「71才の365日」1月7日(土)晴れ−4℃「東日本大震災」303日

*朝トレ:7時20分8時20分

天気晴朗なれど風強し! ま、コースアウト(堰堤から吹き落とされる?)するような風でもあるまい。 雪も、霜もない枯れ芝(雑草)が風になびいて殺風景なフィールド、コースへ入っても地肌むき出しのコースでは歩を進める靴音が「ぽく、ぽく」耳に届くやはりたいした風ではないんだ。我れの「体感」は肌から感ずべきを、耳目から、耳に届かぬ音を肌で感じたり目で見えたりと、よく考えると「かなりアバウト」な感性を持ってるな〜と、時に自分で思う事があります。

神山さん、ジャッキーの主従は今日も挨拶が交わせた。お早う御座います。 「お寒いですね」、珍しい神山さんが「寒い」を季語に挨拶交わしたのは初めてだった。強歩10本・走15本は4km のB級メニューの消化。カラス元気。 帰路クーちゃん、プリンちゃんご主人の大金さんと「お早う御座います」!


*女房殿が風邪を召されました。かかりつけの小西医院にて、診察投薬を受けましたが風邪薬&常備薬一種支払いがしめて500円未満、市販の風邪薬一箱買うよりお安い。 「TPP」、どうなるのか医療費がらみの問題に「変化有りでは」困るよね〜と。はい「お説ごもっとも」です。 

女性は、身近な問題に敏感ですね。ちょっと我の考えも申し述べようかと思ったのですが、すでに次のお言葉が、今日は七草がゆの材料買って帰りますからね。お使い後も「TPP」問題の議論はありませんでした。ついでですので、我が女房殿は主治医をしっかり二人抱えているのです。今日の「内科」小泉先生・直ぐ近くに日光市民病院(総合病院)内科は小池先生です。我れも便乗して、定期健康診断とか助かっています。


*せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ これぞ(春の)七草。 おかげでお昼ご飯に「七草がゆ」、しっかり頂きました。




*「東日本大震災

今日の一題 脱原発の道のりは遠く」「被災者十数万人の生活設計は尚遠い」! (keniti3545)


朝日新聞社説 1月7日」

原発政策―40年で廃炉は当然だ 

4月の原子力安全庁(仮称)発足にあわせた、新たな原子力安全規制の大枠が固まった。

 あいまいだった原発の寿命は「運転開始後40年」と法律に書き込む。過酷な事故が起きた場合の対策も、事業者の自主的な取り組みとしてしか位置づけられてこなかったのを、きちんと法律で義務づける。

 これまでの規制が原発推進と一体化していたことへの反省から、米国の原子力規制委員会などにならい、原子力基本法に基本理念として「放射線の有害な影響から人と環境を守る」ことを明文化する。

 福島第一原発の事故の教訓を考えれば、いずれも当然の転換である。

 原発の寿命について、安全庁の準備室は「原発の新設が難しいから廃炉も先延ばしするといった供給側の事情に配慮するような発想を切り離す」という。その姿勢は評価する

 とはいえ、これはほんの第一歩にすぎない。


 すでに40年を超えて運転している原発は、東京電力の福島第一1号機以外に、日本原子力発電敦賀1号機と関西電力の美浜1号機(ともに福井県)の2基ある。関電は7月に40年となる美浜2号機についても、運転延長が可能とする報告書を国に提出している。

 まずは、これらを例外なく廃炉にすることが試金石となる。

 ただ、40年寿命だけでは脱原発は進まない。私たちは老朽化した原発はもちろん、地震津波の可能性が高い地域にあったり、現実的な避難計画の設定が難しかったりする原発廃炉にしていくよう求めてきた。

 新たな規制では、最新の安全技術や運転開始の段階ではわからなかった活断層の存在などの知見を、すでに動いている原発にも反映することを義務づける「バックフィット」という制度を導入する。

 これを厳密に適用し、現時点での知見を反映させて、すべての原発の「仕分け」を早く実施すべきだ。

 また、金融機関と同様、法令違反などが発覚すれば、業務停止や免許取り消しとなるような罰則規定も必要だろう。

 問われるのは、描いた絵を本物にする実行力だ。

 新たに発足する安全庁の独立性や検査・審査能力をどう確保し、育てていくか。

 新庁の主力は原子力安全・保安院から移行する職員だ。電力会社や原発メーカーの出身者も少なくない。意識改革を通じて事業者との間に緊張感のある組織にしなければならない。


(税制改革と消費税増税の一体化も必要だろうが)  ・脱原発の手順提示と被災者救済(復興)の選択肢を示す作業の「一体化推進」も必要だ! (keniti3545)


