「71才の365日」8月14日(日)晴れ20℃ 「東日本大震災」157日

*朝トレ:6時20分〜7時20分
・昨日は、我れが下準備したお墓へお参りしたチビッコギャング。その後もパパと2週間振りの甘えっ子振り、今日も早起きは成らず。 我れの一人舞台、フィールドは露玉が大きく、多い、今日は露草を踏む優雅な足運びではない。露玉を蹴散らしながらの前進だ。カラスのご夫婦がタイミング良くお出迎え、ありがとさん「お早う!」。

大谷川の水量、轟音変わらず(ダム事務所の担当さん12日いっぱいと言っていたが・・・)、最高のロケーションに体調も呼応、今日もギャラリーは少なそうだし久しぶりにタイム測定を入れるか。

・コース80メートル:往復は160メートル

・往路上り勾配80メートル歩行: 60秒
・復路下り  々   々  : 60秒  *歩行1本とは=60+60=120秒→160メートル

・往路上り勾配80メートル走 : 30秒
・復路下り  々   歩行 : 90秒  *走 1本とは=30+90=120秒→160メートル

・歩、走行距離:3、200メートル、 総時間:40分+(クールダウン20分)=60分 以前からの変化無し。只このところ走15本とかへは敢えて挑戦せず。皆さんに心配してもらって、押さえて押さえての道行きです。

・帰路「クーちゃん」に行き会いお早うの挨拶交わす。(散歩犬その2大金さん家のヨークシャテリア)  

*チビッコギャング一家は勢揃いで「中善寺・湯元方面へハイキング」に出発! 「ジイチャン辞退」、女房殿はしっかり参加、身支度も格好良い。やる気満々だ! はい、洗濯物は見張り、取り込み引き受けました!



*「東日本大震災」157日
今日の一題


 「鶏小屋の2階」  (毎日のわたしの-3 武田先生)

(「311」に鑑みての一題に値するかは疑問ですが、比較検討したい課題がありましたので、末尾に記述 keniti3545


あるテレビで、

「なにか人生でやろうとすることがある時には、鶏小屋の2階に案内されても気がついてはダメだ」

と言ったのですが、スタジオでは短い時間でしたから十分にはいえませんでした。

・・・

人間に人生をかけたいこと、本当に人を愛しているときなどには「細かいこと(鶏小屋の2階が自分の住処)」には気がつかないということです。私もあまりに夢中になっていると部屋の温度がわからないという性質があり、暑さも寒さも感じません。

でも、人生は「自分の人生には関係ないほど小さなこと」にとらわれがちで、その結果、本当にしたいこと、本当に愛していることがないがしろになります。

この際、自分が本当にしたいこと(「毎日を笑顔で過ごしたい」というようなことを指しています)はなにか、それを考えるには「鶏小屋の2階」は参考になる話と思います。
平成23年8月13日 午前10時)武田邦彦


武田先生の解説録音(2分30秒)
       ↓ 

http://takedanet.com/2011/08/post_aafa.html


*我れはよく自分の部屋を、独房(独居房)と好んで呼びます。 我の場合は武田先生の様な高邁な意義付けは出来ませんが。多分一生掛かっても実現出来ない、夢への「憧れの部屋」なんでしょう。煩わしさから逃げるための部屋ではなく、「考えることの出来る空間」がほしいのです。 

「煩わしさから逃げる」:「独房に入る(居る)」 両者は似て非なる行為です。 「考える」と言うことは、煩わしさから逃げるのではなく、その解決策を生み出そうと努力することです。若い内はこの違いを理解することは難しいことでした。 武田先生の例えの中では、その違いに気付かずして命果てる人も少なくはないのでしょうと言ってますね。 (keniti3545)