71才の365日1月6日(金)晴れ−9℃「東日本大震災」302日

*朝トレ:7時20分〜8時20分

7時15分玄関外の寒暖計−9℃、え、今−9℃昨日(4℃)の朝より寒さ感じないな〜、え、でも二桁へもう1℃しか間が無いんだよな〜! とたんに身が引き締まった。階段上って堰堤、フィールドに出ても枯れ芝にサクサクの踏み音が付いてこない。マスクも付けないが、平気だ(すでに痛さはあるんですが)。

我れの感覚鈍ったのか?いや、いつもこの後走に入る頃は手指・足指の先が痛くなるのだから大丈夫な筈だ。寒風に吹きさらしの慣れ(トレーニング)が効いてきてるんだ。たいしたもんだ、習うより慣れろ・継続は力なり か。今朝も 「清新な空気と青い空にぴったりの白銀」ついこの前日「K-1戦士の体に例えた男体山」対するは、「割れた胸筋と腹筋のフライ級ボクサーの那須連山」ここには幼い頃と少年期のの想い出があるんですが・・・。

男体山の大凪」は、あそこでそりに乗っている空想を抱いた。小学校低学年の頃は年上の悪ガキ仲間へ食らい付いて「リュージュコース」紛いのソリ道を裏山に設え、朝から晩方まで昼飯も取らずに一日中遊んで何回お袋に迎えに来られた事か。ほろ苦い思いが蘇ります。

那須連山の雪は、いつ見ても此処からは遠目の白銀我れでも「美しいと表現したい雪景色だ」。

此方は(50年)半世紀前の映画、 「トニーザイラー主演の白銀は招くよ!」 多感な10代後半の我れは憧れましたね〜。 彼の「スキーテクニック」に。我れの往時はアイスホッケーの練習・試合に明け暮れる毎日。オリンピックのスキー「三冠王」に本気で「ライバル」心燃やしましたものね。此方はちょっとほろ苦い想い出、恥ずかしいとは思わないですね、けなげに本気で思ってましたんで。

 でもやっぱり今、口にすると少しは恥ずかしいな〜とも思いますが・・・。 ついでに孫の昂佑と友麻にいつか自慢しようと時折磨いているメダルは古河電工アイスホッケー部の選手として勝ち取った「全日本」の金メダルが3個、銀メダルが1個あります。但し、孫、昂佑が3年生、友麻が幼稚園ではまだ我の「ソリ滑り」の年、もう少し待ち時間がありそうなので元気でいて「じいちゃんも頑張ったんだね!」と言ってもらおうと思っています。

きれいな鳥・大きな渡り鳥が来てくれない寂しさの風景から思わぬ贈り物が、「我がアバウトな前頭葉」のテロップもたまには気の利くプレゼンをしてくれるモンだアリガトさん。

つがいのカラスが目に入らないと思っていましたが、倉井さん庭のバイオ肥料作成機(木箱)に冬季は蓋がされないのだ。青地含んだ一軒家という地の利からこの行為、一家族のカラス(春先は子供が巣立つ)の営みを支えているのか? 倉井さんがいつか言っていましたね、「このカラス別に悪い事しないんだよ」と。 此のつがい、1羽が木箱縁に止まり周囲を監視(主に我れの行動を見張っているのだろう)、1羽がお食事。これを交代するらしい。これは帰路に見届けた様子です。 

と言う訳でよそ見もせずに粛々と走ったんですが、消化トレメニューは芳しくありませんでした。強歩10本・走12本3.2km強のCメニュー、時間は1時間でしたが思考過多&筋肉の柔軟性に欠ける要因の低温その他この時期のメニュー内容の増減有りは想定内としておきましょう。



(うん、うんと頷いてくれる人居るか知らん?!) たった半世紀前ですよ。

トニー・ザイラー:1956年度冬季オリンピックで滑降、回転、大回転の3種目で優勝したスキーヤー


『黒い稲妻』(1958年/監督:ハンス・グリム)

セント・フロリアンのゲレンデで働くミヒャエル(トニー・ザイラー)はスキーの名手で、地元の人たちは彼を“黒い稲妻”と呼んでいた。スキー洋品会社の社長令嬢ウシー(ワルトラウト・ハース)はミヒャエルを恋していたが、ミヒャエルはホテルの秘書をしているグレートル(マリア・ペルーシ)を愛していた。セント・フロリアンでスキーの国際大会が開かれることになり、各国の名選手がやってくる。優勝候補のタナー(ディートマール・シェーンヘル)のワックスが盗まれ、ミヒャエルの山小屋から見つかったことから、ミヒャエルが犯人と間違われ……

トニー・ザイラーは1956年のコルティナ・ダンペッツォ冬季オリンピックで、アルペン3種目で金メダルをとったスキー選手で、黒いスキー・ウエアーでジグザグの鋭角滑降する姿から“黒い稲妻”と称せられました。

物語などは如何でもよく、ザイラーのスキーの妙技を楽しむ映画ですね。冒頭の滑降シーンから始まり、バンドネオンを弾きながら大勢の仲間を従えて滑るレビュー・シーン、警官との追いかけシーン、ラストのスキー大会シーンとスキー・ファン伝でなくても楽しめる作品になっていま〜す。




