「71才の65日」2月4日(土)晴れ−9℃「日東日本大震災」331日

*朝トレ:8時50分〜9時40分

出発−7℃、帰還時+4℃ 今日は「二つのルートを疾風の如く駆け抜けた」! 東電さんの様な嘘付いてはいけませんね? コース、足跡の穴ボコが多くて着地の足下がおぼつかず、安全第一で8本の強歩後コース変更に踏み切った。昨日のルート、細尾ドームリンクまでの往復約4km。我れがコースアウトするときにカラスが「良し良しと首を振って」見送ってくれた(?)。この先暫くはこのコースで走ることも出来そうだな〜。と思いつつ、ご帰還。「美味しいシャワー」に今日は、ほかほかご飯に納豆味噌汁お新香、小魚、ほうれん草のお浸し。女房殿の健康管理は抜群だものな〜独房に入って、体重計久し振りに乗ってもいつも通り「57kg」ドンぴしゃです。



*今日は予定が一件、10人会地元(日光)だけのお食事会。何故か、宇都宮の「大晃飯店」田口幹事長の招集は三日前それで10人揃うのだから彼のお人柄です。全国二位に転落した「宇都宮の餃子を救う会」と我れの勝手な命名は、バスの中で伝達だ。 




*「東日本大震災

今日の一題 「立つ春に年男の誓い:脱原発元年を胆に命じ直す!」

 4月の原発54基総数の停止、これは天が与えてくれた「千載一遇のチャンス」このチャンスに我々国民一人一人の揺るぎなき覚悟を示さなければ成るまい。 一つには声を上げての意思表示、二つ目には出来ることを行動で示す、最低この二点の厳守。 出来ることならもう一点、一人でも多くの身近な人へ「脱原発の必要性」を話せる知識を自分が持ち合わせているか、家族で確かめ合うこと。


 政局の不安定さを材料に、どんな「プロパガンダ」(宣伝活動)を用意して原発推進を図ろうとするのか、既に巻き返しの動向に警鐘を鳴らす人も多い。今も、電力不足を一番のうたい文句で脅しに掛かっているがちょっとニュースを注意深く見つめるだけでもエネルギー対策、特に未来志向の中には希望を持てる実効も、又有望なシミュレーションもある。残念なのは時局柄、政府筋は国民に取って有益な情報まで隠そうとしている節がある。


◎その一つに、昨日の拙ブログ(日記)にも触れましたが「メタンハイドレート」。産出試験に向けた事前掘削作業を、この14日ごろから愛知県渥美半島沖海底で始めると発表した。


携わっている科学者も自信満々です→「自前の技術を持っている事がですね、自分達の手の届くガス田を持つ事に繋がるという事だと…」「純国産の新たなエネルギー」。期待が高まっています! 今の国会の「大儀を外れたど突き合い」などよりよっぽどこの朗報の方を待ちわびているのではないでしょうか?! 


後は、ホントに逼迫してしまう電力不足の時間が起こりうるならいくらでも我慢しますよ! ましてや、騙してまで原発動かそう等と阿漕な真似はお止め下さい「東電」様!?




「再検証しておきます」

信濃毎日新聞 社説2012-01-03

「まなざしの転換 脱原発へ確かな一歩を」
01月03日(火)

 海岸沿いに並ぶ4棟の無残な建屋。ぼろぼろになった福島第1原発の姿を見るたびに、原発災害のすさまじさを実感する。

 同時に、核燃料のメルトダウンという人類史上まれにみる事故は、日本の政治の衰退とどこかでつながっているのではないか、そんな疑問を拭い切れないでいる。

 年の暮れ、消費税率の引き上げをめぐって民主党は大揺れとなった。集団離党騒ぎまで起こし、増税案を決める始末である。

 脱原発」はどうしたのか。論議が盛り上がらないのが不思議でならない。それどころか、野田佳彦政権は原発の輸出を進めてきた。福島の事故を受け、直ちに脱原発へとかじを切ったドイツとは対照的だ。

