「71才の365日」7月3日曇り21℃ 「東日本大震災」115日

*朝トレ:5時50分〜7時10分
倉井さん家に焚き火、オレンジの炎1メートルは上がっている、庭の隅に積み上げられた木っ端の山は既に無く今は燃しかすの灰と花壇菜園からの除草がこんもりと、食べ物の残りものも工夫を施しこれら全ての混合によってバイオ肥料をつくっており、花壇・菜園に施すとのこと。 倉井さんの暮らしぶり、尊敬に値します!


考えてしまいます、今被災地に二つの姿があります。

岩手県大槌町では「廃材で復興の蒔き」をつくって商品化しました。

◎一方、福島原発からばらまかれた灰は「死の灰」として一生人間を苦しめます。


◎◎同時に起きた災害ですが、瓦礫を作ったのは自然の驚異。しかし、人間が作りだしたのは人間が処分できない死のの灰です。 人間も、分をわきまえて「欲をかきすぎた事」反省すべき時です。


・カラス居ませんでした。 ・カッコウも鳴き声無し ・コース脇の林も川原も鳴き声元気なし ・熊蜂の攻撃無いのは幸い。

・雲と空、低くはない空(雲)だ、コースに入って最初に向かう方向は「東」その東の空、全面雲に覆われながら黄金のボールが半分半円形に見える(雲のフィルターがあるから輪郭が見えるのだろう)、もっと妙にみえたのがぐるーっと囲む山並みの上に掛かる雲が波打ち、全体にモルタル塗った跡に凹凸の波が残ってしまった様に見える。太陽の輪郭が見える部分も同様。 そんなことを考えて見上げているいちに、「中空」ができた。雲が一面銀白色に、きれいだ!

本日走21本 頑張った! 帰路行き会い人無し。今日はトンボが見えない!



*「東日本大震災」114日

「今日の一題」

「節電」は本当に必要なの?(3) (電力消費の基礎知識を2,3)

・第一回に日本の電気代が異様に高いのは、電気会社がサボって「稼働率」が低いまま、工夫をしていなかったことを明らかにした。

・第二回に東電が計画停電をしたのは、

1) 発電量は十分にあるのにジェスチャーだったこと、

2) 「津波原発がやられた」というのはウソで、「地震で火力発電がやられた」のが主たる原因だったこと、

であり、言いたくないことだが、東電は芯からウソつき体質なのだろうか?

もし、東電が事実を言えば、次のようになる。

福島原発1号機から4号機では地震津波で、大量の放射線漏れの事故を起こし、大変、申し訳ありませんでした。

この事故で現実に電気が作れなくなったのは、弊社(東電)の発電量のわずか3%です。

しかし、火力発電も含めて地震対策ができていなかったこと、設備はあるのですがそれを十分に活用していなかったこと、から、電気が足りなくなる可能性もあります。

今のところ、お客さんが少し節電していただければ、2倍の発電量を確保できる見通しです。」
正直に言った方が、良かったように私には思えます.
・・・・・・

・ところで、次の段階に進む前に、少し「電気のこと」を整理して起きたいと思います。

まず、日本は経済的に高度成長を遂げてきましたが、その中でも特に電気の消費量が増えました。

グラフからわかるように、昭和27年を1(イチ)とすると、平成20年頃には、GDPは13倍にもなりましたが、電気の消費量はさらにその3倍の36倍にもなっています. (グラフ貼り付け無しですいません)
私たちもずいぶん、電気をふんだんに使った贅沢な生活になったものですね。

・・・・・・

・かつて暖房といえば石油ストーブ、冷房はほとんど無しというのが日本人の生活でしたが、それが徐々にエアコンに変わり、さらには「オール電化住宅」になったのです。

・石油ストーブなら石油の持っている熱を100%使えるのですが、電気は作るときに重油の熱の3分の1しか電気が起こらず、さらに送電や変電の時にロスをするので、現実には設備を作るときに使う石油も含めると、電気というのは、10%の熱が使えれば良いというほどのものです。

・でも石油を運ばなくても良いこと、ヒートポンプなどの高度な技術が使えること、それに部屋がクリーンで火災の心配が無いことなどから、所得が増えるとどうしても人間は電気になってしまいます。

・・・・・・

・ところでさらに「季節」と「時間」によってどのぐらい電気の使い方が変わったかを東電の資料で見てみましょう.まずは季節の変動からです.  (グラフ貼り付け無し)

昭和43年には東電は1000万キロワットを発電すれば良かったし、季節毎にほとんど変化はありませんでした。

・夏は冷房を使わず、団扇、打ち水、風鈴などで涼しさを求め、冬は石油ストーブを使っていたからです.それでも「熱中症」のようなものはほとんどありませんでした。

・一つには自然の中での生活で、汗腺が発達して自分で体温の調整が出来たこと、都市の設計が亜熱帯に近い日本にあったものだったことなどが上げられます。

・今では、エアコンがなければ生活が出来ない感じですし、「熱中症」になる人も増えました。現在では気候の良いときには4000万キロ、気候が悪い時期には6000万キロにもなっています.

