「71才の365日」3月12日(月)雪−3℃ 東日本大震災368日

*朝トレ:又、雪。北部山沿いは明け方から雪が降るでしょう、天気予報は外れないな〜。朝トレは中止でした



*「東日本大震災」被災一年が明けて1日目です。


今日の一題  『国民を騙さない・本音を言う記事二つ』


[1] 脱原発」に対する大手紙の報道姿勢点検



生き生き箕面通信1190 (2012-03-12 06:51:27 | 日記)

 本日3月12日の大手紙朝刊は、「追悼報道一色」でした。朝日新聞は「悲しみを抱いて生きていく」、読売新聞は「2時46分 祈り一つに」と、それぞれ大きな見出しで一面全面を使い「震災1年」を伝えました。似たり寄ったりの紙面。ただ、大きな違いもありました。「脱原発」に対する報道姿勢です。


 朝日は一面で「脱原発 世界でデモ」と報じ、三面では「反原発 福島で大阪で」と全国各地の脱原発の集会・デモを伝えました。「原発どこへ」の見出しで、野田政権のエネルギー政策の動きも取り上げました。さらに国際面(11面)では「あの日から1年 その日世界は」のタイトルで、アメリカ、イギリス、スイス、台北での「反原発」の動きを特派員電で紙面にしました。

 一方、読売新聞は、1行もなし。「脱原発」の各地の動きを一切、徹底的に、黙殺。読売は、いわば反「反原発」を明瞭にし、「脱原発」に敵意を示しているともいえます。


 世の中の動きは、それが伝えられてこそ「存在する」という面があるのは事実です。伝えられなければ「なかった」ことになってしまう。日本では、事実を正確に伝えてくれるという「信用」をして、多くの読者のおかげで「全国紙」の地位が築かれました。新聞社自身も、社是として「一党一派に偏らず、事実を伝える使命」を自ら表明していました。 しかし読売新聞は、「原発」問題に関する限に極めて偏向した紙面を作っています。


 日経新聞ですら(「ですら」というのは失礼なのですが)、ベタ記事ながら「全国各地で脱原発集会」(38面)と伝えました。

 昨日の大阪の集会は、中之島公園では3か所(中央公会堂、女神像前、剣先公園)に分かれ、また扇町公園でも集会が行われ、デモは関西電力コース、西梅田コース、なんばコースで「脱原発」をアピールしました。参加者は主催者発表で1万5千人。お腹に赤ちゃんを抱えて大阪に避難してきた日下育子さんは「地元の被災者に何もできず、自分は避難してきたやましさに悩まされたけれど、お腹の赤ちゃんが力を与えてくれました。何事もない日常生活の幸せを大切に思い、子どもたちの未来のためにこの幸せを捧げたい」と思いを話しました。原発立地の福井県美浜町で一人で闘っている松下さんは「電気を多く使っている大阪の人たちが『原発の電気はいらない』と声を上げなければ、原発はなくなりません」と訴えました。

 野田首相と枝野経産相は、関西電力の大飯3,4号機を原発再稼働の突破口として狙っています。 ???

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*やっぱり、そうですよね。箕面通信さん! 原発に関する読売さんの記事いつでも何処から読んでも他紙とは「異質」な論調ですね! 「巷の語り部」としては切り口と言い内容に於いても一切口を差し挟む予知がありません。多くの皆さんにも他紙(特に大手紙)との読み比べをお勧めしたく、我れの日記にも載せさせて頂き「拡散の一助」を期待したいと思います。(keniti3545)

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此方も一貫して脱原発:国民の意志を代弁してくれる東京新聞さんです

[2] 3・11から1年 持続可能という豊かさ
東京新聞【社説】2012年3月12日)


 福島原発事故から一年。目に見えない放射能が大地を覆い、地域の絆を引き裂いた。原発に頼らないとは、持続可能という豊かさを得ることでもある。

 原子力エネルギーには百パーセント反対しています」

 先月末、名古屋大環境学研究科が主催した震災一年のシンポジウム。特別講演に立ったドイツの世界的核物理学者、ことし八十三歳になるハンス=ペーター・デュール氏は、こう切り出した。

 不確定性原理を提唱したハイゼンベルクの後継者。ハイゼンベルクナチスに原爆製造を命じられ、わざと完成を遅らせたともいわれている。その明快なひと言に会場の研究者は、固唾(かたず)をのんだ。