 なぜ先端技術を誇る日本で事故が起きたのか。ドイツとの違いはなにか。いまなにをなすべきか。

 年が明け、なお向き合わなければならない大切な問いである。

<独市民の大規模デモ>

 福島の事故から間もない昨年3月26日。ドイツの各都市で原発廃炉を求める大規模なデモが起きた。主催者によると25万人が参加し、東日本大震災の被災者に黙とうをささげた。

 その勢いは、バーデン・ビュルテンベルク州の州議会選挙に端的に表れた。反原発を掲げた野党の90年連合・緑の党が躍進し、キリスト教民主同盟などの与党は大敗を喫した。

 メルケル首相の対応は早かった。先送りの姿勢をあらため、早期の脱原発へと転換を表明。2022年末までに国内の原発17基すべてを閉鎖する法案を、7月初めに成立させている。

 「市民運動の積み重ねに加え、チェルノブイリと福島の大事故が世論を押し上げた」。昨年11月に来日したブレーメン大学のゲルト・ヴィンター教授は、こう話す。ドイツのエネルギー政策に詳しく、活動家でもある。

 同教授によると、市民運動から生まれた緑の党が80年代に議会に進出し、核エネルギーからの脱却を掲げ活動を続けてきた。チェルノブイリ後に社会民主党脱原発へと転換し、保守・中道政党との対立の構図ができあがった。

 こうした流れのなかで、社会民主党緑の党の連立政権は02年、期限を区切って原発を全廃する脱原発法の成立にこぎつけた。電力業界との粘り強い交渉を重ねた末に日の目を見た法律である。

 中道・保守連立のメルケル政権は旧政権の方針は受け入れたものの、産業界に配慮し移行期間を引き伸ばしていた。福島の事故をきっかけに原発批判が強まり、メルケル政権を動かしたという。

 ヴィンター教授と親しい楜沢能生早大教授は「ドイツでは、日本と比べて個人が企業に取り込まれていない。そうした背景にも目を向ける必要がある」と指摘する。

<声をあげることから>

 単純な比較はできないにしてもドイツの脱原発に至る道から学ぶべきことは多い。

 一つは、市民が声をあげ、行動することの大切さである。日ごろの異議申し立てや提言は、政府や企業の原発の管理体制に緊張感を与える効果も大きい。

 日本の反対運動は、広がりを持たなかった。 安全神話」を疑うことなく、国と電力会社に「お任せ」にしてきたことが、両者にもたれ合いの構造をもらしたと言えるだろう。

 市民の声は、政治家や官僚をコントロールする手綱であるそれが緩めば、彼らは自らの利権を求めたり、責任を果たさなくなったりして、結局は市民が痛い目を被る―。3・11原発災害の苦い教訓である。

 「この教訓を、今後の政治にどう生かしていくか。有権者の今年の最大の課題」 と、とらえたい。

 二つ目は、期限を区切った明確な脱原発へと踏み出すことだ。

 菅直人前首相の脱原発宣言は多くの共感を得たが、 「段階的に原発依存度を下げる」と述べるにとどまり、工程は示していない。
 野田首相に至っては、かなり後退したように見える。所信表明演説で定期検査後の再稼働に前向きの姿勢を示し、原子力安全首脳会合では「安全性を世界最高水準に高める」と表明している。

<期限を区切り停止に>

 福島県の避難住民は、いまだに帰郷のめどすら立っていない。健康への影響も分かっていない。

 ひとたび大事故が起きれば、予測不能の被害をもたらす。経済的利益と比較して考えることができないリスクをはらんでいる。それが原発の本質である。

 『福島の現状を踏まえれば、脱原発を急ぐことこそ、野田首相が「不退転の決意」で臨むべき課題ではないか』


 日本でも各地でかつてない規模の抗議デモが起き、市民の声は高まりを見せている。定期検査中の原発を止める選択肢を含め、確実に廃炉への道筋をつける―。偽りのない『脱原発元年』は、有権者がつくるしかない。





