「71才の365日」6月29日(水)晴れ21℃ 「東日本大震災」111日
*朝トレ:5時20分〜6時
玄関で21℃、最高の気分で今朝も迎えた!でも今日はチョット忙しい朝になる。女房殿から特別な客人を3本松まで送って欲しいとの通達を昨夜受け取っていたのだ。
今朝の朝トレは30分の短縮版となるが、体調は万全・シューズも馴染んだ事だし、しっかり走り込もう。コース手前でカラス1羽、桜木1番下の枝から飛び立った、脅かすなよ!5時半だよ、まだ。コースin今日は林のウグイスB君も機嫌良いらしい、「ホーホケキョ」の高鳴き連発、川原の雀も飛び姿が見える。
歩行1本目の登り勾配途中で木の葉切れ部分からカラスは「つがいで確認」、何故か3メートルも離れて留まってる。「カッコウ」が遠声で「連呼」10連呼はありそう。倉井さん家焚き火、火が入った。 何かみんな動き出しが早いと思ったら、今日は天気が良いから(少なくも日差しがある)?
九州が梅雨開けたと言う事だから、今年は本州の片田舎も早めになろうかも。30分の短縮版朝トレは、行き会い人も少々少なめか? カラスも付いたり、離れたり下へは降りない。帰路、川原側で中、小二組のつがい鳥が飛び交っていた。
*「戦場ヶ原・男体山」を遊歩道から見渡し、1時間の散歩!
家から30分贅沢な散歩です! (すいません、実はついでがあったから・・・です。)
家を7時に出て赤沼到着予定を7時30分の工程。女房殿も同乗とのこと。このお客さん、赤沼より千手ヶ浜まで低公害バス利用につき、そこまでのお付き合い。後、せっかくだから三本松・戦場ヶ原の散策をどうかと女房殿に誘われ、条件付きでOKした。それは、赤沼→三本松→光徳(手前で折り返し)途中二カ所の展望台から戦場ヶ原のツツジと男体山を眺望=約1時間の工程。二者で了解。汗もかかず、程よい早朝散歩でした。 10時前には家に戻りました。
「道中の特記が一件」、
2つ目の展望台で、男体山を外した重なる山並みの南西方向に目を凝らし、三脚立てた傍らで手すりに身を寄せた孤老が居た。「狙いは何ですか」?と、思わず声を掛けてしまったが、答えてくれた「白樺と重なる山並み、蒼い空」「もう少し陽が足らないんだ」。
「凄い良い年を取っておられる風情」に、つい再度声を掛けた、「お幾つですか?」我れの方を振り返って、「君は68才ぐらいか」?と、(3つ程サバ読んでくれた様な気がしてくすぐったかった)我れが答えようとすると「私は88才」だよと答えてくれた。「日光市内、いろは坂降りればそう遠くはない所に住んでいる」。「何時もこんな時間に写真を撮っているよ」。「何時もバスで勿論一人で来る」。「君はどこから来た」? 私も住まいが近いんです。「何処」? 細尾です。「おお、おお、私より近いな」!? ええ、いろは坂降りたら5分ですよ。「そうだろうな」。陽が射しませんね? 「写真は待つことから始まるんだ」。「・・・」
その後も、もう少しだけ、ゆったりと話してくれた。「君はまだ車動かせて良いな、私も車動かせる年にはもう少し行動範囲が広かったけど最近はどうも・・な」。『いえっ!』(チョット相づちに困った) 10分程度の立ち話でしたが、清々しい気分だった。『楽しいお話ありがとう御座いました』! 「元気でやりなさいよ」! 『はい。はい!』陽はまだ射さない。我々はその展望台で1度もシャッターは切らなかった。
・朝飯前のお散歩でした (戦場ヶ原のツツジですが見えますか?)
・堰堤上がmyランニングコースなら、此処は女房殿と二人だけの散歩道?
(チョットごますりすぎ?)
・男体山は外れてます(右の小写真が男体山)
・(男体山の勇姿は中禅寺湖畔立木観音前からと、注文が付きます)
*「東日本大震災」111日
今日の一題=「明るいニュースも探したい」!
