「71才の365日」7月2日(土)曇り21℃(土) 「東日本大震災」114日

*朝トレ:5時45分〜7時10分

毎朝この時間20℃は下らない、もう毎朝TシャツとトレパンでOKだが、雨にも気が行くので帽子とウエアー上依は着けて出る。フィールドの芝は濡れてないが曇り、今朝の空の形容は難しいな。雲重くはない、雲黒くはない、空圧迫感なく低くはない、要するに曇り空。1時間運動するには丁度良い「あんばい」かも、我れは朝の陽光なら照りつけられてもOKだが。コースinまで静か、倉井さん家用なし(暖炉)の煙突から煙無し。庭に人影無し、川原の雀小さな鳴き声。


3日前に1匹見かけたトンボ今朝は大分数を増している。「カラス」は居ない。脇の林も静と思ってコースに入ったら、間髪を入れず「ブォーン、ブォーン」忘れてた!それほどびっくりはしないが、一瞬足が止まる。「熊蜂」だ首回りを振り手で払いながら進んだ。今日もみっちり走り込めそう!歩行5本目まで林の鳴き声無し、上がり勾配のUターン箇所で「カッコウ」の鳴き声遠い大谷川橋の袂の方から聞こえた。


これって普段もあるのか? 
側頭葉の機能低下、聴覚が衰えている?「カッコウ」は毎日鳴いていたのかも??何でそんなに深刻に考えるのか!!恐い?! でも我れはこれ以上考えなくて済む。根がアバウト人間だけに、「だからそれは当たり前のことなんだ」と「アバウトな前頭葉」が「直ぐに判断を下してくれる」。だからこう言う時もあまり悩むこともない。「アバウト人間」って良いでしょう!? 「アバウト」の解釈を「武田邦彦先生」にお叱り受けなければの話ですが・・・。


「カラス」のつがいは走の10本終了の時、40㎝、50㎝程間隔ありで送電線の上に留まった。次の11本目には左側の1羽が寄り足、羽作りの姿勢は「入り」の字になった。林は最後までいつもの主役(ウグイスB君)の触れ鳴き聞こえず、我れの走最終の頃は2、3種気配はあった。「本日も走20本達成!」帰り道トンボ「大勢」この時期初めての光景だ。

行き会い人「もう一人」階段上竹藪中の雑木、痙るの絡んだ高枝にウグイス(A君?)。高鳴き、地鳴きフルコース・しかも鳴き姿付き!枝を揺らしながら精一杯のパフォーマンス!久しぶりに立ち止まって聞き入った!終わっても飛ばない、道幅そっと膨らませて階段へ向かったが又鳴いた!今日は1日気分が良いことだろう?(さっきの側頭葉機能低下問題など全然忘れてます!)



*「東日本大震災」114日

「今日の一題」 心温まる話題

◎ 記者の目:人と人を結ぶ「希望新聞」=中村美奈子  毎日新聞 2011年7月1日 1時01分

 東日本大震災を受け、被災者を支援するページ「希望新聞」の取材班の一人として、被災地内外の情報を提供してきた。95年の阪神大震災でも展開した特別紙面だ。安否情報の「さがしています」「みつかりました」や、個人の情報発信欄「伝言板」を通して、善意の大きなうねりを感じ、人と人がつながると、災害時に大きな力になると実感した。

 ◇被災者の声満載 「生きる力」支援
 「希望の光がさしました。あなたからの贈り物ありがとう。生きる力となりました」

 力強いボールペンの文字。5月20日付「伝言板」に「女性用の靴求む」と投稿した岩手県陸前高田市の菅野匡子さん(47)が、東京都文京区の女性(43)に送った礼状だ。

 窮状を訴える菅野さんの手紙が「希望新聞」に届いたのは前日の19日。津波で自宅が全壊し、家族3人ともサンダル1足ずつ。靴を売る店はなく、がれきの片づけにも困っていた。文京区の女性は新聞を見て、3人分の長靴とスニーカーをすぐに送った。

 菅野さんから礼状が届くと、女性は追加で食料を送付。さらに家電製品が海水につかったと知り、炊飯器とカセットコンロ、ガスボンベも送った。菅野さんは女性からの荷物を「宝箱」と呼び、女性は「個人と個人をつなげてもらえれば、欲しい物を聞いて直接支援できる。手紙やメールのやりとりが楽しく、実家に荷物を送る感じ。姉ができたようです」と語る。

 こんな見ず知らずだった人と人の新たなきずなが無数に生まれている。災害時に個人が声を上げられる場が、被災者、支援者の双方に求められていると、強く感じた。

 とにかく、読者の反応の素早さには驚かされる。安否確認でも、「希望新聞」初日の3月22日紙面で「福島県南相馬市の友人、武山信子さんをさがしています」という群馬県館林市大塚悦子さんの投稿を紹介。メールでの連絡が取れなくなったという。すると、その朝9時前、武山さん本人から早速連絡があった。宮城県に避難した武山さんの知人が新聞を読み、屋内退避圏の自宅にいた武山さんに電話で伝えたという。

