「71才の365日」10月30日(日)曇り9℃「東日本大震災」234日

*朝トレ:6時40分〜6時45分

一桁でも9℃はね、さすがに女房殿お勧めのダウンベストも玄関へ置き去りにして家を出た。曇天といっても6時40分は朝の明るさだ。門の外へ出てもクルマ走ってない、ん、日曜日の朝か。 

 階段上ってフィールドへ出ると、川原向こうの国道20号線からクルマの走行音・排気音が騒々しい、ん、日曜日の朝か?! 家の前とは様相が違う、そうよな、 「紅葉まっただ中の日光」、いろは坂華厳の滝中禅寺湖→戦場ヶ原・小田代ヶ原→千手ヶ浜→菖蒲ヶ浜→高徳牧場→湯滝→湯の湖・・・ずーっと一本道のスタート地点いろは坂直前の我が細尾町でした。

 毎年、この時期は「ウナギの寝床」の様な一本道を観光客の皆さんにお譲りして、朝夕は家を出ない生活を少々恨めしく思う事もありました。が、今年は「二社一寺」を有する市街地も、中禅寺湖もお客さんの数が少なく頭を抱える商店主さんも多かったようですがここへ来てようやっと活気を取り戻しているようです。

我れも対岸からですが応援します、まだクルマはすいすい走ってますよ、紅葉も見頃です、お待ちしておりま〜す! 息が切れました。走15本歩行13本「中の上級」朝トレも完了です!帰路の行き会い人なし。




*「東日本大震災」234日


今日の一題 原子力教育」と「原発


朝日新聞

原子力と教育―「不確かさ」を学ぶこと}

 放射線の授業がなくなる一方、国策に沿った原子力教育は進められてきた。これからは危険性と利点とをきちんと教え、科学的知識をもとに自ら判断する力を身につけさせる、そんな教育が必要だ。

 ↓全文です

原子力と教育―「不確かさ」を学ぶこと 原子力放射線のことをどう教えるか。原発事故の後、先生たちが頭を悩ませている。

 日本の教育の場には、長い長い空白があった。

 「放射性元素の原子は、放射線を出してほかの元素の原子に変わる」。中学校の理科でこう習ったのは、40歳代半ばから上の世代だ。1980年代以降は「ゆとり教育」で学ぶ内容が減らされ、放射線にかかわる授業はなくなった。

 一方、原発推進という国策に沿った「原子力教育」は進められた。教科書検定では、原発に触れた記述にたびたび意見がつく。「原発から放射性物質がもれることはない」などと記した副読本を、政府が配った。

 ただ、そうした教育に熱心な先生は多くはなかった。賛否が分かれることは、避けるのが無難。そんな空気もあった。

 結果として、原発やその問題点に無関心な国民が数多く生まれた、とは言えまいか。教育界も反省を迫られる。

 次の春から本格実施される中学の学習指導要領では、3年生で放射線の授業が復活する。自然界にも放射能があること、医療で使われることを解説し、その有用性に力点が置かれる。事故の前に決まった内容だ。

 原発事故を受け、文部科学省は小中高校生向けに、それぞれ新しい副読本をつくった。

 さすがに原発の安全性を強調する記述はなくなり、放射線の人体への影響や、身を守る方法にページを割いた。「低い放射線量を受けた場合、がんになる人が増えるかどうかは明確ではない」とも説明。福島事故による放射能汚染の広がりには、踏み込んではいない。

 空白を埋めるには、まだまだ不十分だろう。研究や実践を重ね、地域の声も聞き、新しい授業を組み立てるしかない。

 「放射能放射線はどう違うの」。見えないだけに難しい。でもそうしたことを入り口に、身を守るための学びが始まる。無用な不安や偏見を生まないようにすることも大切だ。

 そのうえで、放射線の危険性と利点をきちんと教える。事故のことや原発をめぐる議論も、子どもに投げかけてほしい。異なる考え方を理解し、科学の知識をもとに自ら判断し、行動する力を身につけさせる。

 日本の先生たちは、正解が定まらないこと、不確かなことを学ばせるのは苦手だった。

 けれども、放射線のリスクに向き合い、原子力のあり方を考えることは、これからの世代にこそ切実な課題である。
 教育の役割は重いのだ。



日本経済新聞

原発の耐性調査は説明と検証を尽くせ」

関西電力大飯原発3号機のストレステスト(耐性調査)の結果を提出した。テストの意味と内容を関電と政府は国民に丁寧に説明し、テスト結果の検証過程を公開すべきだ。

 ↓全文です

http://allatanys.jp/oclk?page=C0005&pos=1&pid=N0000&cid=20111030NEN29112&oid=DGXDZO3603607030102011PE8001&url=http%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Fnews%2Feditorial%2Farticle%2Fg%3D96958A96889DE1E4E2E1E4E2E5E2E1E2E3E2E0E2E3E38297EAE2E2E3%3Fn_cid%3DDSANY001

全文の書き興し出来なくて申し訳ありませんが、結びには下記文言が示されています。

 どこまで安全に余裕を見れば「十分な安全がある」と国民の多くが納得出来るか。様々な社会的要請の間でバランスをとる政治の判断が求められる。
 野田義彦首相はじめ関係閣僚や自治体の首長は、多様な観点から総合的にみて再稼働の可否を判断してもらいたい。
 



*さすがに、国民世論の70%越えのコンセンサスを無視は出来ず多様な観点から総合的にみて再稼働の可否を判断せよ。と結んでいる。 しかし、政府も自然エネルギーの検討、段階踏んだシフトをも約束しているのだから、此方の進捗を促す文言を入れ込んで国民の意を汲む姿勢も欲しいところだ。 「十分な安全」なんて、無いんですよ、「また安全神話」を作り出すつもりですか? (keniti3545)

例え再稼働に舵を切るにしても、「エネルギーシフト」の構想は約束させておきたい。物を作り出す、生産の場で「事故0」はあり得ない事は周知の事実ですし、事故の起きない時間の中にもどんどん貯まっていく処理出来ない核の「うんこ」はどうするのかも誰も返事出来ないでいる現状。 時間は掛かっても「絶対に脱原発は成し遂げなければならない」日本の「優先事項」、どの段階の、どんな小さな課題の中でも一歩ずつ前進する事が肝心。 (keniti3545)