『白銀は招くよ!』(1959年/監督:ハンス・クエスト)

駐在所の廃止が噂となり、見習い警官のアンダールは愛しあっている旅館の娘ローズルと別れるのが嫌で、食物盗難事件をでっち上げて本部に報告する。本部ではスキーの名手である警官フロリアントニー・ザイラー)を村に派遣する。フロリアンはスキーに来た12人の娘と知りあい、リーダーのエファ(マルギット・ニュンケ)に惹かれるが……

トニー・ザイラーは1956年度冬季オリンピックで滑降、回転、大回転の3種目で優勝し、世界的なスポーツヒーローとなりました。ルックスが良かったこともあり、2年後に映画デビューし、これは第3作目です。

トニー・ザイラーがマルギット・ニュンケに恋をし、事件も解決するというコメディタッチの気軽な映画です。チャチャチャのリズムにあわせてスキーの指導をしたり、恋人を追いかけて急斜面を片足だけで滑ったりと、スキーの妙技を色々見せてくれます。おまけに自慢のノドで主題歌もサービス。この軽快な主題歌は、映画公開と共に大ヒットしましたね。



*「東日本大震災」302日

今日の一題 転換期日本 変化の芽を伸ばす(5回:最終回)


転換期日本 変化の芽を伸ばす(最終回) 企業も国も内向き排し信頼回復を (日本経済新聞です)

 企業や国への信頼が大きく揺らいでいる。仲間内で問題をごまかし先送りするのではなく、外の目を強く意識してガバナンス(統治)改革を進めるべきだ。  

↓ 全文
http://allatanys.jp/oclk?page=C0005&pos=1&pid=N0000&cid=20120106NEN55898&oid=DGXDZO3780368006012012PE8001&url=http%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Fnews%2Feditorial%2Farticle%2Fg%3D96958A96889DE1E5EAE2E1E4EAE2E2E4E2E3E0E2E3E08297EAE2E2E3%3Fn_cid%3DDSANY001


有識者の多くも、いろんな角度から現状を見た上で、海外進出も・グローバル化の延長も恐くはないと言っている。」 しかも、『現時点では、痛い目に遭う会社の体質を目の当たりにして、変わり身の早いのは政、財界が動かす「経済」ではなく各個別大小の企業、或いは産業界全体と言っても良いが、当を得た対応のできているのは最前線の「民の力」だ。』 
(我れも、半分受け売りながらそう信じています! keniti3545)




「プラス1」 肝心なもう一題 「この国土に原発は無理なんです!」 (keniti3545)
(この地震国日本に原発は無理なんです:推進派は地震は関係なかったと、今でも言い張る理由が分かりますね!)

2012年01月06日Nuclear F.C:(毎日新聞)

日本列島 地震活動が活発化 震度5弱以上、昨年は最多震度5弱以上、昨年は最多 17年分相当68回

 昨年1年間に震度5弱以上の揺れを記録した地震は68回で、気象庁が統計を取り始めた1926年以降(96年以前は5弱と5強の区別なし)で最多だったことが分かった。

過去の年平均は約4回で、17年分の強い地震が日本列島を襲ったことになる。
東日本大震災を機に地震活動が活発な状態になったことが原因で、震度1以上の有感地震も計9723回と観測史上3番目の多さだった。

 気象庁の集計(速報値)によると、昨年発生した地震震度7東日本大震災のほか、
震度6強=4回
震度6弱=4回
震度5強=17回
震度5弱=42回。

これらの地震のうち、東日本大震災以前に発生したのは、3月9日に発生した震災の「前震」とされる地震震度5弱)だけだった。過去、震度5弱以上が最多だったのは00年の45回で、記録を大幅に更新した。

 このほか、震度4が248回に上るなど、有感地震全体の回数も10年(1313回)より大きく増加。現在は地震観測点が大幅に増えているため単純には比較できないが、松代群発地震が特に活発だった66年(5万2957回)と三宅島が噴火した00年(1万7676回)に次ぐ3番目だった。


 気象庁によると、東日本大震災の、マグニチュード(M)5以上の余震は579回(3日現在)で、過去最多だった94年の北海道東方沖地震(293回)の約2倍に達している。
気象庁地震津波監視課は「東日本大震災は余震域が広く、余震域の外で起きる誘発地震も多い。大震災の直接的、間接的影響で、東日本を中心に地震活動が活発だった」と分析している。【池田知広】
毎日新聞 2012年1月4日 15時00分


◎日本はこのように、地震の多い国(大きな津波を伴うことも承知)であることは承知の我々国民です。 ある意味では自然災害との戦いの上に国土を築いているともいえます。 人間が作り出した「毒」、しかも処理出来ない「猛毒」を垂れ流すことさえしなければ日本人は何回でも立ち直れれる事を証明してきています。 今、猛毒を発生させてしまった今、とにかくこの毒物が消えるまでは発生源を立ちましょう。最低限、プルトニウム半減期2万(4000)年は「原発を使うのも作るのも」止めるべきです! (keniti3545)