「71才の365日」12月20日(火)晴れ−5.5 ℃「東日本大震災」285日

*朝トレ:6時50分〜7時40分

セピアカラーの雲間に「明けの三日月」、背景は中々のモンだがお月様が少々貧弱に見える。移動距離はびっくりする程跳んでる、南東に向かい日々進んでいる。

 連日−6℃、昨日は知恵のない「我が故郷の越冬姿」を記しましたが、結構良いこともあるんですよね。 子供達は寒いのは屁とも思わないし、老齢者も体に異常を来してなければ「自助能力が刺激されて直ぐ順応します」。 体を動かすのが嫌な人はじっと「炬燵」で丸くなっていますが、これでも結構楽しいし、「体力の消耗を避けた省エネ」? 

 誤解されると困りますので、一言付け加えれば我れの「行動(朝トレ)」も、炬燵で終日過ごす事も医者には「少なくても褒められはしません」ので、「自分にはこれが一番と思う人だけが実践出来る」ことです。 結構こういう人って居ますよね? 

 我れの大阪の友人は、真冬でも瀬戸内海で釣りを遣るンだそうですが(今シーズンは「釣果」を褒めたら3回も送ってもらって晩酌のつまみに事欠きませんでした)、今日のメールにも50cm超の大物を釣り上げた実況放送が入りました。(その刺身を、喰いたかったのに、でもその都度大阪まで飛んで行けないのであきらめます)

 その彼も言いますよ、言われて聞く奴じゃなければ「機嫌良く送り出してくれ」と、家人に申し渡してあると。 ところがメールの最後に必ず、「余り無理はするなよ」と一言入れて来るんですよ。 多分我れ同じ事言ってルカも知れませんが・・・。 ま、お互い自分に言い聞かせてるんでしょうがね。 「厄介な年代71才の、年の暮れですね〜」

テロップも廻らずにようしゃべったわ!今日のメニューは強歩8本・走15本のB級は、内容濃かった。往路復路とも行き会い人無し。(玄関7時45分にin も、−5.5℃変わらず冬です。大阪の敏正殿日光の冬本番です!)


*今日のニュースは何処を見ても「金正日」氏死去の文字が溢れています。理解に苦しむ解説は無かったように思います。一個人の死には哀悼の意を表しますが、拉致被害者の問題も大変な心配ですが、過去に遡って日本に人道的処遇を要求する韓国(慰安婦問題)北に向かってはどのような立場を取るのか、「米・韓・日・中」どんな連携を取るのかこれは各国共通の厄介な対応策となるのでしょうね。日本の総理はどう動くのか?



放射線量の定点測定結果(火曜日/毎週)
◎.全てのデータ 地表2cmの測定とする1点6回の測定:高順位値2点の記録

東:自宅外(から)距離 30m 堤防上

北:自宅外(裏)空き地、雑草有り、西北に防風林有り、

南:自宅敷地内ベランダ(ブロック塀あり)

西:自宅敷地内雨樋

M:細尾町モデルセンター庭

  

(12月13日) 前週の測定pm13時30分〜14時30分

東:0.34 0.30μSv/h 西:0.41 0.35μSv/h 南:0.74 0.66μSv/h 北:0.36 0.32μSv/h 

M:0.50 0.50μSv/h


12月20日 本日の測定pm13時30分〜14時30分

東:0.36 0.34μSv/h 西:0.32 0.25μSv/h 南:0.85 0.77μSv/h 北:0.32 0.30μSv/h 

M:0.39 0.30μSv/h


◎先週のこの欄の覚えに、蓄積の恐れを記したが。「南」の条件が一番の心配だったが、予測通りと言うことらしい。
詳細記せないが、落ちた雨が流れる側溝までの距離があり小石のフイルターにゴミは濾されててから流れる状態だ。小石を敷き詰めた玄関前とかに「ミニスポット」は出来そう。人が余り歩かない場所の方が逃げないで蓄積されていく可能性は高いか?今日の最高値は、0.85μSv/h の記録。これは、市役所にデータ説明をした方がよさそうだ。子供のいる家ではデータの集計と、除染の手は打てそう。取り除き、何処へ集積するかとかを考えてもらえばよい。

日光市は、県内8箇所の除染対象区域に指定された。(昨日のニュース) 明日役所に進言するとしよう。

◎何らかの検証はしてもらうべきと思う。 どの程度の数値で動いてくれるのか? (keniti3545)

◎子供達が気づかずに何十年も低量の被爆を続けた等と言うことにならぬよう、特に日光は線量が高いこと行政の人達も認識してる訳ですよね。 線量計貸し出しで他にも何かアピールはあるんでしょうか? (keniti3545)




*「東日本大震災」285日

今日の一題 「ドイツの脱原発に学ぼう」!

