「71才の365日」6月13日(月)雨上がり・曇り16℃ 「東日本大震災」95日

*朝トレ:6時〜7時30分

  カラスの縄張りに乱入者あり!
玄関16℃、「暖かいという感じ」雨が上がったばかり門を出て道路にはまだ水たまりだ。Tシャツ1枚、上にウエアー初めての軽装、指先が冷たいと言った日はまだ1週間前? 堰堤階段上っていつものフィールド、水はけ最高の仕様もさすがに今朝は湿っぽい。それでも水たまりはないのだから最高のmyフィールド・myコースだ!


倉井さんのたき火早い、今日は炎が見える! 「お早う御座います、今日は暖かいですね!」「ホント半袖になりました」。コースin、送電線にカラス1羽、歩行3本目から鳴き声「カー、カアー」を何度も繰り返す、呼びかけ・会話?つがいで留まるときは鳴き声はない。もしかして?(子ガラス?)、上り勾配エンドでUターン時飛んだ、川原へ降りた。間もなく下(しも)手から1羽来て旋回した。するともう1羽が接近、どうも大きさが違う、雲が切れて陽光が射すと1羽は色も違う茶っぽい!そのまま空中で追いかけっこが始まった。追っているのはどうやら体の小さい黒い「カラス」の方らしい!。最初は、追ったり追われたりの感じだったがそのうち「カラス」の方が俄然優勢に西へ(かみ手)一直線に追い始めた。距離にすると50〜60メートル、追い切った感じで茶っぽい鳥は姿消した。


鷹か?鷲か?思わず歩を止めて見ていたが、暫くして川原へ降りたカラスが電線に戻った。その後はまたしばらく時間待ちしても追っ手となったカラスは戻らない、あらためて上(かみ)手に目をやり、じーっと見据えると何と電線につがいの姿あり!かなり遠目になるが我の目でもつがいの確認ができる!。感激だった!我れの「鈍い前頭葉」にも「アバウトな感性が幸いしてか」大まかな筋書きが見えてきた。(やっと子ガラス入れて「3ショット」が見られた。が、これはさて置いて)我が子がおそわれている! 「父親が強敵に向かって果敢に戦いを挑む!」 体の大きさ等劣勢な条件の下、「見事敵を追い払ったのだ!」。


我れの最終走に近かずいた時、1羽で留まってる子ガラスの頭上を再び敵機(トビ?)が旋回した。あのままの距離からつがいの1羽が(カラス)飛んできた。その間に子ガラスは電線を飛び立ち追われる形になったが今度は、先ほどの様に川原へは降りず、我れの「コース」「下り勾配エンドを迂回して堰堤一つ向こうの林へ逃げ道を取った」追う親カラスは敵の前後左右から体を寄せて行き方向を変えさせて今度は、「しも(下)手へ追い払った」。追っ手の親カラスは既に「相方がスタンバイしている電線に飛んで隣に留まった」。先ほどまで子ガラスが居た位置の送電線上に「両親が留まったのだ」。その後も我れが帰路に経つまでこがらすの姿は電線上に戻らなかった。鳴き声、泣き声?だけだ。


この間(1時間予)、川の流れは昨日のまま止まったいる。太陽は雲間を出たり入ったり、「カッコウの鳴き声無し」コース脇の「ウグイスB君際だった触れ鳴きなし」、国道20号線昨日の日曜日より交通量多い(この時間は)。メニューは一応こなしたが、立ち止まるシーンが2度3度とあり汗が冷えてきた。


・トンビ(トビ) 敵鳥調べてみた(カラスとはライバル同士)だそうです。  (子供が出てきたのでカラスに応援)

海沿いに生息するものは、カモメの群れに混じって餌を取り合うこともある。

たまに空の上で、カラスにちょっかいを出される光景を見ることがあり、カラスとはまるで「犬猿の仲」と言ってもいいくらいの程であり、近くにトビがいるだけでカラスは集団でちょっかいを出したり、追い出したりすることもある。これは、トビとカラスは食物が似ており競合関係にあるためと考えられている。
通常、樹上に営巣するが、まれに断崖の地上に営巣することもある。





*「東日本大震災」95日

原発汚染水浄化、試運転足踏み   2011年6月12日(日)10時5分配信 共同通信 
福島第1原発にたまった放射性物質を高濃度に含む汚染水を処理し浄化するシステムについて、東京電力は12日、装置の一部で水の流量が計画を下回っていることを明らかにした。配管などが詰まっている可能性があり、原因を調べている。この装置で見つかった水漏れの修理は完了。今回のトラブルの原因解明後、低濃度の汚染水を使って性能を確認する試運転を始める。本格稼働は当初予定していた15日から、ずれ込む見込み。

(keniti3545) 
・汚染水の問題何も進展せずまだこんな状態です! 20万トンになんなんとする汚染水どうするつもりですか!




◎ 大津波3カ月―記憶を記録すること ぐしゃっと運転席がつぶれた消防車が、駐車場にひっそりたたずんでいる。
朝日新聞
 3月11日、宮城県名取市消防団員3人が乗り込み、避難しない住民を説得して回るうち、津波にのみこまれた。マイクを握った遺体とともに、砂まみれで見つかった。

 市内でクリニックを開く心療内科医の桑山紀彦さんが、市から譲り受け、勇気を伝える証しとして、展示を計画中だ。

 クリニックには、心の傷が癒やされないままの人たちが、毎日やって来る。

 首まで水に漬かる夢を、週に何度も見るおばあさん。いまも風呂に入るのが怖い。子ども3人と夫を一度に失い、家族連れでにぎわうスーパーに足を運べない奥さん。突然涙が出てくるなど、感情の揺れに苦しむ。

 桑山さんはこうした人々が、あの日どんな体験をし、その後どんな気持ちが起きたか語るのを、了解を得てビデオに収める作業も進めている。

 人間は忘れる生き物だ。

 でもきちんと忘れてゆかないと、ゆがんだ記憶にさいなまれ続ける。深刻な心的外傷後ストレス障害(PTSD)が心配される時期だ。予防や回復のためにも、そばでじっと耳を傾けることが必要だという。

 消防車のようなモノと共に、被災者の証言を集めた資料館をつくろうと、桑山さんは提案する。過酷な体験を教訓の物語に変え、後世に残す。その過程を通じて、傷ついた被災地の心は再生するのだ、と。

 独立行政法人防災科学技術研究所は、災害直後から自治体やボランティアに呼びかけ、被災地の過去・未来・現在の記録を集めて、ウェブなどで公開する計画を始めた。

 多くの住民がとっさに撮った津波の映像。避難誘導にかかわった人たちの証言。防災教育や津波対策に生かすべき貴重な資料だ。震災前も含めた街の復興の記録は、コミュニティーが再生する手がかりになる。

 ネットではヤフーやグーグルが、震災関連の写真や動画の投稿を募っている。自衛隊をはじめ様々な政府機関も、膨大な映像やデータを持つはずだ。

 未曽有の大災害の記録を社会の共有財産にすることは、官民あげて取り組むべき課題だ。著作権などを尊重しながら、各機関が囲い込むことなく、網羅的な震災データベースを構築できないものか。

 被災地を離れると――たとえば国会――惨禍を忘れたかのような時間が進む。記憶を記録することの大切さを痛感する。