「71才の365日」2月26日(日)曇り0℃「東日本大震災」352日

*朝トレ:玄関温度は8時30分(+)1℃今日もコースは細尾ドームリンクの大駐車場。 4日振りの「走入りメニュー」両足の大腿筋が喜びの声を上げている。 一方上半身は、上腕筋特に右腕は我れの命令に素直に即応しない、出来ない?昨日の雪かきは結構効いたようだ、この辺見透かして我がマネージャー(コーチにも、監督にも変身する)からは時々特命が出るのかも。 有り難いことです!? はい。
(時々、我れの奥さんでもあることを忘れることもあるらしいのが玉に傷?? ですが・・・?)

 ”強歩”「走」合わせて25本(×2)は、5キロメートルの距離、+往復の移動走2キロメートル まあまあのBクラスメニュー完了。 「日曜日のリンク」結構車も20台ほど入ってきた。ストレッチ・整理体操後、体も覚えた復路「水源かん養保安林」の裾野廻って大木土橋に差し掛かる頃には、「美味しいシャワー」と「卵掛けごはん」が浮かんできた、でも今日はもう一つのご馳走、「強烈な陽光」は最後まで無し。

とにかく気分も良い流れに乗りそうです、昨日の有意義な一日も振り返っておこう。 雪かきの後、シャワーから出たら声が掛かったんですよ。


*此処2、3日 ブログに向かいながら「憂う心を表現するのに」過激な言葉遣いで我自身の心も荒んだ思いが強かった。 でも、いつものように、昨日も、午後になってから女房殿にチケットを渡されて「何故かホコっとした」!? 勿論数日前には「におい」はしていましたがね、今度も「カルテット」みたいね?とか・・・せがれと女房殿の会話から。 今夜はコンサートか〜!

チケットに添えられたチラシには、「RENケーナ二重奏2012」とありました。

於:小杉放菴記念美術館エントランスホール 入場料◆1500円 
出演者
Renー  (ケーナ
渡辺大輔(ケーナ
智詠Chiei(ギター)
保坂幸恵(チャランゴスペイン語: charango)は、南米アンデス地方周辺の民族楽器(我れは初見参なり)

演奏の合間に、Renさんと、大学の同級生だった大輔さんとが当時の思いで、お互い修行を経てからの再会、カルテットを組んで「二重奏」の実現までの経緯等をぼそぼそと語り。

オリジナルの演奏曲が出来るまでの苦労話等も決して雄弁ではない語り口が好感を持てました。曲目も、「コンドルは飛んでいく」・「花祭り」・智詠さんのフラメンコギターを活かした曲も、コーヒールンバチャランゴとの掛け合いも受けていた。「チャランゴ・フェスティバル、インターナショナル部門」で金賞受賞の経歴の持ち主「保坂幸恵」さんの演奏も勿論素晴らしかったです。 


 メインの「ケーナ二重奏」も曲目は、工夫したレパートリーで南米を旅しながらお二人が作曲したオリジナル曲を中心に。 Renさんの「明日に向けて」 大輔さんの「夕日のかけら」とかは引き込まれました。また、日本に戻れば、「天城越え」など、中々でした。  {前回ニューイヤーコンサートマロニエ・アンサンブル」の感想にも書いたと思いますが、カルテットの人数構成で聞ける管・弦・楽器の二重奏〜4重奏程度までが我れの身の丈にあった最良の「音楽会」ですね。}


 このカルテットの「活動余話」で「ジン」ときたことが一つ、それは4人が全国ツアーを目論んだ打ち合わせの「初会合日」に「311」に遭遇、それでもその後4人ともその事への巡り合わせが何かを突き動かすのを感じてとうとう、今年に入ってツアーをスタートさせたとの事でした。

 そこで、も一つおまけが、リーダー的存在のケーナ奏者お二人が「栃木県出身のRenさん」、「大輔さんが茨城県」なので全国ツアーと言っても今夜が二回目のコンサート。 だから、栃木、茨城からまだ外へ出てないので実感が湧きませんとのことでした。そりゃそうですよね〜。(普段は東京・宇都宮を拠点に活躍して居るみたいです)


 実は我れ、昨夜の感激はもう一つありました。 第一線から身を引いて(一介のサラリーマンでした)、丸一年が経過しますがこれまでの自分がまるで家庭に居場所を持たぬ存在だった事を思い知らされた所だったのですが、今日の小さな音楽会の後、家に帰って久し振りで三人で飲んだ時に思わぬ一言をせがれの口から聞きました。

 親父は、俺が小学校高学年の頃、良く会社の若い衆を家に連れて来て酔いが回るとお決まりの台詞が「人間は自分の成長が止まるまでに、必ず三つのことを身につけていなければ一人前の人間とは言えない」若い衆も心得ていて、「耳だこの話」でも早く開放してもらいたくて聞くんだよな〜と、せがれ、「親方その三つは何ですか」?