◎心に残る二つの記事

[1]  「脱」元年振り返る
Nuclear F.C : 原発のウソ
2011年12月20日07:19 カテゴリ
脱原発東京新聞12/20 「脱」元年振り返る 原発事故分析を発信・大沼安史さん@こちら特報部 今年を歴史に刻む言葉を選ぶとしたら「3・11」だろう。大地震や大津波などによる多くの犠牲や痛みは現在進行形だ。

中でも福島原発事故は世界に衝撃を与え、情報隠しと放射能による地球汚染は日本不信を植え付けた。この危機を、来る年に乗り越えていけるのか。国内外の原発事故報道を分析してきた仙台在住のジャーナリスト、大沼安史さん(62)を訪ねた。(野呂法夫)


 被災した東北の最大都市仙台。駅前ビルの喫茶店に入ると、友人同士や老夫婦、子連れのお母さんらでにぎわい、一見して平穏にも見える。


 「いや。それぞれが胸に震災の傷や不安を押し込んでいる。断固として日常生活を続けている強さを知ってほしい」


 そう話す大沼さんも地震後は一時避難所で過ごした。原発事故が起きると、何が起きているのか、政府や東京電力の発表情報に不信を募らせ、インターネットで海外発のニュースを丹念に読んで真相を分析。ブログ「机の上の空」で発信してきた。


 まず行く年の最大のニュースは何か。「米ウォール街の格差デモや欧州金融危機、中東の民主化旋風もあった。だがマイナス面を乗り越えて、まだ何かが拓(ひら)けもする」


 「それだけに、世界最悪の出来事は大地震に続く“原発震災”。来月、来年…半永久に続く地球の汚染事故だ」と話し、被災者をおもんぱかる。


 「年忘れができない。この間汚染は広がり、福島の人たちの被ばくも進行中。古里を追われたまま年も暮れていく。つらい年の瀬でしょうに」


 では、大沼さんが選ぶ今年の世界の顔は誰か。迷わずに口にしたのがメルケル首相だ。「忘れられているが、ドイツの脱原発を決断した。物理学者であり、政治指導者でもあるが、命にもっと近い女性でもあった」

 さらに“もう一人”の名も挙げた。「経済産業省前に座り込み、取り囲んだ福島の女たちです」

 東京・霞が関経済産業省前。10月27日から、 原発いらない福島の女たち」 が座り込んだ。29日までの3日間で2400人近くが参加し、その動きはニューヨークまで広がった。


 続く3・11から8カ月後の11月11日午後6時すぎ。小雨が降る経産省を再び女たちが包囲した。 「再稼働反対!脱原発全国アクション実行委員会」 が呼びかけた 人間の鎖 行動だ。


 経産省原子力安全・保安院は事故を過小評価し、原子力政策の転換にあらがい、ムラの利権を守り、定期点検中の原発の再稼働をもくろむ。


 対して権力も社会的立場もない市民が自らの意思で集まった。原発事故で暮らしを奪われ、子どもや労働者の被ばくに心痛する福島の女たちもいた。できることは体を張って声を出すだけだ。


 「原発よりいのちが大事。原発いらない」。そう訴えて、節電で街路灯が消えたたそがれの闇にキャンドルやペンライトを高々と掲げた。そして、一周約900メートルある庁舎を取り囲み、手と手をつないだ。その絆の輪は約1300人に上った。


 政府の事故炉「冷温停止状態」宣言や高い被ばく許容線量の設定とともに、脱原発の灯を消そうという動きも荒れ狂う。


 「子どもたちが被ばくしているから、女たちは『座り込み』から動かないし、どんな風が吹いても明かりは消えない」と大沼さんの目には映る。


 「未来こそ暗闇で、希望も閉じ込められている。だけど、どんな過酷な状況でも生きることを諦めない福島のお母さんたちの中に光がある。彼女らが前に進むことで、希望を拓く明かりは燃え続けるでしょう」


 その先例として反核平和運動の前面に立ち続けた「グリーナムの女たち」に言及する。


 グリーナムとは英国ロンドン郊外のグリーナムコモン米軍基地。米ソが対立する冷戦状態が続く1981年、巡航ミサイルの配備に反対して、女性たちが立ち上がった。

 運動では基地の周りに住み込んで座り込み、警察官の強制退去にもめげずに歌い踊って、応戦し
続けた。82年12月、2万人以上が人間の鎖で基地を囲んだ。草の根の非暴力抗議行動は、18年後に基地の軍事機能の消滅として実を結ぶ。

 この取り組みは84年に記録映画となり、福島原発の事故後に各地で上映会が開かれて、女性たちを勇気づけている。


 話は原発事故後に東電が言い張った「想定外」から再びメルケル首相へ。

 地震津波もないドイツでの脱原発について、週刊発行の全国紙「ツァイト」の首相会見の一部を紹介する。 「想定外=残余」のリスクを問われ、メルケル首相はこう述べたという。

