「kenit3545の日記」since72:5月13日(日)晴れ4℃「東日本大震災」430日

*朝トレ:7時〜8時

昨夜は強い風も雨もなかったと思うが・・・桜の散り際にうーん、見事じゃのう!

 日光も「奥日光の麓に位置する我れの住み家」周囲からも桜花が日々に影薄くなって来てはいたが、今朝は大谷川対岸「ルート20」沿いの桜も「きれい?」に消えている。そちらに目をやったのには、流れがある、コースin直前ここ3,4日気持ちよく迎え入れてくれた「緋毛氈」と、まではいかずとも日増しに濃くなる緑の芝にピンクの色づけ。これが今朝はない、側の桜木にも既に花びらは着いてない! 

で、目線が自然に対岸をも仰ぎ見た訳だ。ない、桜の花がない! うーん、「まっこと潔い散り様」だ! 目を落としてコースを行くと、昨日までは「山桜」の薄いピンクと、「山桃」の濃いピンクがコースの踏み跡にもくっきりと花びらが目に映り、踏んだ後には次の花びらが重なり合って形を整えあっていた。

「無い」、「今日はない」、良っく見ると花びらの形は分かるが(これも残像か?)、土に、枯れ草枯れ枝、苔、浅緑色の芝、新芽、全ての生きている「者」にも、形だけになった「造形物」にも、「アース」そのものにも見事に「同化」しているのだ。 誰の邪魔にも、何の邪魔にもならない。「見事に咲き」・「見事な散り方を人々に見せつけ」「散った後の始末は」「一夜のうちに誰の力も借りずに自分で付けた」のだ。うーん、何を言いたいのか? 此処で野暮用だ。

 夕刻パソコンの前に戻ったが、続きの文章が紡げない、今日の「プラス1」に選んだ記事と、朝トレの覚えが競合してしまってるのだ。  自分の「つい」の姿を思い描く参考にしようかと思う記事にもつい最近このブログ上で行き会い覚えとした記憶も未だ新しいのに・・・。 ま、この拙文に目が合ってしまった人は末尾の「プラス1」をお読みいただいて、どうまとめたかったのかお察し頂ければ有り難いです。 いずれ、お若い方も「どんな形か」で「ドキット」する事に遭遇する事があるのでしょうが。 今日我れのこの項は、「結びがない」のでお開きとします。





*「東日本大震災

今日の一題 「夏の電力どれだけ足りないの」?  良っく見届けて下さい!

よく見て、良く聞いて! TV&新聞も国民の味方?! (いえ、単に正しいニュースソースの提供をしてくれているだけ、当たり前の事?)   (1)TV(スーパーニュースアンカーと  (2)東京新聞


(1)
2012年05月13日12:27 NuclearF.C:原発のウソ

 足りる?足りない? 電力問題のキーマンを直撃スーパーニュースアンカーより。

今年の夏、関西エリアの電力不足は全国でもっとも深刻だと言われている。そこで元ジャーナリストで近畿大準教授の金井啓子さんが、この夏の電力が本当に足りないのか、取材・検証する。

まずは大阪府市のエネルギー戦略会議では、9人の委員と関西電力側とで激しい議論が3時間つづいた。(この場では大飯原発を動かしても電力が足りないと関電側がはっきり言ってる)

そして同戦略会議の委員の一人でもあるエネルギー問題の専門家の飯田哲也氏に、どうすれば計画停電などを防げるのかを聞く。飯田氏は1つの例として、発想の転換をし「賢い節電」ネガワットで今夏を乗り切るべきだという。
↓ 目から鱗の内容です是非視聴を 約20分です
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6210047.html

===============


(2)2012年05月13日東京新聞社説 電需給見通し  


「再稼働ありき」なのか 今夏は、昨年より一層の節電が欠かせないことは多くの人が分かっているはずだ。覚悟もある。

 国内の原子力発電すべてが停止中の今、原発への依存率が高い関西電力の管内ではなおさらだ。
 だが、政府や関電の示す電力需給の見通しが、こうくるくる変わっては、いったいどの数字が正しいのか。いや、電力は本当に足りなくなるのかさえも怪しくなる。


 とりわけ問題なのは、大飯3、4号機(福井県おおい町)が再稼働すれば電力不足を解消できるとの見通しを示したうえで、電力使用制限令の発動か、再稼働容認かの選択を原発立地や周辺自治体に迫っていることだ。

 制限令発動となると経済、社会生活への影響は大きい。企業や市民に負担増や不便を強いるのは昨夏の東電管内で経験済みだ。

 政府も責任が問われるこうした事態は避けたい。つまりは再稼働ありきで進められてきたのではないか、との疑念がぬぐえない。

 電力需給の見通しは原発が動かず、一昨年並みの猛暑になった場合を前提としている。

 政府が4月初めに示した関電管内の今夏の見通しは19・6%の供給不足。それがわずか4日後には18・4%に改善された。当の関電は4月下旬に16・3%不足するとの試算を出している。

 他の電力会社に比べ小さく見積もっているとの声がある節電効果を大きくしたほか、夜間電力を利用する揚水発電や停止中の火力発電を再稼働させることなどで供給力を積み上げた結果とされる。

 有識者による政府の「需給検証委員会」が公表した15・7%不足の見通しにしても、緊急時に企業への送電を抑制する「需給調整契約」の効果を含めると14・9%にまで改善されるという

 こんな調子だと、まだ改善の余地があると思ってしまう。実際、政府は供給に余力のある電力会社の管内に節電を要請、余った電力を関電に融通することも検討中という。情報隠しや小出しは不信を招くだけだ。政府も関電も正確な情報と丁寧な説明が欠かせない。

 大飯3、4号機の再稼働についても同様で、関電は今月4日、再稼働でも「5%以下の供給不足」と説明したばかりだ。それがなぜ電力不足を解消できるとなったのか。

 政府が福井県に京都、滋賀両府県を加えた安全規制監視のための協議会新設を検討中とされることなども併せ、再稼働への環境づくり、布石と思わざるを得ない。

 これまでも指摘してきたように 電力の安定供給と原発の再稼働をてんびんにかける べきではない。住民の安全が大前提だ。その視点を欠けば、政府がいくら説明を尽くしても立地や周辺自治体はもとより国民の理解は得られない。
京都新聞 2012年05月13日掲載)


==================



「プラス1」  ”ついの姿を考える条件も整わぬ日本” ??

