「71才の365日」5月16日(月)10℃ 「東日本大震災」67日

*朝トレ:6時15分〜7時30分
中畑さん、我れ「今日も絶好調!」なりです。堰堤階段には不在、コースinまで近隣在住の小鳥たちの歌声も会話も聞こえません。コースinで初めてホーホケキョの挨拶もらいました、此方からのお返しは勿論「絶好調」です!下り勾配1本目のUターンで歩行開始、男体山の薙ぎ雪二筋細く短い帯から紐に変わってしまっていた。明日は消えているかも?

ここのところ、2つお葬式が続いた。我れは、これまでの人生で3組の仲人をやらせてもらっているが、昨日はその中の一つ、会社勤め時代の部下の、お父上の葬儀だった。年齢的には、享年84才と微妙な感じ喪主の彼には孫が二人いるとのこと、お亡くなりになったお父上はひ孫を二人も抱っこ出来た訳だし、逝った年齢は如何か計り知れないがいずれにせよ人生の後半を楽しく暮らせた事は想像に固くない。我れの孫は今九歳、ひ孫の抱っこはかなわぬ夢か!? 有償の仕事を持っているときは(一年前まで)とんと考えたこともなかったが、これが「年取った」と言う事なのか!?




*「東日本大震災」67日
原発全て止めても電力不足には陥らない!?

「無計画停電」から「戦略的エネルギーシフト」へ(ISEP)

・2011 年3 月11 日に発生した東北関東大地震とそれに続く巨大津波によって東日本は深刻な需給ギャップが生
まれたため、「計画停電」が実施されたが、十分に計画されず、混乱を極めた。そこで、環境エネルギー政策研
究所(ISEP)では、関東圏の供給力や過去の需要量を含めた検証を行い、公共政策として行うべき、短期・中長
期的な施策をここに提言する。


【要旨】

・【短期的な電力需給今春から夏の需要ピーク時(1 日最大電力予想=発電端で5,500 万kW)にかけて、と
くに需要側への適切な措置〜特に大口需要家との需給調整契約の戦略的活用〜を行えば、短期的にも無計画
な「計画停電」を実施しなくても、十分に対応可能であることが明らかになった。
・ 具体的には、福島第一原発と第二原発はもとより、柏崎刈羽原発を全機停止したとしても、最大で270 万
kW の供給不足に対して、以下の措置により1100 万kW 以上の需要引下げ効果が期待できるものと考える。
 家庭〜50kW 未満は、一律、契約電力(アンペア数)を2割引き下げて250 万kW の引き下げ効果
 50kW〜500kW は、ピーク料金を設けることで200 万kW 程度の引き下げ効果
 500kW〜2000kW は、ピーク料金から開始し、順次、需給調整契約に移行して150 万kW 程度
 2000kW 超は、原則として政府あっせんによる需給調整契約によって500 万kW 程度



・【中長期的なエネルギーシフト】地域分散型の自然エネルギーを中心とするエネルギー政策に転換すれば、短
期的には震災復興経済の柱となるだけでなく、中長期的には自然エネルギーを2020 年に電力の20%増の30%、
2050 年には100%を目指し、電力安定供給・エネルギー自給・温暖化対策の柱とする大胆かつ戦略的なエネ
ルギーシフトを目指すことを提言する。
・ 具体的には、2020 年を目途に、自然エネルギー30%を目指す。
 現状の「我慢の節電」から「利便性を損なわない節電」を 2020 年までに20%
自然エネルギー電力を現状の約 10%から30%に拡大
原子力は自然減と震災損傷を考慮して約 10%もしくは2020 年までに全廃
 石油・石炭は優先して削減することで約 10〜15%、天然ガスは変動吸収の主役として約25〜30%
・ さらに2050 年を目途に、自然エネルギー100%(現状比で節電50%、自然エネルギー50%)を目指す

・「各論」は→http://www.isep.or.jp




*「keniti3545の独言」
政府が誘導しようが、歯止めを掛けようが原発不要論は世論のウェーブとして止まらなくなりつつありますね。各分野毎に科学者と技術者が一体となって、生のサンプルを採取し→マップを作って証明し→データに基づいた資料を作り→精度の高いシミュレーションをする。→その結果を多くの国民が目にすることが出来る。(デメリットの大きな)・そして何より人の命に関わる事故が想定できるようなエネルギー開発は必要ない(使うべきでない)と言うことでしょうか。代替資源の開発・加工・発見等人類はまだ十分余力を持っているし、進化・進歩が行き詰まったら時には立ち止まり、時には回り道をしても良いのでしょうし、今が正にそうすべき時(時代)なのかも知れませんね。我れのようなアバウトな目で、岡目八目・半分外野の、それでもこの国の国民がそれぞれに声を上げないと行けないのでしょう。

菅さんも、優柔不断・指導力不足・・・とか言われながらも政権を投げ出すことなく堪えていることは「悪しき」事も多いかも知れませんが一つの流れを持っているのですから浜松の原子炉を止めたこと後世には「良き」事の評価を得ることに成るのではないでしょうか。只、後々になっても「私の決断」とは威張って欲しくありませんが・・・?