 「商売の取引でリスクに気付くことはよくあること。しかし原発のリスクが現実となったとき、自分の身体や個人の人生の中で終えてしまうことができない。欧州全体に広がってしまい、取り返しがつかない。想定外をなくすためには、原発をやめる選択しかない」

 ドイツの新聞は、原子炉3基の爆発を「ズーバーガウ」(想像できる限りでの最大の事故)といった造語で表現した。


 膨大に散らされた「死の灰」の闇は見えず感知できない。 「フクシマで恐ろしさ」を確信したメルケル首相と、県民を汚染地に囲い込んで被害を小さく見せようとする日本政府は「真逆」 と手厳しい。 チェルノブイリの例を見ても帰郷は難しい。ところが、きれいにすれば高汚染地にも帰れるとの新たな 『除染神話』 がまかり通る。マスコミも加担している」

 もう一つのノーベル賞といわれるスウェーデンの「ライト・ライブリフッド賞」。主に環境保護や人権問題、健康などの分野で活躍した人物や団体に贈られる。日本では市民科学者の故高木仁三郎氏らが受賞している。 「来年には福島の女たちが候補となりえる。メルケルと同時受賞してほしい」

 若者たちの動きも忘れてはならないという。ブログや投稿サイト「ツイッター」を見て、「俺たちのために」とデモに参加した。 「彼らに芽生えたライフスタイルの心は脱原発経産省エネ庁が広告代理店を使い、ネット狩りをしても無駄。この流れは止められない」

 みんな「風下の人間」になってしまったのです−。大沼さんは事故後に語られる言葉を引用し、最後にこう呼びかけた。「わたしたちはここで生きていくしかない。としたら、最も過酷な『風下』にいる福島の子どもたちを助けることをぜひ来年はやってほしい」


 おおぬま・やすし 1949年、仙台市生まれ。東北大卒。北海道新聞の記者や論説委員を経て、東京医療保健大学特任教授を務めた。震災後に「世界が見た福島原発災害−海外メディアが報じる真実」と続編「死の灰の下で」(緑風出版)を出版。


<デスクメモ> 
政府は汚染地域の除染を進めると繰り返すが、現実感は薄い。それでも被災者は「故郷に帰りたい」と言わざるをえない。「もう結構。あきらめた」と口にしたとたん、ハシタ金と引き換えに被害を清算されてしまう。そんな恐怖を捨てきれないからだ。弱みにつけ込む手口。何と狡猾か。(充)
東京新聞 こちら特報部 12月18日




[2] 原発から再生エネへ ドイツ なぜ変われたか 東京新聞社説 2011年11月4日


 福島第一原発の事故のあと、ドイツは原発推進から脱原発へ再転換の舵(かじ)を切った。なぜそれができたのか。環境政策をリードするフライブルクで考える。

 ドイツ南西部、人口二十二万人のフライブルク市は、「環境首都」の異名を持つ。福島の事故直後、脱原発を唱える緑の党が最初に躍進し、連邦政府の政策転換に大きな影響を及ぼしたのも、フライブルクのあるバーデン・ビュルテンベルク州だった。

◆エネルギー地産地消
 中央駅から徒歩三分、文豪ヘミングウェーも泊まったホテル・ヴィクトリアは、「世界一環境にやさしいホテル」と呼ばれている。

 三代目経営者のシュペート夫妻が二酸化炭素(CO2)の排出ゼロを目標に、自然エネルギーの自給自足を進めているからだ。

 屋上には太陽光パネルを並べ、その下にコケを敷いてある。その他に風車が四基、郊外の風力発電基地にも投資して、電力と配当金を手にしている。地下には、木質廃材を燃やすバイオマス温水器を設置、温水と地下水を循環させて、客室の温度を調節する。

 シュペート夫妻がエネルギー自給を志すきっかけは、青年期に取り組んだ反原発運動だ。

 一九七〇年代初め、約二十キロ北西のライン川沿い、ヴィールという土地に、連邦政府などによる原発計画が持ち上がるまで、フライブルクも普通の地方都市だった。

 川べりのワイン農家が起こした反対運動に、多くの市民が共鳴し、大小の市民集会や抗議デモが頻発する事態になった。原発計画は凍結された。そして、この時の議論の中から「反対だけで終わらせるべきではない。代替案が必要だ」という意識改革が始まった。

