「71才の365日」6月4日(土)晴れ12℃「東日本大震災」86日

*朝トレ:5時55分〜7時10分

玄関12℃今朝は暖かい、白い手袋置いて行く。ウグイスが裏の檜で鳴いている。何ともすがすがしい気持ちで堰堤フィールドに出る。今日も草むら朝露がいっぱい光ってる!主の居ない竹藪横目に睨み、一つ二つ深呼吸。さすがに今日は煙のない倉井さん家暖炉の四角い煙突。コース直前の花道、未だ藤の花が降ってくる。

倉井さん家の庭からカラス1羽、間を於かず林の中から1羽、それぞれ送電線上へ、5メートルも離れた位置へ2羽が止まった。林の中から挨拶無し。準備運動兼ねた歩行80メートル折り返し、12本(×2)カラスずっとそのまま「カーコお早う」「カー、カー」とか息の上がらない「歩行中」なので2度、3度声掛けるが勿論返事はない。そろそろ走へ、と思う時、下り勾配エンドでUターンするとカラスの姿がない。倉井さん家の庭へ下りたのだ。

上り勾配コースエンドで歩行最後のUターンをする際、やはり確認1羽地面・1羽、木柵上、6時30分を回ったところで倉井さんが木っ端に火を付け、周囲の片付け終えて別の箇所に移動したのだ。地上の1羽は盛んに何かを啄む仕草、1羽は見張り?我れはメニューの走に入り、上り勾配エンドでのUターン時は毎回少々息が上がってる。それでもカラスが視界にあればそのでかい図体は見逃さない。3本目の走か、庭に入って間もないのに地面のカラスが飛び出した、後から木柵上の連れも飛び立った。

倉井さんが現れたのだ、柵上のカラスには見張りの役割があったのか。今度は送電線に体を触れあうぐらいに寄り添って留まった。走の上がり勾配にしか見えないのだが、動かない、くちばしを相手の羽の中へ、毛繕い? 遠目でもずいぶん仲睦まじさが見える!今日はかなり長い時間のお付き合いだねお二人さん!走の最終も未だ電線上だ。

我れはメニューもしっかりこなし、汗もしっかりかいた。ストレッチ兼ねた終末体操も気持ち良い! 帰路、往き会い人なし。



*今日の予定、遠縁の告別式参加 12時〜

*今日は、茶番も田舎芝居も見ないで済む。
ホントに昨日の、与野党のやりとりは何? 菅さん壊れたの? あれが本領? また小沢・鳩山さん達と同レベル評価になってしまった!



(keniti3545)

菅さんの態度にとんでもない疑問?: 虚ろな眼差しで耐えに耐えて、それでも自分でなければ・・・と、何のための延命工作! 何としても原発問題、「冷温安定状態へのめど」そして終わりよければ全て良しとは行かないまでも一定の結果付きの形を作ってしまわないことには人に渡せないワケがある?。「東電」・「安全保安院」・「管総理」とぐるの、(と言うか、もしかしたら管総理主導の)事故後のデータ隠蔽・(改ざん等もあり得るか?)、そして自陣内発表データからの初動指示ミス。これによる被災度増幅をどうしても隠し通したい?。 こんな勘ぐりに下記、記事も当てはまったり? こんな解すの勘ぐりしたくないけど、身内の二度、三度の造反、マスコミの言いたい放題、全て内に火種のある事が成せる業ですよ、菅さん! 嘘だ・詐欺師だ・ペテン師だ等と言われないように、言わせないように潔く身をひく姿を最後に見せて下さい。これ以上の一人頑張りは「百害あって一利無し」です。



*「東日本大震災」86日

・事故直後のデータを公表せず (NHK)6月4日 4時32分


東京電力福島第一原子力発電所の事故直後に、避難などの対策に生かすため実施された緊急時モニタリングのデータの一部が公表されていなかったことが分かりました。核燃料が溶けた際に出る放射性物質発電所の外で検出されたことを示す重要なデータなども含まれ、住民の避難などに役立てられた可能性がありますが、経済産業省原子力安全・保安院は「データがどれだけ役立ったかは現時点では分からない。当時、公表しようという考えに至らなかったことは深く反省している」としています。

公表されていなかったのは、避難や飲食物の摂取制限など、住民の防護対策を決める際の参考にするため、発電所周辺で国や福島県によって行われた「緊急時モニタリング」のデータの一部です。このうち、大気中のちりなどに含まれる放射性物質の調査では、事故の翌日の3月12日午前8時半すぎに発電所からおよそ7キロの浪江町の地点で、核燃料が溶けた際に出るテルルと呼ばれる放射性物質が1立方メートル当たり73ベクレル検出されていました。このデータが検出される3時間ほど前、政府は避難区域を発電所の3キロから10キロ以内に拡大し、住民に避難を呼びかけていましたが、燃料の損傷の説明はなく、その後、昼すぎに行われた原子力安全・保安院の会見でも、核燃料は壊れていないと説明していました。

深刻な事態が進みつつあることを示すデータが早い段階で公表されていれば、住民の避難のしかたや避難への心構えなどに役立てられた可能性がありますが、原子力安全・保安院は「データがどれだけ住民のために役立てられたかは現時点では分からない」としています。一方、事故発生の4日後に周辺の市町村で行った放射性物質の調査のうち、原発から30キロから50キロの4か所で採取した雑草などのデータも公表されていませんでした。このうち、原発の北西およそ38キロの川俣町で採取した雑草からはヨウ素131が1キログラム当たり123万ベクレルという高い濃度で検出されていました。原発周辺の雑草については、この調査から9日後になって初めて飯舘村で1キログラム当たり252万ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたと発表されていました。これについて、環境中の放射性物質に詳しい学習院大学村松康行教授は「放射性ヨウ素は子どもへの影響が大きく最も注意が必要な物質だ。早い段階で遠くまで放射性ヨウ素の汚染が広がっていることが公表されていればより早く何らかの対応ができた可能性がある。当時の対応を検証する必要がある」と指摘しています。データの公表が遅れたことについて、原子力安全・保安院は「対策本部を現地から福島県庁に移す際に混乱したため、データがあることは把握していたが、公表しようという考えに至らなかった。深く反省している」と話しています。