 と、それはな、「と我れが答えるんだそうな」。 先ず男と生まれたなら、何か一つは「友達に負けないくらいスポーツを極めること」、「二つ目は絵が描けること」、三つ目は「何か一つは楽器を奏でることが出来ること」この三つを身につければ、途中にどんなことが起こっても「人生を楽しく過ごせるだろう」。と、

 確かに、覚えがある。我れはこれまでに「4組の仲人を務めた」が、多分「お祝いの挨拶の中に」お説教がましくこのくだりを入れていたようにも思い出す。せがれは言う、「俺もアメリカで20才を超えてからその言葉を思い出したな〜」。と、

 ふう〜ん、そう言えばせがれは今でも絵は描いてるし、向こうから引き上げる時に送ってよこした荷物の中にペットだったか、サックスだったかが入っていたな〜。(我れの独り言) ふう〜ん、そんなもんかな〜。我れは、91才でなくなった親父殿の思い出は、幾つになっても「肩幅の広い背中のでかい親父だな〜」。と、思っていたな〜。 ま、楽しい音楽会だったな〜。 お休み・・・・でした。





*「東日本大震災」352日

今日の一題 「被災地を見守るのは我々国民の義務です」! 現状を見誤らないように自身で情報を確認です! 「除染モデル事業」って知っていますか知らない人が居たら教えて上げましょう。私たちがお目付役になりましょう!


(2012年02月26日13:37 NuclearF.C原発のウソ)

 除染モデル事業に同行してわかったこと 神保哲生福島報告 (2012年02月11日)
報告:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)

国・内閣府が昨年、日本原子力研究開発機構(略称:JAEA)に委託、企画公募で決定した大手建設会社の共同企業体による「除染モデル実証事業」が終盤を迎えている。

これは警戒区域計画的避難区域等で国が行う除染作業において、効果的な方法や作業員の被曝状況、廃棄物の種類や量など、除染の実態を確認するのが狙いとされるもの。

2月9日には、除染作業や汚染土壌等の廃棄物の仮置き場、除染後の山林の様子などが報道関係者に公開され、同行取材を行った。


 事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から約1.5キロにある除染後の山林では、放射線の数値は除染直前で毎時100マイクロシーベルトだったが、除染後は60マイクロシーベルトまで低下。

しかし、除染後も依然として高い線量であることには変わらず、森林汚染の深刻さと除染作業の困難さが改めて確認された。

JAEAは「これまでに行った下草や土砂の除去だけでなく、枝落としなどにより、木々から降下する放射性物質の除去が必要である」とし、さらなる森林除染対策を検討していることを説明した・・・・

↓ 此方をクリック @神保哲生:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)の動画報告が聞けます(35分)
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/5922670.html



*「除染モデル実証事業」の実態を、記者は、100億円の費用対効果の疑問・請け負った三社「大成建設」「鹿島建設」「大林組」いずれも大手建設会社だが一つには「お金の流れを確り監視出来るのか」除染結果がどの程度可能なのか(放射線量が下げられるのか)出来ると決めつけて行っているがある高止まりで行き詰まってもそこへ住めと成らないか。

また不可となったら期待させておいて被災者の生活への意欲を削ぎ取る様なことに成らないか。今の段階でも腐葉土などの取り除きでは100μSv/h→60μSv/hまでしか下がらない。そこからは、枝の切り落とし・全数伐採までも行う必要が出てくるかも知れないと言うことだ。 

こんな状態から、上限無しの予算は出来るのか。こんな状態を短時間限られた数のマスコミだけに公開するのではなく、出来るだけ全容をタイムリーに知らしめないと又国民を欺くことに成りかねない。 ましてや戻りたい一心で見つめている被災者に最後のドロをかぶらせるような結果にならぬよう、マスコミも真剣な報道を心がける責任があろう。 「keniti3545」


◎もうすぐ1年が経ちますが、「政府がとんでもない終息宣言などした後にこんな状態が続いているのです」せめて我々国民は、被災者の傍らに寄り添って見守り続け無ければ成りませんね! 「keniti3545」



もう一題 今をみんなで見守らないと起きてしまう可能性が高いんです。 「こんな悲しいことが」!

