「71才の365日」11月20日(日)曇り12℃「東日本大震災」255日

*朝トレ:6時30分〜7時40分

玄関12℃、今シーズン初の0℃を体験 UP シューズの底にシャーベット状の氷を張り付かせて玄関へ戻ったのは4日前?7℃、9℃、12℃とはね。フィールドへ出ても生暖かい、余り好かないな〜この感じ。 それでも、けさも雨上がりの爽やかさはある。

 倒れた桜の木は、倉井さんの庭に疲れ切った様に横たわり何故か「切り倒された木」という感じがない。木材ってみんなそう言う感じでしたか。「死んでる木って余り見かけない」ものね。コース横の立ち枯れた雑木はもう死に体だねと思うことがあるけれど・・・。 この桜の木なんか、差し詰め倉井さん家の暖炉用薪になって軒下に積まれても「死んでる」とは見えないだろうし、「言われない」だろうな〜と思った。

 今日はこの陽気のせいか、前頭葉のアバウトなテロップが廻ってる、とぎれとぎれに・・・。空は曇天と言っても重い空ではなく雲の切れ目に青空も覗くという感じ。よく見ると雲が走っているのが解る。あれが見たいんですよ、あれ? そう「明けの月」二日見えないので・・・

 下り勾配「コースエンド」で、暫し立ち止まって天空を仰ぐ。狙いを付けた辺りに雲の切れ目が出来ないか見ていたが山嶺から「漏れ来る陽光が勝る時」、銀色に染まった雲が引きちぎられた形で「青空が覗く」。その辺ではまだ程遠い、走に戻り次の2本目、南のそらに浮き雲状態への変化が見えた。 もうチョット中空までその状態が広がるのを期待してまた立ち止まった。気持ちが通じた如くチョットだけ「山嶺離れた距離まで区切りある青空」が増えた、と思った瞬間「居た!」と思った。直ぐ消えたが確かに見えた、ただ様相が変わっている。 走りの間が空いて呼吸も楽しているので「おい走れよお前!」とテロップに大文字が浮かぶ。

 一本走ってコースエンド、又「居た!見えた!」間違いない! さっき見た姿だ「三日月」に変身している。二日前半月になってまだ少々「お腹の出た半月」と記したのに、位置も益々東へ(南東へ)移動している。その後は東南の空に青空は出現しなかった。 大いに「気は済んだ」「満足」と言うべきか。 但し、「メニューは質も量もがた落ち」走の10本は確保も、強歩行はとぎれとぎれの10本しか数えてない。 「4km未満」の 「B の下」で終了。
帰路行き会い人無しも遠目にジャッキー&神山さん・もう一組どなたか散歩犬組がお出でだった。





*「東日本大震災」255日


今日の一題 原発事故の先例にフクシマが重なる!」

被 曝チェルノブイリベラルーシの経験から福島第1原発事故を考える-甲状腺がんの不安 (MSN 産経ニュース 2011.11.19)


 女性の首から胸のあたりには、ネックレスのようなU字型の傷跡が残り、のどには筋肉を切除したくぼみがあった。

 「今はなるべく気にしないようにしている。そうすれば他人も気にしなくなるだろうから」。


そう話すリュドミラ・ウクラインカ(35)は、旧ソ連ベラルーシの首都にあるミンスク教育大で心理学を指導している。

 リュドミラは、1986年にベラルーシの隣国・ウクライナ旧ソ連)のチェルノブイリ原発で事故が起きた際、原発から北約300キロにあるモギリョフ市の祖母の家で過ごしていた。しかし、原発事故を知ったのは1年以上たってから。その間、森で採ったキノコや野いちごを食べた。周囲では放射能汚染の影響を心配しロシア側に避難した人もいたが、一家はつてがなく移住できなかった。