「プラス1」 アートデザイナー石岡瑛子さん逝く

NHK
プロフェッショナル 仕事の流儀 「時代を超えろ、革命を起こせデザイナー 石岡瑛子」 再放送を見た

アートデザイナー石岡瑛子さん死去 

 米アカデミー賞衣装デザイン賞の受賞や北京五輪の衣装デザインなど国際的に活躍したアートデザイナーの石岡瑛子(いしおか・えいこ)さんが1月21日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去した。73歳だった。葬儀は近親者で行った。

 1938年東京都生まれ。東京芸術大を卒業し、61年に資生堂に入社。アートディレクターとして活躍し、日焼けした前田美波里さんを起用したキャンペーン広告などで新しい女性美のイメージを主張し、話題を呼んだ。70年に独立し、石岡瑛子デザイン室を設立。パルコや角川書店の大型キャンペーンを次々と企画し、ヒットさせた。

 80年に活動拠点をニューヨークに移し、映画、音楽、演劇、オペラなど多彩な分野でアートデザインを担当。映画「MISHIMA」(ポール・シュレイダー監督)のセットデザインで85年にカンヌ国際映画祭芸術貢献賞を受賞したほか、ジャズトランペッター、マイルス・デイビスのアルバム「TUTU」のジャケットデザインで87年に米グラミー賞、映画「ドラキュラ」(フランシス・コッポラ監督)で93年にアカデミー賞衣装デザイン賞を受けた。2002年に紫綬褒章を受章した。



誰にも真似出来ない(original)

革命的(revolutionary)時代を超える(timeless)

ニューヨークを拠点に、世界中の観客を魅了するデザインを生み出し続ける石岡瑛子。常に3つの言葉をマントラのように唱えながら仕事に向かう。誰にもまねできない、革命的、そして時代を超えるデザイン。数々の栄誉を手にしてきた石岡だが、それでも決して守りに入らず、高い理想を掲げて挑戦し続けていた。



1ミリが世界を変える

ハリウッド映画やブロードウェイミュージカルで、数多くのコスチュームを生み出してきた石岡。そのデザインは、徹底的に細部までこだわって磨き上げられている。わずか1ミリの違いが、全体の印象を決定的に変えると信じているからだ。「きちんとした仕事は、全体の仕事を緊張に導くし、だいたいパフォーマー(演技者)自体が違いますよね。良いものをあてがうことによって、百倍くらい演技に対する関わり方が違うと思うんですね」。


全てのデザインには意味がある

石岡のデザインは、ただ美しいだけではない。デザインが登場するシーンの意味、デザインを身にまとうキャラクターの人格。石岡は、それらを緻密(ちみつ)に計算してデザインに盛り込む。強いメッセージ性を持っているがゆえに、石岡のデザインは強烈なインパクトで観客を一瞬のうちにとりこにするのだ。



プロフェッショナルとは・・・

与えられた条件をクリアしながら、それに止まらず、もっと高い答えを生み出す事だと思うんだけどね。
それが本当のプロフェッショナルだと思います。


The Professional's Quirks
プロフェッショナルのこだわり

石岡はコスチュームのデザイン画を描く時、人物の全身が描かれた下書きを用いる。ここに服を着せるように、コスチュームのデザインを描いていくのだ。動きのない平面的なデザイン画だが、その方が、コスチュームを作る職人にデザインの意図を正確に伝えることができるという。


◎番組の中で、「私の人生は、仕事への情熱は競走馬のようなものよ」『一生前を向いて走り続けるの』この言葉が好きでした。常に(幾つになっても)理想(究極の目的)を追い求める姿を映像で確認出来た。 まだ可能性を沢山残しながら逝った73才。

・因みに我れは、「回遊魚」「羽ばたくこともなく、空を見ることもなく、ただ泳ぎ続けるだけ」只々、「外海の海流に流されまいと、泳ぐことが目的」になってしまっているのでは・・・。


◎今日の下野新聞に、日本美術院理事長松尾敏男氏から「百寿像」を贈られた日野原先生は100才、贈った松尾氏は80半ば、平櫛田中の言葉を借りて「80才はまだ鼻たれ小僧、百才は男盛り」と笑っていた。という。 石岡瑛子さんも、このお二人のように仙境の域に到達すべき権利を持ったお方と思いますので73才は、惜しンでも惜しみきれません。「合掌」。