて「助っ人に及ぶ姿」はなかなかの見物だった。ゲームの結果はそれでも昂佑の得点は圧倒的に高得点で終わる。

 友麻も、結構満足気だ。2時間のタイムリミットで昂佑800円・友麻1100円 二人とも1500円の予算で残金を作ったままゲームセット。途中、交互に呼び出されママに「靴のサイズ合わせ」やらのロスタイムも有ったがアピールは無しで完了。最後に4人でかき氷を食べて、お留守番のばあちゃんに買い物の有無を再度確かめ帰路につく。

 家に帰って、ほっとする間もなくリュウ君シン君と一遊び後、呼び戻された二人の入浴掛かりを申し渡されて一踏ん張り。4年生の昂佑は殆ど一人でこなすが洗髪、体の洗い具合はチェックが必要だ。その後の夕食は、豪おじちゃんも加わって賑やかだ。焼き魚もそうめんも、未だ今日もテーブルに並ぶぼた餅(おはぎ)も食べる。

「なすとタマネギ、(なんきんも)のマリネ」 我れの大好きなビールのおつまみだが、昂佑も友麻も結構美味そうに食べる。ホンマモンの無罪放免は7時半やっと独房(此処も日中は時に共同作業場)に戻ったが・・・、こりゃ〜後半の3日間が思いやられるのう〜。 「待ちに待ったこの道行き」も、待つ間が一番楽しいんだな〜! 今8時半昂佑が傍らで何かおとなしく文字を書いている。こういう時間もあるんだ4年生になると・・・。いや我れも早くノルマこなして二階に上がりたい・・・明日に備えて・・・。




*「東日本大震災」525日



今日の一題 「未だ救いきれない原爆被災者:今始まったばかりの原発被災者救援」それでも再稼働が始まっている原発!  脱原発の願いは絶対に消えない」! (keniti3545)


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東京新聞社 2012年8月16日



 戦争と原発に向き合う 実感される平和とは 

 今年は自衛隊の前身にあたる保安隊の発足から六十年。東西冷戦の終結からすでに二十年。あらためて自衛隊と平和の関わりについて考えてみました。

 米国とソ連が世界を東西に分断して対立した冷戦は一九九一年、ソ連の崩壊で終わりました。自衛隊の一佐に当時を振り返ってもらいました。すると「戦争が起こらなくて本当によかった」とほっとした表情を浮かべます。

 この世の終わりを迎えるような戦争が起きると本気で思っていたのでしょうか。「私だけじゃない。退官した先輩たちの感想も同じです」と話すのです。


◆幻の「防衛出動」

 具体的な証言を得られたのは、七六年、ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸した「ミグ25事件」でした。亡命を求めた操縦士は東京へ移送され、函館空港に機体だけが取り残されました。

 「ソ連軍が機体の破壊にやってくる」。東京の陸上幕僚監部から連絡を受けた函館駐屯地の第二八連隊は、隊員たちに百発ずつ小銃弾を配り、戦車二両に砲弾を積み込みました。出動間際に「誤報」との連絡が入り、初の「防衛出動」は幻に終わりました。

 退官した連隊長の自宅を訪ねた際、原稿用紙にまとめた事件経緯を読ませてもらいました。

 「第二師団長から『侵攻してきた敵はただちに撃滅せよ』との口頭命令を受けた」「陸幕から『陸幕長は一人も生きて帰すなと言っておられる』との電話もあった」

 第二師団長から聞いた話も一致しました。しかし、防衛出動の発動に必要な首相ら閣僚が出席する国防会議(現安全保障会議)は招集されてもいません。

 当時の防衛事務次官、丸山昂(こう)氏と亡くなる前に会いました。「陸幕長と話し合って『ソ連は戦争になるような軽挙妄動はしない』との見方で一致した」としながらも、「その場の行動は現場が判断するもの。もし第二八連隊が出撃していれば手順は前後するが、防衛出動の手続きをとったでしょう」と含みを残すのです。

