「keniti3545の日記」since72:5月23日(水)晴れ11℃「東日本大震災」440日

*朝トレ:7時〜8時

今日もやっぱり朝〜でした!え、当たり前ですね、でもホントに良い気持ちで〜す! 「B下」のメニュー終えて帰路には、曇り空に成ってしまいました。 今日は雑用いえ、「お・仕・事」を「マネージャー」から仰せつかっていますので早々に朝食を済ませ、折良く居合わせた息子と久々の共同作業。BS テレビが見えない!を、解決!  

取説で電波受信の強弱がアンマッチらしいことは解ったのですが、調整つまみの取り付け位置・形状等が検討付かず「高所(屋根上)でおろおろ」、結局息子が探り当て適量位置にセッティング完。受信も復帰。 我れが手伝えたのはその後のついでの補修に使う治具材料の受け渡しと後片付けだけだった。でも、東電さん・関電さんよりは、自分のお仕事したかも知れませんね??? 




*「東日本大震災」440日


今日の一題 「報道」 という 「三権 +1 」 の権力が此で良いのか?  (keniti3545)


2012年05月22日14:58 (Nuclear F.C:原発のウソ) 

「テレビの原発報道はひど過ぎる」  日テレ元報道局ディレクターが抗議の辞任週刊ポスト2012/06/01


震災以降、視聴者が抱いたテレビ報道への不信感を、一番肌身で感じていたのは当事者であるテレビマンたちだった。
この3月に日本テレビを退社した元エースディレクターが告白する。

ひどい番組をひどいと言えない。それでジャーナリズムですか?

テレビ各局が震災後1年の特番を放送した3月11日の翌日、日本テレビ解説委員だった水島宏明氏(54)は周囲に辞意を伝え、古巣を後にした。

同氏は『NNNドキュメント』ディレクターとして「ネットカフェ難民」シリーズなどを制作し、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。

『ズームイン!!SUPER』にはニュース解説委員として出演していた。
現在は法政大学社会学部教授となった水島氏が、「報道現場が良くなる一助になれば」と退社の経験を初めて明かした。


きっかけは、原発報道です。
報道局の幹部が突然、「今後はドキュメント番組も基本的に震災と原発のみでいく」と宣言しました。
もちろん、あれだけの大災害ですから報じるのは当然ですが、それだけだと報道の多様性がなくなってしまいます。
私のライフワークである貧困問題は「そんな暇ネタはボツだ」という扱いを受けました。

しかも、NNNドキュメントの企画会議では、
「うちは読売グループだから、原発問題では読売新聞の社論を超えることはするな」と通達された。
そんなことを言われたのは初めてでした。
先年3月28日に日テレの氏家(齋一郎)会長が他界しましたが、グループ内で影響力を誇る人物がなくなったことで、
読売の日テレに対する影響力がどうなるかわからないという配慮から、そうした発言が出たのかもしれません。


これは日テレに限らず、今のテレビ局全体の問題だと思いますが、プロデューサーやデスクの幹部・中堅社員が、あらかじめ報道内容のディテールまで会議で決める傾向が強まっています。

現場に出る若手社員や下請けの派遣社員は、その指示に従った取材しか許されない。
でも、我々は社員である前にジャーナリストですから、
本来は自分の目で現場を見た上で、自ら報道すべきことを判断すべきです。
震災以降、現場軽視をますます痛感し、私は会社を辞める決意を固めました。

震災1周年の日、私は各局の特番を総長から深夜までザッピングして見ていましたが、正直、日テレが一番酷いと感じた。

被災地と直接関係のないタレントの歌を流し、キャスターは被災地を訪れて「復興」を強調するものの、そこには報道の基本である視聴者の教訓になる情報がない。

取材も表面的で、被災地者のリアリティが伝わってきませんでした。
そのことをみんな感じていたのに、放送後の報道局会議では、幹部の「良かった」という声に押され、誰も何も言えなかった。


最後の出勤日となった3月30日、私は報道フロアに集まった同僚に対し、
「酷い番組を酷いと言えない。それではジャーナリズムとは言えない。事実を伝える仕事なのに。もっと議論して、言いたいことを言い合おうよ」と話しました。
幹部が同席していたため、その場はシーンと静まり返っていましたが、後で何人かが「僕もそう思ってました」と寄ってきた。「じゃあ言えよ」って。(笑)



