「71才の365日」7月11日(月)晴れ20℃ 「東日本大震災」123日(4ヶ月)

*朝トレ:5時30分〜7時

『昨日はスタートが遅れたので今日は、早めのスタート、時間もたっぷり取った。走20本確保は今の、我れの運動量としては上限だ。たっぷり汗もかけたし、最高級の「朝トレ」だった。』

一昨日関東地方の梅雨明け宣言、例年より大分早い様だが今朝の天気は正に「梅雨明けの夏空」だ。 コースへ入る前に電線上カラスつがいで発見。3〜4メートル距離於いて止まっている、コースin歩行に入って直ぐ「カラスが鳴き」振り返ってみると1羽居ない。

下り勾配エンドでUターン、上り勾配Uターン場所で倉井さん家の庭見ても「カラス」は確認できず。下り方向コース内歩を進めると「トンビ」が視野に入り「カラス」止まり位置より20〜30メートル離れた西(上り)方向電線上に止まった。 「パノラマ画面の両端にカラスとトンビのツーショット」 と、思っていたら、「カラス1羽」相方の隣へ降り立った。30㎝ほどの距離あり。

暫く動かず、最初に動いたのは「トンビ」の方だった。取り敢えずこれだけ距離あれば「ニアミス」も起きまい。ゆったりと舞い上がり、コース下・東方向へ飛び去った。 今日も川の流れは止まったまま、川原の「雀」も大人しい、群れ飛ぶ小鳥は目にするが鳴き声無し、コース脇林の「ウグイスB君」は我れの走の半ばに存在をアピールしてきた。上り勾配コース半ばのアーチ上の茂みから「ホーホケキョ」の高鳴き数回頭の上に響く。


又「トンビ」来た!羽ばたきなしでスーッと滑空!?気持ち良さそう!「カラス」との接触はない、「カラス」もすましてる。只、もう1羽は何処に待機か? 「トンビ」は川上へ飛び去った。今日は1羽での行動だが昨日、今日と連日姿見せている。初めて見た日に、「カラス」が「トンビ」を追い払うシーンだったので、又何か起きぬかと少々の「期待感」と「心配な気持ち」が交錯している。

カッコウ」の鳴き声も連日のメニューに入ってきた。走も終了間際、上り勾配エンドの4〜5メートル先、刈り込まれた芝(雑草)の上〜堰堤縁をよちよち歩き、「スリムだし尾も長い」、もう少しよく見たいのでコース外れて2メートル程寄った。よちよち歩き早めたので、歩を止めたが確認はできた。 

「カラス」と同等の大きさ、先日も見ているが「キジ」か「ヤマドリ」か判断付かない。頬と言おうか頭から「真っ赤」→これは雄であることも解っている。勿論鳴き声はないし、・・・次回のチャンスには「毛色を確認」できるようにしよう。

帰路に行き会い人はなかった。




*「東日本大震災」123日 4ヶ月
「4ヶ月経って」   新聞から二題


東日本大震災4カ月 現場が遠くなっていないか』産経新聞 7月10日(日)7時55分配信

 「がれきは『ごみ』じゃない。おれたちにはすべてが思い出なんだよ。それが早く処理しろ、処理しろ、だろ。やりきれないね」

 「『復興、復興』って言ってるけど、取り残されてるような感じだな。『疎外感』が募るばかりだよ」

 5月下旬、岩手県沿岸部の避難所を取材したときのこと。ある高齢の男性から叱責された言葉が今も胸に突き刺さっている。

 がれきを辞書で言うような「破壊された建造物の破片。値打ちのないもの」で片づけてほしくない。自分にとっては生活の痕跡なのだ。そして、政治や行政の動きが現場に対応し切れていない。男性はそう言いたかったのかもしれない。

 仙台市の中心街は活気を取り戻している。だが、沿岸部の現場は復興どころか復旧にもほど遠い。

 復興が叫ばれている。前を向こうとする動きはフォローしなければならないが、現実も忘れてはいけない。実に難しい問題だが、報道する立場としてはどちらが欠けてもいけない。

 3月11日、「被災地総局長」となった。できるだけ被災者と接し、被災者の目線に立ち、現場の姿を伝えていく。復興の流れの中でともすれば薄れてしまいがちなことが自分に課せられた使命だと思った。

 だが、復興へのビジョンが示され始めたころから、現場が遠くなっていった。県庁や市役所、県警本部などに落ち着いて中心街から発信するだけになってはいないか。沿岸部への駐在員を置かず、仙台の中心街から派遣しているからこそ、総局員にはできるだけ、現場に足を運ぶように−と指示している。