 「万一の事態はないが、あれば現場に任せる」というのです。場当たり的な対応というほかありません。命令や指示はすべて口頭にとどまり、文書として残されることはありませんでした。

 軍部が独走した太平洋戦争の反省から取り入れられた、政治が軍事を統制する「シビリアンコントロール」が絵に描いた餅であることがよく分かります。


専守防衛の効能

 自衛隊の先人たちの大いなる不安は冷戦終結により、拭い去られました。わが国に平和憲法があってもなくても、侵攻される危機は、ひょっとするとあり得たのかもしれません。それでも憲法九条は、やはり重いと考えるのです。

 お隣の韓国は、ベトナム戦争に出兵し、五千人近くが戦死、四万人以上のベトナム人を殺傷したとされています。日本政府は参戦した米国を支援し続けたのですから、日本に戦力不保持・交戦権否認を規定する憲法九条がなければ、専守防衛の戦略も生まれず、自衛隊ベトナム戦争に派遣されたのではないでしょうか。

 近くはイラク戦争です。日本政府は戦争に踏み切った米国を支持して、陸上自衛隊を派遣しました。ただ活動は人道復興支援にとどまりました。「大量破壊兵器を隠し持っている」。そんな米国の誤った言い分に乗せられながらも殺傷せずに済んだのです。

 民主党政権では、わが国防衛の指針である「防衛計画の大綱」が改定されました。その中で打ち出された「南西防衛」について、海上自衛隊は太平洋へ進出する中国海軍艦艇の動向を漏れなく把握することと解釈しています。米国の新国防戦略「アジア太平洋の重視」と一致しますが、「南西防衛」を沖縄本島石垣島宮古島を守る国土防衛とみている陸上自衛隊航空自衛隊とはずれています

 なぜばらばらなのか。政治家が自衛隊の役割や日々の行動に関心を示さず、制服組に丸投げしているからです。「現場にお任せ」の無責任体制は、ミグ25事件のときと変わりありません。

◆災害で自衛隊活用を

 冷戦時代の防衛白書は、ソ連を「潜在的脅威」と記述していました。冷戦後の白書は中国や北朝鮮を「不安定要因」とするにとどめています。差し迫った脅威が存在しないことは、自民党政権を含め、十年連続して防衛費が削減されていることからも分かります。


 東日本大震災での自衛隊の活躍は記憶に新しい。日本周辺の警戒・監視を続ける一方で、自衛隊を災害に本格対処する組織につくり替えるのはそう難しくありません。「決められない政治」でも決められることなのです。


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「プラス1」 「みんなぁがおるき 大丈夫ちや」

NHKドキュメント20minというのは若い制作者たちがお届けする“新感覚”のドキュメンタリー番組で深夜に放送されている。(2012.8.14)


東日本大震災で被災し、福島県矢吹町から高知県安芸市に避難した腰山禮ちゃん、6歳。放射能への不安から家族が選んだ移住先は過疎の集落。友達もいない独りぼっちのストレス、母親が抱える子育てへの不安、そして山里の豊かな自然と絆。入学から夏休みまで禮ちゃんの成長に密着したヒューマンドキュメンタリー。リポーターは、地区のゆるキャラ・お茶仙人まったりくん。語りは数々のアニメや劇場映画に出演の声優・矢田耕司さん。

↓ 動画 約19分 可愛い「禮ちゃん」の姿から原発の何を読み取れる我々だろうか?http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6538269.html

「無難な・ゆるキャラな、官邸前・金曜日デモ」にも呼応する思想=出来ることを背伸びせずに、組織に属さない「個」・「地域」・共通の思いを持つ集いから上がる声を発生源に静にじんわりと沸き上がる「マグマ」過激な行動は伴わずとも継続出来る行動。選挙が悪さをしないで欲しい、悪性の「バイ菌」をまき散らさないで欲しい、マグマが一際大きく育つことが一番望ましいことなんだけど!!? (keniti3545)


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