「71才の365日」7月29日(金)雨19℃ 「東日本大震災」141日

*朝トレ:6時20分7時30分

5時から待ったが、チャンス来た!貴重な雨間、防雨ウエアーは上着だけで良し、玄関飛び出しコースまで足が独りでに速まります。 昨日の分も取り返したいのか?普段の家中独房では、「よいしょ」、「どっこいしょ」とそれなりの年齢感じる瞬間多いのだがここへ来ると「シャキッ」とするねいつもの事ながら。人は一生、こんな場所なり、時間が必要だと思うのですが!? 今日は訪問のお客様もなく、カラスのご夫婦も電線上と倉井さん家の庭、低い柵、高い柵を行ったり来たり忙しく余り我には興味示してくれない。脇林も、ウグイスA君の声は影を潜め、先日来の「チューチョ、チューチョ」が主力、インターバル長く賑やかさはない。川原の雀、モズ、オナガ等もお目(耳)に掛かれない。今日は「前頭葉にアバウトな想い出テロップも廻らない」ので、歩行・走の実態を暫くぶりで検証した。

1 距離80メートルは、目標物と共に何度も確認済み

2 上り勾配の、走 5本測定 平均は35秒

3 下り勾配の、歩行 5本測定 平均は85秒

4 ∴日々の呼称で 走1本=35+85=120秒=2分  歩行1本=85+85=170秒=2.8分  

5 現在の目標は 走=15本=30分 歩行=10本=28分 クールダウン=12分 計=1時間10分 (帰路8分は含めず) 
*びっくりした!思考アバウトの我れなれど体に刻んだ時計には狂いがない。 走も歩行にも1本(往復の呼称)あたり3秒を超える誤差はなかった。 「気持ち良い」帰路に行き会い人無し。

*大阪の敏正殿、ご心配掛けない範囲でまだまだ走り続けますので「時々活を入れて」、応援もして下さい。 





*「東日本大震災」141日

今日は二題


[1] 官民の共同作業

[2] 管民の心結べず



[1] 官民の共同作業 (無事発足出来るか!)


東日本大震災:記録をデジタル化、アーカイブスに…防災研」
 東日本大震災の映像や証言を集め、インターネットで公開する官民のプロジェクト東日本大震災・公民協働災害復興まるごとデジタルアーカイブス(311まるごとアーカイブス)」が始まった。震災の記録をデジタル化して後世に伝え、無償利用できるよう整備する。31日には東京都内で活用や保存の方法を考えるシンポジウムを開催する。
 防災科学技術研究所茨城県つくば市)が震災直後に提案し、システム開発に着手。市民団体、企業などが運営支援や機材提供といった協力を申し出た。

 その結果、これまでに被災者や公的機関が撮影した津波襲来時の映像など4万点以上が寄せられた。今後20年間を目安に、ボランティアによる支援や企業の復旧の様子を記録していく。また、災害対応に関する自治体の文書や被災者の証言、被災前の町並みなどの写真もデジタル化してアーカイブスに収める計画だ。

 95年の阪神大震災でも多くの記録が残されたが、各団体に収蔵され、利用面で課題があったという。今回は提供者らの許可を得て、誰でもネット上で閲覧できるデータベースを作り、防災教育や都市計画に役立てる。

 プロジェクト世話人で、同研究所の長坂俊成主任研究員は「今回の震災では、多くの市民が高品質の映像を撮影していた。散逸を防ぎ、人類の共有財産にしたい」と話す。

毎日新聞 2011年7月28日 12時04分(最終更新 7月28日 12時42分)


* 我れの日記71才の365日も是非我が家の「アーカイブスに」、そして復興の足跡を辿る道連れに! (keniti3545)



[2] 管民の心結べず

「無責任政治が生む[無関心層]」 (HUNTER)


 これほど「政治への関心」が失せた時代があっただろうか。高低の差こそあれ、いつの時代でも国民の政治への関心は存在した。
 自民党一党支配に対する怨嗟の声が充満しても、政治とカネで永田町が揺れても、1年足らずでコロコロと宰相が代わっても、政治に対する「関心」だけはたしかに在った。
 しかし、東日本大震災以後に現出した政治のあまりのふがいなさが、国民から政治への「関心」を奪い去ろうとしている。いまや国民の政治を見る目は"虚ろ"でさえある。

民主党の無責任
 平成20年夏の政権交代は、政治への期待が最高潮に達した瞬間だったが、民主党の幼稚な政治手法が、間を置かずして失望感を招いてしまった。
 埋蔵金の枯渇などによる財源創出の失敗、展望なきマニフェストの見直し、混迷をつづけた沖縄の米軍普天間基地問題等々、失態を数え上げればきりがないお粗末な政権運営ぶりだ。鳩山前首相や小沢元幹事長の「政治とカネ」の問題も、国民の民主党離れを招いた大きな要因のひとつであることは間違いない。

 政治不信に拍車をかけたのは、東日本大震災に対する政府の無策ぶりで、復旧・復興や福島第一原発の事故を、政治主導で解決することに失敗してしまった。
 とくに原発問題をめぐる朝令暮改ぶりは目に余る。突然、浜岡原発を止めたかと思ったら、運転休止中の原発の再稼動を進める方針を打ち出し、経済産業相玄海町長や佐賀県知事に再稼動容認を要請。しかし、その数日後には菅首相の発案でストレステストの実施を決め、再稼動要請の根拠となった原発の安全性に政府自ら疑問符をつけた形となった。
 この間、復興の指揮を執るべき立場の松本龍前復興相が辞任するなど混乱が続いている。

