「71才の365日」2月20日(月)晴れ−8℃「東日本大震災」347日

*朝トレ:8時20分〜9時20分

 玄関8時15分−4℃1時間で4℃違うんだ。リンクへの道、融雪剤がまいてある白いつぶつぶだ。左沢川に架かる大木戸橋を渡り、 (水源)かん養林の裾野を迂回するが此処の「S字カーブ」は1日中陽が当たらない。毎日無駄な融雪剤と思っていたが氷が「ぐしゃぐしゃ」となっているのを見ると必要性を認める。品川林間学園も、リンクもあるし・・・。


 8時20分には前山の尾根を遙かに高く太陽が輝く、「清新な空気」を胸一杯何よりのご馳走です。今し方飲んだ「モーニングコーヒー」より今日は最中が添えてあったが、比べものにならないな〜。 この道、奥の一戸建ては林間学園、そこへの通用車が時折走るだけ。ドームリンクからこれも時折聞こえる「パック」(アイスホッケー用具)の打撃、衝突音だけ。

 ちょっと独り占めは身が引けるが、もう少し時間が経てば散歩犬・「お爺ちゃんお婆ちゃん」(自分はまだお爺ちゃんでは無いんですかね?)の散歩もあるんだろう。この自然の恵み、「美味しい空気と、ゆったり過ぎる時間」を満喫していた人種にも、実は、「311」の毒牙が迫っているのです。

 今年は大きな心配事があるんです、毎年孫共が夏休みには「目一杯合宿」していくのですが、此処も放射能に汚されているのです。毎週火曜日に放射線の定点測量をしてる我れですが、明日がその日に当たります。(11月〜3月末まで「市、貸し出し」の線量計を利用して測定続行中です)。

 ブログ仲間のつっぴーさんと、このブログ上で居住地の放射線量値を交換していますが栃木県という同県内でも検量値には「毎回大きな差」があります。福島県と境界線を一にする我れの栃木県ですから、今日の記事に示す如く汚染度格付けも「7/10番目」に位置し、危険性の心配が常にあると標記されています。

 つっぴーさん居住地これまでの値に(0.2μSv/h)を超えることはまずありませんが、我の居住地では最大0.7μSv/h があり、毎回高値2点の平均は約0.3μSv/hです。しかも屋敷内でも0.6μSv/hの検量結果があります。今、雪が消えない状態では高値2点の平均値が少し下がった状態(0.3μSv/h以下)ですが、雪解け直後の山際、河川敷は勿論のこと屋敷内にも警戒が必要になるのではないかと危惧しています。 *線量値訂正しました文中平均値とあったのは「高値2点の平均値」の謝りでした。

 複数のと言うより、最早、「多くの科学者が」日本列島大半が(全てが)汚染されていることを声高に知らせています。しかし、「何をしろと適切な防御策を教えてくれる人、出来る人は居ないでしょう」。国が最高責任者として、余り効果のない(低い)除染を科学者の知恵を借りながらすすめ少しでも多くの「放射性物質を捕まえて隔離」を進めること。それには、一日も早く放射能の墓場」をフクシマ原発敷地内につくらなければならないでしょう。

 この事故を国民が忘れないためにも「是非、どうしても」、「しかも早く」、「放射能の墓場」をつくる必要があるんです! そしてもう一つ言いたいことは、「何処へ行っても最早汚染物から逃れられないのですから」、我々一般の国民も先ず我が身の周りから。「外部身の回りの線量値を知る」こと、自分に「線量計が無ければ教えろ」と行政に向かって声を上げること、「食料の線量を知ろうと努力する」こと、「食料品に線量表示をしろ」と声を上げること、結果を活かすのは「子供を守る事を最優先にする」こと。

 こうして自分の「子」を守る事が「個」の活動を活発化して→地域・学校・自治体→ 市 → 県 → 国 此処までやらなくちゃ今の行政は動かない!! 「もう一つ注意喚起するならば」、「低線量被爆の方が遅い発病・発見しにくい状態が続く」。捕まえられなかった放射性物質は30年も活発な悪さを続ける。そして10年追いかけ回しても半分も捕まえることは出来ないのだ。この条件下で子供を守らなければならない我々大人は「半端な覚悟では何も出来ない」でしょう!? 

 体調も絶好調で、走を欲張って20本越えに入ったところで、珍しく我れのアバウトな前頭葉にテロップが廻った。国、主動の「除染対象区域にも入った日光市」、我も3月末にデータ持参で市のご意向伺いに行く!?




