「71才の365日」11月22日(火)晴れ-2℃ 「東日本大震災」257日

*朝トレ:6時30分〜7時30分

我が家の玄関、5時30分には「寒暖計」−0.5℃ 朝トレ出発時6時25分には予想通り−2℃。(放射冷却により6時30分〜7時頃にその日の最低気温を示すことが多い)テレビの天気予報でも今朝の奥日光最低気温は−2℃とあった。我が家は奥日光?なのか〜。イロハ坂よりず〜っと手前ですけど・・・。

今朝は、アイテム一つプラスの身繕いそれは、「レッグウォーマー」女房殿のお下がりだ。この効果大きく、最終走の頃には脛が汗ばみます。今日は「絶好調」久し振りに口にした、走(の本数)が進みます。いえ、とんでもないアバウトな我れ本人の努力なんてとんでもない! 自然の・恵みの愛の鞭(0℃以下と言う気温)です。3本以上の歩行はどんな強歩でもダメ、寒さが染みて(体温が下がっていく?)体が独りでに走り出します。

今日の消化メニューは、歩行計6本、走25本 1時間は変わらぬが筋力・心肺機能の鍛錬には30%UP 固いだろう!(ホントかな?) それでも道中気になることは確認出来た。「明けの月」という風情はもう感じられず、「凍てつく三日月」に変身だ、白く、細く、小さく、更に南東へ移動していた月ではあった。かなり息の上がったメニューだったが、テロップも廻らず濃い朝トレ」だった。

帰路もさすがに行き会い人も無し、この時期になると終了後シャワーまでの時間を如何に短縮するかが課題となる。風邪でも引こうものなら誰かさんに笑われるのが「オチ」ですが、当人の我れにとっては、洒落にもなりませんからね。


*今日は火曜日、「定点線量計測」の予定日 結果は後刻追記する

追記です (pm16:00)
(10月25日)
東:0.15μSv/h 西:0.23μSv/h 南:0.15μSv/h 北:0.27μSv/h (平均値)

 (11月1日)
東:0.24:0.30μSv/h 西:0.21:0.24μSv/h 南:0.19:0.23μSv/h 北:0.20:0.24μSv/h (高値2点の記録)

「11月08日」
東:0.37:0.34μSv/h 西:0.23:0.19μSv/h 南:0.23:0.27μSv/h 北:0.25:0.21μSv/h (高値2点の記録)

「11月15日」
東:0.37:0.34μSv/h 西:0.23:0.19μSv/h 南:0.23:0.27μSv/h 北:0.25:0.21μSv/h (高値2点の記録)

「11月22日」本日
東:0.23 0.24μSv/h 西:0.16 0.21μSv/h 南:0.14 0.14μSv/h 北:0.19 0.28μSv/h (高値2点の記録)

東:0.36 0.27  西:0.37 0.26 南:0.29 0.28 北:0.35 0.24 (地表2cm参考値)

*地表2cmの測定値はどの地点も、0.3μSvを超えそう。市がようやく貸し出し者にフィードバックを求めてきたので次回からそのフォーマットに添った測定値を提示する。


*これまでの測定値でも気付いた点がある。

1、80センチ、100センチの高さでは:風の影響が大常に発生源の物質は移動している。関連で塀の中、テラス等では総じて線量は低い。

2、地表の数値は100センチ部位の1.7倍程度の線量を示す。地表まで落ちた発生源物質は正しく風の影響も受けにくく、その部位にとどまり易い。 除線が効果的、且つ必要なことは素人目にもよく解る。





*「東日本大震災」257日

今日の一題 「昔、原発というものがあった」 と言えるのはいつの日か?! 

