「71才の365日」10月1日(土)晴れ12℃「東日本大震災」205日

*朝トレ:6時30分〜7時30分
 昨朝より更に気温高い、「全然寒くない」と言うより今日はハナから白い手袋はW.ブレーカー上衣のポケットに入れたまま、そうだよ、「これなら上衣も要らなかった」なと思いながらコースin 。玄関出る時何の為に温度計見てるの? 昔のように「寒暖計」と呼べば我れの「アバウト」な前頭葉も、少しは考えを巡らせたかも知れないけど、「後の祭り」でした。

歩行2本目にして、上衣脱ぎ捨て「走」入りだ。体調は昨日に比べれば格段の「ハイレベル」、その調子で3本目から走に入ったのだが、20本こなしたところで再び歩行へ移ってスローダウン、今日はストレッチに時間掛けようか等と余裕の考え。 ところが歩行8本分の時間(8本×2分=16分)が消えてしまう! 後日ついでの時謎解きしたいが、全くアバウトな結果で「得して損した」のか? 「損して得取った」のか?解らない。 帰路散歩犬のご婦人遠目にあり。

 


*「東日本大震災」205日

今日の一題 放射能から子孫を守りたい」
カリフォルニアラジオ草紙 さんから転記させてもらいました。 (keniti3545)

(まえがきから)

前文略

 しかし、放射能はどんなに微量でも、将来の子供達に対して取り返しのつかない危害を加えます。すでに、福島はもとより関東・東北地方でこれから生まれてくる子供たちに、福島第一原発から出た放射能は大きなリスクを負わせてしまいました。将来の世代に、今以上の危害を加えてはいけません。

 略

 そこで、放射能の遺伝的なリスクを解説するパンフレットを作成しました。このパンフレットが、若い人の遺伝子を守ることに貢献出来る事を願います。


 本文のレジメ
第1章
耳無しうさぎの警告

第2章
重要な遺伝毒性

第3章
チェルノブイリ原発事故の被害

第4章
放射能を避ける

第5章
放射能を防ぐトッピングメニュー
NPO法人 食品と暮らしの安全基準  代表:小若順一 2011年9月22日


放射能から子孫を守りたい」

冊子内容全文です ↓ クリックして下さい

http://tabemono.info/shuppan/hon/d0030.pdf


被爆してしまった子供達 

被爆してしまったお母さん、と生まれてくる子供達  私たちは自分の子孫を傷つけてしまったのです!


*この「国」と「国民」は、この「被爆した子供達を守る事」、「幸い被爆してない子供達を守る事」、そして「二度とこの環境を作り出さない事」を実践しなければならない義務があるのではないですか! 政治屋さんも強く自覚して下さい! (keniiti3545)




もう一題読んで下さい  「今後も一緒に暮らせない家族がどれだけ出来てしまうのか

望郷 不安 揺れる 論評・講座朝日新聞10/1

 東京電力福島第一原発の事故で設定された避難区域のうち、緊急時避難準備区域が解除された。「すぐ戻りたい」「放射能への不安は変わらないので帰るつもりはない」。住民の思いは分かれる。ふるさとへの帰還が一気に進むわけではない。


■帰還めぐり家族「分断」

 福島県広野町の松本一夫さん(67)は、妻のシヤウ子さん(66)と同県いわき市仮設住宅に住む。「すぐにでも戻りたいよ」。区域解除に思いを募らせた。

 夫婦と長女(41)、その夫(42)、小学1年と4年の孫娘2人の6人家族だった。震災後、避難先を転々として今の仮設に。手狭なために、長女の家族は別の場所で暮らす。

 自宅は、親から譲り受けた土地に建てた洋風の家。2階に広々としたテラスがあり、夏にはみんなで花火を眺めた。震災で柱がねじれ、テラスも傾いた。「建て替えた方が安く済む」と大工に言われ、取り壊して建て直すと決めている。

 だが、いまと同じような大きさは必要ないかもしれない。「8畳一間に風呂と台所が付いただけの家になる」と苦笑いする。

 長女の夫は「放射能が心配なので子どもは戻さない。だから家は建て直さないで」と伝えてきている。シヤウ子さんも「孫が帰れない町にいても寂しい。私も戻らない」。

 町で生まれ、若い頃に東京などで暮らした以外はずっと住んできた。「広野はいるだけで気持ちが安定するんだ。生きられてもせいぜいあと十数年。町で神棚の番兵でもしながら暮らしたい」

 避難区域に指定されたころは、解除までに2、3年かかると考えていた。解除の話が聞こえてくると「予想よりはずいぶん早い。除染も何も終わっていないのになぜ今なんだ」と疑問を抱いた。「解除はたしかにちょっと前進。せいせいした気持ちになるのは、もっと先だよなぁ」

 町は来年度、町民に帰還を呼びかける。松本さんもそれにあわせて帰るつもりだ。その頃には若い人の考えも変わり、家族みんなで暮らせるのでは、と期待している。(釆沢嘉高)

■街は閑散「まずは除染を」

 南相馬市では、市役所などの機能が緊急時避難準備区域内にあり、すでに戻っている住民が少なくない。

 同市原町区の湊貴子さん(42)は、夫(43)と5人の娘と県外に避難した。夫は数日で戻り、4月には高校3年の長女(18)と高校1年の次女(16)が市内の賃貸住宅に。8月上旬、湊さんと小中学生の娘3人も戻ってきた。

 「避難生活が長くなると家族がバラバラになってしまうと思った。長女の就職活動を支えたかった」と湊さんは言う。

 区域は解除されたが、「放射線量が下がったわけではない。不安です」。庭に出ない。草むらや側溝には近寄らない。そんな家族のルールをつくった。

 JR原ノ町駅駅前通り。城田隆司さん(49)が営む酒店の窓ガラスに9枚の紙が貼られている。取引先の飲食店が営業を再開するたびに店名を書き、通りから見えるようにしてきた。だが、6月から紙は増えない。

 店は4月に再開したが、売り上げは以前の3割から半分。商店会の約30店のうち営業しているのは5店ほどだ。

「区域解除したからといって人は戻らない。除染が先。順序が逆だ」。国のやり方に疑問を感じる。(斎藤茂洋)

■「賠償、戻ったらなくなるのでは…」

 緊急時避難準備区域が解除されると、東京電力による賠償の対象から外れるのではないか、との懸念が住民から出ている。

 「解除後は自主避難扱いになり、賠償はなくなるのでしょうか」。南相馬市から、小学生の娘2人を連れて秋田市に避難している女性(39)は気をもむ。12月に戻ることを考えているが、「子どもを危険にさらしてまで戻りたくない」とも思う。

 福島県郡山市に避難している同県川内村の渡辺隆信さん(74)は営んでいた八百屋の営業を再開できずにいる。「区域解除されて戻ったら賠償打ち切り、じゃ困る」と心配する。

 政府の原子力損害賠償紛争審査会によると、解除された住民への賠償がいつ終わるかは決まっておらず、議論はこれからだという。