「71才の365日」6月25日(土)曇り 「東日本大震災」107日

*朝トレ:6時〜7時

今日の空模様は何とも中途半端だ、東に薄日射す薄雲、左右には分厚そうな鉛色の雲、西空の一角にも蒼い空がぽつんぽつんと覗いてる。フィールドの両サイド野菊の背丈が膝上まで伸びて歩を進める度にもたれかかってきそう、此処まで育ちきると「野菊の如き君なりき」と言う可憐さより、どちらかというと「野の花の逞しさ」を感じる。

取り敢えずコースin、倉井さん家の庭にも電線にもカラス居ない。コース右の林にも、左の川原からも鳴き声無し。コースエンドで徐にウエアー上下を脱いで傍ら堰堤縁にたたみ置く。汗取りの「トレシャツ」と昨日卸した七分の「トレパン」同じく卸たての「ランニングシューズ」だ。昨夜は孫達の報告を受けたが二人とも「新しい自転車」を手にして大満足良くしゃべった。我れもつられて「朝トレ姿のリニュウアル」自慢しそうになったが堪えた、夏休みに来たときびっくりさせるネタの一つに数えてあるので・・・。 (昂佑9才・友麻6才)

歩行4本、走に入っても何処も静、東の空日差しらしき薄日も消えた、西空も一面重そうな雲。6時30分を回ったあたりでカラス1羽電線へ、コースエンドUターンで上勾配を走っているともう1羽も電線へ庭方向からだった。早々に羽繕いを始めたつがいだったが、立ち居振る舞い、今日は整調「人」の字、只、崩れて「へ」の字に見える場面もあった。林も川原も相変わらず静、時々川原側は、「チュビン、チュビン、チュッピン」足下の高さの小木から、林の中からも少々雑多な鳴き声、言い訳程度に聞こえるのみ。


『こんな時は、我れの「アバウトな前頭葉が断片的に無作為に過去の記憶を引っ張り出す」。今は嫌でも原発問題にS.Wが入ったままになってるんだろうか、今日は割と「単純明快にテロップが流れた」ので書いて於こう。

昔我れが金属加工の仕事に携わっているとき、60種程の金属を扱いその大半の「溶融作業」にも関わった。中には「新品種の合金製造」の仕事もあったが。これらは全て世の中のニーズに寄って促される仕事である。この背景があって、製品化され世の中の需要を勝ち取っても、素材の金属元素中の成分に人体に及ぼす「毒性等が発見・立証された場合は速やかに製造禁止の処置」をとられた。

今、原発問題で脱原発を訴えている科学者の中には複数の優秀な科学者が、しかも原発推進者として研究されてきた科学者が、 原発の危険度を一般の人にも解る様に説明しつつ原発反対を訴えています」。一方で安全に関しては、「ヒューマンエラーは(0)にはならないと言う事実もあります」。良かれと思って作りだし、恩恵に浴した事も事実として認めた上で、それでも「取り返しの付かない事故を生まないうちに撤退する」。これが人間の知恵ではないんですか?「撤退の費用は莫大」かも知れないが、「人類滅亡の危機」と、どちらを取るか計りに掛けますか!?』


カラスは倉井さん家の庭と電線を何回か行き来したが、餌を持ち運ぶ様子は1度も目にしなかった。トンビも来ず、川原向こうのカッコウも声無し、「ブチ」と「茶トラ」も雨模様のこの日散歩はないか。終末体操(クールダウン)中、傘差した散歩人「お早う御座います」「お早う御座います!」昨日と同じ方でした。 挨拶交わし、やり過ごして気がついた「雨降っている」んだ?



*「東日本大震災

「今日の一題」

 武田邦彦先生の子供時代のエネルギー(1、2、3、)」 6月5日いわき講演もYouTubeで聞けます。



子供の時代のエネルギー(1) 恩師の手紙

「電気」とか「エネルギー」というのは「ごつい・大がかりな」ものですから、去年は原子力、今年は自然エネルギーというわけには行きません。

つまり、戦艦大和ですから、舵を切ってもおいそれと方向を変えることができないのです。

でも、日本人はオッチョコチョイのところがあって、地球温暖化が心配になると「これからは原子力の時代だ!」と叫んでいました。

たった1年前なのに、今はすっかり様子が変わっています.

その頃、私は盛んに「地球が温暖化すると、原発が安全になるのですか?」と冷やかしていました。

そして、今度は「原発が事故を起こしたから自然エネルギー」と言われ始めました。そんなややこしいことをするなら、去年から、

原発は飛ばして自然エネルギー

にしておけばよいのです。

そこでこのシリーズでは「すぐには変わることができないエネルギーを、子供のためにじっくりと勉強し、間違わないようにしよう」という目的で始めたいと思います.