なぜすぐ爆発映像を流さなかったか

水島氏は、現在のテレビジャーナリズムの構造的な問題点を指摘する。

この間の震災・原発報道を通じて露わになったのは、自らの在り様を検証できないテレビ局の体質です。

日テレ系列の福島中央テレビは震災翌日、福島第一原発1号機の水素爆発の瞬間をメディアで唯一、撮影して速報しました。

ところが、その映像が日テレの全国ネットで流れたのは1時間後のことです。
報道局の幹部が専門家などの確認が取れるまで映像を控えると決めたからです。

状況が確認できないまま映像を流せば、国民の不安を煽って後で責任を問われるという状況になりかねない、というわけです。

しかし、影響がどこまで及ぶか分からないからこそ、本来なら「確認は取れていませんが、爆発のように見える現象が起きました」と言ってすぐ映像を流すべきでした。

実際、あれを見て避難を始めた人もいて、国民の命にかかわる映像でした。
私自身、福島中央テレビの人間から「すぐに放映しなかったのはおかしい」と責められました。
しかし、その経緯は未だに社内で検証されていません。

その後も、本社や記者クラブ詰めの記者の多くは、原発事故で信頼を失った後でさえ、国や東電など「権威」の言うことを机に座ってメモするだけでした。

発表内容をそのまま報じるものの、実際の現場に行って、たとえば本当に除染の効果が得られたかどうかを確かめるようなことはほとんどしません。
カネと時間と労力がかかるので、楽な方に流れてしまうのです。

本当に独自性のあるネタを報じれば、かつてのテレ朝系『ニュースステーション』の「ダイオキシン問題( ※注1 )」のような問題を生みかねないと、先んじた報道を避ける傾向があります。

(※注1 テレビ朝日系『ニュースステーション』が
99年2月に埼玉県所沢市産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと報道したことを契機として、
同市産の野菜価格が急落。同市の農家側が損害賠償などを求めて起訴し、
テレビ朝日は謝罪した上、1000万円を支払うことで和解が成立した)


ワイドショーの現場では、報道局が撮ってきた映像を使い回し、短時間だけ現地に入るレポーターが番組名のついたマイクを使うなど、見せ掛けだけの独自性で勝負している。


テレビ報道が「権威」から離れる道もあるはずです。
たとえば霞が関の官僚たちを、匿名を許さず「原子力安全・保安院○○課長補佐○歳」というように実名にして、

何を言ってどう行動したか詳しく伝えるだけでも、責任を追及する報道に変わるはずです。

事実、すでに地方局ではやっていることなのに、キー局は変わろうとしない。
私はこの現状を変えるため、何色にも染まっていない学生に、本来のジャーナリズムを教えていく道を選びました。
掲載元:平和ボケの産物の大友涼介です。



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「プラス1」 『聞いたかと 問えば喰ったか と答える』


こんな心得、当代国会議員の先生方に問うてみたいもんですな〜!!? (keniti3545)


2012.5.23 東京新聞 コラム

 <聞いたかと問へば食つたかと答へる>。山口素堂の有名な俳句<目には青葉山郭公(ほととぎす)初松魚(がつお)>を踏まえた江戸川柳だ。ホトトギスを聞いたか、という問いに、カツオを食べたと応じる粋なやりとりである


鮭(さけ)や鱒(ます)、鮟鱇(あんこう)などの魚類、筍(たけのこ)や梨、柿などの野菜や果物…。江戸っ子は初物を食べれば寿命が七十五日延びると信じていたが、その中でも初鰹(がつお)は別格だった(小菅宏著『「江戸」な生き方』)


新しい物好きで、好奇心の塊だった江戸っ子気質が残る東京の下町に、世界一の高さを誇る東京スカイツリーが開業した。あいにくの雨の中、併設する商業施設は江戸っ子のような新しい物好きな人たちで大混雑だった


高い建物がなかった江戸時代、歌川広重歌川国芳葛飾北斎といった一流の絵師は、鳥瞰(ちょうかん)図法で描いた浮世絵版画を多く残している。太田記念美術館(東京・原宿)で開かれている「空からの眺め−大江戸八百八町」展で、江戸の眺望を楽しんできた


国芳の「東都三ツ股の図」は、スカイツリーにそっくりな塔が描かれていて話題になった。実際は、井戸を掘るために組み上げた櫓(やぐら)だったらしい


絵師たちの想像力を思いながら鳥の目を楽しみたいところだが、スカイツリーの展望台に上れる個人入場券は七月上旬までほぼ完売だ。<見たかと問われ見たと答える>には、もう少し待たなくてはいけない。



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◎.見たかと問われ、1年後でも無理だんべ! 色気のない答えしかできませんね。 (keniti3545)