「71才の365日」1月13日(金)晴れ7℃「東日本大震災」309日

*朝トレ:7時40分〜8時40分

今日は体調が昨日と違うらしい、走りたくて走りたくて・・・とはならなかった。出がけの気温は−7℃きつくなっている訳ではないが。ただ、水道が凍った、今シーズン初めて。気温より地中温度が大きく下がったのだろう。地表から10㎝程までの地中は一番温度が低いので、予報に合わせて夜間「ちょろちょろ」と水を出して置いても給湯系統の配管が凍ってしまうことがある。これが厄介お昼近くまでお湯が使えないことも何度か経験している。今日は?

体調に合わせたメニュー、強歩15本+走は8本3.5kmのB下メニューで朝トレ終了。カラス、我れの動き読んで恐くないよとばかりコース内に入ろうかもと言う位置まで ”遊び”に来ていた。お互い最初に「お早う」は交わしますが後は無視、ニアミス寸前でカラスが飛び出ます。神山さん行き会えず。

帰路、前山から太陽が顔を出し一斉に「ダイヤモンドダスト」の輝きが増す!今日もすっきり!清々しく!でした。



*「東日本大震災」309日


今日の一題 「小沢氏公判」 「批判、二社の社説」& 他紙からの視点

「支援」・「批判」 二局分割、皆さんはいずれかの意見を持つことが出来るでしょうか? 二極化に惑わされずにこれ以外の意見でも良いのですが、自分の「信念で意見を述べられる人」は尊敬します。因みに、言い出しっぺの我れの思いを声にしてみますと下記の如くです。

○我れは、疑心暗鬼ながら今はこう思っています。小沢さんの判決、結果はどう出ようと。小沢さんは、次期政変に絡むべきでは無いと考えます。小沢さんが総理になるのは「時、既に遅し」、機を逸している感が深くします。もしごり押しで実現するならば政局混迷は益々長引くことになると思います。 「多方面での実力は衆目の認めるところ」。その力量は、ニューリーダーに全てつぎ込む覚悟を持って表舞台に戻るべきであると思います。(keniti3545)




朝日新聞社 1月13日

小沢氏公判―政治家失格は明らかだ 民主党元代表小沢一郎被告が、東京地裁で2日間の被告人質問を終えた。

 政治資金収支報告書に、秘書らと共謀してうその記載などしていない。4億円の土地取引も秘書に任せており、手元の現金を用立てたほかは一切あずかり知らぬ、と無罪を訴えた。

 虚偽記入の疑惑発覚から2年あまり、国会での説明を拒み続け、昨年1月に強制起訴された際には「法廷で真実を述べる」と言っていた。

 それが、ふたを開けてみれば「記憶にはない」「秘書に任せていた」の繰り返しだった。

 むろん、裁判所は政治家としての資質を論ずる場ではない。刑事責任の有無は今春の判決を待つしかない。

 だが、小沢氏はかねて、報告書の中身の透明度に胸を張ってきたはずだ。

 「政治活動を国民の不断の監視と批判の下におき、民主政治の健全な発展を図る」という、政治資金規正法の趣旨にかなう発言だった。

 それなのに法廷では、虚偽記載の罪に問われた問題の収支報告書にさえ、いまに至っても目を通していないと答えた。

 なぜ、見もしないで内容を保証できたのか。報告書に向き合う緊張感も、報告書を見る国民に対するおそれも持ちあわせていないことを端的に示した。

 かつての政界ならいざ知らず、政治とカネに厳しい目が注がれるいま、政治家として失格であることは明らかだ。

 こんなありさまで、「私の関心は天下国家」と唱えても、だれが耳を傾けるのか。

 「小沢氏は検察にはめられたのだ」と主張してきた人々は、これでもなお小沢氏を擁護するのだろうか。

 小沢氏が信頼し、任せていたという3人の秘書らは一審で有罪判決を受けている。会計責任者だった秘書は報告書を見もせず、宣誓欄の署名も代筆させていた。別の秘書は、政治団体間での何千万円という金のやり取りも記載しなかった。