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今から10年ほど前でしょうか、その頃、私は「石油や石炭などの化石燃料は40年後には無くなる」と思っていました。

「40年」というが少し伸びても、せいぜい60年とか80年とかだから、子供達のためにも将来のエネルギーを準備しておかなければならないと信じていたのです.

そして、私のある著作に「石油や石炭はそのうちに無くなるから」と書きました.そうしたら、それを読んでいただいた私の大学時代の恩師が手紙をくれました。そこに1行、

「武田先生はなぜ石油や石炭が無くなると考えたのですか?」

とありました。すでに私の大学時代の先生はご退職になっておられましたから、私は手紙を読んだときに「先生もお歳を召して・・・」と思ったものです。

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でも、先生の言葉はなんとなく心にひっかかり、電車に乗ったときなどにフト考えるようになったのです。

確かに「石油や石炭は枯渇する」とテレビも新聞も言っていました.そればかりではなく、資源学の本や石油や石炭の専門家の多くも「地下資源は有限だ」と専門書に書いてあります.

しかも、石油や石炭はすでに発見されている油田や炭田の他に、「究極埋蔵量」と言って、最終的に人間が採掘することができる量も判っているのです.

どこからみても、まもなく枯渇することは間違いない・・・でも、なんで先生がわざわざお手紙で私に注意をされたのか? 先生がお歳を召したと言っても頭脳は明晰なはずだ・・・その疑問は解けませんでした.

そこで、私はこれまで判断のもとになってきた書物を読んでみることにしました。

読み始めると、これまで「資源は枯渇する」ということを前提に読んでいたのに、新たに「資源は枯渇するかどうか不明」という気持ちで読むと全く違う印象を受けたのです。

その一つにメドウスの「成長の限界」という本がありました。1970年代の初めにもてはやされた本で、「資源、人口、工業化・・・」など今の文明はあまりに物質を消費するので長くは持たないということが書かれていて世界的なベストセラーになった本です。

なにしろタイトルが「成長の限界」で、「大量生産、大量消費社会はやがて潰える」という誰でも納得できる理由がついて、宣伝されたものです。

ところが、改めて読んでみると、「1970年の状態がそのまま続いたら」という前提がハッキリと書いてあるのです。そしてその前提は2000年にはほとんど成り立っていなかったのです.

「そうだったのか!」と私は思い、改めて「資源は枯渇するのか?」を計算したり、考えてみようと思ったのです.

何時の世も、恩師とは大したものです。

平成23年6月17日 午後2時 執筆)武田邦彦

*武田先生も、時に過去の記憶がテロップで頭を過ぎることがあるんですね。我れも大桁違いに、アバウトなものですが時折テロップが流れるんですが・・・。 (keniti3545)



子供の時代のエネルギー(2) 「成長の限界」は本当だったか?

メドウスが1970年頃に書いた「成長の限界」は、第2次世界大戦が終わって不安定な東西冷戦のもと、急速に経済成長する時代に住む人にピッタリの新しい概念でした。

それまで、「地球は大きい。無限に大きい」と考えてきたのに、1950年代から公害という環境破壊がおき、ロンドンスモッグでは4000人から1万人が死亡しました。

日本でも水俣病四日市喘息と続き、アメリカのロサンジェルスのスモッグも世界的に有名になりました。その他にもベトナム戦争、都市のスラム問題などが起き、経済成長の中でも不安定な日々が続いたのです.

そこに、メドウスが、

「これまで無限に成長できると考えていた方がおかしい.地球は有限だからこのまま成長を続けていると21世紀の初めには人類に文明は崩壊する」

と警告したのです.

メドウスの論は単に思いつきで生まれたのではなく、1960年代から国連が資源の行く末、環境破壊に危惧を持ち、検討を始め、その一環として当時、ようやく実用化の域に達したコンピュータを駆使した計算を応用していました。

国連、マサチューセッツ工科大学、メドウス博士、地球方程式、コンピュータのシミュレーション、資源枯渇、食糧危機、環境破壊、文明崩壊、天罰・・・すべてのキーワードが当時の不安な社会に生きる人たちにピタッと来たのです。

私もすっかり「これほど消費が増えたら、確かに地球はもたないだろうな」と単純に考えてしまいました。

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「このまま成長を続けていたら、40年後には大崩壊が来る」

という「予言」が超一流の科学者から出されたのですから、世界は驚き、「石油ショック」やその他の多くのことが起こりました。

日本では「トイレットペーパーがスーパーから姿を消す」という、非常にレベルの低い社会的な騒動に発展したのです。

もしかすると40年後に石油が枯渇し始め、それによって樹木からとる紙が不足して、その結果、トイレットペーパーが60年後には少しショートするかも知れませんでした。

でも、だからといって明日のトイレットペーパーを買いあさるというのはどういう現象だったのでしょうか? 冷静に考えると実に滑稽ですが、当時から日本のマスコミが国民に伝える情報はかなり怪しかったことが判ります.