「桜花のように見事な・潔い散り方は望めぬまでもせめて後の世代に迷惑はかけたくないものだ」! (keniti3545)


朝日新聞社2012年5月13日(日)付

一体改革審議入り上手に死ねる社会にする 私たちはこれから、上手に死ねるだろうか。

 そんなことを考えさせるドキュメンタリー映画が昨年、公開された。


 「エンディングノート」(砂田麻美監督)。主人公は監督の父で、09年に69歳で亡くなった砂田知昭さん。「会社命」の熱血サラリーマンだった。

 がん発覚から半年、自らの葬儀を段取りし、家族旅行などを着々とこなして迎えた最後の日、砂田さんは病院で妻子と孫にみとられ、悲しくもさわやかなお別れを果たす。

「多死社会」の到来

 この映画は感動と同時に不安ももたらす。私が死ぬとき、こんなに幸せだろうか。もっと、みっともない死に方しか、できないのではないか……。

 日本は「多死社会」に入っている。砂田さんと同じ09年に亡くなったのは114万人。2030年には161万人になる。

 75歳以上では一人暮らしが約4割近くを占めるようになる。認知症の高齢者は、今の1.7倍、350万人を超える。

 医療・介護の課題は、裏を返せば「死に場所づくり」でもある。今から18年後、161万人はどこで死ぬのか。数年前、厚生労働省の幹部が試算をした。

 病院で死ぬのは約89万人。財政難のなか、費用のかさむ病院のベッド数は増やせないから、今と同水準に抑える。

 特別養護老人ホームなど介護保険施設は今の倍を整備して約9万人をみとる。住みなれた自宅で最期を迎えるのは1.5倍増の約20万人。ただし在宅医療の充実にくわえ、同居する家族の支えなどが必要だ。

 残りは40万人以上。このなかで、自力で民間の介護付き有料老人ホームなどに住み替える金銭的余裕がある人をのぞけば、死を迎える場所が見通せない。

 「みとり難民」の大量発生が現実味を帯びてきている。相次ぐ孤独死はその予兆だろう。

みとり担うのは誰か

 たとえ「死に場所」が確保されても、丁寧なみとりには人手が必要だ。

 介護現場のドキュメンタリー映画「季節、めぐり それぞれの居場所」(大宮浩一監督)を見れば、よくわかる。

 千葉の宅老所で93歳の田中千代さんが食事をする場面。意識が薄れているようで、食も細っている。だが、手のひらにゼリーや煮物を置くと、自分で口まで運ぶ。その姿に、20〜30歳のスタッフたちは驚き、喜ぶ。

 千代さんが眠るように息を引き取る前日、かすかな兆しに気づき家族に連絡したのも、スタッフの一人だった。

 人の最期を支える介護職たち。だが、一般的にいって、社会がその仕事を高く評価しているとは言い難い。約半分は非正規雇用。大量に採用され、短期間で大量にやめていく。月給は全産業平均より10万円安い。

 労働相談にのるNPO「POSSE(ポッセ)」には介護労働者から「高齢者を虐待してしまいそうだ」という声がよく寄せられる。事情を聴けば、人手不足や長時間労働によるストレスが浮かび上がる。

 彼らの給料の大半は、介護保険料と税とで賄われる。高齢者を含む私たちが負担増を受け入れなければ状況は改善しない。

 高齢化が進むため、25年までに介護職を今より70万〜100万人ほど増やす必要がある。介護以外でも、様々なニーズが発生する。

 その提供を担う現役世代は、かつてとは全く違う社会を生きている。

財源確保が不可欠

 「エンディングノート」の主人公の時代には、会社が社員を終身雇用し、年功序列で「生活給」を与え、家族を含めたくらしを丸抱えできた。

 そんな正社員へのルートは細くなった。いまや、非正規雇用の割合は35%におよぶ。大学を卒業しても、安定した職に就けないことは普通になった。

 家族をもち、子どもの成長に伴い必要となる保育・教育、住宅などの費用が、賃金だけでは十分に賄えない。介護労働者はその典型だろう。

 そんな現役世代を、年金や医療保険に入りやすくする。子育て支援策を広げ、子どもを産み育てやすくする。

 国会で審議入りした社会保障改革関連法案には、こんな内容が含まれている。

 部分的に異論はあるが、方向性は正しい。財源の手当ては不可欠だ。

 今いちど、考えたい。現役世代の幸せなくして、高齢者の幸せが望めるだろうか。


 消費増税をめぐる民主党内の対立、問責閣僚の更迭、小沢元代表の動き……。政局をにらんだ駆け引きのニュースが氾濫(はんらん)するなかで、本当に大切なことを埋没させてはならない。

 今回の改革の中身を、もっと自分のくらしに引きつけて考えたい。それなくして、私たちが「上手な死」を迎えるための条件整備は進まない。


==============


◎.我れの年代がこの問題を言葉にすると、ずいぶんせっぱ詰まった様に聞こえるな〜。 (keniti3545)