(2012年02月25日21:47  NuclearF.C:原発のウソ)

被曝治療83日「朽ちていった命」 /本日の投稿コメントから 「朽ちていった命」お読みになれば放射能の恐ろしさがわかります。遺伝情報を壊された細胞はもう元には戻りません。細胞分裂が正常に行われない事の恐ろしさ・・・まさに生きながら死にゆくのです。 (by ぺたん)


被曝治療83日「朽ちていった命」

核爆発時の爆心地レベルで被爆した人は、どんな運命をたどるのか?

 1999年9の月に起きた、東海村の臨界事故。核燃料の加工作業中に、大量の放射線を浴びた男を救うため、日本最先端の医療チームが結成される。本書は、患者とその家族、医療スタッフという「人」に焦点を合わせ、壮絶な83日間をレポートする。


 運びこまれたときは"普通"に見えていた患者の染色体は、既に完全に破壊されていたため、症状が進行してゆくにつれ、臓器・組織・機能は深刻なダメージを受けていく。読み手は、放射線被爆の凄絶さとともに、前例のない治療を続ける医療スタッフの苦悩に向き合うことになる。


 もちろん患者の細胞は、ほとんど分裂しない。新しい細胞が生み出されることなく、古くなった皮膚が剥がれ落ちてゆくと、どうなるか?カラー写真で示された「右腕」が詳細に語る。入院当初の、ふつうに見える右腕と、被爆26日目の、ちょうどミディアム・レアに焼けた同じ腕の写真は、おもわずページから目を背けるほど。


 医療チームも闘いだ。これほどの放射線被曝をした患者の治療自体が初めてで、最高のスタッフとはいえ試行錯誤をしながらの治療だったという。再生をやめ、朽ちていく体。助かる見込みのない治療。病院を取り囲む報道陣(←この事実は、本書に書いてない)。現場のプレッシャーは相当なものだったろう。


 今なら取りざたされる終末医療だが、これは10年前。「おれはモルモットじゃない」と激昂したり「痛い痛い、家に帰してくれ」と泣き叫ぶ患者のQOL(Quality of Life)は存在しない(QOLの方針は立てられない)。最後は「とにかく"生きている状態"を少しでも長く保たせること」が目的化する。ぼろぼろになった臓器や皮膚を前に、「治療と称するもの」を続けていかなければならない。そして、自分がやっていることは医療行為なのか?――と疑問を押さえ込もうとする。ぎりぎりの状況での発言は、即、士気の低下につながるから。


 「朽ちていく」という上品な表現を使っているが、実質は、生きながら腐っていくカラダだったんじゃないかと。血液やリンパ液を注入しても、大半は流れ出し、包帯へしみこんでゆく。循環していない肉は腐る。本書から注意深く取り除かれていたけれど、治療室内の「臭い」はかなりのものだったと思う。


 当時を「がんばった」と評するスタッフは多い…というか、ほぼ全員そう述べる。歴史的な事故の犠牲者に対し、最先端の機器で最高のスタッフが不眠不休で「がんばった」。どんな状況でも「生きることをあきらめない」を至上とし、「がんばる」。171頁目は、1ページに6回も「がんばる」が出てきて噴いた。そのとき、患者は大量の麻薬物質を注入され、痛みも意識もない状態。


 そんな患者を「がんばった」とされると、ものすごい違和感にとらわれる。むりやり生かしたことに対する罪悪感を「がんばる」言葉でごまかしているように見える。いや、患者だけじゃなく、ケアは家族のためでもある、とも言える。そりゃそうだ。でも、「家族のためにがんばった」と思い込まないと、自分が許せなくなる看護師もいることも事実。NHK取材班が書いたのだから、「書いてないこと」に目を向けると、深くうなだれる読書になる。

 最後に : ゆりさん、いい本をオススメいただき、ありがとうございます。背筋をのばして、一気に、読みました。


◎こんな事が起きてしまう恐れがあるんです。子供さん達を中心に少しでも被爆を抑える、手助けを先ず身近な自分の家族を守る事から実践して下さい。 実践しましょう。 日本中汚れていない所なんて無いんですから!! 「keniti3545」