でも、すでにメドウスの警告から40年が経ち、トイレットペーパーどころか、石油も石炭も豊富にあり、環境も改善され、食糧も4倍に増えています.

なぜ、メドウスの予想はこれほど大きく「間違った」のでしょうか?それとも「間違った」のは時期の問題だけで、40年が80年になったのか、400年になったのか、それとも本当に間違っていたのか、今のところ十分な研究はされていません.

多くの人が、メドウスの基本的な考えは正しく、単に枯渇する時期を間違ったと思っています.

このメドウスの考えの延長線上に、リサイクル、ダイオキシン地球温暖化自然エネルギーなどがあります。つまり、見かけ上はメドウスの「間違った」見通しを「正しい」としてエネルギー、資源、そして環境問題が考えられているのです.

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ひとたび、ある先入観が生まれるとそれを払拭するのは並大抵ではありません。特に、メドウスの警告が、その内容において悲観的であり、贖罪的であり、インテリ風であること、その形式において白人コンプレックスにピッタリであることで、さらに先入観は強固になったものと思われます.

私たちは悲観的な見通しを作った人が白人(メドウス、日本人は明治以来、白人を先生にしてきたので、アメリカが・・・ドイツが・・・というと無批判に信じる傾向がある)であるということをあまり意識せず、「成長」には「限界」があるのか、それをもう少し腰を落ち着け、慎重に考えないと未来を見ることは出来ないでしょう。

平成23年6月19日 午前9時 執筆)武田邦彦

*大事には、腰を落ち着けて慎重に考えようと我々にも分かり易く提案してくれていますが、科学者の先生方には「真理」の追求と「潔さ」が同居していると思います。特に、小出裕章先生・武田邦彦先生達は、「信念を持って持論を方向転換しました」。将来の為に、今の子供達のために、次世代の子供達の為に結局は国のために! (keniti3545)


子供の時代のエネルギー(3) 将来は楽観的

私が原子力研究に身を投じた頃、エネルギーの未来は暗く描かれていました。

でも、恩師の手紙もあり、それからジックリと考えてみますと、「エネルギーが枯渇する」というのは単に石油や石炭の価格を高く保つための商業的なことで、それにのせられた自分を反省したものです。

内容はかなり複雑ですが、40年前から金(ゴールド)の寿命は19年とされており、いつまでたっても同じような「寿命」が続いています。

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私の著述物にも書きましたが、石油や石炭はあと8000年ぐらいあると見積もられ、どんなに短くみても1000年はあるでしょう。

その点から、「人体に対する放射線の影響」、「事故が起こったときの救命ボート」などが明確ではない段階で、原子力を実用化したのは時期尚早だったと反省するようになりました。

この宇宙のエネルギーのほとんどは原子力ですから、やがて人類が原子力を安全に使うことが出来る時代が来るでしょうが、それは「ウソをついてまで」実施することではないと思います。

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もう一つの面から見ると、日本は亜熱帯に近い高温多湿の気候なのに、亜寒帯に近いヨーロッパを真似て都市や家屋を造ってきたことにも問題があるでしょう。

山紫水明、四季折々の日本には、日本としての生活様式があり、アスファルトやコンクリートで固められた都市、風も通らない密閉住宅という作りを見直す機会でもあると思います。

また「働いて普通の生活をする党」を作りたいというブログの読者のメールからも判るように、このところの日本は「少しでも得をしよう」ということで右往左往してきたような気がします。

「資源が無いから節約しよう」というのも中途半端で、「節約」は「資源が豊富かどうか」で決まるのではなく、その人の生き方としての心の問題では無いかとも思います。

基本的には節約、そして額に汗して働いただけで満足する毎日。そして「明日は少し良くなるかも知れない」という希望を感じるような人生を送りたいものです。

そんなことを考えると、1990年以後、私たちが体験した数々のこと・・・

バブルの崩壊、お役所の年金の不正、消費税の増税

不安定な雇用、就職率の低下、赤字国債の大量発行、

リサイクル騒動、ダイオキシン騒動、地球温暖化騒動、

毎年変わる首相、マスメディアの誤報リーマンショック

阪神淡路・新潟・東北の大震災、そして今回の

福島原発事故」や「太陽電池を強制すること」

など、およそ「働いて普通の生活をする」ということとはかなりの距離があることばかりでした.

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石油や石炭は十分にあるのですから、資源など気にせず、少し節約をしながらゆったりと過ごし、

「日本の山紫水明、四季折々を楽しむ」

「愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本」

「働いて普通に生活する党」

「明日は今日より少し良くなるという希望」

を持って明るく、楽しく、静かに、張り切って生活を送りたいものです。

平成23年6月25日 午前9時 執筆)竹田邦彦

*贅沢に慣れてもっと便利に、もっと明るくと欲をかきすぎた人間が分をわきまえた生活に帰し我々が経験・体験した「事実を後世に伝えていく時、その選択の正しかったことも伝えたいものです」。 (keniti3545)