 この監督責任も免れない。

 小沢氏の「秘書任せ」の弁明が通る余地があるのは、規正法が報告書の一義的な責任を政治家本人ではなく、会計責任者に負わせているからだ。

 その見直し問題は、長らく国会で放置されてきた。

 違反の言い逃れを封じるために連座制を強化し、政治家自身が責任と倫理を明確にする制度を確立すればよい――。
 19年前に出版した著書「日本改造計画」で、こう指摘したのは小沢一郎氏その人である。




筆洗(東京新聞 2012年1月13日

 伊達政宗は茶道も能(よ)くした。ある時、茶室で自分の持つ茶道具中、最も高価な茶碗(ちゃわん)をためつすがめつしていて、危うく落としそうになった▼何とか膝で受け止め、事なきを得たが「百万の敵にも動じないつもりの自分が、いくら高価でも茶碗ごときのことでハッとなった。残念至極」とつぶやくや否や、その茶碗を投げ割ったという。ウソか誠か、今に伝わる独眼竜の逸話の一つ▼さて、「天下」を見すえる戦国武将ならぬ、大物政治家も、いくら高額とはいえ、四億円ごときの金でびくつくのは潔しとしないということか。陸山会事件で強制起訴された小沢一郎民主党代表の話▼過日の被告人質問では、億単位の土地取引も自分名義の融資も「秘書任せ」とする元代表に、裁判官までが「四億もの大金を秘書に預けて不安は」と聞いたが、「信頼している」の一点張りだった▼それもこれも「天下国家のことに集中するため」。そんな些細(ささい)なことと言わんばかりだが、重さ四十キロにもなる四億円を紙袋に入れ新聞で覆ったのは「僕」と。そこだけ「秘書任せ」でなかったのが不思議である▼それにしても政治資金規正法もなめられたもの。「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため」(第一条)の法だが、元代表は問題の収支報告書も「見たことがない」。「天下国家」に比べれば、国民など…。



(1月12日付・読売社説)

小沢氏公判 「秘書任せ」で理解得られるか(1月12日付・読売社説)

 政治資金収支報告書の虚偽記入の疑惑発覚から2年余り。国会で一度も説明することのなかった政界の実力者は、法廷で何を語ったか。

 資金管理団体陸山会の土地購入を巡り、政治資金規正法違反に問われた民主党小沢一郎元代表の裁判で、最大のヤマ場として注目された被告人質問が、2日間にわたり東京地裁で行われた。

 小沢氏は、収支報告書の作成に関し、「すべて秘書に任せていた」「直接関心を持ついとまはなかった」と主張した。

 この裁判のポイントは、虚偽記入の実行役として起訴され、1審の東京地裁で有罪判決を受けた石川知裕衆院議員ら元秘書と、小沢氏との間で共謀が成立するかどうかだ。小沢氏の発言は自らの関与を否定するものである。

 だが、疑問なのは、小沢氏が収支報告書を秘書任せにしただけでなく、自身の裁判が始まった後も含めて、「一度も見たことがない」と言い切ったことだ。

 政治資金規正法は、政治活動が国民の監視の下で公正に行われるようにするため、政治資金の収支の公開制度を設けている。収支報告書は国民に判断材料を提供する重要な手がかりだ。

 発言が事実なら、小沢氏は規正法の趣旨を軽んじていると批判されても仕方がない。

 小沢氏は常々、「政治資金はすべてオープンにしている」と強調してきた。報告書も見ないで何を根拠にそう言えるのか、と疑問を抱く人も多かろう。

 さらに、政治家は秘書に対して監督責任を負っている。それをどう考えているのか。

 小沢氏が自ら用意した土地購入原資の4億円の出所については、「親から相続した現金や不動産の売却益のほか、印税や議員報酬だ」などと説明した。

 ただ、小沢氏は検察の事情聴取の過程で説明を変遷させており、石川議員らを有罪とした東京地裁判決でも「明快な説明ができていない」と指摘されていた。

 小沢氏は法廷で、「その時点では具体的に分かっていなかっただけだ」と弁明したものの、不透明さは拭いきれない。

 この被告人質問で実質審理は終了し、小沢氏の刑事責任の有無は裁判所の判断に委ねられる。

 「法廷で真実を述べる」と語ってきた小沢氏だが、「秘書任せ」の主張に説得力はあったのか。自らの政治資金について説明を尽くす姿勢を示さぬ限り、国民の理解は得られないだろう。
(2012年1月12日01時21分 読売新聞)