・「明るい(嬉しい)」ニュースー1
*気仙沼港でカツオ水揚げ 震災から3カ月半ぶり産経新聞 6月28日(火)9時55分配信
震災後初めてカツオの水揚げがあった気仙沼市魚市場
生鮮カツオの水揚げ量が14年連続で日本一の宮城県気仙沼港に28日、東日本大震災後初めて、カツオが水揚げされた。魚市場には、仲買人ら漁業関係者が大勢集まり、復興のシンボルと位置づけるカツオの到着を祝った。
午前5時半ごろ、静岡県の巻き網漁船「第31大師丸」が、小雨の降りしきるなかで入港。関係者は「待ってたぞ」などと叫びながら、手を振って出迎えた。
カツオは、震災後に新たに購入したベルトコンベヤーに乗せられ、海水と氷が入った保存用タンクに入れられた。津波で自動選別機が流されたため、魚市場の職員らが1匹ずつ計りにかけて分けていった。
入札では、重さ4キロ以上の大物に1キロあたり3230円の値が付いた。平均額でも、例年の1キロ550円を上回った。
魚市場は震災で、南側の荷さばきなどに使うスペースが、長さ約250メートルにわたって約70センチ沈下。5月からかさ上げ工事を開始し、受け入れ態勢を整えてきた。今月23日に市場が開場し、漁船の入港を待つだけだった。
初水揚げのセレモニーに参加した菅原茂気仙沼市長は「カツオは7月に水揚げが本格化するため、6月中に間に合ったことはよかった。水産の街である気仙沼の復活に向けた第一歩になった」とあいさつ。
気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長は、この日、水揚げされたのが約35トンだったことに触れ「現状は全盛期の10分の1程度。国や県などの力も借りながら、機能を早期に回復させていきたい」と話した。
・これも明るい未来を予測する材料 「考えようでは明るいニュース」ー2
*日本の未来は暗いのか?(1) エネルギー(今後の武田先生のシリーズに期待)
石油・石炭・天然ガスなどの化石資源は枯渇しない。いくらでもある。
地球は膨大で、今の人間の活動がいかに活発と言っても、地球から見ると小さいからだ.
「地下資源は限りがある」
「それを湯水のように使っているので、やがて無くなる」
という話は余りに雑すぎる。
確かに「節約」は大切だが、「節約が大切」ということと「石油が無くなる」というのは関係がない。
「節約」は石油がなくなろうと、無限にあろうと、それとは無関係に心の問題として大切なのだ。資源が無ければ節約、あれば浪費というのでは情けない.
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地球が誕生してから今までの地球の変化から、石油・石炭・天然ガスのように「還元された炭素」がどのぐらいあるかを計算してみると、
寿命=500万年
となる。
そして、その多くが比重の関係で、人間の手が届くところにある。
計算の詳細は省くとして、肝心なことを2つ。
・・・1つ目・・・
【いい加減な専門家】
1970年における専門家の「石油寿命の予測」=40年
それから40年後の2010年における専門家の寿命予測=43年
つまり、枯渇すると言われた2010年に石油寿命は3年だが、増えている.
(その理由)石油の価格をつり上げるため。
このことがハッキリしているのに、まだ多くの人は「石油はそのうち無くなる」と脅されてトイレットペーパーを買いあさった時代の先入観が抜けていない。
専門家もマスコミも罪作りをするものだ。
・・・その2・・・
2010年に大問題になった尖閣列島。その下に原油が眠っているということが判ったので、中国は領有権を主張した。
尖閣列島の下に眠っている石油は1500億バレル。ここだけで日本の100年分。
でも、まだ掘らない。理由は世界のあちこちにもっと安価で良質の石油が一杯あるからだ。日本政府が血眼になって尖閣諸島の石油を掘り出してから、どんなに短くても100年はあるということだ。
原発が無くてもエネルギー資源はまったく問題が無い。
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石油・石炭・天然ガス・メタンハイドレード・オイルサンド・オイルシェール・シェールガスなど豊富な石油系資源は、どんなに少なく見積もっても1000年はある。
1000年前と言えば紫式部だ。そこまで心配しなくても良い。
資源は豊富にある。
日本の自然を破壊してまで、休耕田を潰してまで太陽電池を敷き詰める必要は無い.これも国民を不安にさせて一儲けしようとしている人たちの陰謀だ.
もう、そんなことにひっかかりたくない。よく未来を見て自分たちのことを考えているアメリカも中国もエネルギーの節約などやっていない。
若者は節約しなくても良い。大いに羽を伸ばし、元気にやって欲しい.
日本社会は1990年から「うつ病」にかかり、それを利用してもうけようとする人たちが暗躍してきた。福島原発を機に、私たちは明るい未来を見よう!!
(平成23年6月28日 午前8時 執筆) 武田邦彦