東京新聞社説 2012年1月7日
民の力を活かそう つながり望む声を聞け
 福島第一原発の事故で多くの人々は、日常が破壊されました。十数万人もの避難者は県内・県外に散り散りです。つながりを求める声を聞きましょう。
 うっすらと雪が残る五日夕、中古のトラックが福島市内の農作物直売所にやってきました。荷台には一トン余りの温州ミカン。七日の初売りに間に合わせました。「元気か」と待ち受けた人々が声を掛けました。

 愛媛県伊予市の渡部寛志さん(32)が約千三百キロもの距離を走り、運んできたのです。妻(29)と七歳と三歳になる女の子も窮屈な車から降りてきました。

避難を転々、愛媛へ 
「四日夜に愛媛を出発して、瀬戸大橋を渡り、高速道路を延々と…。二十一時間もかかりました」と語る渡部さん自身が、原発の避難者です。福島県南相馬市の自宅は、原発から十二キロにあり、警戒区域に含まれます。

 「家の二百メートルまで迫った津波で、目前の二つの集落は残らずなくなりました。妻と子は裏山の農作業小屋で一夜を明かし、親類宅に身を寄せました。私は消防団員でもあり、翌日は行方不明者の捜索にあたっていました。そのとき、原発が爆発したのです」

 コメや卵、野菜をつくる専業農家でした。原発事故はその生活を一変させました。

 「翌日に郡山市の姉の家へ、3号機の爆発後は、会津若松市の母の実家へと避難しました。長女が小一になる昨年四月上旬に松山市へと移りました。『生きる場』を原発で奪われたと思っています」

 農業を営むため、昨年夏に瀬戸内海から五キロほど入った中山間地に農地と空き家を見つけました。

 「借りたのはミカン畑です。地主さんからは『ミカンは儲(もう)からないから、キウイをやれ』と勧められました。でも、キウイは福島でも栽培されています。郷里でつくれない果物をと思いました」

家族さえ分断した現実 
田んぼも借りていますが、コメを福島に運ぶつもりはありません。放射性物質の検出や風評被害で戸惑いの渦中にある農家の心情が浮かぶからです。「コメを持ち込めば、福島農民のプライドをずたずたにしてしまうでしょう」

 福島県によれば避難者数は、県外で約六万二千人、県内で約九万六千人にのぼります。その大半が原発事故による避難者にあたるとみられます。県人口もいまだに減り続けています。大勢の人が「生きる場」を失ったのと同然です。

 もともと被災地は二世代、三世代の同居が多い地域でした。でも現役世代は県外の親類を頼って移転し、お年寄りは県内の仮設住宅に残るケースが目立ちます。「自分が重荷になる」と感じていると聞きます。苛酷な現実です。

 地域のつながりはむろん、家族まで分断してしまったのが、原発事故のむごさです。

 ミカンでつながりを持ちたい渡部さんも内心は複雑です。

 仮設住宅にもミカンを運び、喜んでもらいましたが、私は落ち込みもしました。自分だけしたいことを始めたのではないか。自分勝手ではないか…。故郷を捨てたわけではないけれど、気が重たくなりました」

 仮に南相馬市の家が国の新基準で居住が認められたとしても、すぐに帰るつもりはありません。元の土地で農業を営む限り、放射線量が高い山間部から水が流れてくるからです。

 「子どもへの影響は心配です。いずれ故郷に戻りますが、それは娘が高校を卒業してから。自己判断に任せようと思います」

 悩める避難者の気持ちを政府はどう受け止めるでしょう。昨年末に原発事故の「収束宣言」を出し、汚染土壌などの中間貯蔵施設を原発のある双葉郡内に建設する方針を打ち出しました。

 まるで事故の幕引きのため、既成事実化を急ごうとする非情さがうかがえます。人の心まで「処理」できません。葛藤を続ける住民たちの心を逆なでし、怒りを増幅させるばかりでしょう。

 渡部さんはさらに故郷とのつながりを深めようとしています。

 「柑橘(かんきつ)類は多種類あります。イヨカンデコポン、アマナツ…。種類を細かく組み合わせれば、九カ月間も福島まで出荷できます。これから開墾し、苗も植えます」

「秋には黒字に」と焦り 
悩ましいのは収入が上がらず、東京電力の補償の見通しも不透明なことです。「今年秋には黒字化したい」と焦りを語ります。経済的な補償は当然ですが、同時に故郷や家族とのつながりが分断された人々の支援策にも国はもっと取り組むべきです。

 トラックの荷台にはミカンが残っています。渡部さんが向かう先は古里の南相馬市。避難中の両親や農業仲間と新年会で再会するのが楽しみです。