(Shuuei さんのメモより)
2011年11月14日
泊原発廃炉訴訟の記念講演会 昨日13日は、泊原発廃炉訴訟提訴記念講演会が札幌で開かれた。この訴訟は612人もが原告となって11日に提訴されたものだ。この記念講演・USTREAMの放映から、「作家の池澤夏樹さん」の講演内容をメモしたので紹介したい。

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「昔、原発というものがあった」池澤夏樹さん (鬼蜘蛛おばさんの疑問箱)

 核エネルギーを持った社会は滅びるという仮説があった。核エネルギーは桁違いに大きい。今までのエネルギーとは7ケタ違う。万一事故が起こったときに非常に大きな事故になる。コントロールは人間の倫理観。しかし人の倫理観は高まっていない。そういう人間たちが大きなエネルギーを手にした。

 かつては人間の破壊も自然によって回復していたが、最近はそれができなくなっている。ひとつが放射性廃棄物。自然界にないものを作ってそれに頼っていく。先のわからないままに次々と新しいものができてくる。放射性廃棄物を保存しなければならないのにコンクリートの寿命は150年しかない。原子炉の中で熱を出している物質は消えない。福島は燃料が溶けて炉の下にまで落ちている状態だ。熱と大量の放射性物質を出し続ける。

 1990年、好奇心にかられて東海村に行った。人類は、核兵器を持ったほうが強いと、核の競争を始めた。その結果、地球の人類を何回も殺せるほどの核兵器を持ってしまった。1952年、アイゼンハワー大統領が核の平和利用を宣言した。それ以来、核エネルギーをいろいろなものに使おうとした。船に乗せるが、うまくいかない。今は実用化されているのは軍艦だけ。軍艦の場合は安全度が低くてもいい。それで、発電を考えた。最初は楽観的で、コストが安くなると言っていた。しかし、それも危ないことがスリーマイル、チェルノブイリの事故で分かった。しかし関係者はあの事故は例外だと言った。そのために東海村に見学に行った。

 原発の安全についてのパンフレットでは安全性を強調しているが、こんなに安全を強調するのは怪しいと思った。もともと爆弾。しかし一度安全といってしまうと自縄自縛になる。最初に結論を宣言してしまうと自縄自縛になる。ひたすら嘘を言い続けていなければならなくなる。

 東京電力は想定外の津波がきたからといった。しかし800年前に大きな津波はきている。津波で壊れたと言ったが本当にそうなのか。地震だけで壊れたのではないか。これは相当信ぴょう性がある。原子炉には無数の配管が通っている。その配管が揺すぶられて壊れないか、大丈夫だと言えるか。配管まで含めた状態をイメージしなければいけない。

 飛行機も新幹線も安全だと言えるか。人間の技術では事故の抜け道をふさぎきれない。人間の手に負えない。だから「昔、原発があった」と言いたい。おととい、福島原発の近くまで行ってきた。道路封鎖していた。20キロ圏の中は使い物にならない。今の日本の政府、指導者たちにはとても核エネルギーは任せられない。原発は確実に利権。

 北海道は風力で電気がつくれる。太陽光も地熱発電も、ほかの新しいエネルギーもあるだろう。というと自然エネルギーなどあてにならないと反論がくる。子どものころ自動車を持っている人などいなかった。だから自家用車という言葉があった。みんなが自動車を持つようになって、高速道路ができた。自動車が身近になるまで20年もなかった。その気になれば、短い間でもできる。低周波や渡り鳥の問題ももちろん考えなければならないが。発電、送電を別々にもできる。そっちに持っていけば「昔、原発というものがあった」ということになる。



*孫さんにも頑張ってもらいたい! (笑う人には笑わせておけば良い・例え失敗しても笑わない人だっていっぱい居ますよ!) 今から出来ることをやる:先鞭を付ける孫さんに敬意を表します!   「政府は、足を引っ張る側には廻るな・過保護も逆効果」  (keniti3545)



ソフトバンク 苫東にメガソーラー 国内最大級 34万キロワット 来年着工
 通信大手ソフトバンク孫正義社長、東京)は17日までに、苫小牧東部地域(苫東)に国内最大級のメガソーラー(大規模太陽光発電所)を建設する方針を固めた。約480ヘクタールの未利用地に、一般家庭約10万世帯分の需要規模に相当する最大出力約34万キロワットの設備を来年中に着工し、早期の稼働を目指す方針だ。<北海道新聞11月17日夕刊掲載>