「71才の365日」7月5日(火)曇り後雨20℃ 「東日本大震災」117日  

*朝トレ:5時40分〜途中降雨6時15分に逃げ帰る

舗道も、コースの地面もかなり水を吸っている。ご自慢の水はけもお手上げの様だった。ただ、今にも「晴」空に移行しそうな雰囲気なのだ。コースin前に倉井さん家の焚き火が炎を上げげている、陽が隠れたり、顔出したり薄い雲が流れている。山並みの中腹を流れる薄い雲は透けて後ろに緑の影が映ってる。

陽が刺す時には雲が山肌這う様に上昇して晴れてくるのかも、とさえ思わせた。繰り返すうち、陽が隠れた時の雲が黒く空が暗く感じるようになってきた。歩行5本で走へ入っていたがもうやばい!木の葉叩く雨粒の音もしてきた。「ウインドウブレーカー」を拾い、羽織ってコースエンドから走って逃げた! 普段のトレーニングが短距離走のスタイルなので、100メートルを超えると連続走は無理な我れ、雨粒が徐々に数多く、大きく、強く成っていく中を走って歩いて、又走り家まで八分掛かった。緊急時の行動もこれが限度。女房どの連れても10分程度の緊急移動は大丈夫だろう。ちなみに、我が家のロケーションは、東・西方向に「隣接空地」あり、広域避難所としてのキビタキ荘へは「徒歩3分」頭に入ってます。


ところで、トレーニング中には行き会い人無し、川原から、脇の林から鳴き声もなし。カラスも居ない。いつもなら、この状態で、注目する、(期待する・習い性の)情景が目に入って来ないと、我のアバウトな側頭葉が無差別の記憶を引き出し、これも又アバウトな前頭葉が「テロップに流れる記憶」にコメントを下したり、いい加減な判断を下す場面に遭遇するはずだ。が、今日は天候の変化を気遣っていたせいか、その場面も無かった。 「一日の起点に於いて、心身共に頗る付きの消化不良」! 




*「東日本大震災」117日

「今日の一題」

原発再開のための必須条件(2) 「必要性」と「安全性」の分離

今回の原発事故を起こした多くの原因の一つが「原発の必要性」と「原発の安全性」を切り離して無かったことが上げられる。

原発は必要だから、安全である」

という論理はきわめて強く主張された。

もちろん、必要性と安全性はまったく関係がない。

かつて私が1960年代に化学コンビナートに勤務したとき、ちょうど「必要だからやる」というのと、「安全でなければやらない」という議論が拮抗していた時期だった。

コンビナートには「安全第一」という旗が翩翻とひるがえっていたが、誰もが「あれは建前であって、生産が先だ」と心密かに思っていた。

当時、日本は戦後復興の時期を経て、高度成長の前夜にあたり、「生産第一」の時代だった。職場の雰囲気は「安全、安全って、なに言っているんだ。そんなこと気にして仕事ができるか!」ということで、現在の原子力はまだその時代にいるのだから、化学工業の40年前を彷彿させる.

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日本の電力供給が重要であることは言うまでもない.


でも、電力の確保は「安全に電力が得られる技術に限定される」のは当然であり、「必要性が高いから、危険な方法も選択できる」というのはあまりにも古い考え方だ。

今回の福島原発の事故で分かったように、生産工場では事故はきわめて大きな損失になる。生産を急いでもひとたび事故を起こしたら、全部、失ってしまう、というのが教訓だからだ。

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でも、原発の場合は違うかも知れない。

普通の会社の工場が爆発事故を起こしたら、付近住民に被害があったら、自分の工場の後始末をほって付近住民の窓ガラスを直したり、飛び散ったものを回収してきたりする。

ところが今回の原発事故では、当事者の東電は福島原発にだけかかずらっていて、さっぱり被災地の人を助けに来ない。

汚れた大地を除染もしないし、除染した土を回収にも来ない.「電気会社は特別だ」と言わんばかりの態度である.


このことは、やがて「不安全でも原発を再開する」ということになるだろう。

でも、やがて数年後からでる被曝の疾病ばかりではなく、すでに子どもを疎開させたり、せっかくの休日も公園に遊びに行けなかったり、生活に大きなダメージが拡がっている.

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まずは50年も遅れている電力の「生産と安全」の関係について、再開までにハッキリさせ、「原発は必要だから安全」という考えを捨てて、「今回の原発事故の原因と対策を実施し、その上で日本が原子力を続けることを国民で確認して、再開する」という多くの工業分野ですでに当然となっている、手続きを踏まなければならないだろう。

平成23年7月4日 午前11時 執筆)武田邦彦


*武田先生の論調が弱まっている様な気がしますが・・・? (keniti3545)





放射性物質を「無毒化」する力は人間にはありません (小出裕章 6月6日) YouTube

   2011年7月4日 画面も見やすくして [あらためてUP] 


録画 ↓12分です
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=m3sKmHuSJb8


書き起こし

小出氏「再処理施設があろうとなかろうと生み出した放射性物質を「無毒化」する力は人間にはありません。はい。ですから昔からトイレのないマンションと言われましたけれども、自分が生み出すゴミの始末を知らないまま、ここまできてしまっているわけです。で今、日本には54基の原子力発電所がありますので、おおざっぱにいうと、1年ごとに広島の原爆が産み出した核分裂生成物の5万発分を生みながら電気を起こしているということになってるわけですが、その生み出した核分裂生成物の始末の仕方を人間は知らないという、状態でここまで来ている、わけです。埋め捨てにされてしまう場所に狙われた地方の財政が破綻した小さな自治体はいくともこれまでありましたけれども、そういう自治体でも、さすがにこのゴミは嫌だということで、どこも引き受けてのないまま今日まできてしまっている。放射能のゴミを押し付けるなんてことは私はやるべきではないと思いますし、どうしてもやる、と言って、地面に埋めれば安全だというなら東京に埋めて欲しいと私は思います」

小出氏「今即刻やめたときにはですね、火力発電で原子力をやめたぶんを補うしか無いと、私は思います。それでしばらく、まあ乗り切っていくと。何十年というくらいはそれで行くしか無いだろうと思います。いずれにしてもその、原子力で使うウラン、あるいは化石燃料というのは、地球が46億年という歳月をかけて蓄えてきた資源なわけですね。それを掘って使ってしまえばどっちにしろみんななくなっちゃう、です。ですから今のようなやり方でウランを掘って使う、あるいは化石燃料を掘って使うことは、早晩破綻するということは分かっている、わけです。ですからどういうエネルギー源に向かわなければいけないかというなら、最後は太陽しか無い。すがるのは太陽しか無いのですけれども、人間がどうやって太陽のエネルギーを使えば環境を破壊しないで使えるかということを一刻も早くその研究を初めて、少しずつそちらにシフトしていくということが必要だと思います。」


*既に政府は、「東日本大震災復興構想会議」による“復興への提言〟を6月25日に受けているが、「国家の再生」に向けたエネルギー問題に関する「復興計画」は。小出先生のおっしゃる「無毒化は出来ない核のゴミ」の後処理に取り組まなければ成らない最中にあって、次世代への被害を少しでも軽減すべく最大の努力をしていかなければならない。

・何の力も持たぬ我れとしても、何度でもこの恐ろしさを噛みしめて、声にして後世へ届ける一助を担いたいと思う。先ずは7月末までに政府が策定するという、「2011年度・第三次補正予算案」や「2012年度当初予算案」の概算要求などに問題はないか、注目していくことも必要だろう。 (keniti3545)