 決定的な変化をもたらしたのは、八六年のチェルノブイリ原発事故だ。その放射能は、風向きとたまたま降った雨の影響で、千二百キロ離れたドイツにも飛来した。
◆危機感をバネにして 
かつて東西に分断され、米ソ冷戦の最前線にあったドイツには、核への恐怖が根強く残る。危機感が、脱原発、エネルギー地域自給へ背中を押した。市当局はその年に、エネルギー源の地域分散や自然エネルギーの普及を図る、独自のエネルギー供給基本プランを打ち出した。環境首都は脱原発の結果である。

 フライブルク市などでつくるバデノヴァ・エネルギー供給会社は福島の事故のあと、エネルギーの地域自給を効率良く進めるために、スマートグリッドの本格的なモデル事業を開始した。約二千五百の供給元から仕入れる自然エネルギーの供給量と管内の需要をコンピューターで調整し、電力をバランス良く送り出す。

 なぜ、ドイツでは脱原発が進むのか。危機感とともにかぎになるのは「自治」の強さである。
 現地の人に「原発が怖いですか」と尋ねると、「フクシマの国のあなたは、なぜ怖くないのですか」と問い返された。

 市内では「ATOMKRAFT? NEIN DANKE(原発はいらない)」と書かれた黄色い旗が目立ち始めた。原発によるフランス産の電気を選ぶこともできるのだが、ほぼ全量を自然エネルギーで賄うバデノヴァ社のシェアは九割ともいわれている。
 放射能への危機感と情報を市民と行政、そして企業が自治体レベルで共有し、町内会や学校などでも回避のすべを話し合い、エネルギーの地産地消をめざしている。
 自治体がエネルギー自給を志向するから、後押しをする連邦政府の施策が生まれ、活用される。
 メルケル首相の諮問した原発問題倫理委員会は、原発事故の危険はあまりに大きく、放射性廃棄物の処理は困難、従って原発は倫理的ではないとして、脱原発を答申した。自らの地域と家族を守り、平穏に暮らしていきたいと願う市民の立場に立てば、ごく自然に導き出される結論に違いない。 

日本では、大電力会社の地域独占が長年続く中、電気とは街から遠く離れたどこかで、だれかがつくってくれるものだとされてきた。そのために、この期に及んで被災地と立地地域以外では、原発に対する危機感がまだ足りない。

◆日本にもできること 
ドイツでは、日本の落語や歌舞伎のように、哲学や倫理が日常の中に溶け込み、重んじられている。欧州連合(EU)と直接交渉ができるほど、自治体の力が強い。国情には大きな違いがある。
 しかし、持続可能で豊かな社会を維持するために、電力などエネルギーのつくり方、使い方の大変革が必要であることは、先を行くドイツも、あとを追おうとする日本も変わりなさそうだ。目標をかたちに変える力なら、この国は決してひけをとらない。




*国民性の違い・行政の姿勢の違い 自治体の力量←→個々人の意識・信念 この結びつきが大きな有効な力を生み出しているように思う。一方、我が日本の現状では国民投票とかの個の力量への期待に向けて一気に胸膨らます前に地方分権自治の力を培う訓練が必要か!?!  

個人・自治体の意識という点で、少々飛躍的かも知れませんが、我れは思います。
日本も、橋下氏(大阪)の今回の試みが方向性を過たず、頓挫もせず貫けたら本当の波が起き、個人の意識改革が出来るかも知れませんね。

彼が潰れても、ならばそうならず、紆余曲折・試行錯誤している間にこの動きが他府県にも広がり中央の意識改革にも繋がれば一番良いと思います。

例え、選挙でどんなに優秀な人物を選んでも、仕事をしてもらうプッシュが出来なければ何も変わりませんよね。身近な自治体、市や町がしっかり活動出来る仕組みにしておかなければならないことが身に染みて思い知らされます。 (keniti3545)


◎「野田さん」、ドイツの「メルケル」さんは国民と共に「チェルノブイリ」の事故を見て深く考え、今回の「フクシマ」を見て国民と共に脱原発を宣言しました。 

「野田さん」日本はどうなんですか、「チェルノブイリの事故は対岸の火事」と見ていたんですか? ところが、「今回のフクシマ」は、自分の家が遣られてしまったんですよ! 

しかも自分達で起こしてしまった事故ですよ。あの地震が、津波が想定外だったからと言い訳ばかりですか!?(そもそもその言も真実とは違うンですが)「メルケル」さんは国民の問いにしっかり答えましたよ! 『想定外をなくすためには、原発をやめる選択しかない』!と! 

 東電が一生懸命に弁解する「想定外」等という言葉はこの「メルケル」さんの一言で一蹴されてしまいますよね。 これを政府として、容認していたとしたら例えその時の総理は別人(菅さん)であってもやっぱり野田さんもおバカさんの仲間ですね!  「野田」さんも、「メルケル」さんも同じく一国の首相ですよね、考えてしまいます!! (keniti3545)