「keniti3545」since72:7月20日(金)小雨16℃「東日本大震災」498日 今日の一題「金曜日・この声を良く聞け!」

*朝トレ:そぼ降る小雨にコーチからダメだしだ。それでも朝〜は来た!



*「東日本大震災」498日


今日は金曜日:総理、うるさい音が声に聞こえたら目を見開いてこれを見よ!!

今日の一題 「我々の思いはこの文言に尽きる」!!


でもじゃないよ、だからだよ  みんなじゃないよ、たくさんのひとりだよ




官邸前のデモは「無難」。だから効く


日経ビジネスONLINE  小田嶋 隆  2012年7月20日(金)


 今月末に官邸前のデモを見に行くつもりでいるのだが、その前に感想を述べておきたい

 なぜ、自分の目で見る前に原稿を書くのか、疑問に思う人もだろう。
 が、私としては、ナマで見た景色に動かされる前に、現状で考えていることを書き留めておきたいのだ

 デモのような集団行動は、巨大な心理的圧力を備えている。
 当然と言えば当然だ。

 人が集まることの効果の大きさを知っているからこそ、人々はデモを企画するのだし、規制する側も、デモのもたらす影響力の底しれなさを恐れるからこそ、その拡大を阻止せんとしている。
 
 包囲されることになる霞が関の関係者も同じだ。
 彼らとて、人の波の影響から無縁ではいられない。

 数万の人間の渦を目の前にして、霞が関の人々は、おそらく、日常の判断とは別の感慨を抱くことになる。で、その感慨は、彼らの考えを少しずつ動かすはずなのだ。

 結局、ひとつの場所に集まった人々は、集まったというその事実を通じて、ものの考え方の前提に当たる部分を変更して行く。
 と、集まった人間たちの思考は、結果として、ひとつの実体を獲得するに至るのである。

 私自身も、実際にデモの中を歩いたら、数万人規模の人間の群れが醸し出す圧力に影響を受けるはずだ。どっちに転ぶのか(つまり、昂揚感を感じるのか疎外感を感じるのか)は、歩いてみないとわからないが、いずれにしろ、私は傍観者としての視点を失うだろう。

 そんなわけなので、ここでは、デモの輪の中に入る私が、デモの当事者(反対派であれ賛成派であれ)になってしまう前に、現状の状態で考えているあれこれを書いておくことにする。あの時のオレは、何も知らなかったとかなんとか、あとで笑うことになるかもしれないが、そこはそれだ。何も知らなかった時に考えていたことは、それはそれで価値を持っている。というよりも、もしかしたら、われわれの判断は、経験に毒される前の方が、純粋であるのかもしれない。

 私は、今回の一連のデモを、感心して眺めている。
 単純な話、こんな時代に万を数える人間を集めただけでも立派だと思っている。
 なにより、毎週頭数を増やしながら、一人の負傷者も出していない点が素晴らしい。
 逮捕者もゼロ。これも驚異的だ。
 器物損壊や略奪の噂も聞こえてこない。
 小競り合いや熱中症の話も皆無。
 ゴミのポイ捨て映像がネットにアップされることさえない。
 なんというお行儀の良さだろうか。

 三百人規模の高校生の修学旅行だって、もうすこしカオスな部分を残している。高校生がそれだけ集まれば、配られた弁当の人参を路上に廃棄する生徒が、少なくとも五人や六人はあらわれる。進学校でも底辺校でもこの比率はそんなに変わらない。

 それが、官邸前に集結した数万人の老若男女は、特に目立った悪さをすることなくコースを無事歩き通している。しかも、時間通りに粛々と解散した後には、ほとんどまったくゴミを残していない。こんな見事なデモがどこの世界にあるだろうか。

 おそらく、国際標準と照らし合わせて、これほど無害なデモはほかの国では見られないはずだ。

「ニポン人はイワシのように整然と動く」
「見ろ、人が少しもゴミのようじゃない」

 素晴らしい。われわれは自分たちの民度の高さを誇って良いはずだ。

 さてしかし、一連のデモにおける参加者お行儀の良さについて、主に年配の人々が違和感を表明していることもまた事実ではある。

 彼らは不思議がっている。

「なぜジグザグに行進しない」

「信じられない。おとなしすぎる」

「葬列かよ」

「気迫とか覚悟とか闘志とかがまったく感じられない」

「目的が曖昧だ」

「リスクを冒していない」

 言わんとしているところは、わかる。


70年安保やその前後の大学紛争をくぐり抜けてきた世代は、官邸前の集団を、「デモ」とは認めない。

 彼らは、「包囲せず」「破壊せず」「投石せず」、あくまでも整然と歩いている。そして、「居座らず」「座り込まず」「居残らず」に、スケジュール通りに、粛々と解散している。安保世代の人たちからすれば、こんなものはデモではない。

