「72才の日記ー5」4月21日(土)小雨6℃「東日本大震災」408日

 *朝トレ:小雨(6℃)決行!しかし短縮版。 台所から「トンとんトン」のリズム宜しくを見計らって玄関「スルー」と思いきや、新聞受けのboxに暫く使わなかった「ネックウオーマー」が置いてある。倅が休日なのに「トンとんトン」も時間が早い、ん、「我の行動見抜いて」御着せがましく「小道具揃える」とは「ちょこざいな」!ではなく、ありがとう御座います。ですか! 

 6時30分〜7時15分、どう見ても「C評価」の朝トレだった。 それでも実行しないと、もう2日抜き、水の流れと泳げるスペースがないと回遊魚は死んでしまいます。 女房殿も心得たもの、生(活)かさず、殺さずでしょう?  冗談はともかく今日は後ろが詰まってるんですよ。10時30分「かわせみ」へ集合、お袋達と「お花見」市内の「丸山公園」です。

 神山さんとジャッキーにも用事有りなんですがお休み2日と今日も会えませんでした。こんな暇人にも時間を違えたり、日にちを「おろぬく」と自分にも相手さんにも不都合が起きる。等という事もあるんだ。 この「とい」にはついこの間も、頷いたばかりでした。これからの我れには雑用という「物事」は何一つなく対峙する「物事」全てが「ルーチンワーク」と見なさなければ成らないのだ、そして「自身が手を下す事は全て」が「仕事」なのである。 




*「トリ」さんお花見!! 

 昨年は「東日本大震災」被災地その後の安全祈願と自分達の安全確保のため、お花見は自粛となりました。 今日はお天気が「いまいち」、気温の方も3月中半に逆戻りでしたが土曜日ということもあり、子供からお年寄りまで大集合という感じでした。

 TVでは連日お花見のニュースで賑わっていましたので、少々早めの設定ではありますが、丸山公園も大盛況でした。駐車場では我れが止められるスペースを見つけるのも大変でしたが、最高のお花見でした! 桜と松の緑がおりなす「コントラスト」が大人のお花見を演出。カメラ持たずの我れは、ひたすら黒子に徹して良いお花見でした! 「お袋」今日のお弁当は美味しかったね「ちぃ〜っと寒かったけど」! 





*「東日本大震災」408日


今日の一題 原発再稼働 是・非を問う」

今日は読み比べではなく、対談を聞いて下さい

====================

eirene’s memories 2012-04-20

*[原発]再稼働を巡り、推進派・澤田哲生氏との討論 種蒔きジャーナルで、小出裕章氏・澤田哲生氏が対論を行っている。

 澤田哲生氏の主張の問題点は、「残余のリスク」という発想がないことであろう。原発技術は完全なものではなく、どれだけ安全性に配慮したとしても、想定外の事故が起こりうる可能性は消去できない。それを「残余のリスク」と呼ぶが、原発事故の「残余のリスク」は、航空機事故などとは異なり、計算不能な巨大なものであり、人類社会が負えるものではない。


 そのことを、私たちは福島第一原発事故で知った。ところが、澤田氏のような原子力の専門家は、そうした原発事故の教訓を、学んでいないのである。科学技術の力で、今回の事故の再現は防げると考えているらしい。

 澤田氏のような専門家に、原発の安全性の判断をゆだねるのは危険である。


↓対談録音 30分です 時間が出来たときに是非聞いて下さいhttp://www.youtube.com/watch?v=uRzEfc6MbMQ&feature=player_detailpage


====================

◎.(eirene さんが仰っているように)澤田氏は「事故の再現を無くす手立ては整った、だから将来的なエネルー不足の前に原発再稼働は必要」と言っている。しかし、一つには事故防止の対策など全く当てにならない内容(各方面からの指摘もある)であり、eireneさんが言っている「残余のリスク」に関しては何も言及してない。使用済み核燃料の「廃棄物」などをどう処理していくのか道筋など示せるはずもないでしょう。 今日の小出先生は、未だ認識不足の澤田氏を優しく窘めている感じにさえ聞こえるトークでした。 (keniti3545)


