「71才の365日」4月16日(月)曇り7℃「東日本大震災」403日

*朝トレ:7時30分〜8時30分

深い朝霧、顔に露玉が残るような濃い霧だ。6時玄関新聞取りに出たが、コーチの「ダメ出し待つ」までもなく独房へ。雑件片付けに机上をまさぐってる間にメールチェックも始まってしまった。


 雨戸を開けたら、霧が上がっていく。お、チャンスと身支度して玄関温度が7℃、湿り気のある空気だが悪くない。向かいの松島さんの庭先から「ホーホケキョ」まともな鳴き声だ。花の未だ咲かない梅の木から盛んに練習の声が聞こえてくる。この辺は梅も桜も一緒、梅も咲けない温度だから勿論桜もまだだ。今宇都宮は見頃らしいが・・・。


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* コースへ入ったら今日は直ぐに前頭葉のテロップが回り出した。お前さん明日は「6回目の年男」としての誕生日だね。 『だよね』 、「ちったぁ〜、考える事でもあるんかい」?、 『そりゃ〜、ちったぁ〜な』 『先ず困るのはこの日記のタイトルが「71才の365日」とはもう書けなくなってしまうんだな〜』。 


「だろう、お前さんのアバウトさは今更どうにも成るまいがとにかく今のタイトルにだって、本人に悪気はね〜んだろうがこまいこといやぁ〜偽りありだぜ」  『なにがよ』! 、「ほら、気が付いちゃいね〜んだ」 「だいてぇな、1日多いのよ今年は閏年だから」「もう一つ言やぁ〜一年を日にちで表現するのは難しいんだ。当日入れて数えて行きゃ〜普通なら366日、今年は閏年そこえ1日足してみな」


「な〜、明日で367日だろう」 『成るほどと言いたいところだが、お前さんは細かすぎるんだよ!』 「ところで、後はどんな事考えたんだよ!」  『ちょっとお前さんはうるさいんだ、あっちへ行っててくれ、続きは野暮用済ませたら71才の今日の内に書いて置くさ』。


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*お袋とデート、いつもお部屋で二人だけの食事会。でも楽しそう! 幼稚園生の訪問時、折り紙のおひな様、王冠まで色々思考を凝らした作品がずいぶん並んだね。以前には三味線など弾いてびっくりさせた事もあったけど・・・でも今も毛糸で手編みのお人形さんが出来るんだよねお袋は、今、十六出来てるのあと三つ出来たらまた幼稚園生に上げるんですって、スタッフの山田さんが教えてくれましたがお袋も「こっくり」頷いています。


 お前会社に戻らなければ行けないよ、いつも頃合い見て言うのはお袋です。未だお勤めが続いている我れです。お袋の前では、スタッフのアドバイスですが・・・。自身も、家族も変わりが無い事を望みそれを否定しない方が良いとのことです。現実に正常な会話を交わし、時に忘れていた記憶はポケットから出して楽しい話もしてくれる。


今月末のお花見を楽しみにしているお袋は、健常人だ。我と居る時間は、色んな思い出がポケットから出てくる。楽しそう、我も楽しい。お袋、今年93才になる。我が明日72才の誕生日だ。ずいぶん若い母親だったんだねお袋。

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*「東日本大震災」403日



今日の一題 「72才を迎えるに当たって」

cangaelさん、いつも読み応えある記事の内容を、素晴らしいダイジェストでありがとう御座います。最近とみに思う様になった事ですが「我れは1年」者、ブロガーと呼べるかどうかも疑問ですし、しかも偏りのある内容に終始しています。但し、この件に関してはブログスタート時点に強力なインパクトを受けた「3.11」・「フクシマ」今のcanngael流認識によれば、こう呼ぶべきなのかも知れませんが。