生き生き箕面通信1130 ・読売新聞も小沢氏へのえん罪づくりへひた走り
2012-01-12 06:55:33 | 日記
 おはようございます。
 生き生き箕面通信1130(120212)をお届けします。

・読売新聞も小沢氏へのえん罪づくりへひた走り 元民主党代表、小沢一郎氏へのいわゆる”被告人質問”なるものが昨日1月11日に2日間の日程を終え、最大の山場の区切りがつきました。最終的には4月下旬と想定される公判で判決が出ます。

 2日間の公判を通じて繰り返されたのは、大手メディアの醜悪なえん罪づくりキャンペーンです。朝日新聞についてはすでに触れましたので、本日は読売新聞の社説を点検します。

 本日の読売の社説は、見出しが「『秘書任せ』で理解得られるのか」としたように、「すべて秘書に任せたということで秘書に責任をなすりつけるのは通用しませんよ」という基調です。11面では「『知らぬ』一点張り」という大きな見出しで、ほぼ1ページを使う大特集を組みました。特殊の中では、「裁判官も『不自然』指摘」という見出しを掲げ、「裁判官ですら『不自然』と感じている」ことを強調しました。

 さらに、紙面の真ん中に、小沢氏や3人の秘書の顔写真を入れた「『共謀』の構図」なる解説の図を掲載しました。これには「指定弁護士が主張する」という文言も入れていますが、この図を見れば、ほとんどの人が、「やはり小沢氏が『共謀」して、秘書にやらせていたのだ」という印象を持つのではないでしょうか。

 読売も朝日と同様、「小沢は悪党」という立場でずっとキャンペーンを張ってきましたから、いまさら「無罪」ということになれば、大誤報ということになります。だから、もう「何が何でも『有罪』になって貰わなくては、困る」という状況にあるわけです。

 読売新聞は「秘書任せ」はおかしいという点で攻めていますが、いちいち会計の帳簿など見ませんよ。それは野田佳彦氏をはじめ主要政治家はほとんど同じです。大企業にしても、社長がいちいち帳簿を見るでしょうか。みんな担当者任せです。そのために組織があり、担当がいます。読売にしても、最高責任者の渡邉恒雄氏が帳簿を見ることなどないはずです。

 本日の読売の大特集からすれば、小沢氏がどんな重罪を犯したのか、も振り返ってみる必要があります。一連の裁判を通じて明らかになったのは、「実質的な犯罪」は皆無だったということです。いま問われているのは、収支報告書に「ウソ」の記載があった、それを小沢氏が「共謀」してやらせた、という内容です。ウソの記載の中身を見ると、記載の時点が、本当は「04年10月」でなければならないはずが、翌年の「05年1月」へ3か月ずれていた、という「期ずれ」の問題にすぎません。また、「『新政治問題研究会』など西松建設の政治献金団体名で記載していたのは、『西松建設』と記載していなければならなかった」ということも”重罪”にされています。

 何のことはない、検察が「西松建設がらみの汚職があった」と見立てて、大捜査に入ったのですが、ネズミ1匹だったことが判明してきたのです。ところがそれでは困る大手メディアは、何としても「有罪」を「勝ち取らねばならない」立場に追い込まれているともいえます。

 だから、小沢氏が、すべてを率直にきちんと説明しても、大手メディア側の”見立て”に合わないので、「説明不足、ごまかしの説明、説得力はない」という紙面を作ります。色眼鏡をかけて見れば、色がついて見えるものです。しかし、それでは真実には近づけない。真実に近づかず、罪がない者を有罪にするのは、えん罪です。読売新聞も、小沢氏をなんとか有罪にしようとやっきです。結果的にはえん罪づくりをしていることになります。

 読売新聞が懸命に努力した結果でも「無罪」の判決が出れば、その時はやはり責任を明確にする義務があります。