それでも電気会社は、オール電化、電気自動車などさらに電気を作ろうとしていたのです.

・次に、一日の中での電気消費の関係ですが、このグラフのようにかつてはかなり低かった電気の消費量がドンドン増え、今では7月には「夜間が3000、昼が6000」という状態です. (グラフ貼り付け無し)

・昭和の間は、電気を使うと言えば家電製品の普及でしたが、平成になるとエアコンが増え、昼間の電気は3000から6000に跳ね上がっています。
・・・・・・・・・

一見して奇妙に思うかも知れませんが、これは
「エアコンの技術開発」
が進み、

「安くて省エネタイプのエアコンができた」
ことによります。

新技術ができることは良いのですが、それによってエネルギー消費量が増えるというのが産業革命以来の私たちの社会で、エアコンの値段が高く、電気代が高いと誰も買わないのですが、エアコンが数万円で買えるようになり、電気代も安くなると、多くの人がエアコンを使い、その結果としてさらに電気の消費量が増えるのです。

「一つの製品の省エネは、日本全体の増エネになる」
というのは学問的な真実です.

みんなが電気を使うようになった、夏にエアコンがなければ生活できないようになった、都市の設計がエアコンが前提になった、太陽活動が盛んになり夏が暑くなった・・・などが原因して、今では東電は6000万キロを準備しなければならなくなったのです。
平成23年7月02日 午前8時 執筆)武田邦彦




      「生徒達が備忘の心を歌に綴って宇宙に預ける!」
悲しい中にも一筋の希望を見たい           

東日本大震災:生徒の255句、「来夏ISSへ」 女川第一中
2011年7月2日 15時0分 毎日新聞


生徒が詠んだ俳句について語る女川第一中の佐藤敏郎教諭(右)と阿部一彦教諭=同中学で、永山悦子撮影

町中心部の壊れたビルの屋上でひるがえるこいのぼり=宮城県女川町で、永山悦子撮影 夢だけは壊せなかった大震災−−。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町の女川第一中(大内俊吾校長、211人)の生徒が、「あの日」を俳句に詠んだ。逆境を受け止め、復興を願う生徒たちがつむいだ255句はDVDに収められ、国際宇宙ステーション(ISS)に来年夏届けられる。【永山悦子】


 3月11日、同中では1、2年生が卒業式の準備中だった。地震の後、下校済みの3年生の安否確認の途中で大津波が押し寄せた。同中が建つ高台の下で「バリバリ」という音が響いた。大津波は約35メートルの高さまで駆け上がり、町内の家屋の8割が被災した。同中に津波の被害はなかったが、3年生(当時)の2人が行方不明となり、半数以上の生徒が自宅を失った。
 見たこともない女川町を受けとめる

 故郷を奪わないでと手を伸ばす 
避難所での生活は、思春期の生徒たちには厳しいものだった。多くの生徒は感情を押し殺す環境に置かれた。

 ただいまと聞きたい声が聞こえない

 震災にいつもの幸せ教えられ
 5月、宇宙を通じた教育活動に取り組む「財団法人日本宇宙フォーラム」(東京都千代田区)から同中に「生徒が詠んだ俳句をISSに届けたい」と提案があった。約400キロ上空にあるISSは、日米欧などの国際協力で建設され、地球上どこからでも「星」として見ることができる。同フォーラムは、被災地の子どもたちの作品や写真を収めたDVDを、多くの人が注目するISSに届けることで子どもたちを励まし、世界中の人とつながるきっかけにしようと準備を進めていた。「新しい学校をつくっていきたい」と考えていた国語の佐藤敏郎教諭(47)と、社会の阿部一彦教諭(45)は、全校生徒に、俳句作りに挑戦させることにした。

 「厳しい現実を直視させることにつながり、酷なのではないかとも考えた」と佐藤さん。しかし生徒の反応は違った。悲しみや大切な人への思い、将来への希望がほとばしる255句が集まった。

 佐藤さんも、小学6年(当時)の次女を津波に奪われた。「現実から目をそらすのではなく、現実を受け止めなければ前に進めない。自分自身もそう考える機会になった」と振り返る。

 町も私も復興とともに育ってく

 ありがとう今度はわたしが頑張るね
 同フォーラムは作品の中から、3年生の女子生徒が町内で見た風景から詠んだ「みあげればがれきの上にこいのぼり」を「発句」に選び、句を連ねていく「連句」を8月初旬に作る。今月7日から全国に投句を呼びかけ、寄せられた句はすべて同中の作品と一緒にDVDに収め、宇宙へ打ち上げる。阿部さんは「被災地の子どもの思いが連句という形で全国や世界とつながることは大きな自信になる」と話す。


*思い出しても身震いする場面!それでも心にとめて、「備忘録として残したい」と言う強い心・東北の人たちの諦めない、ねばり強さ、そこに何よりの「若さ」を加えて計り知れない力強さを発揮する日が来ることを心から願い、かげながら応援していきます! (keniti3545)