◆平和利用という夢想

 「平和のための原子力という考え方にも反対です。平和が前提であっても、軍事転用されないという保証はない。ヒロシマナガサキに至ったその技術の開発を私たちは許してきました。その結果、多くの命を失いました」とデュール氏は言葉を継いだ。

 そして、「最悪の事故に至る確率がゼロではなく、その結果が受け入れがたいものであるなら、迷わずノーといわねばなりません」と訴えた。核分裂の威力を知り尽くした白ひげの賢人は、それがいかに制御しがたいものか、骨身に染みているようだった。

 デュール氏の言葉をただ礼賛しようとは思わない。だが、そこに、ある風景が重なった。

 昨年のお盆のころ、福島県飯舘村を訪れた。原発事故の放射能が降り注ぎ、全村避難を余儀なくされた村である。

 自慢の田園風景は荒れていた。雑草が生い茂り、いつもなら、稲穂が顔を出してもいいころなのに、田も畑も、畦(あぜ)や畝、空き地の区別もつかなくなっていた。空っぽの巨大な土の器が、目の前にごろごろと転がっているようだった。

 雑草が枯れ野に変わり、その上に積もった雪が解けても、村人はふるさとに帰れない。

 放射能で直接の死者は出ていない。しかしあの風景は、いわゆる倫理というべきものに、もとるようだった。

 デュール氏の国ドイツでは、福島の事故に当事国より機敏に反応し、すべての原発を二〇二二年末までに、段階的に廃止していくことにした。「過敏」との指摘もあるが、強大な原子の力を正しく恐れているだけとも言える。

 当事国の日本政府は、原発をどうするか、エネルギーをどうしていくか、具体的な未来図も工程表も示さないまま、原発の再稼働を急ぎ始めた感がある。

◆棚上げにしたままで

 理由は夏の電力不足と、それが及ぼす経済への悪影響。技術的根拠は電力会社がコンピューターではじき出し、自己申告した安全性評価のデータだけ。消費者の疑問には、ほとんど答えていない。

 日本の電力供給力は本当はどれだけあって、コストはどれだけかかり、いつ、どこで、どれだけ足りなくなるか。電力会社はどれだけ融通し合えるか。根拠を挙げてわかりやすく示してほしい。一方的に節電や値上げを押しつけられた揚げ句の不安な再稼働。不信の溝はますます深まるだけだ。

 津波や電源の対策は型通りに進んでいる。しかし、地震の揺れはどうなのか。福島第一原発事故も、揺れによる配管の破断から始まったという指摘がある。

 例えば東京電力は、〇七年の新潟県中越沖地震を受けて、柏崎刈羽原発で予想される揺れの強さを最大五倍に引き上げた。ところが東日本大震災の激震は、それを大きく上回る。原子炉本体や複雑な配管、数多い溶接部分は、局所的な強い揺れにも耐えられるのか。日本は世界有数の地震国である。

 目下の不安には、使用済み核燃料の行方もある。原発施設に併設された燃料プールは早晩いっぱいになる。核燃料のリサイクルは絶望的で、使用済み燃料を再処理した後の高レベル放射性廃棄物は、処分場すら決まっていない。

 このように深刻な疑問や課題を棚上げにしたままで、原発を動かし続けていいのだろうか。


原発の呪縛を解いて

 原発依存の呪縛を解くために、当面何ができるだろうか。デュール氏の答えは「太陽」だった。石油やガス、ウラン鉱もやがては枯渇する。有限な資源をむさぼるような暮らしを改めて、無限の太陽光を効率良く使う工夫を重ねつつ、その他の電源を併せて地域に分散配置するドイツをまねようというわけでは決してない。日本には日本型の持続可能な社会があるはずだ

 原発なき社会は、貧しかった過去への逆戻りを意味しない。それは、持続可能な豊かさへ向けての進化である。

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◎これから、半世紀・1世紀を掛けても拭えない傷跡を 「人間の体にも心にも」そして未来の子孫にも不安を背負わせての誕生となる事実を作りだしてしまったのだ。更には、この大地への「限りない冒涜」、海も空も大地まで放射能という自分達が作りだしてしまった毒物で汚してしまったのだ。 にも関わらず、明確な方針・方向付けとロードマップも示さずに闇雲な原発再稼働の動きは常軌を逸しているとしか言いようもない政府・そしてその尻叩く読売さんの魂胆はどうしても私利私欲が目的としか思えません。 (keniti3545)