 「揺れる家の揺れるテレビ」で、この現実を目にした我れは一ヶ月後の「自身の誕生日から365日に重ね合わせて」「被災日からの日数を記し」、何も出来無いながらも心は被災地の悲しみと立ち上がる勇気に接しながら日を重ねてきています。そして、「被災地の一年が過ぎて行き、我もまた誕生日をも迎えようとして」います。


 その中で、一つだけcangaelさんを初め多くのブロガーの皆さんと「認識を共有出来た事」があります。それは、皆さんが何事も「個」から初めてその思いを発信出来る日迄自身を高めて行っている事です。思い当たる例は幾つもあります、毎日の記事がまさしく「エピソードNO」の付いた「結晶」なんですね。「個」で始まる思いを膨らませ更に学習して「社会に還元」する。

 「我が子を思い線量測定から日常を管理」。 回りにも役に立つ情報発信が出来ます。「自身の行動を写真に、社会のニュースと連動して自分をも高める」。 「仕事を通しての社会貢献」、特に「原発の恐ろしさを世に知らしめる語り部的な活動に加えて自身の行動(思い)を中央にも発する」。 


 「署名運動・デモへの参加」で「脱原発」を訴える。色んな行動を見聞させて頂き、「我れも恐る恐る」「個」としての行動を起こして来ました。 100人足らずではありましたが、「個」から動いて「1000万人署名のお手伝い」も出来ました。ブログ仲間に色々教わって、「新聞の読み比べを出来るお膳立て」をしたり、「被災地の状況をニュース」にしたり、偏りのある「日記」にはなってしまいましたが、何とか「1年間通して」「被災地の実情に心を添えて」きたつもりではあります。

 そして時間の経過と共に「膨大な被害の広がり」、それはやはり「被爆の問題」。 目に見えない、当面差し当たっては被害が解らない状態で時間が過ぎる。 多くの人達の「記憶が薄れていく頃」に「とんでもない被害」が出てくるのではないか? この意識は未だ低い。「国が費用を拠出してまで膨大な土地の除染を行う」と宣言している事がどんなに「大きな危険を孕んでいるのか」を気づかされていないのです。


 「ある意味、政府は意図的であると思います」。 「後々の言い訳に、形を残しておきたい」事が一点でしょう。二つ目には、本当に「このくらいの範囲内で」出来るだけ「放射性物質を少しでも多く捕まえたい」事でしょう。日本全土の「汚染を少しでも低く抑える防波堤」にしたいのでしょう。

 「お金も出します」と言って居るんです。大変な事なんですよ。それでも、該当地域の住民は除染活動に確り取り組まなければ成らないのです。それは、「家族を被爆から守りたい」からなのです。低線量被爆は十年先、もっと先に被害が出る恐れ大なのだと思います。「セシウム(137)は30年も経たなくては、それでも半減しない」んです!。


 こんな状況を我れの住む、当該地区の少しでも多くの人達に、理解してもらって子供さんの居る家庭には老人パワーでも動員して除染活動を勧めるべきと思っています。そこで先ず、市長には質問状を既に提出済みですので、23日に出る回答に合わせた心構えが必要です。そこで、これまでの資料まとめも終わりましたので自治会長さん達と、私設勉強会を開こうと「個」としての我が準備中です。


 「個」から「公」へと繋いで50年戦争へ突入ではないかと思ったりしています。我は「ついの姿を」思い浮かべる年齢ではありますが、生まれ育った土地への小さな恩返しをするべく「72才」という一年間を送りたいと思ってといるところです。  「明日はもう72才の我れですがどうぞ宜しくお願いいたします」。


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追記実は昨日cangael さんのコメントに書き出した文章なのですが、何せアバウトな性格故自身の「72才」への到達宣言にも使わせてもらおうと思いまして本文の方へUPさせて頂きました。 引き合いに名指しでご迷惑でしょうがご勘弁下さい。(keniti3545)


 Cangael さんの「ニュースダイジェスト」にはいつもの事ながらですが、この3日間の記事には脱帽です。感謝です。