 事故から5年後の15歳のとき、健康診断でがんが疑われ、精密検査で甲状腺がんと診断。ミンスクの病院で摘出手術を受けた。胸やのどの傷は手術の際のもので、傷を隠すためにえりの長い服を着るなど精神的に苦しんだ。

 現在も毎日ホルモン剤を飲む生活が続くが健康状態は良好だ。ただ、6歳の長女、アンナが体調を崩すたび「放射能の影響ではないか」と不安になる。「あのときロシアに知り合いがいたら…」と声を落とした。

 甲状腺の定期検査をしているブレスト州立内分泌(ないぶんぴつ)診療所所長、アルトゥール・グリゴロビチ(44)は「1グレイ(グレイ=吸収放射線量)以上の放射線を受けた人には遅かれ早かれ影響は出る。影響は100年は続くだろう」と断言した。
  ■  ■  ■

 (91年に独立したベラルーシは人口約970万人で面積は日本の半分程度。チェルノブイリは国境に近い。)

 事故は86年4月26日に起きたが、旧ソ連はすぐに公表せず、海外からの指摘で発覚した。事故後1週間で原発から半径30キロの住民は強制移住させられたが、それ以外の地域では長期間事故を知らずに過ごした住民もいた。

4年後からベラルーシウクライナでは子供の甲状腺がんが多発。事故で広範囲に放出された放射性ヨウ素が原因とされる。

 ヨウ素は、新陳代謝に必要な甲状腺ホルモンの合成に欠かせない必須元素で、特に成長途上の子供の甲状腺にたまりやすい。だが、体は放射性か、そうでないか区別できない。

原子力事故の際には放射性ヨウ素を取り込む前にヨウ素を満たすためにヨウ素剤の服用が予防になるとされる。ポーランドではこの薬品が配布されたが、ベラルーシでは配布されなかったという。

 ヨウ素は海藻に多く含まれるため、内陸のベラルーシでは慢性的にヨウ素が欠乏し、取り込みやすい状況があったとの指摘もあるが、結果的にベラルーシでの0〜18歳の小児甲状腺がんの患者は事故後14年間で882人。

事故前11年間の患者が7人だったことと比べると劇的に増加した。一方、ベラルーシの西隣のポーランドではほとんど出ていない。
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 東京・霞ケ関文部科学省で10月に開かれた福島第1原子力発電所事故の勉強会。ホルモンの働きを診る内分泌外科医として医療に携わり、現在は長野県松本市長を務める菅谷昭(67)は意見を求められ、チェルノブイリ原発事故の教訓を生かすべきだと訴えた。

 菅谷は事故から5年後、日本の医療団の一員に加わり、ベラルーシを訪れ、原発事故による甲状腺がん患者の治療に携わった。

 その経験をもとに菅谷はいう。「チェルノブイリの低濃度放射能汚染地帯で何が起きているのか。福島のこれからのために知るべきことだ」

       (敬称略)

     ◇

 旧ソ連ウクライナチェルノブイリ原発事故から25年。9月に隣国のベラルーシを訪問した日本医科大の清水一雄教授を団長とする健康被害調査医師団に同行し、事故の影響が続く現地を取材した。ベラルーシの経験から福島第1原発事故を考える。



*「フクシマ」では、事故直後「政府・東電の怠慢」で「有効時間内のヨウ素剤投与」が出来なかった経緯がありこれは正に犯罪にも匹敵する「職務の怠慢」ではないのか!? (keniti3545)

放射能被爆を「大量に、負ってしまった同胞が沢山いる」こと。「日本人は全て、そしてこれから生まれてくる我々の子孫も全て(数値の高い、低いは、あっても)、被爆を受けなければならない事が事実であり、現実」なのです。

「いかなる理由がある原発推進論者をも含めて、今・この瞬間の現状認識だけは共有するべきです。」 そして、この「脱原発」以外の人々にも「この共通認識」を、「のど元過ぎれば・・・」にさせない様に導くのは「脱原発」を正論と信じている「70%の国民」の義務です。 (keniti3545)