======================


======================

「プラス1」 


お袋とお花見:「我れもついの姿を考えた」 

・・・・・

 お袋93才・倅72才 『人生の後半こういう「風景」もあるのだという実感』を、「何回も飲み込もうとする」が未だ飲み込めないで居る我れ。 最近では世間に珍しい「光景」ではない、家族「形態」の一つなのだろうが。これは、我れにとってはあくまでも外から見る  「風景」  であり、 「光景」 であり、 「形態」 であるべきだったのだ。

 しかし、現実は自分達の姿がそこにある。お袋も記憶のポケットから好きな想いでの出し入れがスムーズに行くときはとても楽しそうにしてくれる。我れも楽しい、最近はこの状態の時間の方が長い。笑顔の時間が長い方がどちらにも好ましいはずだが、一方では困ったな、と言う顔も余り見せないし、頼み事(用事を作って我れの次回の訪問を催促する作戦も意に成らないらしい様子が)気になってきた。

 それでも時に、健常者の(一応)我れより細やかな気遣いをみせる。スタッフへの感謝の気持ちをどう表して良いのか悩むらしいのだ。今日は、かねてからの約束通り、女性スタッフには「小物のエプロン」「男性にはハンカチ」勿論どちらも値の張る物ではありませんし、事前に無理にお願いをしておきました。(病気とのかねあいで、特例としてしか「スタッフへの贈り物は出来ない規則」を曲げてのお願いでした)。念願叶って一層ゆったりした気持ちでお花見を楽しんだようでした。お袋、今でも自慢のお袋だよ〜。

・・・・


*我れもポケットからストック記事を一つ出して考えてみた。


 生き生き箕面通信(2012.4.9付け)


 「何歳まで生きるか目標を立ててみたら」


 「自分は何歳まで生きよう、と目標を立てたらいい。もちろん実際には、どうなるか分かりません。でも、まずは 『ここまで生きよう』 という設定を作り、やり残していることを考えてみる」。 


2か月ほど前の朝日新聞・土曜版「be」(2月11日付け)が遺品整理専門会社キーパーズの吉田太一社長を取り上げていました。


 映画「おくりびと」の中にも出てきましたが、孤立死の現場には死後相当の日数が経ち、脳天を貫くほどの死臭が漂うことも多い。それでも、「どんな仕事も断らへん」をモットーに、日本初の遺品整理専門会社としての矜持(きょうじ)をかけて、遺族が感動し喜んでくれるサービスに徹するのだそうです。


 「周りを見渡すと、ただ漠然と生きている人が多いと思うようになった。いつか死ぬのだから一生懸命生きよう、という意識が現代には希薄すぎると思います」「まずは『ここまで生きよう』という設定を作り、やり残していることを考えてみる。例えば、あと10年生きるとすると、いまのうちにやっとかなあかんこと、後でも出来ること、と優先順位が決まってきます」


 孤立死になるかどうかは別にして、ぼくも、もうゴールが見え始めた年齢  (72歳)  だから、やり残したことの優先順位を考えてみなくちゃ。ところが、できるといいなと思う程度のことはあっても、ぜひこれだけはやっておきたいという強い思いがあまりありません。10年以上前から、スペインのサグラダ・ファミリアを見たい、あるいはインカ帝国の遺跡、ペルーのマチュピチュにいってみたい、などとは思っているのですが、それもそのうち機会があれば、という程度だから一向に実現する気配なない。


 以前もこの通信に書いたことですが、実は自分の人生は70歳までと設定していたので、現在は「おまけの人生」です。毎日が”おまけ”の気分。一日一日、得したというか、ありがたく生きさせていただいている気分です。いつお迎えがきてくださっても、それはそれでありがたいという気持ちなのです。


 そして、行きつくところは、なるようにしかならんなあ。ケセラセラやなあ。

 それでも、原発はあかんやろ。大飯の再稼働は当面、なんとしても止めなあかんやろ、と思うています。
と遺品整理専門会社社長


====================


◎.72才!!? 身に詰まされますな〜。 社長「同年生」ですか、確りしてますな〜。 まだ「回遊魚」気取り・出来れば「糸の切れた凧」でありたい願望の持ち主とは大違いですな〜。 ところで、我れも実はとうの昔に「サラシは一反切ってありまっせー」只、有り難い事にお袋が健在(?)故、用意のサラシはお袋に預けっ放しですがね。 (keniti3545)