 しかも、行進のコース取りは、原則警察の指示通りで、のみならず、解散を呼びかける時には、デモ主催者が警察にハンドマイクを借りているというではないか。

「警察主催かよ」
「でなくても、警察と共催ぐらいだわな」
「なぜ闘わない」

 逮捕覚悟でデモに繰り出していた人々の目には、警察の人々とのコラボレーションを得ながら繰り広げられているこの度の一連のデモは、あまりにも迫力を欠いた行動として映っていることだろう。
 

 私自身は、七十年安保には乗り遅れた世代だ。大学紛争とも無縁だった。
 が、先行する時代のデモの雰囲気を多少は知っている。以下、私が瞥見した「昔のデモ」について書き残しておく。

 最初に目撃したのは、「王子野戦病院反対闘争」だ。

 調べてみると、闘争が活発化したのは1968年の3月で、翌69年には米軍が病院の閉鎖を発表している。ということは、闘争は約一年間、散発的に続いていたことになる。なるほど。

 で、その折の、警官と学生側の衝突の一部を、私は目撃しているのだ。
 1968年の3月、私は小学校5年生で、ちょうど同じ北区の堀船というところにある英語塾に通い始めた頃だった。

 私は、当時はまだ廃止されていなかった27系統(赤羽〜三ノ輪間)の都電に乗って、家の前の停留所(「岩渕二丁目」だったと思う)から、「梶原」という駅までの区間を通っていた。ちなみに運賃は子供15円だった。
 その都電の中から、デモの様子を見ている。

 記憶では、私が乗っていた車両は、デモ隊と機動隊が衝突している現場から500メートルほど離れた王子二丁目あたりで30分ほど立ち往生していた。周囲は見物の群衆で身動きがとれない状態だった。

 投石や放火の現場を見たわけではなかったが、群衆のアタマ越しに、ゲバ棒を持った学生の一群と、盾を構えた機動隊の姿を瞥見することができた。

 で、私は、この景色を見て以来、完全に学生側のファンになった。
 不思議ななりゆきだ。

 それまで、親や教師の受け売りで、学生運動に対しては、「けしからん」「親のスネをかじっていながら何を勝手なことを」ぐらいに思っていたのだが、実物の反代々木系の学生を見て、なんというのか、そのムードに魅了されたわけだ。

 これは、言葉では説明しにくい感覚だ。

 集まって密集しながらヘルメットとタオルで顔を覆い、ガチャガチャと音を立てている学生の方が、ジュラルミンの盾の後ろに身を隠している重装備の機動隊よりも、絵柄として、断然、魅力的に見えたということかもしれない。

 とにかく、私の目から見て、学生たちの幾分悲劇性を帯びた隊列の様相は、著しく魅力的に見えたのである。

 結局、英語塾に通う間、学生のデモを見たのはその折の一度だけだったが、デモの残骸(剥がれた敷石や、ガラス片や、地面に残った焦げ跡)は、何回か目撃した。で、そういうデモの焼け跡に触れる度に、私は、非常に心躍る気分を味わったのである。

 人が集まるというのは、そういうことだ。
 思想だとか政治的理念とは別に、景色や音や集まっている人間の興奮を通じて、われわれは群衆のエネルギーに魅了されるのである。


さてしかし、私が大学に進むと、闘争は終わっていた。

 三菱重工ビル爆破事件があり、浅間山荘事件があり、革マルと中核の間で内ゲバ殺人事件が続発する中、学生運動は、ウソみたいに民衆の支持を失っていった。私の当時の感覚では、それこそ「一夜にして」化けの皮が剥がれた感じだった。そういうふうにして、学生さんたちの世直しの運動は、自壊したのだ。

 私が大学に通っていた間、その種の運動に関わっている学生は、たぶん全学生の5パーセントにも満たなかっただろう。

 時々、運動をやっている連中が、学費値上げ反対やそのほかのいくつかの運動ネタにかこつけて、構内をジグザグ行進している姿をみかけることはあったが、その数十人ほどの行進を、わたくしども一般学生は、軒下のムカデを見る時みたいな冷ややかな目で眺めながら行き過ぎていた。