*「東日本大震災」347日

週のはじめに考える 傍らに立つということ 2012年2月19日東京新聞 (強く、意を一にします! keniti3545)

 一年。三百六十五日。被災地にも、そうでないところにも、一様に流れる時間。途方もなく多くの思いが詰まった特別なこの一年。私たちは忘れません。

 塩屋岬の灯台が見守る福島県いわき市の薄磯海岸に、カモメの群れが遊んでいます。

 あの日津波になぎ倒された今は無人の集落に、傷だらけの民家が二、三軒。廃虚になった中学校の水のないプールには、校庭に積み上げられたがれきの山が崩れ落ち、一年という時間の堆積の重さを感じさせました。

◆最近になって苦しく 

海側の校舎の外壁に「祝第40回東北中学校バレーボール大会出場」と書かれた懸垂幕が、下がったまま。私たちは元気です、きっとここへ帰ってきますと、海に言い聞かせるように。

 その薄磯海岸で約三十年、喫茶店を営んでいたという鈴木富子さん(58)は「時間が過ぎれば過ぎるほど、津波の記憶が鮮明になってきた。最近になって、ここが苦しくなってきた…」と、左胸に手を当てました。

 避難所から借り上げ住宅へ。夜を待ち、朝を迎えるだけの暮らしの中で、ふとわれに返ったとき、鈴木さんの小さな肩に不意にのしかかってきたものも、一年という日々の重さでしょうか。

 「思い出すのはつらい。でも、忘れられるのは、なおつらい」

 四月には市内の別の地域で、喫茶店を再開できるめどが立ちました。不安と希望、そして、今語りたい言葉が混ざり合いながら、自分の中にわき上がるのを、鈴木さんは感じています。

 市内で古着のリサイクルに取り組むNPO法人ザ・ピープルは震災後、被災者の支援活動を幅広く手がけています。

 「気が付けば、目の前に以前とは全く違ったかたちのふるさとが広がっていて、その悲しい姿を見つめ続けた一年でした」
 代表の吉田恵美子さん(54)は、そう言って声を詰まらせました。

 津波放射線が引き裂いた地域のつながり、人の心を、もう一度紡ぎ直したい。

 吉田さんは今、都内のメーカーと連携し、耕作放棄地で有機栽培の和綿を育てる「いわきオーガニックコットンプロジェクト」を進めています。

 綿畑の周囲には、太陽光パネルや小水力発電所を配置します。

 傷ついた地域をガーゼで包み、原発に依存しないライフスタイルを福島から示すこと。それは、巨大で理不尽な力に対する彼女なりの挑戦なのかもしれません。


◆大切なものはいのち

 金成清次さん(29)は、いわき市内の焼き肉店で働くフリーター。福島第一原発から三十キロ圏内の久之浜地区で、職を失い、有り余る時間を持て余す若者たちとボランティア集団を結成し、がれきの片付け、掃除、引っ越しの手伝い、ペットの捜索…、とにかく何でもやりました。

 高齢の被災者に「ありがとう」と言われるたびに、仲間たちの表情が輝くようになりました。

 「それまで考えていなかったことを、考えるようになった一年でした。九割方未使用だった頭を使うようになり、大切なことがいっぱいわかった一年でした」と金成さん。一番大切なのは何かと尋ねると、迷うことなく「いのち」と答えてくれました。

 「傍(かたわら)」。ドキュメンタリー映画監督伊勢真一さん(63)の最新作のタイトルです一年間、毎月十一日に、友人の住む宮城県亘理町福島県飯舘村に通い詰め、記録し続けた作品です

 伊勢さんは、チラシに書きました。

 「宮城から福島へ、そして宮城へ、被災地の被災者の傍での一年。それは、無慈悲な仕打ちを前にした『いのち』に寄りそうことだった」「映像を撮るということは、 『忘れない』ということなのだ」と。

 被災地であるとないとにかかわらず、特別な重さを持った一年が過ぎようとしています。

 記憶は記録よりもろく、歳月に希釈されるでしょう。

 私たちは前へ進まなければなりません。でも、忘れてはならないものがある。被災者の傍らに立ち続け、被災地の傍らを歩き続けたい。「絆」という言葉や文字を、“今年の漢字”に終わらせてはいけません。

◆大丈夫、そばにいる 

天災も原発災害も、人ごとではありません。鈴木さんの胸の痛みや吉田さんの悲しい気持ち、金成さんが気付かされたことなども、いつか、私たち自身のものになるやもしれません。

 被災者の傍らに立つということは、自分自身の地域や暮らしや隣人に向き合うことと、同じなのかもしれません。私たちは、寄り添うことを忘れません。



 東京新聞さんの ”傍ら”と言う字の傍らにそっと立ち、それでも原発の罪は許すまじ!の決意新に! 

