東京新聞社説2012年6月24日


リオ環境宣言 フクシマが教えている

 これは、何だ、と言いたいような、国連持続可能な開発会議(リオ+20)の幕切れだった。十年後では遅すぎる。明日にでも首脳が集まって、仕切り直しをするべきだと、フクシマが教えている。

 「何かを始めなければ前進できない」。ブラジルのルセフ大統領が、少しいらだたしげに力説した通りである。

 世界百九十カ国・地域の代表が集まった。「われわれの望む未来」と題する宣言(合意文書)は採択された。だが実態は、議長国ブラジルが事前に用意した案文を、そのまま通しただけではないか。

 具体的な施策や数値目標は、決められないまま先送りされただけに終わった。結局何も決められなかったのだ。

 環境保護と経済成長を両立させる「グリーン経済」への移行は、「持続可能な開発のための重要な手段の一つ」と言葉を濁し、具体的な開発目標は、二〇一五年までに策定するとしただけだ。

 私たちは、こんな未来を望んではいない。

 持続可能な未来を築くと誓った前回のリオ・サミットから二十年。世界は足踏みどころか、後ずさりを始めてはいないだろうか。

 会議自体が低調だった。米大統領は自らの選挙で忙しく、金融危機におびえる欧州連合(EU)は、環境どころではない様子。日本の首相は、ブラジル政府からの強い要請があったにもかかわらず、前回に続いて参加を見合わせた。その中で、国連の潘基文(バンキムン)事務総長は「持続可能な開発は、人類にとって唯一の選択肢である」と言い切った

 フクシマを経験した私たちには、強くうなずける。

 経済成長の坂道を上る途上国が「グリーン経済」に懐疑を抱くのは、両立の具体的な未来図を先進国が示しきれずにいるからだ。だから、資源、エネルギー浪費型の成長モデルに頼ってしまう。

 日本政府はリオで、震災の貴重な体験を踏まえ、持ち前のリサイクル、省エネ技術を駆使した「災害に強く、人に優しい『環境未来都市』のモデルをつくる」と表明した。フクシマに報いるためにも、この試みを一歩進めて、破滅的な環境破壊を招く原発に依存しない、持続可能で豊かな未来社会のモデルを、日本から世界に示したい。そうすれば、環境の国際会議も再び前進できる。

 私たちが望む未来は、持続可能な社会以外にないのだから。

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(「リオ」を、もう一紙)