 とはいえ、あの当時は、まだ群集心理の残滓みたいなものがキャンパスに漂っていて、その気分は、たとえば早慶戦みたいな機会を通じて小爆発を繰り返していた。

 いまの早慶戦はたぶん紳士的な(というよりも凡庸な)集まりになっているはずだ。
 が、私たちがそれを観に行った当時、早慶戦は、ずっと野蛮なイベントだった。

 徹夜で並んでいる連中の間には、毎回殴り合いの喧嘩が勃発していたし、試合が終わった後の歌舞伎町の荒れようもひどかった。

 早慶戦を終えた夜の新宿には、OBや近隣の女学生を含めた10万人以上の群衆が押し寄せることになっていた。ということはつまり、警察力は、学生の群れに対してまったく無力だったわけで、コマ劇場周辺の一帯は、治外法権になっていた。

 後に、私は、ある雑誌に

「小中高を通じて品行方正なガリ勉を通してきた半端エリートが、早慶戦の夜の決して警官にとがめられることのない乱暴狼藉を誇って、『オレも学生の頃は無茶をしたもんだ』てなことを自慢するのが、早稲田のバンカラの正体だよ」

 という意味の原稿を書いて、早稲田出身の編集者と険悪になったことがあった。
 でも、事実は事実だ。本当に、あの頃の早慶戦はタチが悪かった。

 失業者時代にバンドを組んでいた頃、早慶戦帰りの早稲田生の行列にでくわしたことがある。
 われわれは、靖国通りの歩道を、神宮からやってくる早慶戦の連中とは逆方向に歩いていた。
 と、バンドのボーカルがいきなり殴られた。
 何の前触れも無しに、理由も無く、だ。

 きっと、楽器を持っているのが気に食わなかったのか、でなければ、逆方向に歩いてくるということそのものを挑戦と受け止めたのかもしれない。つまり、それほど、早慶戦の夜の早稲田生は思い上がっていたということだ。数万人の行列。こわいものなしの夜郎自大。だから、気に食わないヤツはいきなり殴るわけだ。

 事件は、すぐにおさまった。
 殴ったヤツを仲間がおさえつけて、別の人間がニヤニヤしながら謝ってきて、それで終わりだ。

「悪いな」
「こいつ手癖が悪いんだ」
「ホントごめん


 われわれには抵抗のしようもない。ボーカルをなんとかなだめて、また歩き始めるほかにどうしようもなかった。果敢に闘って袋叩きになる選択肢も残されていたし、それが青春だという考え方もないわけでもなかったが、私たちはうんざりしながら東に向かって歩く方を選んだ。早慶戦というのは、実に、そういう経験だったのである。

 以来……というわけでもないのだが、私は、群衆を信用していない。集団を形成している人間は、その成員の一人一人が、いかに立派な人間であっても、集まっているという事実において、野蛮さを内包しているものだからだ。

 早い話、わたくしども浦和レッズのファンも、あぶない時はあぶない。
 私がサッカーのスタジアムで感じる実感では、「25000人」と、「50000人」は、まるで違う。人数にすれば、2倍にすぎないが、実感ベースでは、10倍になる。25000人の場合、駅までの道は、ゆったり歩けるし、まったく危険を感じない。ところが、これが50000人になると、気が抜けなくなる。前の人間と歩調を合わせて歩かないと危ない。これが100000人だったらどうなるのだろう。おそらく、5倍は危険なはずだ。

 

一度だけコワい思いをしたことがある。


 その日、埼玉スタジアムでの試合が終了した後、敵方のサポーター席と浦和側のサポーターの間で、ちょっとしたトラブルが発生(敵チームが、横断幕で浦和を挑発し、それに怒った浦和のサポが彼らを包囲した)した。騒ぎ自体は、じきに収まったのだが、トラブルの噂は、サポの間を、気まぐれな速度で広まって行った。

 私は、「なんか、やってるなあ」と、ゴール裏の様子を横目で眺めながら、出口に向かって歩く人の流れに乗っていた。

 と、スタジアムの二階席から外に出る階段の下で、一群のサポーターが立ち止まっている。騒ぎを聞きつけて見物に戻ろうとする連中と、駅に向かって進もうとする人間がぶつかって、ジャムが起きていた。

 私を含めた2階席の客は、階段を降りようとしている。が、階段の下には動かない群衆がいる。結果、階段の途中に圧力が加わる。これは、非常に危険な事態だ。

 後ろからは人の波が押し寄せてくる。前の人波は動かない。私は、この時、将棋倒しの危険を感じて、非常に緊張したのだが、なんとか5分ほどで停滞はおさまって、人の流れは、再びスムースに流れ出した。

 あの時、何かの拍子で、誰かが叫んだり、あるいは、パニックを起こした何人かが走り出したりしたら、悲劇が起こったかもしれない。ともあれ、たとえ、悪意を抱いている人間が一人もいなくても、万を超える人数が集まると、常に不測の事態は起こり得るのだ。

 それを思えば、官邸前のデモは、実に素晴らしい運営をしている。

 デモの「無難さ」を揶揄している人たちは、この「無難さ」こそが、デモの拡大を支える原動力でありことに思い至るべきだ。

 この先、「不測の事態」を避けることができれば、デモの影響力は、さらに増大して行くことだろう。

 ところで、今回の一連のデモについて「これはデモではない」という声が、参加者の周辺から聞こえてきている。

 ん? デモではない、と? どういう意味だ?