 ◇ネットとは違う 善意のリレー 
 安否確認は、間に知人が入るケースがほとんどで、数人が情報をつなぐ例もあった。

 大分県津久見市の山添義昭さんは、元同僚の岩手県宮古市の佐々木昭さんを捜していた(3月25日紙面)。昭さんと妻喜代子さんの無事を知らせたのは、3人を知らなかった福岡県久留米市の読者。この人は2年前まで宮古市に住んでおり、現地の知人に電話すると偶然にも昭さんと顔見知りで、夫妻が無事であることを知っていた。読者はすぐに記事にあった山添さんの電話番号に夫妻の無事を一報。さらに別の知人に当たって夫妻の連絡先を調べ、同日夕には再度伝えた。山添さんが名前を尋ねると、姓だけを告げて切ったという。

 新聞を見た人が被災者に直接電話をかけたり、避難所に出向いて新聞を届け、投稿者の連絡先を伝えてくれた。被災者消息サイトが続々登場し、インターネット上の避難者名簿などが安否確認に貢献した。だが、回線が復旧しない地域があり、パソコンを使えない高齢者も多い。人のつながりを生かし、読者が自発的に情報伝達を担っていた。

 尋ね人と連絡がついた投稿者は「新聞ってすごい」と喜んでくれたが、善意の人たちこそメディアだったと思う。「新聞が捜してくれるんじゃないんですか」と言う人には「捜してくださるのは読者の方々です」と私は答えた。

 悲しい報告も多かった。父親の消息を求めた宮城県東松島市の女性の場合、掲載の数日後、川に流された父親が遺体で見つかった。それでも女性は、新聞ですぐに呼びかけができたことに「家族一同、救われる思いでした」と感謝のメールを寄せた。新聞への掲載が、少しは気持ちを支えたのかなと思う。

 震災から3カ月以上たったが、「自分に何ができるのか、ずっと考えていました」と、生活用品などの提供を申し出る人は絶えない。6月17日付「伝言板」に載った「難病の息子の加湿器用に、コンタクトレンズの精製水求む」という陸前高田市の菅野光子さん(37)の投稿には、1日で72件も申し出が殺到した。水道が復旧せず、支援を求めた母親の切実な思いに、年配者や子育て中の主婦らが敏感に反応した。

 仮設住宅整備や義援金配布が遅れ、原発事故に伴う避難など、被災者は今も不安定な生活を送る。 そんな人たちの「SOS」を見逃すまいと、無数の善意が日々、「希望新聞」に目を凝らしているのだと思う。不特定多数の支援者と被災者を結びつける作業を、さらに続けていきたい。 (生活報道部) 毎日新聞 2011年7月1日 1時01分


・新聞の記事を媒体とする、善意の数々にはその行動力と行為の一つ一つに、計り知れない「力」を感じます。何時も敬意の念を持ってその事実に目を向けては居ますが何もお手伝いできない私でも、この災害・事故を1日たりとも忘れる事のない様に「1日一題」の事象・ニュース等に向かい会い「我が日記」の中でも自身の勉強と共に少しでも被災者に不利益を被らせないための声も発し続けたいと思います。 (keniti3545)




(しょうもない余録です)
汚染水 メガフロートへ移送 6月30日 17時10分

東京電力福島第一原子力発電所では、比較的低い濃度の汚染水を「メガフロート」と呼ばれる鋼鉄製の人工島に移送する作業が始まりました。3か月から4か月かけておよそ8000トンを移送することにしていますが、最終的にどう処分するかは将来の課題として残ることになります。

福島第一原発では、高濃度の汚染水だけでなく比較的低い濃度の汚染水も施設にたまり続けています。このうち、6号機のタービン建屋の地下では、設備や機器が水につかって原子炉の冷却などに支障が出かねないとして、汚染水を仮設タンクに移す作業を続けてきましたが、29日までにほぼ満水になりました。このため、東京電力は、静岡市から提供を受けたメガフロートと呼ばれる鋼鉄製の人工島を当面の保管先として活用することになり、30日午後1時ごろ、タンクからの移送を始めました。汚染水は移送前に浄化処理が行われ、放射性物質の濃度が下げられているということで、東京電力は、移送後は海に漏れ出さないよう管理や点検を徹底したいとしています。東京電力は、3か月から4か月かけておよそ8000トンを移送することにしていますが、最終的にどう処分するかは将来の課題として残ることになります。


*やっと移送但し低汚染水だけ、でもこれで高濃度汚染水の行き場に窮した際に一時しのぎの逃げ場つくった?
* 高汚染水用10万トン級のタンカーの準備をしなければならない時が近づいているのではありませんか?

 (keniti3545)