「今日の一題」 「この苦しみを忘れない!」= 「この過ちを繰り返さない!」


 放射能、本当のこと
2011-05-02
CRPとECRRとは(20ミリシーベルトの年間放射線量・放射能は安全?)
【1年間の放射能汚染は20ミリシーベルトやむなし?】

文部科学省は小中学校の校庭等で年間20ミリシーベルト(mSv)の被曝なら問題ないという路線です。これに対して疑問の声があがっています。
文科省が根拠にしているのはICRP(国際放射線防護委員会)の声明。しかし、この団体の言っていることはどの程度根拠のあるものなのでしょうか。 注:ECRR(欧州放射線リスク委員会)

国際放射線防護委員会(ICRP)は、原発事故などが起きた後に周辺に住む人の年間被曝(ひばく)限度量は、(中略)1〜20ミリシーベルトの範囲が妥当とする声明を発表した。 (中略)

CRPは専門家の立場から、放射線防護に関する勧告を行う組織。声明は、(2011年3月)21日付で発表された。

07年の勧告では、一般の人が年間浴びてもいい放射線量を三つの範囲で設定。緊急時は20〜100ミリシーベルト、緊急事故後の復旧時は1〜20ミリシーベルト、平常時は1ミリシーベルト以下とした。

asahi.com朝日新聞社):被曝限度量の緩和提案 国際放射線防護委、移住回避促す - 社会より。


【ICRPは信頼できるのか?】

週刊現代2011年4月23日号によれば、ICRPはがん発症率の評価を極端に少なく見積もっているというのです。ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)は、1945年から核実験や原発からの放射線で6500万人が、がんなどで死亡したと推定。しかし、ICRP基準はといえば、117万人しか数に入れていないと報道しています。ICRPは内部被ばくを無視して実態を過小評価している疑いがあると述べられています。(p.39)


【本来は年間1ミリシーベルト

本来の年間放射線量の許容限度は1ミリシーベルト
1.3ミリシーベルトを超えるようなら放射線管理区域として、病院のレントゲンン室のように表示をしなくてはいけないと法律で決まっています。

武田邦彦 (中部大学): 規制値の再整理

1年1ミリシーベルトは専門家が検討に検討を重ねた結果決められた基準です。ECRRなどは0.1ミリシーベルトにすべきと主張しています。
日本人に放射能への耐性があるわけではありません。なのに年間20ミシリーベルトまでは安全だというのは何を根拠に言っているのでしょうか。

【20ミシリーベルトを浴び続ければ5人に1人がガンに】

もし20ミリシーベルトを100年間浴び続けたと仮定するなら、5人に1人がガンになると京都大学の小出教授はコメントしています。

・20ミリシーベルトの意味 小出裕章 « 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ

福島第一原発事故の起こった直後は「年間20ミシリーベルトなら安全」「100ミシリーベルトでも問題なし」というコメントがメディアを通じて広く出回りました。私自身、うかつにもそれを信じ込んでしまいました。しかし、よくよく調べてみたら、かなり高い数値であることに気が付きました。
なぜ「20ミリシーベルトくらいなら安全」という話になってしまったのか、検証が必要なように思います。

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*【最新】福島原発放射能汚染地図

最新の福島原発放射能汚染地図を整理しておきたいと思います。
まず、全国の都道府県を放射能汚染度別に格付けした地図があります。
No.15 Webレポート
放射能汚染による格付け

日本は世界最悪の放射能汚染国になりましたが、汚染の少ない地域もあります。
食品を買うときの参考になるよう、国別、都道府県別に格付けを行いました。



放射能汚染のレベルによって、都道府県を格付けしました。
まず格付けを参考にして、産地表示をよく見て、それから他の条件を考えて、国産食品を選んでください。
こうすれば、食事の安全性を的確に高めることができます。

上記の汚染地図によれば、気を付ける都県は次のとおり。福島県宮城県茨城県岩手県、千葉県、埼玉県、東京都、群馬県、栃木県、長野県、新潟県静岡県

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食品汚染の実態から放射能汚染を格付けすると、最悪の国は日本。大きな放射能汚染を地図に記載してみると、世界中に危険が。

上記の地図は、海外の食べ物を購入する際、参考になりますね。
勉強になるのは、チェルノブイリ事故の放射能汚染は、まだまだ消え去っていないことです。ヨーロッパの多くがチェルノブイリの影響を受けたことがわかります。また、核実験がいたるところで行われており、ここらへんも注意が必要かもしれません。

進む道は核廃絶のみです。!!!