 宮城県南三陸町では3割以上の飲料水が復旧しておらず、一部の地域ではいまだに川で洗濯を続けているという。エアコンがない避難所では感染症の心配がある。仮設住宅に入れば「自力」を求められ、公共料金などの支払いが発生する。仕事を失い、義援金も届かない被災者には金銭的な不安が増幅する。

 宮城県村井嘉浩知事は復興への「10年計画」を示した。最初の3年間を「復旧期」、次の4年間を「再生期」、最後の3年間は「発展期」。すべてが終了し、復興となる考え方だ。今は復旧途上。だからこそ、現場の姿を伝えていく必要がある。

 現場には明るい話題だってある。6月下旬、生鮮カツオの水揚げ量日本一を誇る気仙沼港で待望の入港があった。すさんだ港町は大いに活気づいた。

 全国に「がんばろう!」のエールが巻き起こり、東北や宮城を助けようという気持ちは一つになった。もう一つの現場・福島は内陸部への影響も甚大だが、沿岸部もまた壊滅的な被害を受けた。「東北、宮城=沿岸部」という認識は今も共有されているだろうか。

 沿岸部の魚介類や農産物は日本人の胃袋を満たしてきた。沿岸部の自然は癒やしを与えてきた。日本全体がいつまでも現場に関心を持ってほしい。復興の名の下に置き去りにされないよう、今後も現場の姿を発信していきたい。




『避難所に2万4千人…がれき6割が手つかず』読売新聞 7月10日(日)3時2分配信


 東日本大震災は11日で発生から4か月となる。全国各地に避難した被災者は約10万人に上り、うち約2万4000人は依然として、学校などの避難所で生活を続けている。

 岩手、宮城、福島の被災3県で撤去されたがれきは、約34%にとどまる。東京電力福島第一原子力発電所の事故は収束のメドが立たず、求心力を失った菅首相のもと、最前線に立つべき復興相が交代するなど政治は停滞を続けており、本格的な復興への道筋はまだ見えない。

 警察庁の9日現在のまとめでは、震災による死者は6月11日より131人増えて1万5544人となった。行方の分からない人は5383人に上る。

 内閣府によると、6月30日現在、避難者は全国で9万9236人で、2週間前に比べて1万3000人余り減少した。ただ、避難者数には、岩手など被災3県で仮設住宅などに移った人数は未集計のため、含まれていない。避難先は47都道府県の1146市区町村に及んでいる。

 国土交通省によると、仮設住宅は8日現在、岩手、宮城、福島、茨城、千葉、栃木、長野の7県で計約3万7000戸が完成。このほか、約1万500戸が着工済みとなっている。必要戸数は当初、7県で計約7万2000戸とされていたが、被災者が民間の賃貸住宅に入ったり、他の地域に転出したりして需要が減ったため、8日現在で計5万583戸まで減少した。

 それでも、菅政権が目標に掲げる「お盆までに希望者全員の入居」については、宮城県の一部の自治体で用地確保が難航するなど、達成は厳しい状況となっている。 最終更新:7月10日(日)3時2分



◎「我れも思う」 「keniti3545」


*3・11大震災を 「テレビの画面で」津波の恐ろしさとしてリアルタイムで目の当たりにした人は多かったことと思います。例えテレビの画像であってもこの事件に立ち会った人は、これは一生忘れてはならないこと、誰かに伝えなければならないこと、と言う思いに胸を締め付けられる感覚に陥ったのではないでしょうか。

この自然災害に加えてもう一つ「人災事故」である「原発事故」は、未だ全容も解明されて居ません。

当然、収束のめどなど立ちません。しかも原発原子力)事故では収束と言う言葉の「実現性は乏しく」、例え100年経っても現在進行形の「有害」と言う物質と言葉が残ります。その「有害物質」の「悪影響」を最小限に止めるべく我々はこれから100年〜以上「核のゴミ」のお守りをしていかなければなりません。この事実について、「政府機関も、復興のイメージ・工程表なるモノを発表した」ところですが、国民の半数は最早この真実を知り得たのではないでしょうか。


「瓦礫と呼ぶなと叫ぶ被災者の切実なおもい」とは裏腹な言葉になってしまうかも知れませんが。この自然災害の負の遺産である瓦礫が消えた後にも、人災事故(原発事故)がもたらした負の遺産(多くは死の灰と活動の止まらない核のゴミ)は、後処理を続けながらその一方で、真実を「国民総語り部」となって「次世代へのバトンタッチを少なくても1000年」(西暦の半分は)は続けなければならないのでしょう。 「その覚悟が出来ない人は日本人にあらず」という法律でも作って自身の引退の花道にしては如何ですか「官総理大臣」殿!