「ただ集まっているだけですから」

「というよりも、従来のデモと一緒にされるのは迷惑だということです」

「動員をかけたりシュプレヒコールを繰り返して行進するタイプの古い時代のデモとは、目的も手法も運営もまったく違っているということです」

 なるほど。 

言いたいことはなんとなくわかる。彼らのデモは、古いデモと違う。そこが眼目だ。
 とはいえ、デモでないのだとすると何なのだ?
 「だから」か?

 いや、これは、このデモが始まったばかりの頃に、私が思いついたジョークで、つまり、逆接の接続詞である「でも」と正反対の運動であるのだとすれば、それは順接の接続詞の「だから」であるはずだという、そういう、ちょっと一回りした考えオチのネタだ。

 ある場所で言ってみたところ、微妙な反応が返ってきた。

「官邸前のアレ、デモっていうより、ダカラって感じしませんか?」
「ははは。それ、ボクはわりと面白いと思いますけど、どうせ左右両陣営から反感買うからツイッターとかには流さない方がいいと思いますよ」
「そうかなあ」

「参加してる人はムッとしますよ」

 そうかもしれない。


「傍観者が適当なこと言わないでください」

 目に浮かぶようだ。


でも(←ははは)、これだけはわかってほしい。

 私の気持ちの中では、「だからデモ」という言い方は、好意的な意味を込めた言葉なのである。

 国策や政府に対して、真正面から反対の意思を叩きつけるのではなくて、一応やんわりと受け止めておいてから、別の話をはじめるみたいな柔軟さが、この度のデモの特長だ。だからこそ、「だから」という接続詞を当てている。

「だから、ぼくらとしては打ち倒したいのではなくて、話し合いたいわけです」
「電力需要が逼迫していることはわかってます。だから、長期的な展望を考え直そうじゃないですか」
「だから、せめてもうすこしマトモな手順を尽くしてから再稼働を検討しても良かったんじゃないですか」

 と、一見弱々しく見えるこれらのメッセージは、強硬な反対意見や対決的な言論よりも、むしろ確実な地歩を築く可能性を持っている。

 この調子で畳み掛けて、官邸の中の人が

「でも……」
 
 ってな調子で抗弁してくれば、いよいよこっちのペースだ。
 まあ、泥鰌の尻尾は簡単にはつかまえられないだろうけど。

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◎.「小田嶋隆」氏 デモに参加する前の一文としてとあるので参加後の批評(感想でなく是非本音を)も聞いてみたいところです。当人もちょっぴりいい訳をしていますが、この文章から参加者への揶揄を含んだ批評とは多くの人は取らないと思います。

 我れ個人としては、しゃもじにあるスローガン(?)特に後節の、 「みんなじゃないよ たくさんのひとりだよ」 これがこの「デモの全て」を言い表していると言う思い大、更に最近のブログ仲間とは暗黙のテーマとなっている個の自覚・個の行動が『民意というおおきな「力」となって、国民の「個」の力の結集として此処に姿を現した』と捉えることが出来るのではないかと感激しているところです。 まだまだ結論づけるには時期尚早と言われるかも知れませんが、とにかくこのデモの形には我れも、大きなうねりを見る思いの一人ではあります。 (keniti3545)


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◎.「個」の大切さを心に込めた国民の訴え、無力の集団を不備なルールで説得できると思いこみの施策を踏襲する総理の戦いは先が見えました。討論型世論調査パブコメ)を軸に据えた聴取会も、単なる集団から、「個」「々」の集結では何処からでも声が発せられます。

当然、コメント集計をどんなに短期間にコッソリ遣っても国民の意思は如実に結果に表れます。「議会制民主主義の盲点」も「国民の側で修正の波が起きている」のです。最早、我れのような一市井人が見ても読み解ける流れが出来ているのです。総理の「悪あがき」は、「ぶれない姿勢」とは似ても似つかぬ別物、はっきりと身を引く覚悟をお示し下さい。 (keniti3545)

◎.今日の「デモ」も成功裏に、そして「だから」、で終えることを願っています。 (keniti3545) 

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