 一方、震災対策に「一定のメド」がついたら辞めると表明したはずの菅首相は、自ら「一定」のハードルを上げつづけ、未だに居座った状態。もちろん、国会が正常に動くはずがない。
 
 民主党のある国会関係者は「補正予算関連などの本会議などは開かれているが、ほかはまったく動いていない。多くの国会議員は、上京してグループ内の会合やちょっとした会議に出る程度。居座った菅さんをどうすることもできず、手をこまねいている状態。震災復興に本気で取り組んでいるのは被災地選出の議員ばかりではないか。これでは国会はいらないと言われても仕方がない」と自嘲気味に話す。
 たしかに、各地の原発再稼動問題などでも、民主党国会議員の発言は聞こえてこない。
 佐賀県在住の50代の主婦は、「原口一博さんなどの佐賀県の国会議員は、なぜ玄海原発の問題で発言しようとしないのでしょう。民主党の議員は九電労組におもねる姿勢がみえみえ。こんな連中に税金で高い給料を払う必要はないですよ」と手厳しい。
 政党支持率自民党の半分近くにまで落ち込んでも、かつてのダイナミックな動きは陰を潜めたまま、もはや政党としての体さえ成していない。責任感ゼロの政党に何かを期待するほうが無理ということのようだ。「テレビ画面に菅首相の顔が映し出されたとたん、チャンネルを変えたくなる」(福岡市在住、50代男性会社員)。「自民も民主もダメ。もう政治は結構。興味が持てん。国会議員やらおらんでも何も困らんよ」(同、40代女性)というコメントに、うなずく人も多いだろう。
 かくして「無党派層」ならぬ「無関心層」が生まれる。
 
原発を推進した自民党の無責任
 原発を「国策」として推進してきたのは自民党である。電力各社と自民党の間には、カネと票をからめた密接な関係が存在してきたことは明らかで、「脱原発」で自民に何かを期待するのは無理な話だ。
 電源3法交付金による原発立地自治体の懐柔策を作り上げたのは故・田中角栄元首相だが、カネ(原資は電気料金だが)で地域ごと買収する手法がどれほど地方を蝕んできたかは、原発マネーで歪んだ佐賀県玄海町の実状を見れば分かるはずだ。
 自民党政治資金団体国民政治協会」への電力各社の役員らによる多額の献金からは、「癒着」という言葉しか浮かんでこない。
 原発の「安全神話」は、政・官・業・学の合作によるものだが、「政」の主役は紛れもなく自民党なのだ。こうした過去について、党としての見解さえ明らかにせぬまま政争に明け暮れる姿に、国民の共感が集まるとは思えない。
 
 民主党の凋落と反比例して支持率が上がった自民党だが、同党が民主党から政権を取り戻すことには、多くの国民が危惧を抱いているのではないか。理由は、虎視眈々と復興利権をねらう輩が暗躍し、再び「土建国家」に戻ることが予想されるからだ。税金を使った公共事業を餌に、建設業界から票とカネを吸い上げてきた同党の政治手法が作り上げた国の形は、土建国家というより「収賄国家」と呼ぶにふさわしい。再び、同じ過ちを犯すことがあってはならないはずだ。
 
 国会論戦での同党議員による口汚い野次は、とても子どもに聞かせられる代物ではなく、建設的な議論など皆無の状態だ。政権奪取に固執するのは政党政治の常とはいえ、党を超えて震災復興に力を尽くす姿勢は見えてこない。
 久留米市の会社社長(60代、男性)は次のように話す。「昔の自民党は重厚だった。イケメンでもなかったし、口も重かったが、『国家』とは何かを真剣に考える政治家がたしかにいた。安定感もあった。利権漁りに長けた国会議員が増え始めてから日本の政治はレベルが下がった。自民党は狡猾だが、政治家としては自民党議員も幼稚だよ。国会中継など見たくもない」。

「無関心層」増大の危うさ
 2大政党制は、現政権や与党に対する不満を、選挙で他方の政党に委ねることで解消することができるとの考えは甘かったようだ。末期の自民党もひどかったが、期待された民主党はさらに政治不信を増大させた。危険なのは、国民の「政治不信」がさらに進み「無関心」へと変わっていくことだろう。
 「無関心」は、つまり政治や行政に対する監視の弱体化を招来することにつながりかねず、国が荒廃する前兆とも考えられる。決して看過すべき状況ではないのだが、自民、民主に取って代わる政治勢力はいまのところ見当たらない。公明党の福祉政策には共感する部分もなくはないが、国会で多数を占める勢力にはなり得ない。
 みんなの党をはじめ、その他の政党にしても、2大政党の隙間に咲いたあだ花的存在で、飛躍的に党勢を拡大することは困難な状況だ。
 
 民主・自民の闘争は、とても切磋琢磨とは言い難いものだ。結果、「無関心層」が増え続けることがこの国にとっての最大の不幸になるのだが・・・。



* 我れの日記で、図らずも切磋琢磨はあり得ない(無駄ですよ)と口走りましたが何時の事やら、しかもその相対は「管」さんと「小沢」さんを失礼ながら揶揄する言葉として発しました。

民主党幹事長の岡田さんと自由民主党幹事長の石原さんお二人に選挙に勝てるとお思いですか? 問うてお二人の本心を聞いてみたいです。 岡田さんはまず勝つとは言えないでしょうが、石原さんは本心から勝つと言い切れますか!

・こんな最中に、機は熟したりとほくそ笑む人は誰なのか!?前出のお二人、マスコミ騒ぐ前原さんは総理にしない方がよいと思います、ご本人も椅子に座ればボロを出し切り惨め見るだけと思います。 我れの希望としては、「謙虚で頑固」な人が総理になってほしいと思います。「単純?明快?」ではありませんか?! (keniti3545)